腹ペコくじら
「なんだ? ミナ、アホ面晒して……」
「せっ……せんぱ……先輩! うしろ! うしろ!!」
「一体なんだってんだ……あああぁぁあぁぁあああ!?」
ミナに急かされ背後を振り向いたスティーブの視界に、先ほどの巨大恒星が上下にゆっくりと挟み込むように消失してゆくのが映る、信じられない、いや、信じたくない光景に口を開けたまま動けぬ面々が、一拍遅れて止まった時が動き出したかのように右往左往し始める。
「ちょっ! 先輩! 全然振り切れてないじゃないですか!」
「あんなもんまで食うなんて思わねーだろ! そもそもなんでこうもしつこく俺らを追ってくんだよ!」
「やっぱでけぇなぁ……おい、リサ! 網はどうした! さっさと捕まえろ!」
皆がバタバタと対応に追われる中、目を覚ましたタウロスが恒星が呑まれる光景を見て感嘆の溜息をつく、未だ捕獲を諦めぬその姿勢にパイプレンチを構えたミナが噛み付いてゆく。
「……ちっ! まだ生きて……じゃなく! 何でまだ捕まえようって気になるんですか!? あの大きさですよ? 網なんかじゃ捕まえられませんって! そもそもあんなの捕まえて餌も散歩もどうするんですか! 元いた場所に返してきて下さい!!」
「餌ぁ? んなもん適当にサンドイッチでも握り飯でも食わせりゃいいだろ?」
「艦長頭でも打ったか!? ……いや、打ってるな、じゃなく! あんな星食うような奴がそんなもん食わねぇよ! 第一そんなでかい食いもんどうやって用意すんだよ!」
「ああん? でかくなくてもいいんじゃねぇのか? 第一あいつは俺が落としたサンドイッチに釣られて来たんだぞ?」
「あ~ハイハイ、艦長が落としたサンドイッチに……はぁ!?」
スティーブの素っ頓狂な声に艦橋が一瞬沈黙に包まれ、皆がタウロスを囲むように次々と詰め寄ってゆく。
「サンドイッチって何で宇宙空間にそんなもん放流したんですか!?」
「ってかそれについてきたって何がどうなってそうなんだよ!」
「なんか包みを持って外に出たと思ったら何やってんだあんた!」
「鯉の餌やりじゃねぇんだぞ!!」
「あ゛~っ!! うるせぇ! 本読んでてピクニックの描写が出てきて懐かしくなったから外に出て弁当食おうとしたんだよ!」
「私もお供したんですが宇宙服ごしでは食事が摂れないことに遅ればせながら気付きまして……まぁ、そもそも艦長がサンドイッチの包みを開けようとしたら包みが突如バラバラに四散しまして……。どちらにせよ食事はとれませんでしたね」
ついて口から出る言い訳とリサの説明に皆が皆あんぐりと口を開けて硬直する、宇宙空間に? ピクニック? サンドイッチが爆発? 何がどうなったらそうなる!!
論じたい議題は多々あるも今はそれどころではなく、議題をいくら煮詰めようと『艦長だから』の一言に集約される未来しか見えない、それぞれが胸に抱いた殺意に今は蓋をし、改めてくじらから逃れる術を考える。
「とりあえず今はどう逃げるかだ、あんなのに追い回されてちゃおちおち寝ることもできない」
「だけど星を呑み込みながら追ってくるんだぜ? よしんば隠れてもそのエリアごと呑まれて終わりだ、太陽の何倍もあるような恒星を呑むんだから対処のしようがないだろ」
「ってかそもそも何でサンドイッチに反応して追って来たんです?」
「知るかよ! 料理長の料理がよっぽどお気に召したんだろ、味のついたもんなんか食ったことないだろうしな!」
味のついた食事……食べたことがない……スティーブの放った言葉にミナがハッと気付いたような表情をし艦橋を出て走り出す。呼び止めるスティーブの声を背にミナが向かったのは今日も素晴らしい香りを放つ食堂の前。
「料理長! 今すぐありったけの料理を作って下さい! 何でもいいですから大至急!! 全部トレーパックに入れて下さい!」
「? ミナちゃんどーしたの? そんな慌てて……そんなにお腹空いたの? ってか今日は『うどん!』って言わないのね?」
「丁度良かった! ステラさんも手伝って下さい! 効果があるかは分からないけどこれしか方法無いんです!!」
「はぇっ? あ、う、うん、私でよければ? ってかさっきから運転荒かったり急に暑くなったり何かあったの?」
食堂でのんびりとお茶を楽しんでいたステラがミナの剣幕に目を回す、事情を尋ねようにもミナは次から次に出来る料理を鬼気迫る勢いで台車に積み込んでおり、ステラも意味が分からないながらにそれを手伝う。
やがて台車から溢れんばかりの料理が完成し、ミナが勢い良く台車を押して走り出した。
「ちょっとミナちゃん! 何処に運ぶか分かんないけど事情を教えてよ! 一体何が起きてんの??」
「宇宙くじらが本当に居たんですよ! 今追われてる真っ最中です! 艦長のお弁当に釣られたみたいなので今からこれを撒いて離脱の時間を稼ぎます!」
「はっ!? ほんとに居たの?? ってか本当にこんなのでどうにかでき……」
「わかりません! けど、このままだと追い付かれて終わりです! 効果があるかは分かりませんけどやるだけやってみないと!」
廊下をホバー台車を押し走り抜け、艦外への通路を抜け宇宙服を身につける、ハッチを開け久方ぶりの無重力を体に感じる二人の目の前で巨大な惑星が一息に丸呑みにされる。
「……ミナちゃんこれは流石に量が少し足りないんじゃない……?」
「切っ掛けは艦長のサンドイッチです! 一か八かやってみるしかないです!」
震える手足を叱咤して二人が周囲の空間に向け包装された料理を放ってゆく、力一杯、腕が上がらなくなるまで投げ続け、遂に最後の1個を正面の宇宙くじらに向け投げつけるように放り投げる。
「はぁ……はぁ……これで少しでも……」
「ゼェ……ミナちゃん……ケホッ、今思ったんだけどさ、ハァ……」
「何ですか? ハァ……ステラさん」
「あんだけ大きい惑星をひと吞みなんだったら、拡散して投げても一口で丸呑みにされて時間稼ぎにならないんじゃ……」
「あ……あ~~……ま、まぁ、やらないよりはマシですよ! うん! 駄目だったら次は艦長を食べさせて様子を見ましょう!」
「ぷっ……くくく……ミナちゃん言うようになったわねぇ、まぁ、何とかなるでしょ、あとはお弁当の行く末を見守りますか」
……
「後方の宇宙くじららしき物の動きがおかしいです、先程までの直線的な動きではなく蛇行しているような……?」
イカロス後方を観察していたリサが先程までとの宙域の様子の変化に首をかしげる、言われてみれば確かに先程までイカロスの航路に合わせるように星々が消失していたのだが、今は先程までの混乱が嘘のように不気味に静まり返った宇宙が眼下に広がっている。
皆が助かったかと胸をなで下ろす中、艦橋の扉が勢い良く開き、汗だくのミナとステラがもつれ合うように転がり込んでくる。
「……っ! どうなりました!? まだ追ってきてますか?? ってステラさん! どさくさで何処触ってんですか! 離れて下さい!」
「い~じゃないの~……はぁはぁ……減るもんじゃなしに……ってか冗談抜きに全力疾走きっつっ……ゼェゼェ……ちょっとミナちゃん動けないから充電させてぇ……」
「おまえらイチャつくなら部屋でやってくんね? ってかミナ、お前なにかやったのか?」
「イチャついてなんかいないし部屋にも入れません! ってかステラさん顔を赤らめない! あ゛~~っ! 嗅ぐな!!」
「ミナさん、それで……一体どうやって退けたんですか?」
ようやくステラを引き剥がしたミナが身なりを整え大きく息をつく。
「いや、艦長のサンドイッチに反応して追って来たって聞いたから、何か料理を与えれば満足するかなって」
「んで、あいつに向けて料理をばら撒いてきたってか?」
「そーゆーこと、船外作業なんて久し振りだから疲れちゃったわよ……」
「この様子なら何とか気を逸らして移動してくれたみたいですね……っ!?」
ミナがほっと胸をなで下ろした瞬間、衝撃波とはまた違う波のような物が体内を駆け抜けてゆく……駆け抜けていったのは感情? 喜び? 感謝? えも言われぬ不可思議な感覚に全員がキョトンとした表情で顔を見合わせる。
「今のは……?」
「宇宙くじらがお礼を言った……のかしら?」
「あんだけ追い回しといて礼も何も無いがな」
「ちょっと待て! 捕まえるっつっただろうが!! ダン! すぐ回頭しろ! 追うぞ!!」
「ようやく逃れたってのに何考えてんだあんたは! このままほっとけよ! 死んじまうぞ!」
「なぁにぃ!? 俺はあれを飼いたいの! 餌がなんでもいいなら楽だろうが! 散歩もするからよ! な!?」
「艦長、追いたいのは山々ですがあちらを……」
床に仰向けになりジタバタと駄々をこねるタウロス、皆が冷たい目で見つめる中リサが指し示す先を見て全員一様に凍り付く。
リサの示す指の先には見渡す限りの大艦隊が砲列をこちらに向けて並んでいた……。
「……熱烈歓迎ってとこだな……」
「なっ、なんで!? どうしてあんなに沢山!?」
「ちょっと追いかけっこに夢中になりすぎたわね……あの規模の艦隊に気付かないとは……」
「おい! ピーター! 主砲の整備はどうなってる!!」
『艦長……駄目……あと十五分はかかる……』
「あ~、短い人生だったなぁ……死んだらマリーとダグラスのとこに化けて出てやる……」
「……先輩地球の方角分かりますか? 私化けて出るにも地球に帰り着く自信ないですけど……」
「勝手に諦めんな! 見る限り的的的、的だらけだ、あれに撃ち込みゃ気持ちいいぞぉ? トーマス! 出撃準備! リサは来た弾全部撃ち落とせ! あとは……」
「……艦長、あれはなんでしょうか?」
リサが再度指した指の先に皆が注目する中、敵艦隊の後方の空間に切れ込みを入れたかのような真一文字の光が見えはじめる……。光は徐々に上下に広がり、皆が固まった表情で見守る中、燃えさかる炎を纏う巨大な恒星がそこに姿を現した。
「ちょっ……なんだあれは!?」
「なんであんな大きい星がいきなり出て来るんです!? 敵の新兵器とかですか?」
「いや……敵艦隊が重力に捕まって呑み込まれてる……ってかこのままじゃ私達も危ないわよ!!」
「ああぁぁぁ……折角の的が……! っくしょう! 全部呑まれちまった!!」
「馬鹿言ってる場合じゃねぇよ! ダン! スミス! 全力で離脱! 主砲の準備が出来たらさっきの要領だ!」
「衛星周回軌道の軌道計算完了、舵を6°右に切って下さい」
「あんのくじら野郎……これで貸し借り無しって気じゃねぇだろうな……次に会ったらぜってぇ捕まえてやっからなぁ!!」
広大な宇宙空間では解析不能な不可思議な出来事に遭遇することはままある、しばしばそれらは噂が噂を呼び尾ひれのついた都市伝説と化してゆく……。尚、この星を呑み込むくじらの都市伝説、その消失した星々の大半について、彼等が破壊した惑星が多分に含まれていることは余り知られていない事実である。