6.鉄血の戦場
「自爆を誘う?」
「正確には自滅だ。ここからは手を出さないでくれ。隙を晒してしまう可能性があるからな」
『エンフォーサー』は雷に氷漬けという一連の現象をその身に受けておきながら、大した損傷は見受けられない。
そして、目の前の敵――ジークを排除する為に『エンフォーサー』の腕が撓り、死の圧力を増して襲い掛かる。
「オオォォ!!」
ジークはアームの振り上げから当る軌道を予測していた。その場で身体を硬直させる様に踏ん張り、振り下ろしてくるアームに向かって鉈で斬りつける。
狙ったのは装甲の存在しない関節部だったが、鉈では威力が足りず両断どころか僅かに傷をつけるだけに留まる。
与えるダメージは微弱。対して『エンフォーサー』のアームをジークは顔を掠める範囲で見切る。削れる皮膚と共に血がはじける。
「え?」
アイリスは、先ほどまでジークは完璧に躱していたアーム攻撃が、当り始めた様を見てそんな声を上げた。
「ハァァァ!!」
大したダメージではないにもかかわらず、ジークは更に伸びきったアームに更に斬撃を加える。すると『エンフォーサー』は残った片腕で殴り掛かった。
その攻撃は直撃では無かったが、ジークの脇腹を掠め、服を裂く。攻撃は下にある皮膚まで届いていた。血が流れ脇腹は赤黒に滲んでいく。
「避けきれてない……? ジークさん!!」
【雷撃】で『エンフォーサー』の能力は上がってしまった。その所為で、さっきの攻撃が避けきれなくなったのだとすれば……自分の所為だ。
「今、援護します! 『闇の眷属よ、我が声に―――』」
「アイリス。止めておきなさい」
ふと、横から伸びる手が視界の前に現れる。
細く白い腕が詠唱を遮る。白銀の髪は腰ほどまで長く、前髪によって片目が隠れていた。赤く凛とした切れ長の瞳は、透き通るような肌を持つスラリとしたプロポーションと合わさり、神秘的な雰囲気を持つ。その存在そのものが一つの美を体現している女が目の前に立っている。
「お母さん? ――って!!」
白銀の髪を持つ美女。それが『ラヴァルスト』が仮に形作る“人”の姿だった。その姿を見てアイリスは眼を見開いて叫ぶ。
「ちょっと! なんで服着てないの!?」
彼女が追求したのは、こんなところに居るのかと言う疑問よりも、一糸まとわず、当然のように全裸でこの場に現れたと言う事だった。
「はて?」
その娘の様子に、おかしい所があるのか? とラヴァルストは身体を見回す。髪が揺れて光に反射する。片耳に垂れさがるピアスだけが唯一身につけているものであった。
「“はて?”じゃないよ!! ああ、もう! いつも“人”になる時は服着る癖をつけてって言ってるじゃない!」
「普段から着ないのだから、人になっても同じだろう?」
「同じじゃない!! ヴォイス様とリジーちゃんは着てたじゃん!!」
「アレは、二人が特殊なんだ。竜は服を着ないのが常識だ。人の社会に溶け込んでいるのなら馴染みがあるのだろうが、ワタシは山暮らしだからな」
「あーもう!! とにかく! 服着て来て!! 家の床下に痛まないように保管してあるから!!」
「この場から片時も離れるつもりはない。アレがどう動くか……油断できないのでな」
ラヴァルストは『エンフォーサー』へ赤い瞳を向けていた。その様にアイリスも母の非常識な全裸に気を取られていた事から、未だ死闘を行っているジークへ視線を戻す。
『エンフォーサー』が腕をを振り下ろす度にジークは傷ついていく。
だが大袈裟に血が出ている様とは裏腹に決定打は一撃も当っていない。全て皮膚が弾ける範囲で回避し、同時にアームが振り抜かれる度に斬撃が見舞われていく。
しかし、ダメージが蓄積されているのはジークの方である。いつの間にか彼は全身から血を流していた。
「やっぱり……避けきれてない!」
攻撃を躱しきれていないと察したアイリスは、止められているがそれでも援護しようと詠唱を始めようとして、
「待ちなさい、アイリス。奴は避けられなくなった訳ではない」
その声で思わずラヴァルストに視線を向けた。
今、彼女の紅い瞳はジークの戦いを一挙動も逃さずに冷静に分析している。そして、その本質を理解し明らかにジークの行動は異常であると把握しているのだ。
『エンフォーサー』の攻撃が振り下ろされる度に地面は削れ飛び、腕が横なぎに旋回する度に青草が散って行く。直接相対していないアイリスとラヴァルストでも、一撃一撃が並大抵ではない威力を持ち合わせている事は理解できていた。
加えて、弱点かと思われた雷も聞かず、凍結による極端な温度変化にも対応している。
止まる事無く、動く度に破壊を生み出すその存在は、まるで無敵の怪物だ。ジークはそんな敵と正面から向き合い、そして戦ってい続けていた。
「オオオオ!」
そして、今もジークは正面から外れることなく怪物と相対。攻撃によって伸びきった腕に、鉈の斬撃を幾重も叩き込んでいく。
一見優勢に見えるが、斬撃によるダメージは殆ど通っておらず、対する腕のよる攻撃は彼の身を削り続けていた。
「お母さん、どういうこと? 避けられなくなったわけじゃないって……」
「正確には、“避ける”と言う思考をギリギリまで抑えている」
ジークは『エンフォーサー』の装甲に限らずその性能は把握している。
戦車の砲撃どころか、爆撃にすら耐える事の出来る耐久力は正面から破壊する事は不可能なのだ。そして、光源の供給によってエネルギーは回復し、日中はほぼ無限に活動できる。そのため、回避しながら戦い続けていてもいずれ体力が尽きるのはこちらが先になってしまう。
だからこそ、体力が有る内にジークは勝負に出たのだ。彼が賭けているのは鉈の耐久力。コレが折れてしまったら本当に手詰まりになる。
そして、本来の速度で動く事が出来る今の『エンフォーサー』にはこちらから斬撃を狙っても当らない。
だが……攻撃に合わせてのカウンターならば流石に避ける事は出来ない。
体力を温存しつつ、攻撃を加えるにはその場に留まって攻撃に合わせてカウンターを決める。その際でも、生半可な攻撃では関節にすらダメージは通らない。
「ギリギリまで攻撃に身を預けて、全身の力と体重を込めて腕関節に斬撃を加えている」
その、ジークの無意味とも思える正面からの打ち合いの真意をラヴァルストは見抜く。避ける事を考えていると、その分、斬撃は軽くなってしまう。だが、絶えず一撃必殺の攻撃に対して皮一枚で受け続けなど……正気の沙汰ではない。
「……ジークさん」
まるで木が倒れた様な音が、アームが叩きつけられるたびに響く。まだ『エンフォーサー』が動いていると言う事は、ジークは相対していると言う事だろう。しかし、ソレがいつまで続くかは分からない。
「ハアアア!!!」
金属を斬り付ける音が響く。土煙に混じってジークの血も辺りに血煙として混ざりはじめた。
「……恐ろしい男だ」
ラヴァルストは、鬼気迫るジークと『エンフォーサー』の戦いに、それしか方法が無かったとしても、実行するに至るその思考に恐れを抱いた。やろうとして出来る事では無い。
「斬るつもりだとしても、これ程滑稽で、愚かな事は無いが……」
ソレをジークは信じて止まない。自分ならできる、目の前のコイツを斬る事が出来ると、皮膚が弾けようが、血が流れようが……一撃一撃に、全身全霊を込めて斬撃を振るっているのだ。
「残念だがな――」
「?」
しかし、ラヴァルストの言葉にアイリスは疑問詞を浮かべる。その赤い瞳はジークの行為の欠点に気づいていた。ソレは、どうしようもなく決定的な事――
「ォォアア!!」
アームを皮膚一枚で受け血が弾ける同時に、その最大まで伸びきった片腕へジークは渾身の一閃を振り下ろした。
今までは、鈍く金属が弾かれる音だけが響いていたが、その一閃だけは違い、弾かれる音は聞こえない。それどころか、刃は完璧に関節部を通りつけ――
「あ!」
「……なんだと?」
驚愕する二人の目の前で、『エンフォーサー』の片腕を斬り落とした。同時に、鉈の刀身は耐久力の限界を迎え、折れて刃先が地面に落ちる。
『エンフォーサー』の片腕は、肘から先が切断され、死した大蛇のように地面の上に横たわる。断面からは漏れ出るように配線を通る電力が弾けていた。
「馬鹿な……装甲人形の腕を鉈で落すだと!?」
ラヴァルストの読みでは、そうなる前に鉈が限界を迎えると見ていたのだ。しかし、目の前の現実はその考えを凌駕している。
ジーク・シュヴェルツェという人間は、本当に人かどうか疑いたくなるほどの戦いを見せつけたのだ。
「す……すごい! ジークさん凄いです!!」
驚愕するラヴァルストとは対照的にアイリスは、目の前の現実に感嘆してそんな声を上げていた。
彼女は無垢なのだ。目の前の出来事が、どれほど人間離れした事態なのかを理解していない。だから、今の彼女の目には、強敵に対して臆することなく対峙し致命傷を与えた、としか映っていないのだ。
これが戦いに長けた者の眼からすれば、ジークの存在に畏怖する要素としては十分である。無論、ラヴァルストもそうだった。
「――――」
そして、ジークはまだ『エンフォーサー』から目を離さない。それどころか、正面に陣取ったまま次の挙動を警戒しているようだった。
すると『エンフォーサー』の眼が“黄”から“赤”へ変わる――
「――――」
『エンフォーサー』の頭部の装甲が展開すると、下に隠れていた口部が現れた。何か光ったと感じた瞬間――肉眼でも確認できる程に密度を高めたエネルギーがジークを狙って光速で吐き出される。
地面が熱を帯びて吹き飛ぶ。だが、それだけにとどまらず、余波で近くの草や木を焦がした。
発射瞬間と射線を先読みしていたジークは発射される前に動き、その攻撃を躱している。その際、折れた鉈の柄を捨てた。
「……思い出したか? オレが誰なのかを――」
排熱の煙が『エンフォーサー』の腰部から勢いよく吹き出す。次の一射まで10秒――
「な、なに? 今の……」
魔法でも無い『エンフォーサー』の攻撃にアイリスは目を丸くしていた。ラヴァルストは逆に冷静である。
火……ではないな。この感覚は……熱そのものを凝固化して放出している……?
正確な答えが出そうになく、それでも次の一射を見れば確実に分析できると集中する。
「……ようやく、思い出したようだ。誰だか知らないが……彼女を連れてこの場から離れてくれ」
ジークはアイリス達には背を向けていた。無論、今の『エンフォーサー』からは片時も眼を放す事が出来ないからこそ、会話の数も極力減らしておきたいのだ。
「お前はどうする?」
ラヴァルストとしてはジークを追いてこの場から離れるのは願っても無い事である。ジークからの言葉ではアイリスも納得するだろう。
「オレは――」
と、『エンフォーサー』が残った片腕を振り下ろしてくる。ジークはあえて、左側に踏み込んで潜る様に躱す。しかし、『エンフォーサー』はジークを追うように身体の向きを彼の動きに合わせて修正した。刹那――
「!!?」
肩部の装甲が一部展開すると、瞬間的に閃光が発生し、その射線上の地面を吹き飛ばしていく。無論、狙われたジークはソレに対しても回避行動を取るが、片足を撃ち抜かれる決定打を負ってしまった。
「そう……だったな!」
お前には……『粒子砲』の他に、両肩には内蔵されている『20mm機関銃』があったんだったな――
「え……?」
アイリスとしては驚愕の連続である。彼女の視点では、『エンフォーサー』の肩が光ったと思ったら、次の瞬間には地面が吹き飛び始めたのだ。魔法以外の超常的な力が働いたようにしか映っていない。
「…………何か、黒い礫のような物が飛んでいたな」
ラヴァルストは、肩部から音速で発射された20mmの弾丸を動体視力で捉えていた。そして、その様にある事を思い出す。
「まさか……シアンシアか!?」
この世界に存在する“禁忌”の名前が思わず口から出てしまった。
「くっ――」
片脚を『20mm機関銃』で撃ち抜かれたジークは意図せずに足が止まる。そこへ振り下ろされるアームに対して残った片足で跳び、何とか回避すると転がって距離を取った。
「…………」
即座に起き上がり『エンフォーサー』を視界に入れる。
痛みは一時的に消しているが、負傷した足では先ほどの回避行動は無理だ。『粒子砲』は避けるには賭けになったか……
「ジークさん!」
アイリスはジークの足から血が流れている様に先ほどの攻撃によって負傷したと悟っていた。
「……訊きなおそう。お前はどうする?」
ラヴァルストは先ほど途絶えた言葉をもう一度尋ねた。
「今のコイツの標的はオレだ。そして、『粒子砲』には発射限界がある」
どのような防御も意味をなさい『粒子砲』は『エンフォーサー』の全エネルギーの3%を放出する攻撃である。直撃すれば生身ではひとたまりでも無く、躱してもその周囲の熱量は肌を焼く程のモノを要しているのだ。
基本的に一撃必殺の最終兵器だが、その使用には『エンフォーサー』自身にも高いリスクを敷いていた。
「10発撃てば、排熱が追いつかず内部回路が焼き切れて自滅する」
「……お前は後、9発を避けるつもりなのか?」
ラヴァルストは血が止まらないジークの足を見ながら指摘した。
「コイツは、オレの世界の兵器だ。オレが何とかするのが当然の流れだろう。そっちはオレがやられても標的にならないように、この場から離れてくれ」
「…………」
「そんなことできませんよ! ジークさんも一緒に――」
「そうしたいところだが。この足では逃げるにも足手まといだ。まだオレとしては9発を躱し切る方が、生存率が高い」
「でも…………」
「……はぁ。仕方ない」
ため息を吐きながら、心底協力を惜しむ様に、ラヴァルストは一度指を鳴らす。すると、ジークの視線――斜め前にアイリスの家に置いて着たハズの“黒箱”が落ちて来た。
「!」
同時に『エンフォーサー』はジークへ接近。アームによる攻撃はジークが倒れるように転がった事で上空を旋回していく。
『エンフォーサー』と入れ替わる様にジークは移動すると“黒箱”へ手を伸ばす。
「お母さん。ジークさんの武器を落すなら手を貸してあげれば――」
「今、奴も言っていただろう。コレは奴の世界の戦いだ。なら、奴自身の手で幕を引いてもらわなくはな」
「でも!」
「それと、アイリス。ワタシは奴が嫌いだと言う事を忘れるな」
それ以上は手を貸すつもりはない。ラヴァルストは、ジークの武器を落すだけでも十分協力したと、それ以上は静観を決め込むつもりで腕を組む。
「……礼を言う――」
ジークは己の装備を手に取り、もう『粒子砲』を躱す必要が無くなったと告げた。
「ジークさん……」
「“黒箱”があれば……十分だ――」
次の接触でこの戦いは勝敗を決する事となる。