3.命の強度
「ジークさん。もう立てるんですか!?」
ジークの介抱を続けて二日の時が流れ、彼の回復力にアイリスは驚いてそんな言葉が出た。
彼の怪我は当初は酷い物だった。毒による衰弱に加えて、身体の所々に存在した貫通痕は急所こそ避けていたものの、前述の毒によって決定的な致命傷となっていてもおかしくない。
そんな、常人なら二度は息絶えている程の負傷を抱えつつも持ちこたえ、彼の身体は回復に向かっている。
特に体力に関しては既に元に戻っていた。傷の治療も良く効く薬草を使っている事もあるが、それでも二日でほとんどの傷が塞がるなど本当に人間かどうか疑いたくなる。
「産まれつきの特質でな。オレの身体は“強度”が桁違いらしい」
ジークは己の体について一通り説明をする。
人の持つ肉体密度は、劣化する事があっても、一定数値以上の密度を得る事は出来ない。
食べ物や、トレーニングによってある程度は自主的に肉体強化する事が可能である。筋肉を鍛える事で肉体の強度を上げる事も難しくない。
だが、それでも耐えられないモノは耐えられない。
理論上、人は約500kgの衝撃に耐えられると言われているが、ソレは科学的分析数値に過ぎないのだ。実際はそれほどの衝撃が襲うまでも無く、多少強い衝撃で、意識は途絶え肉体は死に至る。
しかし、ジークの身体は、そんな常人の肉体の概念を大きく超えていた。
常人の五倍の骨密度に、衰える事の無い筋力。外見は中肉中背にも関わらず、その身体に潜む膂力は子供一人持ち上げるのに空箱を持ち上げるのと大差ない。
一キロを全力疾走し続ける事の出来る持久力に、一晩休めば次の日には問題なく活動できる回復力。致命傷を負っても、二十種類以上の脳内麻薬によって痛みを消す事も可能であるなど、戦闘に特化した身体として確立されていた。
故に劣悪な戦場でも足を止めることなく、戦い続ける事が出来たのである。
「骨密度から筋繊維に至るまで常人の五倍以上。戦いに適した肉体だと言われた」
結果、他では扱えないと埃をかぶっていた武器を取り扱う事が可能だった。
それが今は部屋の端に立てかけられてある“白箱”と“黒箱”。
本来は人間が使うべきではないとされた二つの武装は、本来は固定武装として使われる代物だったのだ。しかし、ジークが使用する事で機動力を得て、爆発的な戦果を記録していた。
戦場で膨大な火力を生み出すには大規模な施設や準備が必要だったが、ジークにとっては目標拠点に潜入できれば後は内部から一個中隊並みの殲滅力を発揮する事が出来たのだ。
今までの戦術概念が著しく見直され、ジークが戦場に出ると聞きつけた敵軍は血眼になって彼がどこに出現するのか調べ上げる。
その小回りの利く、“単身での制圧力”を危惧され命を狙われる事も一度や二度では無く、6度の死亡が確認された。
しかし、死亡を確認していながら次の戦場に姿を現した事や彼の本名から、同じ名を持つ物語の英雄と比喩され、『ジークフリート』と言う異名で戦場では恐れられていた。
「お母さん……ずっとそうして、家の前に居るつもり?」
アイリスが外に出ると、家の前には白銀の鱗を横たえて休んでいる白天竜――ラヴァルストが居た。その様を見て二日前から動いていないと悟って呆れる。
『ワタシの山だ。どこに居ようとワタシの勝手だろう。それにワタシはまだ、あの男を信用したわけではない』
「あの男じゃなくて、ジークさんですよ!」
ラヴァルストはジークを見張っていた。再び奴が娘に手を出そうものなら有無を言わさずにその命を奪い去るつもりである。
「そう思われても仕方ない」
アイリスの後から出て来たジークをラヴァルストは、その挙動の一つ一つを見逃さず警戒しながら視線を向け続ける。
『……お前は自分が何をしたのか理解せよ』
「だから、私は大丈夫だって! お母さんは心配し過ぎ!!」
「いや……当然の事だろう。母が子を心配する気持ちは知っているつもりだ」
今思えば、ウィンが“普通に生きる”事を選んだのは娘の暮らしている街が戦闘地区になる可能性が出て来たからだ。彼女は正しかった……
『ワタシも今すぐ出て行けとは言わない。体調が十全になるまでは仕方がないと見逃してやろう』
「お母さん! ジークさん。気にしなくていいからね」
「……あまり、この生活を乱すのは良くないと思っている」
どう言った経緯でこの世界に流れ着いたのかは分からない。何か意味があるとしても、ここに居ては何も解らないだろう。それどころか、彼女たちの生活を乱す事になるのならある程度、傷が癒えたら去る方がいい。
「そんな事はないよ。ジークさんが良ければ、ずっと居ても良いから!」
「……ありがとう」
『やれやれ』
ラヴァルストは娘の行動にため息しか出ない。しかし、アイリスがあそこまで奴に固執しているのは、人との関わりをほとんど持たせなかった自分の所為でもある。
彼女を頼まれた者からの希望とは言え、いつかは隠しきれずに人との接点を持たせなければならない時が来ていただろう。
しかし、『契』によって多少は感情移入されているとは言え、あれだけ過剰な感情は別の要因が向けられていると言える。
恋は盲目とはよく言ったものだ。
『将来が心配だ。今回の件で学んでくれればいいのだけれど』
その時、肌を撫でる魔力を受信した。
世界の反対側に居ても伝わる、竜の間の魔法による通話。ソレが自身だけではなく一斉に全ての竜に伝わっている。
“『サイハテノダイチ』ニテ。ナノカゴニ、スベテノドウホウガソロウコトヲネガウ”
内容は、一週間後に【十天】が揃う際に“最果ての地”にて邂逅する事を一方的に通達してきた。
もう少し間があるかと思ったが、予想以上に事態の進みは早い。正直な所、今娘の傍を離れるのは避けたかったが……
『シュヴェルツェ……とは。発つ前に、それも含めて一度会う必要があるな』
アイリスの血が繋がった本当の家族の長に――
「ごめんなさい。いつもは凄く冷静なお母さんなんですけど」
「気にしてはいない。明らかにオレに落ち度がある」
誰だって、身内を殺されかければ信用など出来るはずがない。オレもウィンかリジーが同じ状況に遭遇すれば、隙あらば抹殺する事を考えるだろう。同じ境遇だとすれば現状はマシな方だ。
「よいしょっと」
アイリスは家の裏にある、自身の何倍も大きい大樹に登り、手を伸ばしながら枝に実る果実を収穫している。様々な形と色を持つ実は、ジークの視た事の無い作物だった。
木の根元に座っていると、目の前に赤色の実が落ちてくる。ジークはそれを拾い上げた。
「…………」
形状はココナッツに似ているな。だが、色はトマトに近い艶を持ち、光が反射をしている。どちらにせよ見たことのない実だ。
「っと」
枝から籠を抱えてアイリスは飛び降りた。そして、地面に着地する刹那に不自然に落下速度が減速し、まるで無重力になったようにスローで地面に足を着ける。その際に黒い霧をまとっていた。
「――――」
その現象にジークは目を丸くした。滅多な事では驚かないのだが、竜といい、理解の追いつかない連続に驚きっぱなしだった。
「? どうしました?」
ジークの視線に気づいたアイリスは籠を向けて、彼の手にある木の実を催促しながら尋ねる。
「いや。重力に違和感は無かったつもりだが……」
赤い実を渡しながらそんな事を告げる。
目の錯覚か? 月のように、この世界は重力が極端に低いわけではなさそうだったが――
「? ……あ! そう言えば、ジークさんに魔法を見せたのって初めてでしたね!」
「…………魔法?」
元の世界でも空想上の単語にジークは怪訝そうな顔を作り、アイリスは、ふふん! と得意げに腰に手を立てていた。彼女もジークが魔法の概念の無い世界から来たと知っているので丁寧に説明する。
「空間に存在する魔力を利用して、火や風を起こす力です。特にこの山はお母さんが魔力の循環を行っているので基本的にどこでも発動できるんですよ」
「……何でもできるのか? その魔法というヤツは」
「何でも、は出来ません。基本となる三元素『理』『光』『闇』を基礎としたモノしか利用できないんです」
たとえば……、とアイリスは籠を置くとゆっくり魔力を周囲に集中する。彼女を中心に黒い霧のような靄が回転する様に集まって行く。
「『闇の眷属――我が声に応えよ』」
その時、ゆっくりとアイリスの身体が浮かび始めた。服も水中に居るかのように同じように浮かんで漂っている。その様はさしずめ、無重力に身を預けている様に見えた。
「これが魔法です。この魔法は『闇』魔法の“闇遊”と呼ばれるモノでして、物にかかる重量を極端に減らす事が出来ます」
これでジークさんを運んだんですよ? と、アイリスは一度地面を蹴ると、空間を泳ぐ魚のように高所の木の枝にタッチ。そして、枝の裏側に立つように、逆さまでジークを見る。
「無重力のようなものか。便利だな」
「むじゅうりょく?」
「こっちの話だ。気にしなくていい」
ふわり、とアイリスは木を使って態勢を変えるとうつ伏せで寝そべる姿勢でジークに問う。
「ジークさんの世界って魔法は無かったんですか?」
「ああ。だから、今はかなり斬新な経験をしている」
装備も無く宙に浮くなど、元居た世界では考えられない事だ。この世界に適応していくには、一度、固定概念を考え直す必要があるだろう。
「けど、お母さんは日常生活で必要以外は、なるべく魔法を使う事を控える様に言ってるんですよ」
「そうなのか? そう言えば、木に上がる時も“闇遊”は使わなかったな」
木の上に登る時、アイリスは少しだけ苦労しながら登っていた。
「はい。魔法は、あくまで“手段”ですから。手が届かなければ棒を使うのと同じで、手が届く範囲では手を伸ばせば事足ります」
身に危険が迫れば使う事もあるが、日常生活で魔法を使う事は殆ど無いと言う。便利な生活に慣れる事は“備え”を知らず内に怠ってしまうと教わっているアイリスは魔法を極力使わない生活を心がけているのだ。
「立派だな」
「え! いやぁ、そんな事ないですって」
えへへ、と照れる様はスイー浮きながら作る表情としてはかなりシュールな光景だ。すると山を通り過ぎる突風が駆け抜けた。
木を揺らすほどの風は、一瞬通り過ぎるにしてはさほど気にするほどのモノではないが、宙に浮くアイリスには丁度受けてしまう位置に居てしまった。
「あ」
長く美しい黒髪と共に、ワンピースのスカートが泳ぐ。アイリスは髪を抑えたためとっさにスカートをかばうまで手は回らなかった。結果、ジークは意図せず直視する。
「……見ました?」
黒い魔力を散らせて“闇遊”の効果を終わらせたアイリスはスカートの裾を押さえて、すとん、目の前に座り込む。そして、頬を赤めジークを睨みつける。
「気の利いた嘘も無理なようだから、あえて言っておく」
「……なんですか?」
むー、と睨むその様はジークからすれば可愛いものだった。昔、悪戯に失敗した娘が不貞腐れて不機嫌になった事を思い出す。
「履いた方がいい。気温が高いと言っても風邪をひく」
「まだ、乾いてないんです!!」
本来行うべき洗濯作業は、ジークの救出と看病で二日遅れていたのだった。
サイリスは大きな国が五つ存在している。
多くの組織が集まって成り立つ国もあれば、亜人たちの住む国、魔法によって空に浮く国や、1000年以上昔から続く古豪の国もある。しかし、今現在の世界で最も力を持つ国は、最も歴史の浅い帝国だった。
巨大な帝国が世界には存在している。
世界でも最も巨大な陸地として存在する中央大陸『グランズ』は、かつては六つの種族によって数多くの国と街が好き勝手創られていた。
『グランズ』で唯一の国であった『フリーランス公国』は、山を隔てて反対側にあり、その山が『ラヴァルストの山』であった事からも侵入は不可能で、荒れる山の反対側に対して不可侵を貫いていた。
荒れた大地では群雄割拠の時代が再来し、無法地帯と言っても良い程に荒れ狂う。力による“我”を通す事の出来る秩序の無い場所だった。しかし、それはかつての話である。
ライガル・バリオン。
この名を名乗る一人の“人間”によって、バラバラだった六つの種族は統一され、グランズの戦国時代は終結を見せたのだった。
今では広大な領地に比例した膨大な資源と六種族の技術を組み合わせる事による技術文化は他の国に比べて高水準に達し、今も向上を続けている。
その国の名は『バリオン』。30年前に統一された初代帝国王ライガル・バリオンによって建国された世界最大の帝国である。
「繋がっているか? 六人の子供たち」
バリオン王都、ファンガル城――皇帝の間。
100人は対面する事が出来る程に広いこの場所は、国力を示すかのように煌びやかで国の技術が所々に見え隠れしていた。
そして、皇帝の間に存在する王座には、百獣の王が座っている。
鋭い眼光と不敵、不遜の雰囲気から生まれる、強靭な意志を体現する王は足を組んで当然のように王座へ腰を下ろしていた。
その王の名は、ライガル・バリオン。世界では『統一王』として知られ、その才は傑物と称されるカリスマも携えている。
彼は王冠も、豪華な服装もしていない。ただ常人よりは多少裕福に見える服装はしているが、基本的には動きやすさを重視した服装で常に身を固めている。そんな彼の趣味は庭園野菜を作って王宮に振る舞う事だ。
「王。魔道回線は繋がっています。しかし、あちらからの返事はまだ難しいようです」
「結構! 技術躍進を続けよ! 今はそれだけでいい!!」
ライガルは技術員であるエルフの老中に労いの言葉をかけた。
「六人の息子、娘たち。蓄える時は終わった。これより世界統一戦争――『新創』を開戦する!」
世界最大最強の軍事力を持つ大国の王は、躊躇いなく宣言し不敵に笑みを作る。
そして、見えていないがその通信先の子供たちも、それぞれがその言葉に対する感情を表情に浮かべ、他国の制圧に、本国への帰投に、それぞれ行動を開始する。
これは、歴史上もっとも大きな戦争となり、サイリスの全てを巻き込んだ戦いとなる――――