アクアマリンの孤独 2-1
「魔力の出元は、恐らくあの神殿だ」
翌朝、シドはそう言って神殿へ向かった。
朝も早い時間だったので、出歩いている人はそれほど多くなかった。ただ彼らはシドが道を横切っていくと、みんながみんな、揃って深々と頭を下げた。その度にシドは居心地悪そうに顔をしかめていたのだが、シドの足が神殿に向いていると察した者は一層期待のこもった眼差しを向けてきて、彼の眉間の皺はますます深くなっていった。
「さっきから随分と居心地悪そうだね。どうして?」
からかい半分で、俺はポケットの中から尋ねてみた。
「何がだ」
「この国がどうなろうと知ったことじゃない。――なんて言ってた割に、心苦しそうな顔してる」
「…………」
「救世主になれるといいね、どうせ目的を果たすなら」
揶揄した言葉に、返事は無かった。代わりに別の声が聞こえた。
「これはシド様。私達の神殿にいらしてくださったのですね」
声の主はエレニだった。シドは彼が苦手のようで、若干嫌そうな顔をしながら口を開いた。
「旅をしてきた中でも特別立派な建物だったから、是非近くで拝見したいと思って」
心にも無いことを言う。バレバレに違いないのに、エレニは小さな笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。もしよろしければ、中もご覧になっては如何ですか?」
「いいのか? ――それなら、是非」
今度の「是非」は、本音そのままだろう。「こちらです」と先頭に立ったエレニに続いて、シドは荘厳な神殿の中に入っていった。
神殿の中は円形状の広間になっていて、壁際のところどころに美しい女性の像があった。吹き抜けの天井は広々として落ち着いた雰囲気を演出し、高い位置にある窓から差し込む光が、どれか一つの女性像を、必ず照らし出す仕組みになっていた。
エレニはシドがひとしきり神殿内を見回すのを待ってから、口を開いた。
「これらは全て、我らが海の女神セイレーン様の像です」
「海の女神……。空の神の姿は無いのだな」
そう言ったシドに、エレニは苦笑を浮かべた。
「セイレーン様は大変暖かく私達を見守ってくださいますが、恋愛に関しては大変嫉妬深く、彼女の夫である空の神の名を、私達が呼ぶことすら許していないのです。しかしそれは彼女が夫を愛する所以であり、私達はセイレーン様に祈ることで、その願いを空の神にもお伝え頂くのです。土地が乾けば雨を呼ん
で頂き、嵐が続けば海を沈めて頂くよう祈ります」
「……像がたくさんあるのはなぜだ?」
「セイレーン様は、水面に反射した陽の光の煌めきの下で歌うと云われています。ですから、彼女の愛する陽光が少しでも彼女のもとへ届くようにと。しばらく天気が続いていることですし、運が良ければ、旅人様もセイレーン様の歌声を聞くことができるかもしれません」
シドの問いに対して、エレニは穏やかな口調で丁寧に答えてくれた。無遠慮なシドの質問攻めは続く。
「海の女神の歌? ここに聞こえるのか?」
「いいえ、残念ながら私も聴いたことがないのです。大変美しい調べだそうですよ」
「そうか……聴いてみたいな」
シドは呟くように言うと、セイレーン像をじっと見つめた。
「巫女はなぜ呪われたんだ?」
その問いにエレニは一瞬だけ口ごもったが、やはり神官らしく、模範的に答えた。
「先代の巫女は、今の巫女を身籠ってすぐに夫を失いました。確かなことは存じ上げませんが、どうやら夫を失った寂しさのあまり空の神に想いを寄せ、セイレーン様の怒りを買ったようです。そうして、産まれてきた巫女に呪いがかかりました」
「どんな呪いなんだ?」
「太陽の下に出られぬのです。地上に出れば、たちまち体が焼けてしまう」
「体が焼ける……」
シドは呟くと、エレニの方は一切見ないで、最後の質問を投げかけた。
「もう少し、見ていっても?」
シドの申し出に、エレニはニッコリと微笑んで頷いた。
「えぇ、もちろんです。ですが私は仕事がありますので、これで失礼致します。ゆっくりなさっていってくださいね」
「……ありがとう」
シドは申し訳程度に言って、エレニがその場を去るまで、黙ってセイレーン像を眺めていた。エレニの気配がすっかりなくなってから、僕は尋ねた。
「この国を包んでいるのは、セイレーンの力なのかな?」
「おまえな……。人間になりたいなら、宗教についてもっと勉強したらどうだ」
小馬鹿にしたように鼻を鳴らしたシドは、もう一度セイレーン像を見上げた。




