アクアマリンの孤独 3-1
* * *
エレニとテオドールがいない。
白銀の龍に姿を変えてすっかり村人達を心酔させたシドが聞いたのは、津波ほどの大ニュースではないが、僕達を驚かせるには十分な内容だった。
「なぜ?」
人々に高地へ向かうよう促しながら、シドは二人の不在の理由を尋ねた。
「それがテオドールの奴、神殿の鍵をエレニ様から奪って、神殿内部に入り込んだらしいんです。それでエレニ様がテオドールを追って――」
「神殿内部には何が?」
「さぁ? でも噂では、その……呪われた巫女様がいらっしゃると。私達は普段出入りを禁じられているんです」
「そうか……」
シドは頷き、案ずるように顔を伏せた。しかしポケットから見上げたその顔に嬉々とした笑みが灯っていたことに気付いたのは、僕だけだろう。
都合の良い理由ができた、と言わんばかりだ。
「できるだけ高い場所へ向かうんだ。焦らずに避難しろ」
「え? 神龍様は……?」
「まだ二人、いるのだろう?」
シドはいつも通りの無表情で言ったが、村人には、それが気高き救済者の装いか何かに見えたのだろう。それきり村人達を無視して神殿へ向かったシドを、止める者はいなかった。
シドの〝約束を守る〟が思った以上に手厚いことに驚きながら、僕はシドのポケットの縁をぎゅっと握り締めた。
すっかり人気の無くなった村の中心部。聳え立つ神殿内に、シドは足を踏み入れた。
「ソラ、魔法はあとどれくらい持つ?」
「こんな大規模なのは初めてだし、そんなに持たないと思うよ。長くて十分」
「短くて?」
「二分かな」
「……自分の力量くらい、把握しておけ」
シドはぼやくように言うと、セイレーン像の影にある扉に手を伸ばし、取っ手を捻った。
ゴゥン……。
一度はシドの手に火傷を負わせた扉だったが、今度は重々しい音を立てて、彼をその内側へと迎え入れた。そこには地下へと向かう長い下り坂と、あまりにも早い分岐路があった。地下は迷路になっているようだ。シドはポケットから顔を出している僕を見下ろした。
「魔力を辿れば、俺が幻石のところに行くのは簡単だ。しかしテオドールとエレニを追うことはできない。いいな、ソラ」
「……わかってる。心配しなくても、わざと魔法を解いたりしないから」
「それならいい」
シドは無造作に頷き、迷わず右の道を選んだ。白い石でできた通路は無機質なようにも思えたが、壁面に埋め込まれた宝玉の静かな輝きが、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。辺りは薄暗かったが、視界が閉ざされるほどでもない。ちょうど満月の夜のようだった。
「ねぇ、陽の光も炎も無いのに、どうして明るいの?」
「ヒカリゴケだ。石の継ぎ目をよく見てみろ。薄青色の苔が生えてる。綺麗な海の周辺に生息する植物で、白く発光する性質を持っているんだ。普通は滅多に生えないけどな」
「へぇ~」
僕は壁に近付いてヒカリゴケを観察しようとしたが、その前にシドが言った。
「時間が無い。ソラ、落ちるなよ?」
「へっ?」
僕がシドの言葉の意図を飲み込む暇も無いまま、彼の関節が奇妙な方向にひしゃげ、伸びたり縮んだりして、皮膚が滑らかな雪色の毛に覆い尽くされた。すらりと伸びた四足に、白いたてがみと尾。蹄が石の床を高らかに打ち鳴らし、彼の着ていた服が消えたことで宙に放り出された僕は、慌てて彼の尾に掴まった。
「馬になるなら、なるって言ってよ!」
白馬の姿に変化するなり、猛スピードで石の迷路を駆けて行くシド。
「ってゆーか、僕を人間の姿にして、普通に乗せてくれたっていいじゃない!」
勢い良く靡く尾に必死でしがみ付きながら、僕は叫んだ。シドはしれっとした様子で答える。
「必要性を感じない」
「掴まってる僕の身にもなって! このままじゃ腕が千切れちゃうっ!」
「知ったことじゃない」
「鬼っ! シドの悪魔っ! どんなに格好良い白馬だって、馬糞はでっかいんだぞっ!」
我ながら意味不明なことを喚き立ててみたが、シドは僕のことなどまるで無視して走り続ける。そんなにも幻石が欲しいのか。――いや、そんなにも死が待ち遠しいのか。そう思うと少し切なくもなったが、シドがそんな様子だったから、きっと今の僕の状況には気付いていないのだろう。
「待って! シドったら! 僕落ちてる! 落とし物ですよーっ!」
僕の手はとっくにシドの尾から離れており、慌てて羽を震わせて後を追いかけるも、彼の姿はどんどん小さくなるばかり。僕の叫び声は、蹄の音に全て掻き消されたようだった。
薄暗い迷路の中にポツリと取り残された僕は、シドを追うのを諦めて地団太を踏んだ。
「シドの馬鹿! 絶対いつか仕返ししてやる!」
とは言え、魔力を追うこともできなければ、元来た道を覚えているはずもない僕ができることと言えば、全てを運に任せて彷徨ってみるか、ここでシドを待つかのどちらかである。
僕が選んだのは、もちろん後者。どうせ、シドは帰りにまたここを通るに違いないのだ。
しかしそう決めてから十秒も経たないうちに、僕の目の前を白い花を握り締めたテオドールが駆けて行ったのだった。




