銀色ピエロと金色プリンセス
昔々のお話。
南国で一年に一度だけ咲くという月影の花。
その月影の花にたまった朝露は、飲めばとてつもない効果があるという。
その者を愛するならば、どんな万病も立ちどころに治り、逆に、その者を恨むならば即座に死に至るという。幻と言われる月影の花を探し求めて、南国の仙人掌地帯を彷徨う者は数多い。
ここは北国。
――万年雪の時代。
サーカスのスターは銀色ピエロ。
玉乗り、ナイフ投げ、空中ブランコ、なんでもござい。
この退屈で貧しい時代に夢の架け橋、遥か雲の上を滑っては愛をバラまく。
「キャー、素敵!」
「ああ、素敵!」
「素敵! 素敵! とにかく素敵!」
その素顔を誰も知らないけれど、銀色ピエロは日々拍手喝采を浴びる。
光速のロマンの担い手、歴史を紡ぐ綺羅星、それが銀色ピエロ。
けれど、銀色ピエロは知らなかった。
2つばかりを知らなかった。……人に恋することと人生の落とし穴を。
ある日。
淀んでいた呪詛ははじけ飛ぶ。
少年少女輪になって、踊る、けれど、伝わらないイマジナリー。
この表向きには存在しないことになっている、渇望と空虚を伝えたい。
だから、少年少女輪になって、囲う、銀色ピエロの身の回り。
そして、猛毒を塗ったナイフ片手に傷つけた。銀色ピエロは傷ついた。
大事な右足の腱を切断されてしまったのだ。
「うっぐ!」
悲痛な顔を浮かべて血の海に沈む銀色ピエロ。
「キャー、素敵!」
「ああ、素敵!」
「素敵! 素敵! とにかく素敵!」
少年少女達はそう囃し立てて満足気にして去っていった。
「銀色ピエロはクビだ」
サーカス団長は言った。
「銀色ピエロはクビだ」
太母は言った。
「銀色ピエロはクビだ」
怪盗紳士は言った。
「銀色ピエロはクビだ」
英雄は言った。
「銀色ピエロはクビだ」
魔法使いは言った。
「銀色ピエロはクビだ」
浮浪者は言った。
「銀色ピエロはクビだ」
大衆は言った。
「銀色ピエロはクビだ」
みんなは言った。
銀色ピエロは晴れて自由の身に。
使えなくなった右足引きずって、毒が脳に回って狂っていく。
いひひひひ、と銀色ピエロが奇怪に笑うと。
いひひひひ、みんなも奇怪に笑ってくれた。
都合のいい慰み者になってくれたと、為政者は手を叩いて喜んだ。
――1年後。
銀色ピエロはすっかり飽きられていた。
もう、いひひひひ、と笑っても誰も相手にしない。
朽ちかけた壊れた人形。後は土に還るだけに思われた。
しかし、そこで。
金色プリンセスが現れた。
1年間に及ぶ南国への旅から帰ってきたのだ。
金色プリンセスは銀色ピエロに言葉をかける。
「パン買ってこい」
……。
「いひひひひひ」
「冗談よ。どうやら毒で頭がおかしくなっているのは本当のようね」
「いひひひひひ」
「……。私ね、貴方のことずっと嫌いだったの。嫌いな癖にみんなの人気者だったから、尚更に大嫌いだった。……でね、南国の仙人掌に咲くという月影の花を取ってきたの。貴方にこの朝露を飲んで欲しかったから」
そう言って、金色プリンセスは月影の花に溜まっていた朝露を銀色ピエロに飲ませた。
ゴクリ、と銀色ピエロは朝露を飲み込む。
……と。
なんと不思議なことが。
生気を失い焦点の定まらなかった銀色ピエロの眼がみるみると輝きを取り戻し、その瞳孔は宇宙を内包したような宝石のキラめきを讃えた。右足の傷もみるみる治り、スッと銀色ピエロは立ち上がった。
「これは……私は一体今まで何を?」
要領を得ない銀色ピエロは金色プリンセスに尋ねる。
「そういうことよ。私は貴方のことが大っ嫌い。大っ嫌い、だけど、愛している。――これからのことは好きになさい」
そう言って、金色プリンセスは颯爽と去っていった。
――一か月後。
夜。
サーカスは盛況だった。
銀色ピエロが華々しく返り咲いたからだった。
「スターの帰還だ」
「おめでたい」
「とにかく、おめでたい」
みんなが喜んでいる。
銀色ピエロも嬉しかった。
これは素晴らしい感動体験だ! ありがとう! 為政者も手を叩いて喜んだ。
そして、銀色ピエロは、山盛りのパンと、沢山のお金を金色プリンセスに差し渡したという。
金色プリンセスはどこか不満げだったが、パンとお金には喜んでいた。
銀色ピエロが金色プリンセスにパンとお金を献上する関係は末永く続いた。
……そして、不思議と万年雪は次第に溶けていったと歴史には残っている。
銀色ピエロは恋を知らなかった。
ただ、それだけのお話。