第85話 「運命があるのなら」
「大丈夫ですか?」
「ああ。ありがとう」
僕が肩を貸しながら歩いている。左足を怪我しているためこうして僕が支えになっているんだ。身長差がかなりあるからバランスが大丈夫か心配になるけど。
そんなことを考えていた時のこと。
「あ」
「……」
朝からずっと働いていたせいか、僕のお腹が鳴ってしまう……。そういえば朝ごはんを食べてから今まで何も口にしていなかったんだった。さっきまで働き詰めだったし忙しかったし。
それにしてもお腹の音を聞かれてしまうだなんて……。
「す、すいません」
「そうか、昼食がまだなんだ」
「は、はい」
「じゃ、じゃあ……何か買いに行こうか?」
垂れかかった髪をそっとかき分け先輩は柔和な笑みで語り掛ける。その仕草を見た僕の胸はじんわりと熱くなっていく。
「は、はい!」
そこから僕達は学園祭を見て回った。足を怪我した先輩の付き添いという名目ではあるけど、これって……。そう思うと心臓がバクバクとして止まらない。
もしかして先輩も同じようなことを考えているのかな。
「うっす一和」
「あ、お姉ちゃん。お父さんお母さんまで!」
どれだけの時間が経っていたころか、なんと僕も知らない間になんと僕の家族がみんな来ていた。お姉ちゃんとはさっきも会ったけど、お父さんとお母さんまで来ていたなんて。
「可愛い衣装じゃないか!」
「一枚撮らせてよ!」
「ええ? そ、そんな――」
「大丈夫。さっきあたしが撮っておいたから」
そういえばお姉ちゃんに知らない間に写真を撮られてたんだった……。あんな写真できるなら見られたくないけど……。
あ、先輩と一緒だったんだ。
「あ、すいません先――」
先輩を見るとその表情は何かに目を奪われているような、驚愕しているような。視線の先を追っていくとお母さんだった。
「先輩?」
「あ、あの!!」
「は、はい?」
いきなり先輩がお母さんに近づいていく。肩を貸し支えている僕も先輩に合わせて同時にお母さんに近づいた。
当のお母さんは状況が呑み込めずにいる。そしてそれは僕もお父さんもお姉ちゃんも同じ。みんなが先輩の次に発する言葉に注目していた。
「椎名麻美さん……ですよね!?」
「え、ええ。今は一ノ瀬だけど」
お母さんの旧姓は先輩が今言ったように椎名。だけどなんでそれを知ってるんだろう?
「あの、私颯るかと言います。私、椎名さんにずっと憧れてたんです! 」
「ど、どういうこと?」
「私、プロのMMA選手で……」
「……ああ、そういうことね」
「なるほど」
お母さんとお父さん、お姉ちゃんは先輩の言うことに納得したような様子を見せる。反対に僕は益々訳が分からなくなってきていた。
どういうことか分からずにいる僕はどういうことなのか聞いてみる。
「ねえ、いったいどういうことなの?」
「あ、一和は知らなかったわね」
「母さんは昔格闘家やってたんだ」
「え、ええ!?」
そ、そんな話は聞いたことがなかった……。いや、今思えば昔格闘技を色々習ってたとか、はたまた色々やってたという話はうっすらと聞いた覚えがあったけど……。
でもプロの選手だったなんてことは聞いたことがなかったんだ。
「その、リアルタイムでは知らなかったんですけど、ネットで動画を見てからずっと憧れてて……」
「ふふ、ありがとう」
先輩の表情は爽やかで活き活きとしていた。やっぱり先輩は格闘技が好きなんだ。それも根っからの。
もっともそんな先輩だから僕は憧れてるんだ。
「じゃあそろそろ行くわね。颯さん、できるならまたお話しましょう」
「は、はい!!」
数分間談笑した後、お母さん達と別れた。それでもなお先輩はわくわくとした表情だったんだ。憧れの人――僕のお母さんだとは思わなかったけど――に会えたんだもの、それも無理はないよね。
すごく楽しそうで、すごく嬉しそうだった。
「まさか君のお母様がね……」
「ぼ、僕も知らなかったです」
「まさか私の一番憧れている人の子供だったなんて……」
そわそわとしながら先輩は僕に優しい、そして柔らかな笑みを見せた。
「これが運命……というものなのかな?」
「運命……」
運命……。もしもそういったものがあるのだとしたなら、そしてそのおかげで僕と先輩が出会えたのなら。
僕は運命というものに感謝しか感じない。そんな台詞は恥ずかしくて言えないけれど、それは間違いない僕の確かな気持ち。
もちろんそれは先輩に対してだけではないのかもしれない。それでも先輩との運命があるのなら僕はそれを嬉しく思う。
◇
「ふう」
「大丈夫ですか?」
「ああ。少し疲れたけど、一ノ瀬君が支えてくれるおかげで大分助かったよ」
今は小休止しようとどこかのクラスが教室の外に置いていた椅子に座っている。この数時間私達は校内を見て回っていた。けどそろそろそれも終わる頃だ。
口惜しいが彼と過ごす――――私の最後の学園祭は終わりを迎える。
「あ、僕飲み物買ってきますね」
「ああ、ありがとう」
そのまま彼は自販機へ向かう。後ろ姿を見ているだけでこんな気持ちになるなんて。
迷いはあった。私のこれまでを考えればあまりにも筋が通っていないし実際批難も受けた。だが今この瞬間、本当に思う。やってよかった、あの時手を挙げてよかった、と。
もっと一緒にいたい、もっと見て回りたい……! ほんの数時間だけだったが、この数時間は本当に幸せだったんだ。
それに、改めてはっきり分かった。私は……これからも彼と一緒にいた――――。
「楽しそうだね、パイセン」
……一瞬息が止まる。横から声をかけられた私は視線を向けることすらできなかった。合わせる顔がない……。
「……すまない」
「何が?」
「抜け駆けのようなことをして……」
別に協定を結んだわけでもない。けど抜け駆けしているのは事実だ。不義理……と言っていいのか分からないけど、彼女の顔を見ることは今の私にはできそうもなかった。
しかし彼女の返答は――。
「別に。そんな気にすることないよ」
「犬飼君……」
「あたしは色々あってダウンしてたし。それに……夏休みの借りもあるから」
借り、か……。私にとってそれは大きすぎる言葉だった。なによりようやく私は彼女の方を向くことができたんだ。
「その、ありが――」
「勘違いしないで」
私の言葉を遮った彼女の言葉には重みが感じられた。そこに含まれている意味合いはきっと複雑なものなのだろう。
私はじっと彼女の方を見て次の台詞を待っていた。
「これは借りを返しただけ。塩を送っただけだからね、先輩に花を持たせただけなんだからねっ!」
「……」
「じゃあね。べっ!」
そう言って彼女は私にあかんべをする。そのまま踵を返し去っていった。
そんな姿を私は何も反応できないでいたのだが、自分でも意識しないうちに私の顔には笑みが浮かんでいた。
「……生意気なガキ」
同世代の友情や絆、あの日見せつけられたそれらを私は自分にないものだと思っていた。
けれど、それはきっと違ったのかもしれない。
私にはないものだと思っていたものは案外私のすぐ近くにあったのかもしれない、そう感じていた。
◇
「えっと、二組ですよね。あ、ここだ」
「ああ、ありがとう」
学園祭は終わりを迎えた。最後に一ノ瀬君には私の教室まで送ってもらっている。申し訳ないと思ったのだが、ありがたいことに彼は率先して付き添ってくれたんだ。
今回に関しては本当に感謝の気持ちしかない。
扉を開けると既にクラスのほとんどは教室に戻ってきていた。私達に注目の視線が向けられる。
「颯さん!」
「足は大丈夫なのか!?」
「あ、ああ」
「そうか……」
「颯さん、今日は本当にありがとう!」
「颯がいなかったらあんなにいい発表はできなかったぜ」
……こんな光景を目にする機会が来るなんて思いもよらなかった。クラスのみんなが私を心配し、その上祝福や喝采まで受けている。
私は孤立していたし、なんならつい最近までそうだったから。
これも彼のおかげなのだろう。
「そちらは……颯さんの弟さん?」
「あ、いや。後輩なんだ」
「い、一ノ瀬です」
一ノ瀬君がぺこりと頭を下げる。
「じゃあ一ノ瀬君、今日はありがとう」
「い、いえ。楽しかったです」
「私もだよ。本当にあり――」
言葉がそこまで出たところで私は思わずバランスを崩してしまう。一ノ瀬君の支えがなくなったために片足立ち状態だったためだ。バランスを崩した瞬間、流れる時間がスローモーションに見えた。まるで一流のスポーツ選手に訪れるという“ゾーン”のような。
そうしてバランスを崩した私は倒れまいと壁に手をつく。
だが想定外の出来事が起きた。身長差のせいで私の唇が一ノ瀬君の額に触れていたんだ……。
「だ、大丈夫かい?」
「え、あ、はい! あ、ありがとうございました!」
気づかないわけがない、か。彼は照れ隠しのように真っ赤な顔でそそくさと自分の教室へ戻っていった。
私はそっと自分の唇に触れる。夢ではない、この唇が……触れたんだ……!
閲覧ありがとうございます!
はい、新たな事実発覚です笑
実は8話に今回の伏線が張ってあるので確認してみてください。
思ったこと、要望、質問等があれば感想いただけるとすごくありがたいです。
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次回もよろしくお願いします!




