11.亜人の斥候
二人は取りとめのない会話をしながら、崖を歩き続ける。そして、目的の頂上が見えてきた。
「よいしょっと」
アイリスは壁面を歩き切るタイミングで、“闇遊”を解除して通常の重力に身を戻し地面に足を着ける。そして、ジークも同様のタイミングで“闇遊”を解除してあげた。
「――っと」
ジークは不意に意識が途絶えた様な妙な空虚に思考が到り思わずよろけ、倒れそうになる。普段ならこんな事は無く、突如の視界の歪みは立ちくらみとは違う感覚だった。
「大丈夫ですか?」
心配そうにアイリスは駆け寄る。魔力は人体にとって無害とは言い難く、過負荷な魔力の取り込みによって“魔物”が生まれる様に……人も例外ではない。長時間の使用は慣れていないと支障を来す事も多々あるのだ。
無論、使い続けていれば次第に身体は慣れて行くが、ジークは魔法に関しての耐性は皆無と言ってもいい。長い間“闇遊”をまとっていたため、それのせいだと思っていた。
「少しふらついただけだ。最近、血を流しすぎたかもしれん」
よろけたのはほんの一瞬。まだ、この世界に身体が慣れていないのだろうと、ジークは額を包帯を巻いた自分の手で押さえるものの、大丈夫、と笑みを作る。
「無理しないでくださいね」
「ああ」
ジークとアイリスは目の前に存在する洞窟の入り口を視界に捉えていた。
木や草が邪魔にならない程度に生え、それが奥にある崖の洞窟へ道を作るように立ち並んでいる。
「あれが、お母さんに教えてもらった洞窟です。鉱石は必要最低限だけ採取しますので」
「基本的には“火炎石”と鉈になりそうな大きな金属だろう? 深い所に入らないといけなくなりそうだな」
「場所はわかっていますので大丈夫です。出来るだけ洞窟内には長居しない方が良いんですよ」
「何故だ?」
「山も生きているからです」
アイリスは山の事を単なる“物”としては見ておらず、一つの生き物として捉えていた。
土も木も葉も動物たちも彼女も、山が育てる緑の全てに命があり、それらの命を育む山には“意志”がある。
脈動し、雨を受け、草木を育てる。それが山の鼓動。アイリスは母からその事を強く説かれていた。
『アイリス。山は多くの命を生み出す。それは山の中だけでは無く、その外にも及ぶ。この世界にはそのような“命を育む”偉大な意志が多く存在しているの。だから、どんなに辛くても命を分け与えられている山を恨んではいけないよ? 山も感情を持つ存在なのだから――』
「ジークさんも、あんまり人にお腹の中を探られたくないでしょう? それと同じです」
「そんな機会は無いと思うが……長居しないのには賛成だ」
ジークとしては洞窟にはあまりいい思い出はない。ガスをまかれたり、崩落させられたり、様々な経験から閉鎖空間に長居するのは得策ではないと戦いの経験としてしみついている。
「……いかんな。この考え方は」
長年の習慣は抜ける事はなく、洞窟に入る足取りはあまりよくはない。だが、この場所は違う。ここでは戦争思考は必要ないのだ。
すると、いつの間にかアイリスが上目づかいで目の前に立っていた。
「ジークさん。無理に変えようとしても、それは結局無理をしているだけです。長くは続かないですし、いずれ崩れてしまいますよ?」
「だが、ここでは不要なモノだ」
「そんなことはありません。もし、ジークさんがいなかったら、“装甲人形”にこの場所は大きく傷つけられていました。そうなったら、多くの山の仲間たちが犠牲になっていたと思います」
「それは結果論だよ。オレが来なければ、『エンフォーサー』も来なかった」
「けど、ジークさんは望んでこの場所に来たわけではないでしょう? なら、ジークさんが来なくても“装甲人形”だけ来ていたかもしれません。どっちにしても、どうなっていたかわかりませんでしたよ」
「だか……」
それでも、この山に対する自分の思考はあまりにも場違いだ。ジークは何のために自分がここにいるのか……もし、エンフォーサーを倒すためだけだとすれば、もうこの地は去る必要があるのかもしれない。
「正直な事を言いますと……私、嬉しかったんですよ」
そんなジークの心境をどことなく察したアイリスは少しだけ本音を打ち明けた。
一人で起きて、一人でご飯を食べて、一人で洗濯して、一人で眠る。
それがアイリスの日常で、話し相手は母だけだった。山の動物も居たし“孤独”ではなかったが、それでも知識が積み重なる度に、年々積もる“寂しさ”は誤魔化す事が出来なかった。
それを察した母親は魔法を教え、街に降りた時に本を買ってきてあげた。しかし、心から満たされる事は無く、魔法を修得した後は今まで以上に自分で出来る事を進んでやるようになった。
埋まらない心の穴に対し、日々の生活に“忙しさ”を感じる事で誤魔化そうとしたのだ。そんな中、彼が現れたのである。
「朝起きたらジークさんが居て、食事をするときにジークさんが座ってて、朝出かける時にジークさんが扉を閉めてくれる。それが嬉しいんです」
「だが、オレは君に酷い事をした」
最初の邂逅では、一方的に敵を向けて彼女を危険な目に合わせてしまった。それはこれからも消える事の無い罪だろう。
しかし、アイリスは首を横に振る。そして、諭す様にジークの前に立って上目づかいで告げた。
「怖くは無かったです。なんだか不器用だなって、思ったので」
「不器用?」
「はい。無理に強がってる感じが、何だか私と似てて――」
と、そこでいつの間にか、かなり至近距離までジークに近づいていた事に気がつき顔を赤くして離れる。
「と、とにかく、ですね! 怪我もしてましたし、ほっとけなかったんです!」
「そうか。ありがとう」
誤魔化す様に踵を返して背を向けたアイリスへ、ジークは何度目になるか分からない、ありがとう、を口にする。それだけ、彼女には救われ続けているのだ。
「お互い様ですよー」
嬉しさから笑顔を彼に向けた。
一人じゃない。そう思えるだけで、一日をがんばろうと言う気持ちになるのだ。彼と過ごす日々で埋まる事の無かった空虚が少しずつ満たさせていると感じている。
「――――そうだな」
そんな彼女を見て、幼い頃に忘れた純粋な表情を思い出せそうな――“兵士”から“人”になって行くと感じていた。
「あ! そう言えばジークさん」
「なんだ?」
洞窟に入る手前でアイリスは思い出す様に声を上げた。
「あの、出来ればでいいんですけど……あ、いや! ジークさんが嫌ならいいんですけどっ!」
「だからなんだ?」
「えーっとですね……」
泳ぎ眼でアイリスは少し恥ずかしそうに意を決して告げた。
「ジークさんの持っている“白箱”の中身ってなんなんですか?!」
ものすごく重かったんですけど! と、興味津々に二つの長方形のケースを気にかけていた。
「ここだけの話、開けようとしても開かなくてですね――」
「開けようとしたのか?」
「あ、ごめんなさい……」
別に咎めるつもりはないのだが、彼女は悪い事だと認識したらしい。
そもそも、“黒箱”と“白箱”はそう簡単に開く事も壊す事も出来ないように構築されている。簡単に開いてしまったら意味が無いのだ。
「別に気にしていない。そうだな……戻ったら見せよう。だが、期待するようなモノは入っていないぞ?」
「気になるんですよ! あ、それじゃ、教えい合いって事で……私の事も何でも一つだけ教えちゃいますけど……?」
アイリスは自分の発言によるジークの反応を伺いつつも、恥ずかしさから直視できずに彼の返答を待った。
ジークは少し考えたのち口を開く。
「今度はちゃんと履いてるか?」
「履いてます!!!」
アイリスとジークがそんな事を言い合っている頃。鉱石洞窟の二つある入り口のもう一つから『ラヴァルストの山』に侵入する存在があった。
「にしても、マジでこの山に“竜”が居るのかよ。結構なデカさだって聞いてるし、白銀の鱗なんだろ? 見つからねェ方が難しいんじゃね?」
洞窟の中に侵入したのは二体の亜人。
その内の一人は獰猛な獣の眼と頭に銀色の髪飾りが取り付けられた赤いバンダナを巻いた亜人である。口には犬歯が覗き、顔の半分を変色させている傷跡はかつて命を脅かした際に負った火傷跡である。
「油断するなよ、マーシー。ここは紛れもなく【白天竜】の領地。竜の結界の感知から外れているとはいえ。視界には映る。そうなれば、思考をする間もなくこの世から消え去るであろう!」
隣を歩くのは、バンダナの亜人よりも一回り大きな体で、より野性を感じ取れる豪気が漂い出ている存在だった。筋骨隆々の体格に後ろにオールバックに流した長髪には彼らの一族に伝わる髪飾りがつけられている。
二人が身に着けている髪飾りは“銀の証”。一族でもより強い能力を身に宿した戦士としての実力の証明であった。
「へいへい。ガイルの旦那はテンション高いねぇ。俺としてはリオル隊長とシュライ殿下にさっさと恩を返して内地でのんびりしたいからよ。ほどほどにしか頑張らねぇ」
「ぐはは、良い心がけだ。そのような目標があるのなら生き残るのも問題ないだろう。だが、マーシーよ。リオル殿は元より、シュライ殿下は末端の兵士達にも目を行きわたらせている。味方を誰も死なせずにフリーランスを落す方法を考えておいでだ」
「それが俺達って事だろ? わーってるよ旦那。シュライ様とリオル隊長が居なかったら、俺はとっくにカラスの餌だったからな」
二人は四の血の斥候部隊に振り分けられている亜人である。亜人の中でも素の身体能力が高い『獣牙族』である二人は自然の中での戦闘を得意とし、魔力を使う事で一時的に変身を解除し本来の姿に戻る事が出来る。
加えて亜人の中でも『銀の証』を持ち、外界に出る事を許されるほどの実力者。もし、敵と鉢合わせても離脱と撃破も十分に考えての人選だった。
「見つからないためとはいえ……正直な所、こんな薄暗い所はさっさと出たいねぇ」
マーシーは暗闇でも視界が問題なく機能するガイルの後を着いて歩いている。二人は『ラヴァルストの山』の現状把握と、噂されている“ある存在”の確保を任務として入山したのだ。
「本当に効いているのかねぇ。コレ」
マーシーは腕に巻きつけている腕輪を見る。
この山は伝説の竜族である『白天竜』在住の地で、特殊な結界によって侵入する者は有無を言わさずにいつの間にか入り口に戻される。しかし、二人が腕に腕章のように着けた『神の腕輪』がその効果を打ち消しているため、問題なく侵入できているのだ。
「人智を超えた竜。その天敵ともあれば、容易いのだろうよ!」
マーシーとガイルは『神の腕輪』に関する説明を事前に受けていた。
竜が神を天敵とする理由として、視覚以外の感知器官では神を感知する事が出来ない事にもある。『神の腕輪』は、そんな特性を十全に引き出す事に成功した帝国の技術なのだ。
しかし、万能と言うわけでもなく時間制限が設けられている。二日も使い続ければ効力は無くなる為、短時間で広範囲に活動が可能な亜人の斥候に優先して渡してあるのだ。
「それにしてもよ、旦那。マジでいると思うかい? 『白天竜』の娘なんてよ」
「ぐはは、案ずるなマーシーよ。我らはサーナイト殿の言葉を信用するまでだ」
「サーナイトもキューレ様の配下だからな。信用は出来るだろうが、時間通りに事が運ぶとは限らねぇぜ?」
戦争の経験は無いが戦いの経験は腐る程ある。マーシーもガイルも戦争とは小さな局地戦の寄せ集めだと考えていた。要所を落せば勝敗は自ずと決する。今回もその内の一つだと捉えているのである。
「その辺りは現場の我々が判断するのだ。なに、無理はする必要はない。仮に“竜の娘”を発見できなくとも、後に『玄武』で踏み砕けばいいだけの話よ!」
「そうなったらマジでフリーランスは終わりだな。いや、どの道『バリオン』に布告された時点で詰んでるか」
まさか、フリーランスもこちらが“神”を引き連れて来るとは思いもしないだろう。
ジークはアイリスの後に続く様に洞窟に入り、拓けた内部空間に出ていた。
前方には空いた天井からの光と流れ落ちる滝が存在し、水の音が絶えず周囲を支配している。
「これは“鉄鉱”か?」
「鉄ですねー」
ジークはアイリスの後に続く様に洞窟に入り、真っ先に壁に張り付く様に突出している鉱物を発見した。ソレを確認する様にアイリスも横から覗きこむ。
「ジークさんは鉱石に詳しいんですか?」
「“黒箱”の関係でな。鉄は良くわかる」
「なるほど。じゃあ、もしかして天然の砂鉄とかでも身に纏えたりします?」
「ナノマシンには制限があるが……混ぜるような形を取れば不可能じゃない。その際は、細部までは操作できなくて脆くなってしまうしが」
「一長一短なんですね」
「万能な兵器は存在しないさ。どんな物事にも何かしら、弱点や欠点は存在する。無敵に見えるようなモノは、ソレを上手く隠している場合が多い」
例を上げるなら『エンフォーサー』がそうだろう。固い装甲に巨体からは想像できない近接速度と各種の隙のない武装は対峙した者に一切の弱点を見出せない無敵性を連想させる。だが、数少ない弱点を突き、破壊されたのは『エンフォーサー』の方で生き残ったのはジークの方だった。
「勉強になります。あ、ジークさんこっちです」
アイリスは通り過ぎようとした横穴に気がつくとその先へ入って行く。ジークも彼女を追うように身を屈めて、少し窮屈な横穴を中腰で進んだ。
「あったあった。『土の眷属よ、我が声に応えよ』」
抜けた先には少しだけ広い空間があり、そこは立ち上がってもギリギリ頭がつかない程度には拓けていた。
「なるほど。ここで採ったのか」
壁に突き刺さる様に生えている鉄鉱が至る所に存在している。まるで、巨大な獣の口の中に入った様な気分になる。その少し進んだ所でアイリスは魔法を唱え、一番、鉈に手ごろな鉄片を引っ張り出していた。
「よし、こんなものですね。ジークさん。運ぶのを手伝ってもらえますか?」
重々しく横たわる鉄片をジークは片手で持ち上げた。
「……重くないんですか?」
推定で20キロはある鉄片で“闇遊”を使おうとしたアイリスは、ジークが軽々と持ち上げた様に改めて驚いた。
「まぁ……“黒箱”と“白箱”は、40キロはあるからな。君を片手で持ち上げた事を忘れたか?」
「……そういえば。ジークさんって凄い力持ちでしたっけ?」
「そうでなければ“黒箱”と“白箱”を同時に持ち歩けん」
彼にとってすれば10キロ程度はコップを持ち上げるのと大して変わらないのだ。
「じゃあ、次は“火炎石”を取りに行きましょー」
アイリスは横穴から出ると、次なる採取場所を既に定めていのか、意気揚々と先へ先へと進む。その様は、娘に手を引かれて早足になる妻の姿と重なった。
近場にあったガラガラの遊園地だったが、リジーはとても喜んでいた。家族らしいことをしたのはあの時が最後だったかもしれない。
「あまり先に行かないでくれ。迷いたくない」
ジークの声にアイリスは、少し小恥ずかしそうに浮き足立っていた事に気がつき、自重して足を止めて振り向いた――
「こっちに拓けた空間があるぞ!」
「え?」
「あん?」
「――――」
その時、先に進むはずだった脇道の向こうから、逆にその場へ敵が現れた。
一瞬で状況を把握したのはアイリス以外の三人だった。
マーシーとガイルは、水の流れる音を頼りに出口へ進み、その先で偶然アイリスとジークの居る空間に辿り着いたのだ。
そして、一瞬で状況を把握。同時にアイリスが目的の“竜の娘”であると認識し事を起こす。
「だ、誰――」
彼女がとった行動は逃げると言う思考よりも、人として自然な流れ――驚愕であった。しかし、その疑惑はマーシーによって思考ごと暗転する事となる。
「反射的に動いたが、正解みたいだな」
マーシーはアイリスの頬を殴ると気を失わせたのだ。声を上げる間もなく意識が途絶えた彼女は、口の端から血を流しながら身動きを停止する。
「見つけたぜ、ガイルの旦那。コレだろ?」
気を失ったアイリスの髪を乱暴に掴み上げてマーシーは確認する様に相方に告げた。
「あまり乱暴に扱うなよ? もしそうだとすれば“竜”を殺す切り札となる!」
「別に生きてりゃいいだろ」
そんな横暴を働く中、ジークは動かずに様子を伺う。彼が動かないのはこちらを捉えているガイルの視線が原因だった。
彼の体格は中肉中背のジークを易々と越える。そして、纏っている雰囲気は人のモノでは無く油断のかけらもない。
その眼光は下手に動けば彼女を殺すと、口に出さずとも伝わるほどに場を戦慄させている。
「……その子をどうするつもりだ?」
ジークは感情的に動くことはせず様子を探る。
『エンフォーサー』の時とは違い、思考を持つ敵。そして、ガイルとマーシーも彼がただ者でない雰囲気を嗅ぎ取ってもいた。うかつに動いても事態は好転しないと当たり前のように理解している。
対してガイルとマーシー側からすれば戦っても問題ない。しかし、無用な消耗は避けたいと考えてジークの様子を捉えている。
「知れた事! 貴様に説明する必要はない!!」
ぐっはは! とガイルは腕を組んで笑う。ジークはその最中でも二人の隙を伺っていたが流石に只者では無いらしく互いの隙をカバーしており、うかつに踏み込めない。
「いや、旦那。コイツはここで殺して行こう」
マーシーはガイルの前に出た。その眼はどこか嘲笑する様にジークを見下している様が現れている。
「“竜”に報告されれば厄介だ。伝承では『白天竜』は空間をものともしない古代魔法を持っていると聞く。“竜の娘”が陣営に戻るまでは時間を稼ぐ必要があるだろ?」
ジークはラヴァルストがどのような魔法を使うのか知らない。だが、敵がソレを知らないわけではないのだ。
敵は竜の娘と一緒に居たジークは、白天竜と何らかのつながりがあると考えている。いや、そう考える事が必然と言えるだろう。
まさか、ジークが別の世界から来た者であるなど夢にも考えていないだろう。
「俺がやるぜ。言い出したのは俺だからなぁ!!」
弾ける様にマーシーはジークへ突撃する。それは人が考える瞬発力を遥かに上回る獣の身体能力だった。




