26話 自分の意思を貫こう
真っ暗闇の中、振り切った右腕に確かな手応えを感じた。
バンドウが何か言いかけていた気がするが関係ない。
話なんて聞く必要もないくらい、俺はアイツが嫌いだ。それに、アイツが俺を嫌っている事はわかり切っている。
暗くて周囲はまったく見えないが、ルミナはどの辺にいただろうか?
手探りで付近を探していると、足元にピチャリと大きな水たまり。
足を曲げて水たまりの近くに手を運ぶと、指先に柔らかな感触がある。
俺が小さな体に触れると小刻みに震えている事に気がついた。
「なんとか、生きてはいるみたいだな」
声に出して問いかけてみるが返事はない。
気絶でもしているのだろうか。
時折ピクピクと動く体から辛うじて息はあるようだ。
「とりあえずは助かってよかった、か」
額から流れる汗を拭って、安堵の息を吐いた。
血か泥かわからない液体で、ぐちゃぐちゃと濡れた体だけど俺の行動が無意味にならなくてよかった。
こんな死にそうな思いをしてまで女の子を助ける予定なんて、俺の人生設計に一度だって入ってない。
でも、人の命を助けられた事が嬉しかった。
「助けたのがこの生意気な子どもじゃなくて、綺麗な女性だったら絶対俺に惚れてる所なんだけどな」
別にこんなところで出会いなんて求めていた訳じゃない。見えない敵に囲まれる中、自分を落ち着けるためだけに軽口を叩いた。
暗闇と緊張でバクバクと鳴る心臓をなだめるため、思考を続ける。
ルミナを連れて早くここから抜け出したいが、ここからどう動くのが最善だろうか。
目の前にいるルミナの元に膝を落とし次の行動を考える。
すると、
「かははは! やってくれるじゃねぇか!」
思考を押し潰すように、俺とルミナとは少し離れた距離から大声が洞窟中に木霊した。
声の主は間違いなくバンドウだ。
「しつこいな……」
殴られて笑うその異常な声色に、嫌悪の籠った言葉を口から吐き出した。
コイツは頭のネジが何本か外れてる。
しかし、今更後悔を述べても既に手遅れだ。
「っと」
いつまでもここににいるわけにもいかない。
そう考えてぐったりとしたルミナを両手で抱きかかえながら立ち上がる。
背中と膝に手をまわして持ち上げた体は思ったよりも重い。
意識の無い人間ほど、運ぶのには骨が折れるって話はどうやら本当らしい。
相手の数は残り何人だったか。
暗闇の中で警戒しながら、俺はじりじりと足を前に進めた。
「なぁ、なんでテメエはさっき『消滅』のスキルを使わなかった?」
だが、突然聞こえたその言葉にビクリと反応して足を止めた。
「それと、テメエを連れてきた俺の仲間に聞いたんだが、テメエは最上級レベルの『雷』系統のスキルまで使ったらしいじゃねえか。一人の人間がスキルを複数使えるなんて話を俺は聞いた事がねぇ」
俺へと問いかけるように、歓喜の声を上げるバンドウ。
今まで無作為にスキルを使ってしまった結果、バンドウは俺の持つ『消滅』スキルに疑問を抱いているようだった。
「ま、テメエのスキルの正体なんて、今はどうでもいいか。テメエが強いって事に変わりはねぇからな。俺はな、用があってここに呼んだんだ」
「用、だって?」
「ああ、俺も今まで頭に血が上ってたんだ。だから、テメエに冷たい態度もとっちまった。今は悪かったって思ってるんだぜ。それも全部水に流してさ……俺のパーティに入れよ。テメエの事は気に入らねぇが、その化け物みたいな強さを俺は認めてるんだ。金ならいくらでも渡すからさ、いいだろ?」
予想すらしていなかった自分勝手な発言に眉を潜める。
コイツは手柄を取られて俺に恨みを持っているのかと思っていた。
強い奴は手元に置いておきたいって事か。
確かにコイツのパーティに入れば、今より安全にダンジョン内で立ち回れる。
それに、今日だって無事に帰れるかもしれない。
ただ、ここで頷くのが最善だとしても、コイツの言いなりになるのだけは嫌だって気持ちは変わらない。
「はっ、お前の頼みなんて聞くわけないだろ」
「くははは、やっぱり面白え奴だな。ダンジョン攻略の先駆者、世界最高の冒険者と言われたバンドウ様の頼みを断るとはな! 俺を敵に回した人間がダンジョン内でどうなるか、まさか知らねぇってわけじゃねぇだろう?」
俺は少しだけ考えて、
「いや、知らないな」
そっけない返答に洞窟内の空気が凍りついた。
「……ははは、穏便に済ませてやろうと思ってたのによぉ。いったい何様なんだよ……テメエは!」
バンドウは震える声を出した後、抑えきれない怒りを発散するかのように、ドン! と洞窟の壁を叩く音がして、天井からパラパラと砂が落ちる。
それはこっちのセリフだと言いたい所だったが、
「俺を馬鹿にした事を後悔させてやるよ!」
叫ぶバンドウから伝わってくる気迫に、俺は嫌な予感を感じた。
「おい!」
バンドウが何か合図を送ると、急に洞窟内にいる人の気配が増えた。
外にでも待機させていたようだ。
足音から洞窟に入ってきたのはかなりの数だ。
俺と瀕死のルミナを囲むには十分すぎる人数。
俺一人のためだけにどんだけ人を使ってるんだか。その余分な人材を俺がいた頃の会社に分けて欲しいくらいだ。
その中から、いくつもの足音が俺の方に迫って来る。
俺は「チッ」と舌打ちをして近寄る気配を警戒した。
暗闇の中の戦闘なんて、今までした事がない。
相手は当然準備していた暗視ゴーグルか何かで俺の事が見えているのだろう。
ルミナを抱えている手前、動きもかなり制限されている。
でも、今日のスキルなら負ける気はしなかった。事前に強度を変えた皮膚なら、半端な攻撃を加えられても問題ない。
しかし、俺の予想に反してかなり離れた位置で足音が止まる。
相手も俺を警戒しているのか?
そのまま膠着状態が続いていると、俺の肌が空気の震えを感じた。
そして、前方から空気を切り裂いて何かを振り上げる音。
異変を察知した俺の本能が、このままここに居たらマズイと俺にそう告げて、後ろに向かって走り出そうと足に力を入れた時、
「落、と、せえぇぇぇぇええっ!!」
バンドウの絶叫が俺の鼓膜を震わせた。
直後に洞窟内に地響きと閃光が走る。
眩しい閃光から顔を背け、俺は前方から襲いかかる風圧に耐える。
「はーー?」
その最中、閃光により一瞬だけ見えた洞窟の地面。
そこには男達が振り下ろした鉄塊によりできたヒビが一つ。ヒビはビキビキと悲鳴を上げながら、大きな亀裂となって高速でこちらに近づいてくる。
俺はその亀裂とは逆側に、地面を蹴って走り出そうとしたが、
「おいおい、嘘だろ!?」
次に感じたのは、洞窟内で感じるはずのない浮遊感だった。
ゴゴゴゴ!! と大地が唸る音がして足元の地面が瓦礫へと変化した。
そして、どこまでも下に続く底の見えない大穴に俺達の体は吸い込まれていった。
◇
穴の中を落下しながら、俺は血塗れになっていたルミナの体を抱きとめる。
触れ合う肌から流れ来るべちゃりとした生暖かい血を不快に感じるが、今はそんな小さな事を気にしてはいられない。
ドガッ!
数秒の間浮遊感を感じた後、俺達は瓦礫と一緒に勢い良く地面に叩きつけられた。
「いててて……って、それほど痛くはないか」
依然として、スキルの効果で肌の強度は洞窟の岩石以上。
落下による怪我は擦り傷程度のものだった。
両腕で守っていた事もあり、ルミナの体もダメージはあまりないようだ。
絶体絶命かと思ったが、運良く命拾いした。
かなり高さから落っこちたが、ほとんど無傷で済んだ。
落下した衝撃で舞い上がっていた砂埃が止んでいくが、視界はまだ暗いまま。
出口も見えない穴の中で、聞こえるのは抱えた少女が発する荒い息遣いだけだった。




