4.鉄情の意志
『…………』
「…………」
『…………』
「…………」
『…………』
「……一ついいか?」
『……なんだ?』
太陽が最も高くなった位置から少しずつ傾き始めた昼時。ジークは、アイリスの家の裏にサイリス特有の作物を実らせる畑を見ながら向けられる“視線”が気になっていた。
「どうやって見てる?」
真上から覗かれている様な視線を絶えず感じている。
空を見上げても何も無く、蒼天と所々に雲が浮いているだけだ。だが、常人よりも遥かに優れた五感を持つジークからすれば、その視線は間違いなくラヴァルストのモノであると判別できていた。
『……魔力による感知も無く、視線に気づくとはな』
「“針”に刺され続けているからな」
ジークは自らに向けられる殺意を“刺痛”で感じとることを可能としている。どこから、どの部位を狙っているかの“刺痛”を感じ、針の刺されている向きで狙っている方角がわかる。俗にいう共感覚と呼ばれる特殊能力を、ジークは向けられる視線から常に意識していた。
『わけの分からない事を……』
しかし、ラヴァルストには理解の及ばない事柄であったらしく、人体に対しての理解と考察は別の竜の専売特許である。彼女は持ち合わせていない知識だった。
「空……か」
対するジークは再び空を見上げた。
今、ラヴァルストから向けられ続けている殺意は真上から、雨のように身体を串刺しにする広範囲のモノだ。しかも、位置的に家の裏側は身体を落ち着けている彼女の場所からは死角にあたる。物理的に見えていないのに、視線を感じるのはどういうカラクリか……
「……そう言えば、声も聞こえているな」
当然、声も届く距離では無い。だと言うのに会話が出来ている。
『ワタシは常に貴様を監視している。アイリスに傷一つでもつけたと判断した時は、ただでは死ねぬと思え』
「心得ておく」
どうやっているのかは不明だが、こうして常に監視されているのは気分の良いものではない。だが、こうなる状況を作ったのは自分の所為でもある。甘んじて受け入れよう。
「おや? お母さん。ジークさんとお話ししてるの?」
森に入るために準備を終えたアイリスはラヴァルストを見た。背嚢を肩から下げ、必要な道具と鞘に収まった鉈を別で後ろ腰に吊るしている。動きやすい様に両手を空ける事を意識した装備だった。
『釘を刺していただけだ。アイリス。これから森に入るのかい?』
「うん。あ、ダメ?」
『“ロックベア”が生まれてしまった。数は1体だが、生態系に入り込む前に駆逐しておきたい』
「分かった。丁度、タンパク質欲しかったし、ガッツリ仕留めて来るよ!」
何度かそういったことを経験しているアイリスの事は心配していない。魔法もあるので、よほどの事かなければ後れは取らないだろう。
『気をつけるんだよ』
「……お母さんも行く?」
アイリスは、畑に見た事の無い作物に興味を示しているジークをちらりと見て視線を戻す。
『……ワタシは帰りを待つ。けど、一人は危険だから召使いを一人連れて行きなさい』
「召使いって……お母さん……」
どう考えてもジークの事だとアイリスは悟り母を睨みつける。
『なんと言われようと、ワタシは奴を信用できない。アイリス。人と言うモノは、他者に自分を信じさせるよりも、他者を信じる事の方が難しい』
他人を信じた事によって、窮地に陥るのが自分なら仮初でも演じる事くらいはしてみせよう。しかし、今回は大切な娘が脅かされる可能性があるのだ。しかも、一度起こった事が二度起こらない保証はない。
「私は、お母さんを信じてるよ?」
『ワタシもお前の事は信じている。だけどね、アイリス。それはワタシたちの間に確固たる絆があるからなのだ。しかし――――』
ジークとの間に絆はない。アイリスは大丈夫だと言っているが、それは彼女が一方的に信用しているだけなのである。
あの表情の裏に何が潜んでいるのか……ジークと共に現れた“黒箱”と“白箱”の事も解明できていない以上、おいそれと信用する気にはなれない。
「お母さんも心配する気持ちも分かるよ。だけど、ジークさんは大丈夫だよ」
『なぜ、そう言い切れるんだい?』
何の疑いも無くそう言い切る愛娘に思わず聞き返す。
「『契』で、ジークさんの気持ちが流れ込んできたの」
アイリスは胸に手を当てて、彼が最も強く願っていた……想っていた事を鮮明に覚えていた。
「ジークさんはね――」
「オレがどうした?」
「ひゃっほう!!?」
母との会話に集中し過ぎて、いつの間にか真後ろまで近づいていたジークの声に驚いたアイリスは、猫のように身体を撥ね上がらせた。
「ジ、ジークさん! ど、どうしたんですかっ!!?」
ジークはアイリスの動揺から知られてはならないことだと理解したが、何の話をしていたのか正確な推測は立たなかった。
「森に入るのだとすれば太陽がこれ以上傾くと、そんなに遠出は出来ないと思ってな」
「あ、そ、そうですね! ちょっと森に魔物の駆逐に向かうので、ジークさんもついて来てください!」
「構わないが……なんで、そんなに口調が荒い?」
「そ、そうですか!? やだなぁ! 私はいつもこんな感じですよ?!!」
「そうか? そんなものだったか……」
何か訊かれてはマズイ事を話していたのだろうと、ジークは空気を読む事にすると、出発ー! と誤魔化す様に歩き出したアイリスの後に続く。
「任せてくれ。必ず護る」
『…………』
ジークは振り向かずとも、ラヴァルストに聞こえるようにそう呟いた。
異世界からジークと同じ空の割れ目から、この世界に落ちて来たソレは、落下時に下に存在していた木を破壊するほどの重量を要していた。
高所からの落下の際、自動で緊急姿勢モードに入り、木を破壊しながらも最低限の着地姿勢を確保し、重々しく地面にめり込む形で停止している。
それはアイリスとジークが森に入る少し前に停止してから三日ぶりに起動した兵器の話である。
再起動……
各部位損傷確認……両アームの機動性10%ダウン……装甲に亀裂……センサー損傷なし……エネルギー50%……
機能を停止していたソレは日光によるエネルギーの充電を得てようやく機動を可能としていた。目にゆっくりと光が灯り“青色”の光は、自らの損傷を加味して“黄色”へと移行する。
その倒れているソレを物珍しげに鳥たちが集まっていた。自然物しかない『ラヴァルストの山』に突如として現れたソレは動物たちの注目を集めるのは当然の様子である。
「――――」
ゆっくりと、両腕を使ってソレは動き出す。落下によって変形した部位がパキパキと音を立てて最低限の動きやすい形に整う。
二脚が動く。その重量を支える為に足関節を若干折り、中腰の姿勢で長い両アームを地面に着かないように浮かせた。
その様に鳥たちは一度警戒して飛び離れる。ソレは倒れた木によって森の中に出来た日向の下で停止しエネルギーを蓄え始める。すると――
「ガルル……」
停止したソレの姿を魔物――『ロックベア』が捉え、茂みから姿を現した。
魔物とは、通常の生物が魔力に当てられて変形した怪物の事である。
多くは、その姿がより殺傷力の高い特性を得たり、本来の生息外の領域へ適応する器官(翼やエラ呼吸と言った、別環境に適応する器官)を発現したりする。
『ロックベア』は『ベアード』と呼ばれる熊型の獣が魔力によって変形した存在であり、その体表には体毛の代わりに岩のように固い甲殻が存在していた。その甲殻は文字通り岩に近い硬度を持ち、剣や弓による物理攻撃は聞かない魔物として注視されている。加えて、魔物特有の狂化性を併せ持ち、どんな生物にも臆せず襲い掛かる事から自然界では生態系を壊すほどの存在として危険視されているのだ。
「ゴアアアアア!!」
『ロックベア』は、停止しているソレに対しても狂った攻撃性を現し、その体躯を活かして突撃していく。
「――――」
対するソレは頭部を九十度動かし、向かって来る『ロックベア』を認識。こちらに対して敵意を向けていると判断し、停止状態から戦闘状態に移行する。
同じくらいの巨体だが『ロックベア』のタガの外れた腕力は並の存在では耐えきれるモノでは無かった。
振り下ろされた爪はソレを引き裂く為に見舞われたが――
「ゴガアア!!?」
アームが動き、鞭のように撓ると『ロックベア』の腕を強く弾いた。その際に、弾かれた腕は覆われている甲殻を破壊し、あらぬ方向へ折れ曲り骨が折れ出る。
「――――」
ソレが動く。残ったアームで『ロックベア』の頭部を鷲掴みにすると、そのまま数トンはある巨体を持ち上げ始めた。
「ガアア!! ゴアアア!!」
『ロックベア』は締め付ける握力と、吊るされる苦しさに残った腕でソレを攻撃するが、その表層には傷をつける事さえも出来ない。耳障りに金属に爪が削れる音を響かせるだけだった。
「――――」
次の瞬間、もう片方のアームが『ロックベア』を貫く。無造作にただ力任せの一撃は振りかぶる様な勢いがなくとも、『ロックベア』の岩のように固い甲殻を貫くほどの威力を持ち合わせていたのだ。
背中から生えるように貫通したアームの先端と一緒に、背骨や臓器、血も吹き出す様に突出した。
それから弱々しくも反応を見せていた『ロックベア』はほどなくして動きを止め、完全に絶命する。その様を確認したソレはアームを引き抜き、頭部を持ち上げている握力を解放した。
肉塊となった『ロックベア』は地面に落ちる。そして、ソレは戦闘での損傷状態を確認する。
……損傷無し。エネルギー49%……早期供給優先……広い光源場所を索敵――
頭部に逆立つように伸びるアンテナを中心に周囲へ波を飛ばすと半径1キロの地形を確認する。すると、ここからほどなく進んだ所に広場を確認した。一本の木が中心に生える拓けた広場である。
「――――」
そちらへ身体を向け、ゆっくりと歩き出した。
「魔物……か」
「ジークさんの世界では馴染はありませんか?」
アイリスと先導で森の中の、けもの道を選んで二人は進んでいた。草や木をかき分けながら、幅の広い河に出るとそのまま川沿いを進む。
「二次創作といった本ではよく題材に上げられていたが、現物を拝む機会は全くと言っていいほどなかった」
「にじそうさく?」
川沿いでも周囲に意識を向けたまま、ジークはアイリスに対応する。
「自分で作る物語の事だ。実際に作ったり、読破する機会は無かったが、妻が良く読んでいてな。少なからず知識を刷り込まれた」
「へえー……え? ジークさんってお嫁さんが要るんですか!?」
衝撃の事実にアイリスは思わず詰め寄った。
「だが、今では離婚したようなものだ。オレの方が捨てられた形だが……」
去って行く妻の背中は鮮明に覚えている。そして、なんであの時引き止めなかったのだろうと……思い出すたびに後悔していた。
「むぅ……贅沢ですね」
アイリスはジークから離れると背を向けて小川の飛び石を軽快に渡る。
「贅沢?」
「そうですよ! だって、ジークさんですよ!? こんなにいい人を捨てるなんて……考えられません!」
「……だが、落ち度はオレにもある。もし、あの時のオレと今対面できるなら……」
もしも、時間が巻き戻るのなら――
「できるなら?」
「ジーク・シュヴェルツェを思いっきり殴りつける」
そして、後を追え、二度と手放すな、と叱咤するだろう。
「ぷっ、あはは。なんですか、それ」
お腹を抱えてアイリスは笑った。可笑しいから笑う。それが当然のことだ。
あの時のオレはそんな当然の事すら分からなかった。いや、分かろうとしなかったのだ。だから、全部この手からこぼれて行った。
「……君は良く笑う」
いい笑顔で彼女は笑う。ウィンとリジーもそうだったのだろうか? 妻と娘の表情さえもまともに見たのも数回しかない。理解する事を知らなかった愚かな兵士は、今になって人の見せる表情を知り、ソレを見守って行きたいと願う様になっていた。
「そうですか? 普通だと思いますけど」
ジークは向けてくれるアイリスの笑顔に無意識に救われていると気づいていなかった。
ジークとアイリスが森に入ってからほどなくして、ラヴァルストは『アイリス湖』へ移動するとゆっくりと湖中へ身を沈めていた。
荒波を立てぬように、白銀の巨体がゆっくりと水面の中へ呑み込まれていく。
感覚を湖に集中し、魔力を介して山全体の水脈と同調する。
山は身体。水脈は血管。水は血液。
山一つを、生物と仮定し、その中を細かく流れる水に自らの魔力を行き渡らせる。そして、蒸発する水から魔力が空気中に散布されるのだ。
それが水脈を通し山中を駆け巡っている為、『ラヴァルストの山』は強い魔力で覆われている。
あの時の……山の記憶を――
ジーク・シュヴェルツェが落ちて来た時は、何が起こっているのか分からなかった。理解する為に、もう一度、あの時の記憶を強く呼び覚ます。だが、本来の姿ではその作業をするには余計な知識が多すぎる。
身体が縮む様に巨大な鱗を持つ存在から、人の形へ。一部の特徴だけを残し、彼女は人の姿へと変貌し、『アイリス湖』で漂う。水面からの光が徐々に遠ざかり、湖底の闇の中へ。
知っておかなくてはならない……あの日、流れ込んだモノが何の為に世界に来たのかを――
…………! これは!
映像が巻き戻り、ジーク・シュヴェルツェが『アイリス湖』に落ちた日を見て、あの日に気づく事の無かったモノに気がついた。
『アイリス湖』の水面が揺れると岸の方へ移動する。そして、まとわりつく水滴を垂らしながらラヴァルストは岸へ上がった。
あの日、世界に来たのは……ジーク・シュヴェルツェと奴の所持していた二つの私物だけではなかった。目の前に落ちたため、その三つに気を取られてしまったが、森の中に落ちてた、もう一つの影があったのだ。しかもそれは――
「…………装甲人形だと」
この世界で最も危険だとされている兵器だった。
「あ! ジークさん。ちょっと静かにしてもらっていいですか?」
「?」
川沿いを進んでいると、アイリスは対岸側で雑草を食べている小動物に気がつきジークに静止を促す。その小動物は小さく、体毛に覆われた耳の長い草食動物である。
「『ラトラット』です。この山では数の多い草食小動物ですよ」
「何故隠れる?」
「しー」
理由を説明する間も無い様に、『ラトラット』を見ていると――
「ん?」
一度だけ、『ラトラット』が食べている雑草から目を放してあらぬ方向を見た瞬間だった。上空から滑空してきた体長2メートルはある大鷲が、その脚に持つ鉤爪を使い『ラトラット』を捕えると大空へ上昇していた。
風が通り抜けるような一瞬の出来事。高速の狩人による狩猟を目の当たりにして思わず驚きと称賛を覚える。
「おお! やっぱり『イグルー』の狩りは見ていてかっこいいですね!」
大空へ飛翔する大鷹――『イグルー』を見上げるアイリスは、大空の狩人へ手を振って感嘆する。
「知ってたのか? 狙っていると」
「この場所は、『イグルー』の狩場なんです。水辺は拓けていて、雑草もよく育つので小動物が寄りやすいから」
「なるほどな。だが、君の事だからてっきり小動物の方を逃がすのかと思ったが……」
狙われていると知っていれば、捕まる方を逃してあげるのか一般的な解釈だろう。
「この山は食物連鎖の真っただ中なんです。だから、私の都合でソレを乱してはいけません。それに、私はこの山でもイレギュラーな存在ですから」
本来、アイリスはこの山には居るハズの無い存在なのだ。獣たちによる食物連鎖が整ったこの山に“人”であるアイリスが入り込む事は、連鎖の乱れを引き起こす事態を生みかねない。
「だから、私の食べ物は基本的に作物です。後は『魔物』ですね」
「……『魔物』はいいのか?」
魔物。と聞くだけで汚染された様を連想してしまう。
「『ラヴァルストの山』に出現する『魔物』はお母さんの魔力に当てられて生まれてしまった怪物なんですよ」
『魔物』は元からこの山に居た存在では無く、魔力によって獣たちが変異した存在なのだ。凶暴な魔物は正しい食物連鎖を大いに乱すイレギュラーである。本来はラヴァルストが自ら出向いて処理しているが、アイリスの意向で二年前から『魔物』の討伐は彼女が担当していた。
「凶暴ですが、大丈夫! この鉈で既に二桁狩ってますから! それに食べても元になった動物に毒とかが無い限りは、普通の肉と同じです」
「中々のアグレッシブな生活をしているんだな……」
「貴重な脂分ですよー」
意外にも、結構なアウトドア派であったようだ。確かに数日の付き合いでも彼女は動き回っている事の方が多い。ジークとしては女子で肉体的に強い女というのは妻が特別だと思っていたので、少女=ひ弱、というイメージが固まっていた。
もっとも、ウィンやアイリスが特例の可能性も無いわけではないが。
「…………」
それに、彼女は自分の価値観に基づき、出来るだけ身勝手な干渉は控えている。
ラヴァルストの教えでもあるのだろう。それでも、この歳でそれほど達観できる思考は本人の資質による所が大きいハズだ。
「君は自分の位置を良く見ているな」
「自分の位置ですか?」
「自分がいるべき世界の位置だ。そろそろ進もう」
「…………」
狼の群があった。
一本だけぽつりと生える木を中心に、背の高い青草が生い茂る、森の中でも拓けた広場である。近くに小川もあり、森の動物たちの間では優良な場所として認知されている場所だった。
しかし、食物連鎖の関係によって、時期や時間帯でその場所を使用する動物たちは大きく異なる。
今、この時間帯は『ラヴァルストの山』に生息している獣の中でも最も数が多く、統率のとれた狼――『ウルフェン』の群が占領している。皆青草の中で横たわり、心地よい日差しに身を任せていた。
約50匹の群。多い時は70匹にもなる群の長は身体中に傷のある『ウルフェン』だった。
この『ウルフェン』は、アイリスやラヴァルストからは“ヴォルフ”と呼ばれ、彼女がこの山に来る前からこの群の長をしている老練の狼である。
年齢の割に未だ全盛期の体力を持つ理由として『ラヴァルストの山』が普通の山とは違って魔力の循環が強い事が原因なのだ。
「――――」
ヴォルフは異質な臭いを嗅ぎ取ると眼を開けた。群は、若く実力のある狼たちを一番外に円を描く様に配置し、その内側に子供と一緒に母親を囲っていた。
若い狼はヴォルフが眼を開けるよりも数瞬前に身体を起き上がらせると、子供と雌を後ろへ誘導。数匹の雄でまとまり、森の奥を見ていた。
ヴォルフも遅れて立ち上がると、群の中心から雄の集まっている箇所へ、老練の目を向ける。
「…………」
嫌な臭いは増している。それは血の臭い。しかも、無造作に返り血を浴びた様に隠す事の無いモノは手負いの獣が流すモノにしては強く臭い過ぎている。
ヴォルフは群を横断する様に雄たちの元へ歩くと、それに比例して長の意図を組んだ群は彼らの後方へ移動する。子供は好奇心からヴォルフへ続こうとするが、母親がソレを制して連れて下がった。
「――――」
雄たちは群の長の道を塞がずに、未だ衰える事の無い気迫に頼もしく道を開けて後ろに立つ。
その瞬間、茂みが揺れ木々の間からソレが姿を現した。
片腕に付着している血が異常とも言える臭いを周囲にまき散らしていたのだろう。そして、それはまだ半乾きである様と、明らかに“生物では無い”姿から見て、殺戮が行われたのだと瞬時に理解した。そして――
「ガッ……」
威嚇した若い『ウルフェン』の同胞が、ソレの長い腕に殴られた。近くの木まで吹き飛ばされる程の威力で、同胞は一撃で絶命する――
同胞の死にヴォルフは咆哮を響かせ、攻撃を開始しした。
「――――」
ジークは、ふと足を止めて、何かを気にする様に、向かっている方角へとは別の方角へ視線を向ける。
「どうしました?」
鉈を使って進むのに邪魔な草を切り払っていたアイリスは、後ろで足を止めたジークの様子に振り向いた。
「……懐かしい匂いだ」
「懐かしい……って?」
無言でジークはアイリスとは別の方向へ歩き出す。何事かと彼女も後に続くと、程なくして異質な臭いに気がついた。
「うっ……これ――」
「…………」
茂みを抜けるとそこにあったのは胴部に穴を空けて絶命している『ロックベア』だった。
「大丈夫か?」
「あ、血は大丈夫なんですけど……こんな死体は見た事が無くて……」
本来、獣たちが獲物を仕留める時は、急所や顔を狙って致命傷を与える。その方が効率的であり労力も少なくて済むからだ。だが、この『ロックベア』の死体は……
「狩りではないな。そして、“意志”も存在していない」
「え?」
急所を狙わずに、この甲殻を貫くほどの威力は見覚えが無い訳ではない。だが……
「『水の眷属――我が声に応えよ』」
その時、アイリスの魔法が発動した。光に反射する様に銀色の軌跡が現れ『ロックベア』の死体を包むと、一瞬で急激に温度を低下させ凍結する。
「これで、しばらくは大丈夫です。臭いで他の獣も集まってくるかもしれませんし、腐ると勿体ないので」
どこまでも逞しいアイリスだが、流石に『ロックベア』に空いた穴については答えに辿り着きそうにない。
「うーん。こんな傷は……見たこと無いなぁ……」
この自然界では到底生まれる事の無い損傷。明らかに外部からの技術が関わっているとしか分からない。
「お母さんに訊いて――」
その時、ヴォルフの咆哮がアイリスとジークの耳にも入る――
謎の兵器はジークの世界から流れたモノです。次で解説します。