トパーズの友達 3-7
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俺は階段を下り、ふと耳に届いた話し声に、足を止めた。
「ねぇヒューズ。ベルさんの傷、大丈夫かしら」
「大丈夫とは思うが、楽観的でいられるほど浅い傷でもなかった。もしかしたら熱が出るかもしれないな」
「そうよね……どうしましょう」
漂ってくるのは、魚を焼く香ばしい匂い。俺はじっと、耳を澄ませた。
「ねぇ、しばらく私達の家で匿えないかしら? 道中で倒れたら、彼は頼る人がいないもの」
「あぁ……」
セラフローラの提案に、ヒューゼノーツは言葉を濁らせる。俺は壁に背を預け、思わず口元を歪めた。いくら彼に信条があるとはいえ、大切な娘を守らなければならないという思いも強いに違いない。やはり今夜中にベルを連れてこの家を出るのが正解だろう。
そう思って足を動かしかけた時、ヒューゼノーツが再び口を開いた。
「ベルさんは、黒い山へ向かうそうだ」
「え?」
「彼は、一人で魔物の襲撃を掻い潜り、自分を殺そうとする連中を欺き、この町までやってきた。弓も剣も使いこまれている。相当な腕なんだろう」
「それじゃ……」
「同じだ、あの時と」
ヒューゼノーツの言葉に、俺は歪めた口元を引き締め、目を細めた。
「駄目よ、あそこにはジルウィードが!」
セラフローラの取り乱した声。それを諌めるヒューゼノーツの声。
「セラ、大きな声を出すな。外に聞こえたらどうする」
「でもっ! あぁ、そんな――ねぇ、ベルさんを止めないと。この町の人達は、きっとエルザの人々と同じことを繰り返してしまう。悪魔を倒せば魔物はいなくなる――魔物がいなくなれば赤眼を受け入れてもらえる――それが幻想に過ぎないことを一番知っているのは、私達なのよ!?」
ようやく、合点がいった。この町では希少なはずのコーヒー、ヒューゼノーツの料理は野宿の食事のようだと笑ったセラフローラ、それに、エルヴィンの存在――。
ベルと同じような境遇にあったのが、恐らくエルヴィンの父親で、ヒューゼノーツの友人であり、セラフローラの恋人――ジルウィードなのだ。彼らは悪魔を倒すことで世界は変わると信じて、かつて旅をしていたのだろう。
俺は息を潜めて階段を下り、そっとリビングを覗いた。セラフローラの細い体を抱き締め、ヒューゼノーツが肩を震わせている。
「セラ……ジルウィードは全てを捨てて俺達を守ってくれたのに、俺は夜に見る夢の後、目覚めて胸が潰れそうになる。夢の中であいつはちゃんと傍にいるのに、君とエルヴィンの隣に、俺は自分を並べているんだ。俺も所詮は偽善者だ。君とエルヴィンさえいれば、ジルウィードやベルさんが死ぬことになっても、仕方ないとさえ思えてしまう」
「ヒューズ……」
「セラ、すまない……ベルさんに全てを話すなんてできないよ。もしエルヴィンに何かあったらと思うと、恐ろしくて堪らない」
「わかってる……。だってエルヴィンには、例えあの子が自分の生まれ持った姿を欺かなくてはならないとしても、この町で過ごす美しい未来があるんだもの。ヒューズ――私だって、貴方とエルヴィンが一番大切なの」
「セラ……」
彼らは旅の果てに悪魔を倒したが、赤眼のジルウィードに対する人々の目は、変わらなかった。エルヴィンの父親は死んだと言っていたが、彼は生きて黒い山にいる。
ヒューゼノーツ達がジルウィードとの関係をどうやって欺いたのかは分からないが、いずれにしても、〝黒い山に踏み入ると悪魔の怒りを買う。エルザの町はそのせいで滅んだ。〟という設定は、人々の目からジルウィードの存在を隠すために、ヒューゼノーツとセラフローラが広めたのだろう。かつての自分達のような、悪魔を倒すと言って黒い山に向かう者を、町の人々が止めてくれるように。
しかし、それなら最初からエルヴィンが赤眼であることを明かさなければいいものを。
俺は黙って階段のところまで戻ると、そのまま音を立てないように、二階へ上った。
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シドが部屋に戻ってきた時、ベルはすっかりエルヴィンのお気に入り――つまり、「お兄ちゃん」になっていた。
「あ、シド。お帰り。話してきた?」
「いや」
「えっ、じゃぁ、何しに行ったの?」
尋ねると、シドはベッドに身を投げ出し、寝転がって目を閉じた。
「二人の世界だ」
「あぁ、入る余地無しってヤツか」
僕は寄り添う二人の様子を思い出し、クスクスと笑う。
「あ、そうだ。ベルがね、食糧とか水とか、少し分けて欲しいって。いいよね?」
尋ねると、シドは面倒臭そうに応じた。
「寝る。勝手にやってろ」
「えっ、ちょっとシド!?」
彼は寝返りをうってこちらに背を向けると、すぐに寝息を立て始めた。僕とベルは顔を見合わせ、互いに肩を竦めた。




