トパーズの友達 4-1
* * *
突然出発すると言い出したシドに、ヒューゼノーツとセラフローラは、少なからず驚いた様子を見せた。
「えっ、今夜ですか? ベルさんも?」
「あぁ。迷惑もかけたようだしな」
「そうですか。……残念です。もっと色々なお話を聞けたらと思っていたのですが」
「期待に添えず、申し訳ない」
夕飯は、小麦粉をまぶしてバターで焼いた魚料理で、やはり絶品。それを頬張りながら、エルヴィンはシドに、旅の話をせがんだ。
「同じだ、昨夜ソラが話したことと」
「同じでも、シドお兄ちゃんがどんな風に感じたのか、お話して欲しいの」
「は?」
「だって、全然似てないんだもん。お兄ちゃん達。ソラお兄ちゃんが綺麗って言ってたところでも、シドお兄ちゃんはそう思わないような気がする」
その言葉に、僕は思わず感心してしまった。視界こそ閉ざされているが、エルヴィンは人をよく見ている。そして、シドの醸し出す孤高のオーラにも、まるで怯まない。
シドはしばらく黙っていたが、やがて諦めたように息を吐いた。
「俺の一番好きな場所のことだ。――陽光が水面に反射して、至高の宝石を鏤めたように輝く。透き通った蒼は、見る者の肉体の有無など関係無しに、吸い込まれそうなほど深い色をしている。そこへ続く白砂の手触りは、滑らかな絹よりも心地良い。潮騒は遠く近く鳴り響き、世界の終わりが始まった場所へ、いつか自分も帰るのかと不思議な気分になる」
「……海?」
「あぁ」
頷いたシドに、エルヴィンは少し考えるような様子で、黙りこんだ。
「シド、もうちょっとわかりやすくできないの? っていうか、〝世界の終わりが始まった場所〟って何」
僕が言うと、エルヴィンは首を横に振った。
「大丈夫、分かるよ。シドお兄ちゃんは、海が大好きなんだね」
「あぁ。生まれ故郷が島なんだ。今はもう海の底だが」
「え?」
「地殻変動で、島が丸ごと沈んだ。俺は無事だったが……家族は津波に呑まれてそれっきりだ。妹は……エルヴィンにそっくりだ」
「妹!? シド、妹なんていたの!?」
思わず僕が素っ頓狂な声を出すと、シドは「兄が二人と妹が一人だ」と、意外な家族構成を明かしてくれた。そうか……通りでエルヴィンに優しいわけだ。
「さて……。ソラ、ベル、食べ終わったなら、そろそろ行くぞ。ただでさえ日暮れの後だ。遅くなると野営の準備が面倒だ」
「えっ、あ……うん、分かった」
急ではあるが、シドの言うことも尤もだ。僕とベルは頷き、立ち上がって、ヒューゼノーツ達に礼を述べた。
「また機会があれば、是非立ち寄ってください。いつでも歓迎します」
ヒューゼノーツはニッコリ笑ってそう言ったが、その顔は何となく引き攣っていて、セラフローラに至っては、不安気な顔をしていた。気になったけれど、シドが何も言わないので、気付かないフリをしておいた。
するとヒューゼノーツは一瞬躊躇うような様子を見せた後、ベルに尋ねた。
「あの、ベルさん……黒い山に行くというのは、本当ですか?」
「えっ?」
ベルは微かに目を見開き、それから、困ったように笑った。
「そんな大それたこと――」
「伝承は気にしなくていい。教えてください、ベルさん。黒い山へ行くんですね?」
誤魔化そうとしたベルに、ヒューゼノーツは畳みかけるように言う。ベルは彼を見つめ、やがて小さく頷いた。
「はい。行きます」
「目的は?」
「……悪魔を倒す。そのために、俺は旅をしてきました」
その言葉に、ヒューゼノーツとセラフローラは互いの視線を合わせた。頷き合い、今度はセラフローラが口を開いた。
「ベルさん、悪いことは言いません。黒い山へ行くのはおやめください。貴方がどんなに命がけで悪魔を倒しても、世界は――」
「世界は変わらない。それはつまり、仮に魔物がこの世から消えても、赤眼が人々に受け入れられることは無いということ。だけど、俺の夢なんです。魔物のいない世界。……蔑まれ逃げ回ることしかできない運命なら、消えてしまえと言われるこの命で、何か自分にできることはないかと考えて、思い付いたんです」
「だけど、黒い山に踏み入れば災いが――」
「起こりません。旅の道中で調べました。黒い山に入った旅人は数多く、踏み入れば災いが降りかかるという話が出てきたのは、エルザの町が滅んでからです。エルザがどうして滅んだのかは分からないけれど――俺は、みんなに迷惑をかける気は無いんだ。俺の存在のために、苦しむ人がいるのはとても悲しい。俺は、笑っているのが好きだ」
ベルはニッコリと微笑み、セラフローラは、戸惑うように彼を見つめた。ヒューゼノーツは、かき抱くように、ベルの体を抱き締めた。
「っ?」
ベルは驚いた様子で目を見開き、間近にあるヒューゼノーツの横顔を凝視する。シドは無言で、エルヴィンの頭をそっと撫でた。
ヒューゼノーツは言う。
「また、いつでもいらしてください。お待ちしています」
言い聞かせるような口調だった。ベルは穏やかな表情で、そっと目を閉じる。
「ありがとう、感謝しています」
はにかんだようにそう言ったベルは、嬉しそうだった。
その一方で僕は、口の中でヒューゼノーツ達の言葉を繰り返した。
「世界は……変わらない?」




