「お客様! お客様の中に、悪役令嬢はいらっしゃいませんか!?」
「お客様! お客様の中に、悪役令嬢はいらっしゃいませんか!?」
「――!」
仕事でニャッポリート王国に向かう飛行機の中。
顔面蒼白になったCAさんが、そう呼び掛けてきた。
何かあったのかしら?
正直、仕事以外で悪役令嬢をやるのはあまり気が進まないのだけれど、義を見てせざるは勇無きなりとも言うしね。
「はい。私は悪役令嬢ですが」
手を上げてCAさんの前に立つ。
「ああ、助かります! 実はファーストクラスのお客様が、今にも婚約破棄を始めそうな雰囲気でして……」
「婚約破棄を!?」
そんな……!
こんな機内で……!
やれやれ、どこの世界にも、非常識な人間というのはいるものね。
「わかりました、私に任せてください。現場に案内していただけますか?」
「はい! こちらです」
私は手袋をキュッとはめ、CAさんの後に続いた。
「あ、あちらの方です……」
CAさんが目線を向けた先に、豪奢な服に身を包んだ、いかにも第二王子っぽい雰囲気の男性と、素朴ながらも男好きしそうな顔立ちの、いかにも男爵令嬢っぽい雰囲気の女性が、通路上に立っていた。
やれやれ、マジで婚約破棄じゃない。
飛行機の中で婚約破棄とか、神経を疑うわ。
私はCAさんに無言で一つ頷くと、二人の前に立ち、カーテシーを取る。
「ごきげんよう。悪役令嬢のヒルデと申します」
「よく来たなヒルデ! ――ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
第二王子さんがこれでもかというドヤ顔で、高らかにそう宣言した。
さてと、どう進めていこうかしらね。
「いったいどういうことでしょうか。理由をお聞かせいただけますか」
とりあえず寝耳に水というていでいってみよう。
「フン、身に覚えがないとは言わせないぞ! 君が陰でリリーに、陰湿な嫌がらせをしていたことはバレているのだからな!」
「ああ、ドミニク様……」
男爵令嬢さんが悲愴感を滲ませた顔で、第二王子さんにしなだれかかる。
ふむ、第二王子さんのほうがドミニクさんで、男爵令嬢さんがリリーさんというのね。
「それは誤解ですドミニク様。私はリリーさんに、決して嫌がらせなどしておりません」
ここでの選択肢としては、本当に身に覚えのないパターンと、婚約者に色目を使う男爵令嬢に注意を促していたのが、嫌がらせと取られてしまったパターンがあるけれど、今回は身に覚えのないパターンで進めてみよう。
「フン、口では何とでも言えるからな! 現に君がリリーをイジメている現場を見たという令嬢が、何人もいるのだ! それが動かぬ証拠だろう!」
「ああ、ドミニク様……」
リリーさんさっきから「ああ、ドミニク様……」しか言ってないけど、ちょっと手を抜きすぎじゃないかしら?
ひょっとして婚約破棄は初めてだったりする?
「ではその目撃者を、ここに連れて来ていただけますか?」
「フン、生憎ここは空の上だ! 連れて来られるわけがないだろう! そんなことも言われなければわからないのか!」
じゃあ何で空の上で婚約破棄したのよ?
いくら何でも後先考えなさすぎでしょ。
やれやれ、これじゃ埒が明かないわね。
どうしたものかしら。
「よろしいでしょうか、お客様」
「「「――!」」」
その時だった。
洗練された佇まいの、ロマンスグレーのイケオジが、ドミニクさんに声を掛けた。
あ、あの方は!?
「な、何だあんたは……」
「これはどうも申し遅れました。私は機長のユルゲンと申します」
ユルゲンさんは優雅に一つ、頭を下げる。
「機長だと!? 何で機長がこんなところにいるんだ!? 操縦はどうしたッ!」
「操縦は優秀な副操縦士に任せておりますのでご安心ください。……それよりもお客様、ご存知かとは思われますが、機内での婚約破棄は、重大な規約違反でございます」
「そ、それは……!」
「ああ、ドミニク様……」
ユルゲンさんに指摘されて、ドミニクさんは露骨に目を泳がせた。
ふむ、これは勝ったわね。
そしてリリーさんの初心者っぷりは、一周回って逆に面白くなってきたわ。
「規約違反を犯したお客様には、機長である私に裁きを下す権限がございます。――申し訳ございませんが、お二人にはこの飛行機から降りていただきます」
「なっ!?」
「ああ、ドミニク様!?」
まあ、それが妥当な罰でしょうね。
でも、いったいどうやって?
「さあ、こちらをどうぞ」
「え? え? え?」
「ああ、ドミニク様???」
ユルゲンさんは慣れた手つきで、二人にパラシュートを装着する。
ま、まさか……!?
「それでは良い旅を」
「ちょっ!? 待ってくれ!? う、うわああああああッッ!!!!」
「ああ、ドミニク様ぁぁああああッッ!!!!」
非常口を開けたユルゲンさんは、流れるような動作で二人を突き落とし、素早く非常口を閉めた。
わーお。
「みなさま、大変お騒がせいたしました。どうか今しばらく、快適な空の旅をお過ごしください」
ユルゲンさんはファーストクラスの人たちに向かって、深く頭を下げた。
ユルゲンさんの神対応に、乗客たちからワッと歓声が上がる。
ふふふ、流石ね。
「お久しぶりです、ヒルデさん」
「――!」
ユルゲンさんに大空を彷彿とさせる碧い瞳で見つめられて、ドキリと心臓が一つ跳ねる。
「ええ、ユルゲンさんも、相変わらずのご活躍ですね。先ほどはありがとうございました。お陰で助かりましたわ」
「いえいえ、差し出がましい真似をして申し訳ございませんでした。あなたなら私などの助けがなくとも、いくらでもあの場を対処できたのでしょうが、老婆心ながらつい身体が動いてしまいました」
「ユルゲンさん……」
私が初めて仕事でニャッポリート王国に行った際、乗った飛行機の機長がユルゲンさんだった。
たまたま挨拶する機会があって少しだけ話したのだけれど、その真摯に仕事に取り組む姿勢に、畏敬の念を抱いたのを今でも覚えている。
それ以来、ユルゲンさんが操縦する飛行機に乗った時は、毎回少しだけお話するような間柄になったんだけど……。
そう、今回の機長もユルゲンさんだったのね。
「ところでヒルデさん、今夜はニャッポリート王国で何かご予定はございますか?」
「え? 今夜ですか?」
ユルゲンさん?
「いえ、仕事は明日からですし、特にこれといった予定はありませんが」
「では、よろしければご一緒にお食事でもいかがでしょうか。美味いワインを置いている店を知ってるんです」
「――!」
ユルゲンさんがニヒルに一つ、ウィンクを投げてくる。
――ふふふ。
「まあ、それは楽しみですね。是非ご一緒させてください」
「ありがとうございます。それではそろそろ仕事に戻らねばなりませんので、また後で」
「はい、お仕事頑張ってください」
お互い会釈し、背を向けて歩き出す。
ふふふ、昨日買った、新作のルージュを試してみようかしら。
自席に戻る、私の足取りは軽かった。