宇宙くじら
広い宇宙の中でも地上と同じように誰しも耳にする都市伝説的な噂話というものがある。
曰く星を丸呑みにする化け物が居る。
曰く星々を破壊して回る無差別な破壊者が居る。
曰く機械で出来た惑星で永遠の命を授かる事が出来る。
曰く宇宙には生命を産み出した神が居る……。
「宇宙くじら……ですか?」
作業の手を止めステラの話に耳をかたむけるミナ、だが、その表情は猜疑心に満ちている。
「そうそう、都市伝説のあれよ! 星々が突如消失する観測不能の現象! 不可視の何者かが呑み込んだ……なんてロマン溢れていいじゃない?」
「その説にロマンがあるのは同意しますけどねぇ」
ミナが大きく溜息をついて肩をすくめる、確かにそういう説があるのはある、だが観測不能の現象にただこじつけで理由をつけたとも言われる与太話、現実にあるかのように語るには無理がある。
「第一、空気の無い宇宙空間でどうやって生きてるんです? 生き物が生きられる環境じゃないですし、星を食べるとか流石にスケールが大きすぎて……ねぇ?」
「ねぇ? じゃねぇよ! 仕事しろ! 手を動かせ!」
視線を振られ、作業中のスティーブが不機嫌そうに説教を始めようとするが、ステラがそれを押しのけ話を続ける。
「だからぁ! 艦長とリサがそれを見たって言ってんのよ! 透明で巨大な何かが星を飲み込んでたって! ほら、宇宙空間で生きられないとか言うけどさ? 身近に宇宙空間に放り出しても生きてそうなのはいるじゃない?」
「そりゃ艦長は裸で放り出しても生還するだろうよ」
「そういうのは艦長が特殊なだけですよ! でも見たっていつの話です? ってか、艦長が宇宙空間で生きれる生きれないより、艦長が普段から幻覚見てる確率の方が遥かに高いですよ!」
「リサも見たって言ってるしねぇ……あ、ちなみに見つけたってのはさっきね」
ステラの言葉にミナとスティーブが顔を青くし見合わせる、そんな都市伝説の代物を? 艦長が? 発見した? 二人が壁に向かい走り出した瞬間、機関室に大音量のアラームが鳴り響き、轟音と共に衝撃波が突き抜ける。
「っ……! やっぱり! 艦長の事だから捕まえようとか考えてんでしょ!? やばいやばいやばい! そんな得体の知れない物に関わったら駄目ですって!」
「今の絶っ対そいつに向かって撃ったろ!? 勘弁してくれよ……なんかあったらどうすんだよ!」
慌てて機関室を出て行く二人に、手を伸ばした姿勢のまま固まったピーターが呼び止めること叶わずそっとステラに視線を移す。
「おぉ! そ~だ! 私用事があるんだった! ってことでピーター、主砲の整備をよろしくね!」
再び言葉を発する前に脱兎の如く逃げ出すステラ……、ピーターは蒸気を噴き出す主砲を見上げ、肩を落とし大きな溜息をついた。
……
「ちょっと艦長! 何やってんです!?」
「おぅ! がきんちょ! それにスティーブか! 外見て見ろや、アレなんだろうな?」
慌てた様子で艦橋になだれ込んだミナとスティーブを気にする事も無く、いつもの玩具を与えられた少年のような笑顔でタウロスが窓の外を指差す、言い返す気力を失った二人が外を見やるも特に何かが居る様子は無い……。
「がきんちょじゃないです! ミナです! なんです? 何も居ないじゃないですか、宇宙くじらが出たとか聞きましたけどやっぱ都市伝説ですか、それともさっきの主砲で倒したとか言いませんよね?」
「おい、おい! ミナ! あれ……」
「なんですか? 先輩? あ~っ! 先輩も私をからかって遊ぼうって魂胆ですね? そうは問屋が……」
「違う! よく見ろ! あそこだ……」
「あそこってどこですか? あんまり冗談ばっか言ってるといい加減には……へっ?」
言われて呆れた様子で窓の外を見ていたミナだが、ある一点を凝視し動きが止まりみるみるうちにその顔色が青く変化してゆく。
何もいないように見える宇宙空間、いつもの小隕石と惑星が揺蕩う何の変哲もない風景、その風景を彩る星々が、次から次にまるでそこに初めから無かったかのように消失してゆく。
「な……なんなんですか! あれ……!」
「知らねぇよ! 俺に聞くな! だが……あれ……消え方がおかしい、縦とか横とか挟み込むように消えて……まるででっかい口に呑み込まれているみたいな……」
言われて改めて見てみれば星々が消失する際、砕けるでも潰れるでもなく何かの口の中に呑み込まれるかの如くに消えてゆく、その様子は正に何か巨大な生物が食事をしているような……。
「いよぉし! んじゃあいつ捕まえるぞ! あいつペットにしたら楽しそうだ! リサ! 網用意しろ網!」
「畏まりました、艦長」
「いやいやいや! リサさん畏まらないで! ってか艦長正気ですか!? あれ軽く見積もってイカロスの数百倍の大きさがありますよ!? それを網……網ぃ!? 捕まえれるわけないでしょ!」
「やってみなけりゃわかんねぇだろうが! か~っ! やだねぇ! 男の浪漫が分かんねぇお子ちゃまは!」
「男でも大人でもわかんねぇよ! 浪漫どころじゃねぇ! 完っ全に自殺行為だろうが! 見ろよ! ダンもスミスも呆れてんじゃねぇか! さっさと逃げだ逃げ!」
「ぬぁにぃ? 逃げるなんざ男らしくねぇ! 何時だって俺の辞書に『逃げる』なんて言葉はねぇんだよ! おら! ダン! スミス! 全速前進だ!」
少年のようなキラキラした目で指示を飛ばすタウロス、ダンとスミスが大きな溜息をついたその時、スティーブがタウロスの背後を指差し怪訝な表情をする。
「艦長……あれ……」
「ん? なんでぇ? なんもねぇぞ……っぐがっ!?」
振り向いたタウロスの無防備な後頭部に風切り音を立ててパイプレンチが振り下ろされる、為す術無く噴水のように血を噴き出し昏倒したタウロスを見下ろし、肩で大きく息をするミナの手からパイプレンチがするりと滑り落ちガランと音を立てた。
「……殺ったか!?」
「殺ってないです! あああぁぁ……手にぐちょっ、メキッって感触がぁ……」
「流石です、ミナ、躊躇がありませんね……ステラ以外に一撃で艦長を沈める人が居るとは……相当経験を積んでますね……」
「経験なんてありません! 初めてです!! ってか先輩なに距離取ってんですか! 目で合図したの先輩でしょ!?」
あまりにも躊躇の無いスイングっぷりに頬を引き攣らせ、距離を取るスティーブにミナが噛み付かんばかりに抗議する。頬を膨らませパイプレンチを再び手に取るミナに身の危険を感じ、彷徨う視線がキョロキョロ動き回り何か無いかと助けを求める。
「っ……ってかミナ! 早く逃げないと! 距離段々近くなってるぞ!」
「っ!! そっ……そうだ! ダンさん! スミスさん! 全力で宙域を離れましょう! このままじゃ呑まれちゃいます!」
星々を呑みこみつつ迫る宇宙くじら、凄まじい勢いで迫るそれから逃れんとイカロスのエンジンが火を吹かん勢いで回転を始めた。