第17話 「そこから先へ」
「ここが後楽園かあ」
今日は先輩の試合の日。応援に行く約束はしていない、先輩は無理に来ないでもいいと言ってくれた。
けど僕は先輩を応援したい、それが率直な気持ちなんだ。頼まれたからじゃない、これが僕自身の意思。
「あ、急がないと……!」
開始時間に少し遅れてしまい、走って会場を目指す。初めて来たから迷っちゃった。
「もう始まっちゃったかな?」
会場へ着き中へ入るとちょうど始まるところだったみたい。良いタイミングで着けてよかったと思いながら自分の座席を探す。
会場の真ん中には大きな六角形の金網が設置されていた。先輩はあの中で試合をするんだ……!!
「あ、あったあった」
僕の席は金網から近すぎないくらいの距離であった。このくらいの方がよく見える位置でいいのかもしれない。先輩が気をきかせてくれたんだ。
「ただいまより、第一試合を始めます!」
「始まるんだ……」
先輩は第一試合に出ると言っていた。段々緊張してきたな……僕はただ見てるだけの側なのに。
名前が呼ばれ曲と共に先輩が姿を現した。大声で応援できればよかったんだけど、そんな勇気は持っていない。
相手選手も入場してきていよいよ試合が始まる。緊張感が頂点に達し、僕は言葉を発する余裕すらなかった。開始までの時間はやけに静かで、その空気に耐えられなかったからか唾を飲み込む。
「ファイッ!!」
審判が合図を出すと金属音が大きく響いた。
「ひっ……!」
これが試合開始の合図なんだ。思っていたよりも大きな音でちょっとびっくりしちゃった。
気を取り直しすぐさまリングへ視線を向ける。始まったばかりだからかな、相手選手と距離を置いている。
その数秒後、先輩が一気に相手に近づき――――。
◇
「勝てたのはよかったけどな、かなり課題は残るぞ」
「はい」
試合を終えた私は帰り支度をしながら頬に手を添えている。試合を終えて少し時間が経ったからか、頬は晴れてきていた。
確かに試合には勝利したものの、相手の打撃をかなり喰らってしまったのだ。会場は盛り上がっていたが、私としては反省点が沢山あった試合であった。
「痛っ……!」
「大丈夫か?」
「ええ……」
急にズキッとした痛みが襲う。長時間氷で冷やしたものの、痛みは中々癒えない。
まあ、これも私が未熟だからなのが原因だが。
「いいか、とりあえず二ヶ月は練習禁止。あと一週間以内に検査に行くことな」
「はい」
「よし。じゃあ帰るぞ」
後楽園ホールを後にした私の前に現れたのは――。
「……先輩」
「あ……」
そうか、来てくれたんだ。格闘技はあまり好まないと言っていた彼が。来てくれたこと自体は非常に嬉しかった。私の我儘に付き合ってくれたのだから。
だが今日の試合の内容では……。私の頭に一抹の不安がよぎった。
「会長、私はここで。友人を待たせていますので」
「大丈夫か?」
「はい」
「そうか、なら気をつけてな。何かあったらすぐ連絡しろ。あ、代金渡すから二人でタクシー使って帰れ」
「ありがとうございます」
そう言って会長やトレーナーと別れ、彼のもとへ。見るからに複雑そうな顔をしている彼を見て私は何とも言えない気持ちになった。私の不安が的中してしまったのだろうか?
「ありがとう、来てくれたんだね」
「はい。おめでとうございます」
「ああ、ありがとう」
笑顔で祝福してくれているが、無理に作っているのがバレバレだ。そんな状態では素直に喜びにくい。
もちろんこれは彼が悪いんじゃない、私の自業自得だ。今頃になって悔やんでも悔やみきれない思いが込み上げてくる。
「一ノ瀬君、少し歩かないか?」
「は、はい……」
夜の後楽園。遊園地の光が輝きロマンチックな雰囲気を醸し出している。これが恋人同士ならその……で、デート……になるんだろう。だが生憎私達はそういう関係ではない。
「綺麗な夜景だね」
「はい、凄いです」
イルミネーションの輝きを横にして道を二人して歩く。
土曜日ということもあってか、周りはやはりカップルが多かった。私達ももしかしたらカップルに見えているのだろうか? いや、私達の身長差なら案外姉弟に見えていたりしてな。
「あそこでちょっと座らないか?」
「えっ、あっはい」
近くにあまり人のいない場所を見つけベンチに腰掛ける。二月の肌寒い空気がいっそう強くなった。それと同時に沈黙が私達を包む。
その空気を破り私は口を開いた。
「……どうだったかな。私の試合は」
予想外だったからなのか、もしくは聞かれたくない質問だったからなのか、彼はドキッとしたリアクションをした。その様子がちょっと可愛らしくてつい微笑んでしまう。
しかしそんな笑みも一瞬で消えることとなった。
「その……良かったです、かっこよかったです!」
明らかに彼の様子が重苦しいものになっている。それを見るのはとても辛いものだ。そして手に取るように分かる、彼の本心ではないということも。
本当、嘘の下手な子だな。
「いいんだ、正直に言ってくれないか?」
「えっ? いや、本当に僕は――」
「いいんだよ、私は君の……本当の気持ちが知りたいんだ」
そう、その優しさはありがたい。だけど私はその優しさに甘えることはできない。私が彼を誘ったのだ。ならば私には君の本心を受け止める義務がある。
君も……君も自分のことを正直に告げていいんだよ。
「……途中から見れませんでした……」
「そ……そうか……」
そうか……。こうなるんじゃないかとは覚悟していた。していたけれども実際に対面すると辛いものだな……。
「先輩が傷つくのが……怖くて見れませんでした……」
俯き泣き出しそうになりながら彼は答える。きっと彼も辛いのだろう、正直に話すのが。もしかしたら私は少し無神経だったのだろうか?
私の不甲斐ない試合のせいで彼をこんな風にしてしまった。無理をさせてしまった。
もし――もしこれが水泳やら陸上だったら? はたまた写真やらピアノのコンクールなどだったらどうだろう? 彼をこんな風にはしないで済んだのではないか?
たらればを言っても仕方ないし、どうにもならないのは理解している。けれど頭の中でそんな考えが沸いてくる。頭の中は悔しさでいっぱいだった。後悔が次々に湧き出てくる。
……私は生まれて初めて、格闘技をやっていたことを少し後悔した。
「僕は……応援に行こうくらいの気持ちで観てたんですけど、そんな軽い気持ちじゃダメだったんだ……! 先輩はあんなに厳しい世界にいたなんて思ってもみなくて……。すいませんでした……先輩……」
「やめてくれ……謝るべきは私の方なんだ」
そっと彼の頭に手を置く。
「一ノ瀬君。ペットとして頼んでいいかな?」
「何ですか?」
私は彼から少し距離を開ける。せっかく試合を観に来てくれたんだ。こんなジメジメした終わりにはしたくない。
「ひ、膝枕……させてくれないか?」
「膝枕……ですか?」
「ああ」
「えっと……分かりました」
私はそっと頷いた。彼はかなり恥ずかしがっているようだったが、すぐに寝転がり私の膝に頭を乗せる。見事な膝枕の完成。本当に猫を相手にしているような感覚になる。これで猫耳が生えていれば……なんてね。
「前にも言ったが、君はやっぱり優しいな」
「……そんなことないですよ、僕なんて――」
「いや、凄く優しいよ君は」
彼の頭を撫でながらそんな会話を交わす。
ふと見れば耳まで真っ赤に染まっていた。そんな可愛らしい面を見ると思わず微笑んでしまう。それもまた彼の良いところなのかもしれないな。
「いつだって気を遣ってくれるところも、自分の好きなものでなくてもちゃんと来てくれるところも、今の関係を何も言わず受け入れてくれたところも、私を傷つけないように本心を言わないところも、みんな君の良いところだ」
「先輩……」
彼は、きっと自分を優先できないのだろう。断ることもせず、他人への思いやりが第一にくる。確かに出会ってそう長くはないが、彼の良さはもう十分知っている。
最初は可愛いからくらいの理由だった。
練習もあったり学年も違う私は彼との関わりは彼女よりも少ないだろう。周りから見ればたかが数か月と言われるかもしれない。けれどその短い間に知った彼の良さは、私にとっては百年の付き合いに相当するものだと思っている。
ただ優しいからとか、そんなだけではない。一人の人としての良さをこれでもかというほど見てきたんだ。まさかこの私がこんな風になる日が来るなんてな……。
「一ノ瀬君、クリスマスの日に私に言った言葉を覚えているかい?」
「えっ?」
あの日、彼は私に言った。
『格闘技は……ちょっぴり苦手ですけど……でも、僕は……先輩のことは好きです!』
今にして思えばあれが始まりだったのかもしれない。あの言葉がどれだけ嬉しく思えただろう。嫌われるなんて思っていた自分が愚かに思えた。
彼のあの時の言葉はあくまでも人として、あるいは御主人様としてである。けど私は……ようやく分かった。そこから先へ行きたい!
私はそれを碌に知らない人生を歩んできた人間だ。だがはっきりと確信を持って言える。例え短い付き合いだろうと、そんなことどうでもよくなってくるくらいのこの気持ち。考えるだけで胸が無性に熱くなる、ドキドキした気分になるこれは何という名なのかを。
そう、この気持ちは――――。
「私も、君のことが好きだよ」
「…………ええ!?」
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PV、ブクマ、評価してくださった皆様ありがとうございます。
はい、さっそくこうなりました。
個人的には少し早いかなとも思ったのですが、なるべく早く争奪戦にしたい+ここが大きな分岐点になるだろうと思い思い切りました。
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