もしも童話(もしもシンデレラのヒロインが引きこもり少女だったら)
綺麗なドレスに身を包み、華やかなダンスパーティーへと行く。
そこで素敵な王子様と運命の出会いをし、互いに愛を交わし会う。
それはいつの時代も女の子の夢であり、憧れ。
しかし彼女はその普通よりほんの少し……いやかなり違っていた。
華やかさとは程遠い白と黒で構成されたシンプルで動きやすい服。
少し歩けば必要なものを手に取れるこじんまりとした空間。
のんびりとした昼下がりは物語を書くのにうってつけの穏やかな時間だ。
しかしそんな穏やかな時間を打ち砕くかのようなノック音が、ドアを壊さん勢いで無情にも響き渡った。
「グレーナ!グレーナ!
いるんでしょう!開けて頂戴!」
(この声は……。
ハァ、また来たのね)
慣れ親しんだ声に、居留守を決め込もうと口を紡ぐ。
しかしノック音は止むどころか、さらに大きくなっていく。
「もう!グレーナ!グレーナってば!」
(……仕方ない。とりあえず出ましょう)
椅子から立ち上がり、緩慢な動作で音のする方へと向かう。
ゆっくりと扉を開けた瞬間、その扉をこじ開けんばかりの勢いでやって来たのは、予想通りの人物だった。
「何?姉さん」
「何?じゃないわよもう!
今日一緒に出掛けようって言ったじゃない!」
「……?
……聞いていない、けど?」
「ええっ!?嘘!?」
「本当、だけど……」
(……聞いていない、わよね。
うん、多分……)
自信満々に言われると、こちらの自信は逆になくなっていく。
小さくたずねると、姉は何かを考え込むように眉を顰める。
「うーん……そうだっけ?そう言われるとそうだった気も……。
……よし!じゃあ今言ったってことで!さっ!早く行きましょう!」
「ちょっ…!?
姉さん!引っ張らないで!」
ぐいぐいと腕を引っ張るこの美人は私の義姉、ルリカ。
思わず惹き込まれてしまう大きな目、凛と筋の通った高い鼻、見にまとった豪華な服も霞んでしまうほどの美貌とスタイルを持つ彼女は、この辺りはもちろん隣国からも求婚が来るほどだ。
「……あれ~?ルリ姉さんも来てたんだ~?
ならちょうど良かった。お邪魔しま~す」
「えっ!?」
(こ、今度は、ちい姉!?)
再度聞こえてくる馴染み深い声。
反射的に振り返ると、予想通りの人影がそこにはあった。
「ちい姉まで……。
何しに来たの?」
「えー、レーナちゃんひどーい。
近くまで来たから遊びに来たのにー」
間延びしたしゃべり方をする彼女も私の義姉。
『ちい姉』とは上の姉と区別するためにつけた愛称で、本名はシルビア。
小動物を思わせるような愛くるしい眼差しと仕草で無意識に男性を虜にしている、ともっぱらの噂。
しかし本人の放つオーラゆえ、だろうか。同性にも人気という、不思議な女性だ。
(……同じ姉妹でも違うものよね)
華やかで愛くるしい。理想の女の子。
街、いや国中の誰もが彼女らのようになりたいと願っていることだろう。
「レーナちゃーん?」
「うわっ!び、びっくりした…。何?ちい姉」
「んー……レーナちゃんをなでなでしようと思ってー」
「えっ?なんで?」
「えー……心配、だから?
レーナちゃん、ふかーいふかーい海の底みたいな、暗い顔してたからー」
「そ、そうかな?
そんなことないと思うけど……」
「ううん、そんなことある。レーナちゃん、考え事すると昔からすぐ顔に出るから。
だから心配」
「あ、うん……」
間延びした喋り方とは裏腹に目は真剣そのもので、どう答えていいか分からず口ごもってしまう。
気まずい空気にどうしたものかと悩んでいると、反対側からやや強めに肩を叩かれた。
「シルビアの言う通りよ。
姉が引きこもりの妹を心配して、頻繁に家をたずねてなんの問題が?」
誇らしげに胸を張る姉と、ぼんやりとした表情ながら的確に私の気持ちを暴いてくる姉。
二人分のプレッシャーに思わず、土下座でもなんでもするからお帰り頂きたい、と拝み倒したい衝動にかられる。
(ハァ……無理、よね)
そんなことしたところで、火に油を注ぐだけ。
極力自然に帰ってもらえないかと、少ないボキャブラリーから言葉を引っ張り出す。
「それは……嬉しい、けど。
私にだってその、都合ってものが…」
「都合?年中引きこもりの不健康悪良児が何言ってるの!」
「いや、不健康悪良児ってもう意味がわからな……」
「お黙り!都合が悪いっていうなら、どうにかして良くしなさい。
出来ないって言うなら、この私自ら動くことも辞さないわよ?」
「すいません、ごめんなさい。
それだけは勘弁して下さい」
(姉さんがそういう時って、とんでもないことをやらかすもの……)
黒いものも白に変える。
むしろ国中のカラスを白に変えてもおかしくない人だ。
「……ちい姉は……」
「……都合、悪いなら良くなるまでここで待ってる。
一年でも、十年でも待っているから、レーナちゃんの都合が良くなったら声、かけて」
「…………」
(聞くまでもなかった……)
なけなしの反論も、いろんな意味で破天荒な二人に通じることなく、蛇に睨まれた蛙のごとく縮こまる。
そんな私に蛇、もとい姉はさらに窮地に追い込まんとする。
「大体都合なんて嘘なんでしょう?
一日中原稿用紙の前にかじりついているだけなんだから」
「うっ……」
(い、言い返せない…)
横暴だと反論したくとも、なまじ的を射ているせいか言葉が出ない。
黙り込んだ私を了承の意だと捉えたのか、ルリカは満足げに頷くと強引に私の手をとった。
「ほらほら!たまには日光浴びて!外の空気でも吸えばいいアイディアだって浮かぶって!ほら、シルビアも!
たまには三人でお茶しましょうっ!」
「いや、行くなら二人で……」
「うん。
ルリカ姉さんのおごりなら行く」
「あんた……意外とちゃっかりしてるわよね。
まぁ、いいけど。じゃ、早速行きましょう!」
「…………」
(……仕方ない。
たまには付き合おう)
あれよあれよという間に、話は転がる石のように進んでいく。
抵抗を諦め、私は持っていたペンを机に、原稿用紙を引き出しに戻して小さくため息をこぼした。
「それでね!そうしたらその人が……」
「ええっ?
姉さん、相変わらずだね……」
「うん……無鉄砲」
「あんたが言うなっ!」
眠たくなるほどの晴天の中、久しぶりに姉妹三人で仲良くお茶を飲む。
久しぶりの外の景色は新鮮で、彼女の言う通り新しい物語が生まれそうな予感がする。
(……うん。
たまになら、こういうのも悪くないな)
会話のキャッチボールを弾ませながら思う。
だがそんな時、姉は突如思いもよらない変化球を投げつけてきた。
「ねぇ、グレーナ。
明日、お城の舞踏会に行きましょう」
「ぶ……っ!!
……は、はい??」
(い、今の聞き間違い…よね?)
ひとまず落ち着こう。と自分の頭と胸に言い聞かせながら、濡れた口元をハンカチで拭う。
「もう!
は?って何よ、は?って」
「いや、何よって聞きたいのはこっちなんだけど……」
思わずじと目で姉を見上げる。
すると何を勘違いしたのか、姉はどうにか投げ返したボールをさらに斜め上な方向へと打ち返してきた。
「あぁ、言葉間違えたわ。
明日、舞踏会に行くわよ。
「ま、待って!余計に分からなくなった!」
誘い文句から確定事項に変わっている。
唐突すぎる展開に思考かいろが追い付いていかない。
「なんで突然舞踏会?しかもお城の……」
「……グレーナ、私ね思ったの。
人間、多少の荒療治は必要だって。
そこでお城の舞踏会はうってつけだと思ったのよね」
「いや、だから意味が……」
一人うんうんと頷かれても、こちらは完全に置いてけぼりの状態だ。
終始首を傾げていると、彼女は業を煮やしたのかバンッと勢いよくテーブルに手をついた。
「だーかーらー!お城の舞踏会なんて高度なシチュエーションクリアしたら、大抵のことは乗り越えやすくなるでしょ!つまり、そういうことよ」
「…………」
意味が分からない。
空いた口が塞がらないとはまさにこのことだと思う。
「……レーナちゃん。ルリカ姉さんはね、レーナちゃんに少しでも人と関わってほしい、んだと思うの。
ずっと、ずっと、おばあちゃんになるまで一人ぼっちでもレーナちゃんはいいの……?」
「…………」
言葉足らずだと気付いたのか、シルビアが補足説明のような単調さでそう付け加える。
相変わらず核心をついてくる彼女の言葉に、私は何も言い返すことが出来なかった。
(……あながち間違ってはいない、と思う。私だって、ずっとこのままでいるわけにはいかないのは分かっている。
でも、さすがに舞踏会はね……)
「あ、あのね、二人とも。
言いたいことはそれこそ星の数ほどあるんだけれど……そもそも私、お城の舞踏会なんて行ける身分じゃな…」
「それなら大丈夫」
「それなら問題ない」
「……??」
同時に頷いた二人は、懐から金色に光輝く紙を取り出す。
そこにははっきりと、この国の紋章、王国を象徴する刻印が記されている。
「いったいどこでそんなもの……」
「店の常連さんがくれた」
「通りがかりの人に貰った」
「…………」
前者はともかく、後者は明らかにおかしい。
そう突っ込みたかったが、度重なる突っ込みの連続でもう言葉が出てこない。
「……あー、でもほら、舞踏会に来ていくドレスなんて持っていないし……」
「あら、それについては任せなさい。
ね、シルビア?」
「うん。明日、迎えに行くから。
楽しみにしていて……?」
「…………」
『逃げたい』
瞬時にそう思ったが、この二人を相手にして逃げ切れる自信はなかった。
(……っていうか、もう完全に行くことになっているのね)
私の意見などお構いなしに、ドレスや髪形の話を始める姉二人。
嬉々とした様子の二人とは対照的に、私の心は今にも嵐が来そうなほどどんよりとしている。
(不安だわ……)
楽しげに談笑する二人を前に、私は憂鬱さを隠せず大きなため息をこぼした。
綺麗なドレスに身を包み、華やかなダンスパーティーへと行く。
そこで素敵な王子様と運命の出会いをし、互いに愛を交わし会う。
それはいつの時代も女の子の夢であり、憧れ。
しかし私はその普通よりほんの少し……いやかなり違っているわけで……。
(……帰りたい)
賑やかで華やかさ溢れる会場の隅で、私は一人ため息をこぼす。
姉二人の魔の手からどうにか逃げられないかと抵抗を試みたものの、案の定私では太刀打ちできず、どこぞの悪代官かと突っ込みたいほど強引にドレスを着せられ、髪を結われ、さらにほとんどしたことのない化粧までされ…と出発前からとんでもない目に遭った。
しかし会場に来て思い知らされる。
あれはまだマシな方だったのだと。
(皆、すごく派手……ううん、華やかだなぁ)
同じ年頃の女の子達は色鮮やかなドレスに身を包み、小鳥のようなさえずりで談笑し合っている。
(最初このドレスを着せられた時は、こんな派手なの無理!って思ったけど……。
これでも地味な方だったのね)
良かった、と言うべきなのか悩みどころだが、目立たないという一点では助かっている。
何せ今日の私の目標は『目立たず騒がず』だ。
どうにかこのまま平穏に、ただ時が過ぎるのを待っていたい。
(あぁ……帰りたい。
時間がこんなに長く感じるのなんて、初めてかも……)
二人の姉は各々に声をかけられたので、逃げ出すなら今かもしれない。
でも……。
(姉さんの言う通り、私も少しは変わらないといけないとは思うのよね)
一人が好き。
それは決して嘘じゃないけれど、他の誰かと関わることで別の何かが見えてくるかもしれない。
それを知らないままでいることの方が、慣れない人と関わることよりも恐ろしいものだと感じた。
(……とはいえ、さすがに最初からこれはかなりの無茶なんじゃないかって思うけれど)
武器もない丸裸で戦場に赴くようなもの。
我ながらこの例えはどうかと思うが、私にとってはそれぐらい無理難題なのだ。
それゆえ、今日の目標は人と関わることではなく、この場を耐え切ること、にしたのだ。
早くもくじけそうではあるが……。
「ハァ……」
口をついて出るのはため息ばかり。
華やかな舞台は遠くにあるが、それでも場に漂う空気には困惑していく一方だ。
「失礼、お嬢さん。
もしかして、パーティーはお気に召しませんか?」
「…………」
「……あれ?聞こえなかったかな。
もしもーし、お嬢さーん?」
「……えっ?わ、私ですか?」
再度聞こえてきた声に、自分の顔を指差しながら素っ頓狂な声を上げてしまう。
だが声をかけた主である男性は、笑顔を崩さず満足げな様子で大きく頷いた。
「うん、君だよ。良かった、ちゃんと聞こえていたんだね。
全然反応がなかったから、具合でも悪いんじゃないかって心配したよ」
「す、すいません……」
聞こえてはいたが、まさか自分に向けられたものだとは思わなかった。
……と言えるわけもなく、私は微笑む彼に向かってどうにか笑顔を返す。
(この人……参加者、よね?)
着ている服は、所々で飲み物を配っているいわゆるバトラーのものではなく、一目見ただけでもいいものだと分かる真っ白なタキシード。整った顔立ちと背の高さでとてもスマートに着こなしている。
(貴族……ううん、もしかしたらもっと上の身分の人かもしれない)
「あ、あの、私に何か……?」
何かをやらかしてしまった覚えはないが、こういう場でのマナーには詳しくない。
ある程度頭に叩き込んではいるが、実際体験したのは今日が初めてだ。
不安を隠せず長身の彼を見上げると、それを察したのか安心させるかのように手を振り微笑みかけてくれた。
「あぁ、そんな心配そうな顔をしないで。
声をかけたのは、単に俺が君と話したいって思っただけだから」
「はぁ……ってええっ!?わ、私とですか!?」
「?うん、そうだけれど……」
そんなに驚くことかな?と言って、不思議そうに首を傾げる。
しかし私の方はというと、首を傾げるどころか開いた口が塞がらない状態だ。
(し、仕方ないじゃない……!
男の人にそんな風に言われたの、初めてなんだから!)
誰に言い訳しているのか、と思わず自分で自分に突っ込みを入れる。
私は落ち着きを取り戻すため大きく息を吸い込んだ。
「……あ、あの、でも私なんかより他にも人はたくさん……」
「うん、いるね。
数えるのが億劫になっちゃいそうなほど、たくさん」
「……わ、私なんかより綺麗な人もたくさん……」
「うん、そうだね。
可憐な女性が美しく着飾っている、甲乙つけられないほど皆それぞれ輝いて見えるね」
「…………」
(どうしよう……。
この人……天性のタラシキャラだ……!!)
思わず後ずさる。
しかし壁際にいたのが災いして、わずかな距離しかとることが出来なかった。
(ど、どうしよう……!
こういう時、どうすればいいんだっけ!?)
今まで書いてきた物語の中から、似たようなシチュエーションを懸命に引っ張り出す。
しかし混乱する頭で、そんな器用なこと出来るわけもなく……私はただ目を白黒とさせることしか出来なかった。
(…………逃げよう)
悩んだ末に出た結論は至極単純なものだった。
立ち向かう?
いやいや、恋愛経験など書いたことはあれど体験したことない私に、目の前の彼の相手は荷が重すぎる。
「…………」
壁に手をつき、じっと機会をうかがう。
徒競走しかり、脱走しかり、最初の一歩が肝心だ。
「それでね、その時飲んだのが……。
……あ、今ボーイが配っているのが、もしかしたらそうかな」
(……よし!今だ……っ!)
話している途中、彼の注意がわずかに逸れる。
その機会を逃さず、私は慣れないヒール靴で勢いよく駆け出した。
「……はい、捕まえた。
なんで逃げるの?」
「……ッッ!!」
駆け出したはずの足が、数歩と歩かずして止まる。
臆病風に吹かれたわけではない。
彼の大きな手が、私の腕を強く掴んでいるせいだ。
「あの……離してくれませんか?」
「どうして?」
「いや、どうしてって……」
(理由を聞かれると答えに詰まるんだけど……。
でも、掴まれる理由もない……よね?)
「……そういう貴方こそ、どうして引き止めるんですか?」
「そんなの、君と話したいからに決まっているじゃないか。
去られてしまったら、話すことは出来ないしね。
生憎、俺は超能力者じゃない。目を見て口を開かないと、人とコミュニケーションなんてとれないし」
「はぁ……」
(もしかしてこの人……意外と真面目?)
真っ当な答えに、思わず面食らう。
完全に心を開けたわけではないが、当初抱いていたマイナスの印象が、わずかにだが崩れていくような気がした。
「それは……分かってもらえたって解釈していいのかな?」
「えっ?えぇ、まぁ……」
(一応、彼の言うことは理にかなっているし……。
思っていたほど、タラシではない…のかな)
ややずれているだけで、意外とまともな人なのかもしれない。
「それで、いかがでしょうかお嬢さん。
俺とひと時の時間、お付き合い頂けないでしょうか?」
胸に手を当て、優雅にお辞儀をする彼にわずかに胸の高鳴りを覚える。
少し悩んだが、私はおずおずと小さく頷いてこたえた。
「良かった。
それじゃあ早速参りましょうか!」
「えっ?参るって……どこに、ですか?」
「決まっているだろう。ダンスだよ。
もうすぐ次の曲が始まる。俺、この曲が一番好きなんだ」
「えっ……ええっ!?ダ、ダンスって……。
む、無理ですよっ!!私、ダンスなんて一度も踊ったことな……」
「大丈夫、大丈夫。
これは比較的スタンダートなリズムだから初心者でも掴みやすいよ。
それに、きちんとリードするから…ね?」
(う……)
無邪気に首を傾げられ、思わず頷いてしまいそうになる。
しかしダンスという未体験な事柄と、人前という苦手な事柄が合わさっては、素直に「はい」とは答えにくい。
「……いや、でもダンスはさすがにちょっと……」
「あ!もうすぐ始まるみたいだ。
さ、お嬢さん、俺の腕をとって、反対の手は腰に……」
「えっ?あ、あの……」
手を取られ、強引に腰に手を回される。
あまりに突然だったことと、思いのほか近い距離間に圧倒され、抵抗したくとも身体も口も上手く動いてくれない。
(……っ!
私の周りって、どうしてこう強引な人ばっかりなの!?)
類は友を呼ぶ、というのはよく使われる言い回し。
だが私に限ってそれは適用されないのだと身に染みた。
類どころか、天敵ばかりを引き寄せてしまっている。
「リズムは、1、2、3、2、2、3……の繰り返し。
タンタンタン、タンタンタン……こんな感じで動くからね」
「えっ、あ、あの……!……ッッ!」
反論しようと口を開きかけたのとほぼ同時に、流れていた曲が変わる。
それと同時に、周りにいた人達が次々と踊り始めていく。
(に、逃げられない……)
完全に逃げ場を失ってしまう。
諦めも肝心だとどうにか自分を開き直らせ、私も彼らに倣うことにした。
「……なんだ、君すごく上手いじゃない。
もしかして、初めてじゃない?」
「初めてですよ。
リズムはその……さっき、教えてもらいましたから」
「いやいや、それでもすごいよ。
だって踊るのは今日が初めてなんでしょう?」
(そう言われちゃうとそうなんだけれど……)
分かりやすく手を叩いて説明してくれたので、大体のリズム感は掴めただけだ。
しかしそれでも羞恥心という一番大事な問題は解決出来ていない。
顔を上げることなど出来るわけもなく、私は言われた通りのリズムで機械的に足を動かした。
「……す……ね」
「えぇ……の…しら……?」
「……??」
響き渡る優美な音楽の中、不穏さを兼ね備えた声がふいに耳に届く。
嫌な予感を覚え、思わず視線をそちらに向けてしまう。
そのことで注意が散漫になり、わずかに足がもつれた。
「あ……っ!」
「う……わっ……!とと……。
よそ見してたら危ないよ?」
「す、すいません……」
倒れかけた私の身体を、彼が両腕で支えてくれる。
ホッと胸を撫で下ろす彼の表情に、申し訳なさと同時にわずかに嬉しさが募った。
(……ドキドキしている。
これは……のせい?それとも……)
「……ん?どうかしたかい?」
「いえ、なんでもありま……」
「まぁ!今のご覧になりました?
社交の場であんな恥じらいのない行為をするなど……どこのお嬢さんかしら」
「奥様、そのような言い方はいけませんわ。
どこにでも世間知らずな方はいらっしゃるもの。その都度反応していては、こちらの身がもちませんわ」
「……ッ!!」
(今の……私のこと、よね……?)
「あら……聞こえてしまったのではなくて?」
「まぁ、大変。
事実とはいえ、お詫び申し上げた方がいいのかしら?
もし貴族のお嬢様だったら大変ですもの」
「…………」
なおも聞こえてくる言葉には、わずかに棘のようなものが含まれている。
一つ一つは少なくとも、たくさんの言葉が合わさると、底にたくさんの針山が待っている穴を前に立ちつくしているような……そんな不安と恐ろしさが混じりあっていく。
(……ッ……怖い……)
実際は違うのかもしれないが、その場にいる全員の視線が一心に向けられているようなプレッシャーに、身体が震えるのを止められない。
「……?どうかした?なんだか顔色が悪いようだけれど……。
……!もしかして、さっきどこかぶつけたのかい!?」
「いえ……大丈夫です……」
震える声でどうにかそれだけ口にする。
しかし彼はさらに心配そうに、私の顔を覗き込んだ。
「そんな真っ青な顔で言われても説得力ないよ。
いいからおいで、今医者を……」
「ほ、本当に平気ですからっ!!」
肩を抱いた彼の手を強引に払いのける。
そこではたと気が付く。
いつの間にか音楽はやみ、周りにいた人達が一斉にこちらを向いていることに。
(……っ……み、見られている……)
好奇心、猜疑心、嫉妬や興味といった様々な視線が刃のように突き刺さる。
目は口ほどにものを言う、とはよくいったもの。
口で言われるよりも遥かに重く苦しい空気に、両足がガクガクと震えてその場に崩れ落ちそうになる。
(……っ!
や、やっぱり無理……っ!!)
「ご、ごめんなさいっ!!」
「えっ?
……あ!君……っ!!」
彼の身体を押しのけて走り出す。
ざわめく人混みの合間を抜け、外に向かって一心に走った。
靴も、足跡さえ残さない。
(私は物語のヒロインになんてならない。
ううん、なれないもの……)
自分に相応しい場所がどこかは分からないけれど、少なくともここでないことだけは分かる。
華やかで煌びやかな世界が似合うのは、姉達や今日来ていた女の子だけ。
私はそんな宝石達の中に、偶然紛れ込んでしまった道端の石ころに過ぎないのだから。
「ッ……ハァ……ッ……ハァ……」
ようやく出られた外の世界は暗く、思わず足を止めそうになる。
それでもその風景は、今までいた場所より遥かに自分に相応しいと思えた。
(……帰ろう)
乱れる呼吸を整えながら、ゆっくりと階段を降りていく。
「そういえばあの人……一体何者だったのかしら」
堂々とした立ち振る舞い、ダンスも手馴れていたし、少なくとも成り上がりの貴族ではないだろう。
(し、しまった!私、なんてことを……!
男の人をダンスフロアに一人置き去りにしちゃうなんて……っ)
今になって自分のしでかしたことの重大さに気が付く。
相手はおそらく、というか確実に私よりも身分は上。
(もし……もしも彼が貴族の中でも上流貴族だったとしたら……)
そんな人に刃向ったとなれば、極刑とまではいかずとも、今の生活を失ってしまいかねない。
(ううん、それだけならまだいい。
もし……もし姉さん達にまで迷惑をかけたら……)
不安で胸が苦しくなる。
少しでも息がしやすくなるかと、私は降りてきた階段を見上げ、軽く息を吸い込んだ。
「……戻った方がいいんだよね、多分。
……ううん、絶対」
(でも……足が動いてくれない……)
上りかけるも、階段の途中で凍りついたように足が動かなくなる。
前にも後ろにも進めず、まるでこの空間だけが世界から切り取られてしまったかのような錯覚を覚え、私は思わずその場にしゃがみ込んだ。
「…………」
こんなことしたって、状況は何一つ変わらない。
進むにしろ、戻るにしろ、自分が決めて動かなければ、自分の世界は何一つ変わらないのだ。
(分かっている……。
分かっているのに、私は……)
進む勇気も、逃げる勇気もない自分が心底嫌になる。
膝を抱え、深く顔をうずめながら、私は一人涙をこぼす。
どれぐらいの間そうしていただろうか。
ふいに大きな鐘の音が木霊し、私は思わず弾かれたように顔を上げた。
「……十二時、か」
音の正体は、十二時を告げる鐘の音。
ボーン、ボーンと重くのしかかるような音色。
でもどこか安心もする、不思議な音だ。
「……いつまでも、こうしていても仕方がないよね」
とにかく立ち上がろう。
そう思って膝に力を入れようとした瞬間、私の身体は意思よりも早く起き上がった。
「ハァ……ッ、ハァ……。
や、やっと見つけた……」
「……っ!!」
突然腕を掴まれたことよりも、その人物に驚く。
だってその人はさっきまで踊っていた……あの優しくて少し軟派な貴族の男性だったのだから。
「ど、どうして……?」
「ハァ……ッ……それは、こっちの台詞だよ……」
(……??)
息を整えながら、脱力気味に言われるも、私の頭から疑問符は一向に消えてくれない。
大人しく説明を待っていると、彼は最後に大きく息を吸い込んでから再び口を開いた。
「ここ、裏口なんだ。
てっきり表の階段を使ったと思っていたから……遅くなっちゃった、ごめん」
「い、いえ!こちらこそすいません……」
(う、裏口だったんだ……)
通りで誰一人通らなかったはずだ。
「……ハァ。
私って、とことんヒロイン向きじゃない……」
「……?そんなことはないと思うけれど?」
「……!も、もしかして私、声に出していました!?」
「うん、はっきりと」
(うぅ……穴があったら入りたい……)
そしてそのまま埋めてほしい。
しかしここは階段で、この場にいるのは私と彼の二人だけ。
埋めてもらえるとしたら当然彼なわけで……そうなると恥ずかしさが軽減されるどころかむしろ上塗りだ。
「うーん……そんなことないと思うけどなぁ」
「え?」
「だって、ヒロインじゃないって分かるってことは、ヒロイン像は分かっているわけでしょう?
それを真似してみれば簡単なんじゃって思うけれど」
「…………」
目から鱗とはまさにこのこと。
文字として書いたことはあったが、実際体験したのは初めてだ。
(……そうだ。
ヒロインにはなれないからって……ヒロインを思い描けないわけじゃない)
なれなくとも、見て感じることは出来る。
私はそれで充分で、むしろそれこそが私の生きがいだ。
「……ありがとう、ございます。
それとその……すいませんでした。いきなり飛び出しちゃって……」
「あぁ、そんなの気にしないで。あれぐらい大したことじゃない。
でも……すごく心配したんだよ?」
「心配……?」
(初めて会ったばかりの相手なのに……?)
疑問はあれど、真剣な眼差しでそう言われると、不思議と嬉しさがこみ上げる。
感動し胸を打たれていると、彼は爽やかな微笑みを浮かべながら、もちろんとばかりに大きく頷いてみせた。
「うん。民のことを大事に思うのは、王子にとって当たり前のことだからね。
まぁ君の場合は、違う意味でも大事に思っているけれど」
(……?
……王、子?)
「す、すいません。
あの……今なんて……?」
聞き間違いであろう。
否、聞き間違いであってほしいとの願いを込めてたずねる。
「……?君のことは違う意味でも大切に思っている、そう言ったよ。
叶うなら、今すぐにでも嫁にしたいぐらい」
「よ、嫁……!?
い、いえ!そうじゃなくて、その前です!」
斜め上の回答に慌てて両手を振る。
すると彼は顎に手を当てながら、何かを考え込むように空を仰ぎ見た。
「その前?
……王子として民のことを大事に思うのは当然……の部分かな?」
(やっぱり、聞き間違いじゃなかった……)
今までの自分の行動を思い返すと、暑くもないのに冷や汗が背中を伝う。
「す、すいません!!
王子様とはつゆ知らず、失礼なことばかり……!」
これでもかというぐらい深く、彼に向かって勢いよく頭を下げた。
しかしそれに対する彼の反応は、驚くほどあっさりとしたものだった。
「いやいや、堅苦しくしてほしいなら、最初から名乗るなりなんなりするよ」
「は、はぁ……」
顔を上げると、恐縮した様子でぎこちなく微笑む彼と目が合う。
だが言われてみれば確かにその通りなわけで……。
どう返したらいいか分からず戸惑っていると、彼は今までの表情から一転し、不満げに唇を尖らせた。
「というか、俺としては告白を完璧に流されちゃったことの方がショックだな。
……あ、伝わってなかったのかな。もう一回言う?」
「い、いえ!!」
「そう?遠慮しなくてもいいのに。
……まぁでも、返事の方が気になるかな。聞かせてくれる?」
「えっ……?
い、いや、返事と言われましても、突然すぎてですね……」
話に、いや状況についていけない。
今の状況を簡単に説明するなら、まさにその一言に尽きる。
戸惑いを隠せず、右往左往してしまう。
そんな私に、彼はくすりと微笑んだ後、私の両手を包み込むようにして握ってきた。
「……好きなんだ、君のことが。
こんなこと言っても信じてもらえないかもしれないけれど……一目惚れ、なんだ」
「えっ?ええっ……?」
突然の告白の連続に戸惑いを隠せず、さらに狼狽えてしまう。
手を握られたままなので、距離をとろうにも不可能。
「あ、あの……気持ちはすごく嬉しいんですけど、私達まだ会ったばかりですし……。
そういう関係になるにはちょっと早いんじゃないのかなと……」
「…………」
(伝わらなかっ、た……?
うぅ…やっぱり他人との会話って難しい……!)
叶うなら、今すぐ紙とペンをここに持ってきてほしい。
あと出来たら文を作成する時間も。
そんなことを思っている間に、彼は答えを見つけたかのような晴れやかな表情で小さく頷いた。
「……うん、確かに君の言う通りだね。ごめん、少し性急過ぎたね。
もう少し待つことにするよ。親交を深めつつ、ね?」
「は、はぁ……。
あの、無理に待たなくてもいいんですよ……?」
(私にそこまでの価値があるとは思えないし……)
「あぁ、それなら大丈夫。
言ったでしょう?俺、持久力はある方だから」
「……ッッ!」
悪戯っぽく片目を瞑る仕草に、鼓動が不自然に早くなる。
(あ、あれ……?
なんで、私……)
自分の胸にそっと手を当てる。
感じる鼓動はいつもより早く、頬には微かな火照りも感じた。
「ふふっ、意外と長期戦にはならないかもね」
「えっ?あの……」
「……ううん、なんでもない。
さ、もう遅いし、家まで送るよ」
「えっ!?い、いいですよ。
一人で帰れますから」
「そうはいかないよ。もうこんなに暗いんだし。
一人なら尚更だ」
(う、藪蛇だった……。
でも姉さん達は、いつも通りお泊りだろうしなぁ……。
今更いい言い訳なんて思いつかない)
送ってもらえること自体想定外で、嘘をつくなど考えもしなかった。
困り果てていると、彼はくすりと小さく笑った後、物語に出てくる王子様のような優雅な仕草で、すっと手を差し出してきた。
「この月夜にも負けない愛らしさを持った、我が運命のお姫様。
俺が送り役ではご不満ですか?」
「…………」
(今だけ……少しぐらい、夢を見てもいいかな)
差し出された手に、自らの手をそっと重ねる。
豪華絢爛な城の前、月明かりに照らされた二人。
そんなシチュエーションに酔ってしまったのだろうか。
(……どうしてかな。風は冷たいし、すごく寒かったのに……。
今は、あたたかく感じる)
手の平から伝わってくるあたたかさが、寒さを消してくれたみたいだ。
まるで魔法のようだと、らしくもないことを思いながら、月明かりだけが照らす幻想的な夜道を並んで歩いていった。