トパーズの友達 6-5
「おまえ達の好きにはさせん!」
「黙れ、クズ」
シドは声を荒げるでもなく、冷酷に言い放った。
「おまえ達だと? 人間の小娘如きと俺を同列に扱うなんて、いい度胸じゃないか。おまえの度胸に敬意を表して、まずは貴様から殺してやろう」
シドは嫌味ったらしくそう言って、鋭い爪にペロリと舌を這わせた。トンと地を蹴って男に飛びかかったシドは、男に向けて腕を振り下ろした。パッと血の華が咲き、男はガクンと膝を折る。シドが男の胸を抉ったのだ。……見た目は派手だが傷は浅いようで、男はどちらかというと激痛と出血のためではなく、傷を受けた衝撃のために膝をついただけのようだった。
「おまえ達人間は、俺の玩具以外の何物でもない。赤眼だろうと青眼だろうと――ただ泣き叫び、喘ぎ苦しんで俺を楽しませろ」
シドは残虐性に満ち溢れた双眸で男を見下ろしたが、次の瞬間彼の前で両手を広げたのは、エルヴィンだった。
「っ!?」
さすがに驚いたようで、シドはエルヴィンを見下ろしたまま動きを止めていた。エルヴィンは歯をガチガチと鳴らしながらも、シドを見上げた。
「わ、私が死んだら、みんなは殺さないでくれますか?」
「何?」
「私、毎日お母さんの美味しいご飯を食べているから、きっと、とっても美味しいと思うの。それに、ほら、子どもだから筋張ってもいないし、お肉も柔らかい! 悪魔さんの体の大きさなら、私を丸ごと綺麗に食べれば、きっとお腹一杯になるよ。……だからみんなのことは、こ、殺さないでください」
エルヴィンが両手を広げている後ろで、彼女に石を投げた男は、大きく目を見開く。しかし一方で、シドはクスッと残酷に笑った。
「悪いが、それは聞けない頼みだな」
シドはゆっくりと焦らすように、エルヴィンの細い首に右手を添えた。
「お願い、私だけにしてください」
「エルザの町の話は知っているな? 俺は、別に空腹でここへ来たわけじゃない」
「嫌……ぁ」
エルヴィンの双眸から、大粒の涙が零れ出す。シドはベルが現れることを期待して行動しているのだろうが、そろそろ引っ張るのも限界だ。というかこの調子では、エルヴィンの心的外傷が心配である。
僕がシドの後ろでハラハラしていた時、鋭い一閃がシドに襲いかかった。
「娘に触るな!」
剣の主はヒューゼノーツ。しかしシドは余裕の表情で笑う。
「ははっ、必死だな」
ヒューゼノーツの攻撃をかわしながら、シドはヒューゼノーツにエルヴィンを投げ付けた。小さな体は、悲鳴と共に容易く宙を舞った。
「きゃぁぁっ!」
「エルヴィン!」
剣を放り捨てたヒューゼノーツの両腕が、慌てたようにエルヴィンを抱き止める。
「エルヴィン、無事か!?」
「お父さん!」
強く娘を抱き締めるヒューゼノーツと、泣きながら父親にしがみ付くエルヴィン。すると刹那に、その二人の影から電光石火のような閃きが飛び出してきた。
「ベル!?」
その閃きの正体に気付き、僕が叫んだ刹那に、ドンッと鈍い音がした。見ればシドの背から、血濡れた刃が突出している。シドは本気で避けられなかったらしく、驚いたように目を見開いていた。シドの懐では、彼にピッタリと身を寄せたベルが、剣の柄を握り締めている。
「速いじゃないか……ガキのくせに芸が立つ」
そう言って、シドは苦痛に顔を歪めた。肺をやられたのか、ヒューヒューと喘ぐような呼吸音が彼の口から漏れている。
「消えろ、悪魔」
言うなり、ベルはシドの胸に突き刺した剣を、捻りながら引き抜いた。シドの体を構成する組織が乱暴に引き千切られて、シドの胸から、背から、口から、大量の血が溢れ出す。
「っ!」
ガクガクと痙攣しながら地面に倒れたシドに、僕は息を呑んだ。シドが死なないのは確かだが、これほどの傷を受けた痛みは、想像を絶するものであるに違いない。まさかベルがここまで容赦無い攻撃を仕掛けてくるとは、シドだって思いもしなかっただろう。
「…………」
やがてシドは地面に倒れ伏したまま、ピクリとも動かなくなった。ベルの燃えるような眼が、じっとシドを見下ろしている。
「ベルさん……」
「大丈夫ですか、ヒューゼノーツさん」
シドの血を全身に浴びたベルが、ヒューゼノーツを振り返り、尋ねる。ヒューゼノーツに抱かれているエルヴィンに、ベルは申し訳無さそうに言った。
「ごめんね、エルヴィン。遅くなってしまって」
「平気よ、ベルお兄ちゃん」
そんな彼らの会話をかき消すように、周囲から大きな歓声が上がった。
そう。こうして、今度こそ世界は平和になるのだ。
――なることを、願っている。
シドの死体は間もなく消えて、後には血の跡と、歓喜に酔いしれている人々に踏まれるのを恐れるように、のろのろと路地裏へ入っていく小さな蟻の姿だけがあった。




