トパーズの友達 7-1
* * *
宴の用意に忙しい人々が訪れるはずもない、静まり返った細い路地裏。
シドは間もなく人の姿に戻ったが、痛みのせいかすこぶる機嫌が悪かった。
「がふっ、ごほっ……あのクソガキ、人の内臓掻き回しやがって」
喉に溜まっていたらしい血を吐き出しながら、シドが呻く。蟻に化けてここまで来たのが精一杯だったようで、地面に倒れたまま、苦しそうな呼吸を繰り返している。
「シド、大丈夫?」
「そう見えるか?」
シドは血を吐きながら、凶暴な眼で僕を睨む。
「大丈夫には見えないけど……シド、ちょっとやりすぎだよ。エルヴィン、物凄く怖がってたじゃないか」
するとシドは「ふん」と鼻を鳴らした。
「あのガキ、将来大物だ」
「……どういうこと?」
「そんなことより、幻石はあるか?」
シドは僕の問いを無視して、別の質問を投げかけてきた。僕がシドの血塗れの胸ポケットを覗き込むと、そこには黄色い輝きがあった。
「大丈夫、ちゃんとあるよ」
「そうか……」
シドは長く息を吐き、気怠そうに目を閉じた。
「これで元の世界に戻れなかったら、後はわからん……」
呟き、彼はそれきり気を失ってしまった。よほどの痛みと疲労だったのだろう。
「不死身だからって、ホント無茶するんだから」
僕は溜め息をついて、シドが目覚めるまで、彼のポケットで待つことにした。
「あ……れ?」
すると、不意に急速な眠気が襲ってきた。抗うことなどまるでできそうにない。僕はあっと言う間に、眠りの世界へ引き込まれてしまった。
…………。
「もしもし、起きてください」
そんな声で僕は目を覚まし、僕はシドのポケットの中から這い出した。
「!?」
見回してみると、辺りは本がぎっしり詰まった本棚だらけだった。見覚えのあるこの風景は、間違い無く賢者の書庫の一室だ。シドは木製の机の上で、開きっ放しの本を枕にして寝入っている。彼の腰にはコーヒーと交換した大振りのナイフは無く、最初にブラックプリンに溶かされてしまったナイフが収まっていた。血塗れだった服も、すっかり綺麗になっている。しかしシドのポケットに幻石がある以上、夢オチでは無いらしい。
「……何だかなぁ」
幻石は、それ一つでは力を発揮しない。そんな定義を疑いたくなる。
「起きてください」
そして居眠りしているシドを、ヒューゼノーツが――いや、ヒューゼノーツによく似た男が軽く揺さぶっていた。ヒューゼノーツによく似た、というのは、彼が僕の知っているヒューゼノーツより、十五、六歳老けていたからだ。ほろ苦いコーヒーの香りが、ほんのりと漂ってくる。
「う……ん」
シドが小さく呻き、ゆっくりと身を起こす。僕と同じように辺りを見回して、困惑した様子で眉を寄せた。
「困りますよ、本は丁寧に扱ってもらわないと。ここにある本は、どれも貴重なものなんですから」
「……ヒューゼノーツ?」
シドはいまいち状況を把握しきれていない様子で、男の顔を見つめて呟いた。
「どうして……私の名前を?」
怪訝そうに、男が首を傾げる。しかし、すぐに納得したように自分の胸元へと視線を送った。そこには、賢者の書庫の職員が付けているネームプレートが留められていた。
「居眠りは構いませんが、読まない本は綺麗に閉じて、くれぐれも枕にはしないでくださいね。……これ、よかったら使ってください」
悪戯っぽくそう言うと、ヒューゼノーツは黄色い布のしおりを差し出した。布には、目隠しをした騎士が、同じく目隠しをした天使に、優しい抱擁を受けている絵が印刷されていた。
「妻が趣味で作った物なんですが、意外と好評で。ここへ来た方に、無料で配布しているんです。タイトルは、〝路見えずとも愛は傍らに〟。――なんて、そういうのはタイプじゃないですかね」
男はそう言って笑ったが、シドはしおりの絵をじっと見つめながら尋ねた。
「この絵、誰かモデルでもいるのか?」
するとヒューゼノーツは少し驚いたような顔をした後、照れ笑いを浮かべながら恥ずかしそうに頬をかいた。
「実は、娘なんです。騎士の方は、婿養子で。……あ、でも、別に騎士なんて立派な身分の方と結婚したわけじゃないですよ。実際は、傷だらけで荒野にぶっ倒れていた、どこの馬の骨とも知れないような奴です」
「……別に聞いてない」
「あはは」
ヒューゼノーツは笑って、「それじゃぁ」と小さく会釈して、その場を去ろうとした。シドは胸ポケットの中をチラリと見遣ると、ヒューゼノーツに視線を戻した。
「待て」
シドの呼びかけに、部屋を出て行こうとしていた彼は素直に振り返った。シドは黙って本を閉じると、それをヒューゼノーツに差し出す。本の表紙には黄色い宝石も付いていなければ、それが付いていた形跡も無かった。
「戻しておいてくれないか」
「えっ?」
「この本」
「でも、まだ途中でしょう?」
「もう読んだ」
「そうですか。……わかりました」
ヒューゼノーツは頷くと、シドのところへ戻ってきて、彼の差し出した本を受け取った。
シドは立ち上がり、部屋の出入り口へ向かった。
「あっ、待ってよ!」
僕は慌ててシドの後を追いかけ、彼の肩に降り立つ。
「エルザの町を滅ぼしたのは、本当は僕なんですよ。親友のジルを傷付けられたことで我を忘れて――。ジルはセラとエルヴィンの為に、全ての罪を被ったんです」
不意にそんな言葉を投げかけられて、シドは足を止めて振り返った。愕然と目を見開く僕に対し、シドは表情を変えないままだ。
「……何か、言ったか?」
ヒューゼノーツはニッコリと笑い、首を横に振った。
「いいえ、何も」
「そうか」
シドは興味無さそうに頷いて、踵を返した。部屋に残されたヒューゼノーツは、シドの背を見送りもせずに、手元の本を見つめていた。
「え……?」
僕が思わず声を漏らしたのは、どこか懐かしそうで、少し哀しそうな顔をしているヒューゼノーツの姿が――薄っすらと透けていくように見えたから。
それは見間違いだったのか、それとも本当に、消えてしまったのか。
確かめたかったけれど、確かめて、僕は一体どうするのだろうとも思った。ヒューゼノーツが消えていても、そうじゃなくても、僕はシドと一緒に幻石を探す旅をする。それは変わらない。
「……。よっ、と」
シドの胸ポケットの中で、先刻の居眠りの続きをすることに決定。僕は幻石の抱き枕にしがみつき、フワフワ揺れるポケットの中、ゆっくりと目を閉じた。
Fin.




