6話 フロアボスを倒そう 後編
バンドウが逃げ出したのを皮切りに、フロア内に残っていた冒険者が出口に向かって走り出した。
俺はその流れに逆らうようにフロアボス『セントール』の元へと歩み寄る。
改めてフロア内に入ってみてわかったが、セントールの大きさは凄まじかった。まるで目の前にビルが建っているかのような大きさだ。
逃げ惑う冒険者の中で一人だけ、自分に近寄る俺に気がついて、一方的な殺戮をしていたセントールが俺の方に目線を合わせる。
セントールを倒すのに近寄る必要もなかったが、目の前で人が死んでいくのを見るのは気が滅入る。
そう考えて、俺はあえて奴に近づいた。
「バカ野郎! 死にてえのか!」
丸腰でセントールの前に立つ俺に、仲間を逃すために残っていた長身の冒険者が声を掛ける。
酒場で笑われて以来、嫌な奴ばかりのパーティかと思ったが案外良い奴もいるようだ。
「ここは俺に任せてアンタも逃げなよ」
人生で一度は言ってみたかったセリフを吐いて、俺は男の方を見た。
このセリフはカッコいいかと思っていたけど、いざ口に出してみるとすごく恥ずかしい。
そんな異色の雰囲気を醸し出す俺に、セントールは釘付けだ。
「チッ、礼は言わねえぞ!」
攻撃の手が緩んだ隙に、男は近くに倒れていた冒険者を抱えると、出口に向かって走り出した。
これでフロアに残ったのは、数多の血塗れの死体を除けば俺とセントールの二人だけだ。
フロア入り口付近からは逃げ出した大勢の冒険者が俺の出方をうかがっている。
そんな周りの様子を横目で見ながら、俺は怪物へと歩みを進めた。
セントールは近づく俺に警戒しながらも、勢い良く距離を詰めるべく突進をしてきた。
そのスピードは凄まじいが、おおよそ高速道路を走る自動車程度。動きも直線的だ。冷静になれば一度くらいは避けられない速度ではない。
俺は向かってくるセントールの動きを見た後、頭から横に飛んで奴の巨体を躱した。
躱されたのを確認して、俺が立ち上がる前に闘牛のようにセントールがすぐに振り返る。
地面に倒れこんでしまうこの避け方は一度しかできない。でも、問題はない。
俺はセントールが振り返り再び走り出すよりも早く、自分の姿を『消滅』スキルで消し去った。
ここまでくる途中に色々と試した副産物だ。
このスキルは想像以上に便利な物で、物体だけでなく概念すらも消滅される。
そして、消滅したという事象を消滅させれば元に戻す事だってできる。
突然姿の消えた俺を見て、セントールが辺りを見渡す。
しかし、姿だけでなく気配や匂いすらも消せる俺のスキルを前にして、いくら探しても見つかるはずもない。
俺は隙だらけになったセントールの体に視線を向けた。
目的はもちろん、奴の存在を消滅するためだ。
このスキルが発動すれば最後、後は敵が消え去るのを待つだけだ。
俺は目に力を入れてセントールを睨みつけた。
するとセントールの体に、すぐに変化が現れた。
視線を当てた体の表面から光の粒が漏れ出し、奴の体が崩れていくのがわかった。
セントールも体の異変に気がつくと、巨体を振り回してその場で暴れ始めた。
危険を感じたセントールは手に持った槍を地面へと突き刺して力を込め始めた。その直後、地面に転がっていた石ころや死体が槍に向かって引き寄せられだした。
姿こそ消えてはいるが、俺の体ももちろん例外ではない。
足に力を入れて踏ん張りを効かせるが、体はジリジリと槍に向かって引き寄せられている。
こんな力は予想外だ。
幸いセントールと俺との距離は十メートル以上ある。
ここから俺が吸い込まれるまで、およそ三十秒くらいか。
しかし、焦るような問題ではない。俺がアイツに吸い込まれるよりも早く、アイツを消滅させてしまえばいいだけの話だ。
「グガアアアアアアアッ!」
俺のスキルによって体が崩壊していくセントールが、甲高い悲鳴を上げる。
コイツはバンドウ達のような歴戦の冒険者が、五年の月日をかけて倒そうとしていた相手だ。
ダンジョンができてから、無敗を貫いてきた確認されている中で最強のモンスター。
その討伐パーティに参加しようとして、ここにいる全員に笑われ蔑まれた後で、俺が倒すと決意した相手。
対する俺は今日初めてダンジョンに入った初心者の冒険者。外では職を失った無職の男。
そんな俺がフロアボスに挑戦するなんて、ダンジョン中の冒険者が、いや世界中の人間が誰一人思うはずもない。
「……行くぞ」
更に目に力を込めてセントールを睨みつける。それに比例してセントールの体が消滅して行くスピードがあがる。
徐々にセントールの体が透けていくが、想像よりもセントールの耐久性が高いようだ。俺の体もセントールの槍によってかなりの距離を引きずられ、もう手を伸ばせば槍に触れるくらいの距離。
「グォォォォォッ!!」
自分の体が消えかけているのに気がついて、セントールは叫び声をあげた。口からはヨダレを垂れ流し、鬼のような形相を浮かべている。
だが、どれだけ奴が暴れても体が消えていくスピードは止まらない。
そして、極限まで槍へと近づいた俺がジッと見つめ続ける内にセントールに変化が起こった。
「オオオオオォォォッ!!」
突然、今までに聞いたことのないほどの音量で腹から絞り出すような声を上げて、地面が震えるほどの断末魔を上げた。
セントールは手に持っていた槍を手放す。槍は地面へと落ちて、辺りに砂埃を撒き散らした。
俺の体を吸い込む力が不意に消え、砂でセントールの姿も見えなくなる。
息をする事も忘れて、俺は砂煙が治るのを待つ。
何秒間か時間が経って砂煙がなくなると、そこにはセントールの持っていた槍だけが残されていた。
そして、第一階層のフロアボスの姿はどこにもなくなっていた。
五年間このフロアを守り続けていた怪物はだだっ広い空間のどこにもなく、立っているのは俺一人だけ。
これまでに何百、何千人という冒険者を屠ってきた怪物は、この世界から完全に消滅していた。
この結果を誰が予想できただろうか?
フロアの外側、扉の近くで俺とセントールの闘いを見ていた冒険者達は、無言で立ち尽くしている。
誰も言葉を発さない空間の中、頭の中にアナウンスが響き渡った。
『すべての冒険者にお知らせします。六月三十日、二十三時五十八分。冒険者カトウカズヤさんが、第一階層のフロアボス“セントール”を撃破しました。只今の時刻より、第二階層を解放します』
脳内にこの言葉が流れた後、戦いを見ていた冒険者達がざわめきはじめた。
ーーこの瞬間、俺の名前「カトウカズヤ」を知らない冒険者は、世界中で誰一人いなくなった。