腹ペコ艦員
「先輩……なんかおやつとか持ってないですかぁ……?」
機関室の床に力無く倒れこんだミナがスティーブに話し掛ける、力無く視線を向けるスティーブも黙々と作業しているピーターも、その頬は心なしか瘦け、目の下には隈が浮いている。
「あるわけねぇだろそんなもん……あったらとっくに食ってるよ……」
「……ほんとに? ほんとにほんとですかぁ? 先輩がエッチな本隠してる棚の三番目の引き出しの奥のメープルビスケットもですか?」
「あんなもん先月の内に食べ……ってなんでエロ本の隠し場所お前が知ってんだよ……!」
秘密の隠し場所がバレていたショックに対しての反応も鈍い。それもその筈、イカロスの乗員全員がこの一月まともな食事をとれていない、その原因というのが……。
「食料無いのはお前があのくじらに大盤振る舞いしちゃうからだろぉ……」
「あれ全部残ってても一週間分も無いですよ……そもそも先輩が恒星に近付き過ぎたせいで菜園の野菜が全滅したんでしょ……合成肉の培養装置までオーバーヒートで壊れるし……どうすんですか……」
「……いいから……二人とも……仕事……」
先日の宇宙くじら騒ぎ、辛くも危機は脱したかと思いきや思わぬ伏兵が潜んでいた、通常の戦艦乗りであれば数ヶ月ならば栄養補給サプリメントと水で過ごせるが、ここは食い意地と食事の充実っぷりに定評のあるイカロスである、そのような粗食に耐えられる艦員など居よう筈も無い。
程なく食料は尽き、辛うじてサプリメントと水で口に糊しているが、艦員達の精神は既に限界を迎えようとしていた。
「あ~……うどん食べたい……味が濃いのがいいなぁ……カルボナーラうどんとか……」
「……俺はホットケーキがいいなぁ……バター乗せてメープルシロップをこうたっぷりかけてだなぁ……」
二人の腹から息を合わせたようにきゅるるるるる……と、か細い音が鳴る、溜息を一つついて意を決したように二人が立ち上がる。
「よし! 艦長にどこかで補給できないか直談判しよう!」
「あぁ、食いもんの話ばっかしてても埒があかねぇ、どうにか確保しないとな!」
よろめく脚にパシンと気合を入れ、背筋を伸ばした二人が機関室から勢い良く走り出す。
「……二人とも……ほんと……仕事して……」
右手を伸ばし呼びかけるピーターの声は今日も二人に届かなかった……。
……
「艦長! いい加減サプリメント生活はうんざりです! どこかの星なりなんなりで補給をしましょう!」
「二人とも近付かないで下さい! 危険です!!」
艦橋に勢い良く飛び込んだ二人をリサが止める、何事か分からず立ち止まる二人、危険? いやいや、常にここは危険だろう、むしろ危険で無いことの方が珍しい、だがこのような剣幕でリサが我々を止めたことがあっただろうか? 空腹も手伝いぐるぐる回る頭の中身を整理しつつ、リサ越しに中を覗き込んだミナが思わず『ヒッ』と声を上げて後退る。
そこに居たのはいつものように鎖で雁字搦めに縛られた艦長、だが、今日の艦長は何かが違う、いや、何かが違うどころではない全く違う。
普段の艦長もそれは威圧感ムンムンで恐ろしいが、今艦橋の床に縛られ転がされた艦長は恐ろしさのベクトルが違う、普段の艦長を会話のできる大悪魔と表現するなら本日の艦長は話の通じない大魔獣、血走った目をギョロギョロと動かし、涎を流しながら食いしばられた歯がガリゴリと岩を噛み砕くような音を立てる、そこに居たのは理性ある文明人ではない、一匹の飢えた獣であった。
「んなっ……何が起きたんですか? 艦長の様子が……」
「決して近付かないで下さい……迂闊に近付いたら腕や脚を失っても知りませんよ?」
「食料確保のための話をしに来たが……流石にこれじゃ無理そうだな……」
「い……一体何がどうしてこんなになってんですか?」
「艦長の空腹が限界を超えた模様です……先程まで何か食わせろと駄々をこねていて……ついに正気を失いスミスに襲い掛かったので拘束しました」
空腹は辛い、とてもとても辛い、今乗組員全員一丸でそれを体験中である。だがそれを加味してもここまで獣性を全面に出した存在に艦長が進化するなど誰が考えるだろうか? いや、むしろこの姿こそが艦長本来の姿で普段は人の皮を被って暮らしていると言う方が、むしろしっくりくるかも知れない。
「そこまで見境無いなんて……スミスさんは大丈夫なんですか?」
「あいあい! なんとか無事だよ~、流石に食われそうになったのは慌てたけど」
「ったく……何をどうまかり間違えば人に襲い掛かるんだよ……まだあれだ、畑に居る犬っころどもに襲い掛かる方が……」
「ちょっ……! 先輩!」
スティーブの発言をミナが慌てて諌めるが、時既に遅し、スティーブの発言に反応したタウロスの瞳に邪悪な光が宿り、全身に込められた力がその身を縛る鎖にミシミシと音を立てさせる。
「ちょっ……これは……ヤバいな……」
「先輩がいらんことゆーからこうなるんですよ! ワンちゃん達に何かあったら……!」
「星間問題に発展しますね、現在地球上に存在する犬族は数億……それらと連携して攻められたら……」
「問題どころの話じゃないじゃないですか! もっときちんと拘束しておかないと! ……おかないと……あ……? 居ない……?」
視線をタウロスに戻したミナ、だが、そこには千切れた鎖が転がるばかりで肝心のタウロスが居ない。
「ちょっ!? え? 待って待って待って! 何が起きたんです!? えっ? 脱出マジック??」
「うっそだろ? 一瞬目を離しただけだぞ!? 何処に行った!?」
慌てて見回すも辺りにはタウロスの影さえ見えない、と、ミナが何かの音に気付き耳を澄ます。
(カン……カラン……カンカン……ズズ……カン……コン……)
「なんか音が響いて……この音は……通風口!?」
「はっ!? 艦長の図体であんなとこ入れねーだろ?」
「大丈夫です、艦長は全身の関節を自在に外せるので頭さえ入れば何処にでも行けます」
「なんですかそのびっくり人間な特技!!」
「いよいよ人間捨ててんな……ってか畑に急ぐぞ! 七星達が危ねぇ!」
通風口をタウロスが進む音は予想よりも遥かに早い、更に悪いことに菜園となっている救命艇まではほぼ障害物の無い一本道、タウロスが通風口の配置をどこまで把握しているかは定かではないが、野性の勘でたどり着くのは想像にかたくない。
「ってか私達全力疾走してんのに何で通風口通ってる艦長に追い付けないんですか!」
「知るかよ! あのおっさんに常識を適用するのがそもそもの間違いだってそろそろ気付け!」
「だとしたって何なんですか!? 未来から来たターミネー〇ーかなんかですか?」
「また古臭い古典の話を……ってかその世界観からだと今は未来だろうが!」
畑に向かい通路を走るも先を行く金属音との差が一向に縮まらない、焦る足がもつれそうになるのは空腹のせいもあるかも知れないが……。
艦橋からの距離約1.5km、ようやく走りきった二人が分厚い扉に手を翳し認証確認の音声と共に扉がスライドしてゆく……。
「んなっ……!? これは……」
開いた扉の前で立ち尽くす二人の目の前で地獄絵図のような光景が繰り広げられている。キャンキャンと悲鳴を上げるハスキーの首元に涎を垂らしながらがっちりと噛み付いたタウロス、その四肢に噛み付いた七星、パグ、マスティフ、コーギーが関節の外れたままのタウロスの四肢を限界まで引っ張り、最早新種の生物のようになったタウロスと格闘している。
「ちょっ……これ……どう手を付けたらいいんですか?」
「とりあえず噛み付いてる艦長を外さなきゃだが……これ外したら外した瞬間こっちに来て即死だぞ……」
ハスキーに噛み付いているタウロスの表情は最早理性ある人間では無い、上気し真っ赤に染まった顔に、血走って瞳孔が開ききったその瞳は昔話に語られる『鬼』そのもの、写真を撮りSNSに投稿したらよく出来た加工であるとバズる事間違いないであろう。
だが悠長な事は言ってはいられない、このまま惨劇を見逃せば母なる地球の危機を呼びかねないのだ。……と、頭を抱えたスティーブの横でミナが覚悟を決めたように大きな溜息を吐いた。
「っはあああぁぁぁ……嫌だけど……うん」
「? どうしたミナ、何かいい手が……!?」
ミナの顔色を窺うスティーブを無視し、両頬を叩き気合を入れたミナがアキオが構えるシャベルを受け取り思い切り振り上げる。
ヒュオンッ……グシャッ!!
風切り音と共に残像を残し振り下ろされたシャベルの腹が、タウロスの頭に深々とめり込み、一拍遅れて凄まじい勢いで噴水のように血液が噴き出す。
白目を剥き力無く崩れ落ちたタウロスを見下ろし、返り血に塗れながらシャベルを投げ捨て振り返ったミナを見てスティーブが喉奥から『ヒッ』とか細い声を漏らす。
「さ、とりあえずありったけのワイヤーで縛りましょ、関節は入れない方が逃げれないからいいかもですね」
「あ……あぁ……で、でもここまでやらなくても……」
「……? 何か言いました? 先輩」
スティーブを見つめるミナの表情は血に塗れた眼鏡のせいで全く読めない、言い知れぬ恐怖と背筋を走る悪寒に、スティーブは唯々高速で千切れんばかりに首を縦に振るほか無かった。
……
バキイィィィン!! ガランガラン……ゴトン!
照明を落とし、夜間モードで航行中のイカロスの艦内に凄まじい破壊音と金属のぶつかり合う音が響き渡る、何事が起きたかと集まった艦員が見たのは拳の形に凹みグシャグシャに変形した特殊合金製の扉……。
「っ……! 嘘だろ!? 関節全部外れて出血多量で瀕死だったはずだぞ!?」
「強化ワイヤーでダルマみたいに巻いてあったのにどうやって……」
「流石艦長、あの状態から脱出するとは……人という生き物の可能性を感じます」
「リサ……これは艦長が特殊なだけよ……」
扉の破壊された懲罰房の中にはバラバラに引き千切られたワイヤーが虚しく転がるのみ、それを確認した艦員達の背に怖気が奔る。
腹を減らし、分別のつかなくなった、超魔〇物が行方知れず……喩えるなら家の中を飢えた虎が徘徊しているような物である。
真っ青を通り越し色という色が抜け落ちた顔を見合わせ艦員達がゴクリと唾を飲み込む、畑の中心に身を寄せ合った艦員達は、翌朝リサが貧血で動けなくなったタウロスを発見するまで眠れぬ一夜を過ごした……。