15.人の心
起きると、次に感じたのは酷い頭の痛みだった。
少しでも頭痛を抑える為に手を添えて起き上がる。外傷ではなく内側から叩かれている様な強い痛みは思わず行動を停止したくなるほどのモノだった。
「痛っ……ジークさん」
そうだ……横になっている場合じゃない。
私が止めなくてはいけない。誰も気がつかないから……彼は、本当はそんな生き方を望んではいないのだと――
頭の痛みと動かない身体と戦いながら何とか立ち上がると、倒れそうになりながらも扉に縋りつき、開けると外へ出た。
「ジークさん……!」
歪む視界には背を向けて歩いて行こうとする彼の姿があった。“黒箱”と“白箱”を当然のように持ち、歩いて行く。
持てる力の限り力でもう一度名を呼ぶ。
「ジークさん!!」
その声に母が驚いてこちらを見る。そして、彼も振り向くと私に瞳を合わせてきた。
「もう、身体は大丈夫なのか?」
「はい……大……丈夫――」
身体が上手く動かせず、足がもつれて倒れる。次にアイリスが身構えたのは地面に叩きつけられる痛みだったが、身体が少しだけ浮いていた。
『アイリス、無理はするものじゃない』
ラヴァルストが魔法で彼女の身体を浮かせていた。そして、ゆっくり座らせる様に降す。ジークへ別れを言わせてあげようと配慮する。
「彼女も、ああ言っている。今は身体を休めておく方が良い」
ジークもアイリスへ近づくと屈んで目線を合わせる。よく、出陣に駄々をこねる娘にしたように慣れた対応だった。
「ジークさん……」
「なんだ?」
アイリスは少しだけ身を乗り出して、ジークの頬に手を添える。そして、次に取った行動は――
「――――」
「痛ったい!?」
『!』
頭突きだった。
大きく頭をのけぞらせ、ぶつけられた渾身の頭突きは上手い物では無く、逆にアイリスの方がダメージを負う形になってしまっている。
彼女の行動に対してジークは当然のようにダメージは受けて居なかったが驚きに目を丸くして硬直する。
ラヴァルストは娘の突発的な行動に驚いていた。当の本人は無駄にダメージを負って思いっきり痛がっている。
「なぜ……」
いたた……と、外傷と内部からの痛みに頭を押さえるアイリスにジークは感情が蘇っていた。それは、“怒られた”と思える感情である。
「がんがんするぅ……」
今までは畏怖と恐怖、尊敬などと言ったモノばかりが向けられていた。しかし、彼女はジークを上にも下にも見ずに対等の人として感情をぶつけてくる。
貴方は強くない。貴方は勇敢じゃない。臆病で、弱いんだから……強がるのは止めなさい!
ようやく、彼女がそう言っている事に気がついたのだ。
「ジークさん……頭痛い……」
「……ああ。そうだな……すまない……」
感情が揺れる。必要ないと思っていた日常の温もりを彼女が思い出させてくれた。
本来なら、そんな資格はない。オレはそんなモノを望んではいけない人間だと思っていた。ソレを感じると必ず大切な家族を失っていたから――
シスター・ケリーや、ウィンとリジーを……
「……泣いてるんですか?」
「――――ああ。そうだ。オレは泣いてる……」
気が付かないうちに残された右眼から涙が頬を伝っていた。
だが……それでも、彼女は教えてくれるのだ。ウィンもそうだった。オレに正面から向き合ってくれた。なのに……オレはまた、繰り返すところだった。
「泣き虫さんですね」
その道を歩こうとした時に、彼女は手を差し伸べてくれている。何も無い孤塁を進むべきではないと――貴方は人なんだから、と――
「君のおかげだ……ありがとう……」
人から向けられる温かさを理解する事が出来た。死にたくないと、思えるようになった。だから君に恩を返したかった。だが、今はまだその時ではないらしい――
「オレは……まだ、ここに居てもいいのか?」
「当たり前じゃないですか……起きたら、ちゃんと言ってくださいね。おはよう……って」
「ああ。約束する」
その言葉に満足したアイリスは再び目を閉じた。そして、今度は次に目を覚ます瞬間を楽しみにしているように穏やかに寝息を立て始めた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「段々近づいて来ているな」
国境の砦から、緩慢な足取りで向かって来る巨山は生物の様だった。
四本の脚は踏みしめる度に地を振動させ、揺れ動く巨体は霧に包まれて、遠巻きからでも全容は把握できない。
見張り塔から向かって来るソレをサングラス越しに眺めている中年の男は、冷静に目の前の事態を呑み込んでいた。
「ゼロット将軍」
その男――フリーランス公国、将軍ゼロットへ声をかける下士官が居た。
「フェイ空兵長。アレが見えるか?」
片目に傷を持つ男――フェイは、近くの街に定期任務で駐屯していた本国の兵士である。彼の率いる部隊は空兵と呼ばれるフリーランスでも主力部隊の一角だった。
「はっきりと。それにしても、初めてです。動く山と言うモノは」
フェイはゼロットと同様に、目の前の現実を事実として受け入れている。
歩いているのは山だ。しかし、その山には足と頭が生えて、生物としての要素を取り揃えていた。
「アレが巨獣だと仮定すると、今でどこに居た?」
霧によって定かではないが、その巨獣の背に生える密林を見て謎は深まるばかりなのだ。あれほどの巨大生物が世界に知られずに隠遁する事など飼いならしていない限り不可能だ。
もし、海中に居たのであれば可能性としては納得できるが、その背に生えているのは密林だ。ならば地上に居たと仮定するのが一般的だろう。
「……まさか『ソワール』が『バリオン』と同盟を組んだのでしょか?」
フェイの疑問は現実粋な方へシフトする。
オルガン大陸はその地に暮らす亜人達しか全容の知れない未開の地だ。もし、目の前の歩く山が『ソワール』の保有する兵器だとすれば、納得できるかもしれない――
「いや、それはない。『ソワール』は三の剣の先遣隊と交戦していると情報がある。恐らくだが……巨獣は――」
“僕の世界では、神は居なかったけど。こっちには居るらしいね。生きてる内に見れるかもよ? ゼロット”
ゼロットは若い頃に王と共に出会った、右眼に“未来を見る目”を持つ旅の吟遊詩人の言葉を思い出す。
「…………伝承で言うならば『玄武』だ」
「『玄武』? 『第六次竜神戦役』で倒された神にその名前がありましたよね?」
フェイは幼い頃に習った『フリーランス』の伝承で倒された神の一体であったと記憶していた。竜によって倒された“神”が何故こうして目の前に現れたのかと言う事だ。
「詳しくは分からんが、現実を受け止めるのならそう捉えるしかない」
「将軍! フェイ隊長!」
すると、部下が見張り塔へ慌てた様子で駆けあがってくる。一度呼吸を整えるようにゼロットは告げた。
「望遠を! あの巨山の頂上です!」
ゼロットとフェイはそれぞれに望遠鏡を手渡され、巨山の頂上を確認する。霧が立ち込めて解り辛いが、人の姿を確認出来た。そして、それは――
「――――リオル・カナイか」
その男は四の血でも、高い実力と功績を持つ遊撃小隊『ストライクイーグル』の隊長――リオル・カナイだった。
「やはり、『バリオン』の兵器のようですね」
フェイはどことなく納得した様に望遠鏡を部下に返す。ゼロットは何かを考えるように望遠鏡から眼を外した。
「……狙いは王都か。もし、アレが神――『玄武』だとすると『ラヴァルストの山』を横断するのが目的だろう」
もし、『バリオン』が本格的に『フリーランス』を攻めるのならば、間違いなく『ラヴァルストの山』は勝敗を左右する。ここを越えるか否かはどちらの国にとっても致命的となるのだ。だが――
「『白天竜』が居ると知っての行進か。それだけ、“神”と言う存在が“竜”の天敵であると信じていると言う事か――」
神が竜の天敵という話は、ただの伝承である。最後の『竜神戦役』は今から1500年以上前。当時の事を知る人間など居るはずもない。
「不確かな情報を信じるか……シュライ・ブラット・バリオンは相当な博打打ちだな」
例え、億の兵士を要いたとしても『ラヴァルストの山』は落せない。それだけ、竜と言う存在は絶対的なモノだ。ソレを踏みつけようとするのなら、それなりの要素が無ければ不可能だろう。
「もし、伝承通りなら『白天竜』を殺すつもりだな。そんな事が可能かどうかは分からないが……」
「将軍。私は、『白天竜』を見た事はありません。“居る”と言う事は聞いておりますが」
『ラヴァルストの山』への不可侵の教えが根付く『フリーランス』では過の竜を見た者は王族以外には本当に一握りである。ゼロットも一度、王に就き従って、人間状態の『白天竜』と会った事はあったが――
「なんにせよ、コレはチャンスです」
フェイは決心する様に『玄武』へ瞳を向ける。
「もし、アレが『バリオン』の持つ『フリーランス』に対する攻略兵器だとすれば、この場で発見される事は予期していないハズ。もし、発見される事が想定済みだったとしても、『空戦兵団』が居るとは予想していないハズです」
『空戦兵団』。それは、特殊な装備を持ち、空中戦闘を展開する事の出来る、『フリーランス』でも主力となっている兵科である。
フェイが部隊長を務めるのは第二空戦兵団。フリーランスの第二王子――パーシの率いる二つある専属部隊の内の一つであるのだ。
「この場には私の部下でも、パーシ様直属の兵が来ています。今、リオル・カナイを討ち取る事が出来れば、『バリオン』の勢いを大きく削ぐことが出来るでしょう」
「…………」
「将軍、部下の30の内15を残しています。出撃許可を。リオル・カナイを討ち取ります」
フェイの言っている事は荒唐無稽ではない。敵の主戦力にしてシュライ・ブラット・バリオンの懐刀でもある、リオル・カナイを討ち取る事は、フェイの実力的にも不可能ではないのだ。
『ストライクイーグル』は、下手をすれば本陣への切り込みまで可能な程に突進力を持つ部隊。ソレが、目に見える形で単独先行している。罠の可能性があったとしても十分なチャンスでもあるだろう。
「伊達ではないか……35位は。わかった。君の部隊を全て連れて行け。ただし、何か不穏な雰囲気を感じたら迷わず退却しろ。パーシ殿下は無謀な死を最も望まない」
「ハッ!」
35位。それはフェイが世界で35番目に強い事を意味する数字だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「やっぱり海底火山も良いけど、偶には街で買い食いも悪くないのぅー」
バリオンの賑わう街中で、歩いている長身の女は口に焼いた肉を串に刺した、串焼きを食べていた。
人が持つにしては尖った歯を持ち、噛みついて殺傷させる事が目的のように鋭利なモノになっている。これは、彼女が“人化の術”を得意ではない事を意味していた。長袖でロングスカートを履き、極力肌を見せないような服装だが、その下には“鱗”が至る所に残っている。右耳に十字架のピアスが垂れ下がっていた。
「そのお金を誰が出してるのか、その辺りをちゃんと理解した方が良いわ」
その横で呆れながら歩くのは、眼鏡をかけた知的な女である。長身の女よりも頭二つ低い身長を持ち、片腕には魔道書を持ち歩いていた。
「長老でしょ? いいのいいの。これって正当な報酬みたいなもんだから。ニッハハ」
「後の為に貯めておいた方が良いわ。無計画な人って嫌いなのよ。私は」
「アシュリンって現実的過ぎない? もっと、楽しんだ者勝ちだよ? 人生ってさぁ。あ、あたしらの場合は“竜生”か。ニッハハ」
能天気な相方にアシュリンと呼ばれた眼鏡の女はため息を吐く。しかし、こういう性格であると既に諦めているので、今更口論もする気も起きない。
程よく受け流すのがストレスなく長生きできるのだ。
「アーク様に言われて『バリオン』に来てみたけど、心配するようなことは何も無いわね」
「んー、あたしはあっちこっちで違和感あるけどね。そもそも、『青天竜』出てこないじゃん。あの人面白いから会うの楽しみにしてたんだけどなー」
「『グランズ大陸』は広い。ヴォイスはラヴァ姉様と違って常に動き回ってるって聞くし」
「ラヴァかぁ。ついでだから、『ラヴァルストの山』に寄ってく?」
「その前に集会で会えるでしょ。特に『バリオン』には違和感もないし、先に“最果ての地”に行きましょう」
「ファストは先に行ってるみたいだったしねー。ラヴァと一緒に行った方が楽じゃない?」
「私は“神宿り”と会いたくないわ。進んで会いに行こうとするなんて、ヴォイスか貴女くらいよ? スカーレット」
その時、アシュリンの持っている魔道書が淡く光り出した。
「光ってるけど?」
スカーレットに指摘と同時にアシュリンは道の端によって魔道書を開いた。その中に存在する文字は魔法を説くための呪文や術式ではなく、人の名前だった。
「珍しいわね。どうやら、ぶつかるみたい」
「へー。んで、今度は誰と誰?」
開いた頁の文字たちが避けるように端に動いて行くと、別の二つの名前が真ん中で並んだ。
「“フェイ・インサイト”と“リオル・カナイ”。珍しく上位のぶつかり合いね」
「誰?」
「フェイ・インサイトは『フリーランス』の兵士。リオル・カナイは『バリオン』の兵士」
「どっちが強いの?」
「さぁ、最近の二人は見てない。けど、フェイ・インサイトはここ二年間、“35位”を維持してるわ」
「リオルって方は?」
「リオル・カナイはここ数年で順位の変動が大きい。特に最近は二度、順位が落ちてるわね」
へー。とスカーレットは串焼きを頬張る。出来るなら観戦できれば面白そうだが、アシュリンの持つ魔道書は本人たちが互いにぶつかる意志を示した事しか分からず、どこで戦っているかは不明なのだ。調べようと思えば難しくないが、今は別に優先する事がある。
「今は、“最果ての地”に行くわ。結果は後でわかるでしょ」
「楽しそうだなー。あたしも何か作ろうかなー」
そう言った事柄を少なからず持ち合わせている友人に『炎天竜』は羨ましく思いながら彼女の後に続いた。
先を歩きだした『灰天竜』の管理するのは世界に存在する全亜人の強さの順位――『天涯序列』と呼ばれる序列だった。




