トパーズの友達 1-1
――僕達は今、何やら凶暴な生物に襲撃されている。
「シド!? 何なのこいつら!」
彼らの突然の襲撃に逃げ損ねた僕は、シドの胸ポケットの縁にしっかりと掴まりながら、声を張り上げた。
「俺が知るか」
シドを襲っている謎の生物。狼にも似ているのだが、赤い毛はともかく、尻尾の先が燃えている狼なんて見たことも聞いたこともない。奴らは五匹でシドを取り囲み、彼を骨までしゃぶり尽くすべく、獰猛な顔で牙を剥いている。
ただ、当のシドはというと、飛びかかってくるそいつらを、身を反らしたり屈めたりして、涼しい顔で躱している。多分、かれこれ十分以上。一方ポケットの中で激しくシェイクされている僕は、何もしていないのにフラフラだ。
「シド……気分悪くなってきたぁ……」
言うと、シドはなぜか満足そうに頷いた。
「そうか。そこで吐いたら殺すぞ」
言い終わった刹那にシドの足が振り上がり、狼の顎に大ヒット。甲高い悲鳴を上げて狼が吹っ飛び、他の四匹も警戒する様子を見せたが、目にも留まらぬ速さでシドの足技が炸裂し、その警戒は無駄に終わった。
シドは彼らの命を奪う気は無いようで、フラフラと立ち上がった狼達を、冷たい眼でじっと睨み付けた。ここまでやられて、尚もシドに牙を剥くような大馬鹿はいないだろう。
「キャウンキャウンッ!」
「さすが!」
尻尾を巻いて逃げていく狼達を見送って、僕は大きく息をついた。ムカムカする胸をさすりながら、シドを見上げる。
「最後の蹴り、本当に凄かったね。超かっこよかった! ……あんなことできるのに、何で避けてばかりですぐに倒さなかったの?」
すると、シドはいけしゃぁしゃぁとこう言った。
「少しは静かになるだろうと思ってな」
「何が?」
「おまえ以外にいると思うのか?」
シドは、そんなことも分からないのか、という顔で僕を見下ろした。
「なっ……じゃぁ、僕を酔わせるために!?」
胸ポケットから身を乗り出すと、シドは面倒臭そうに溜め息をついた。
「……効果は薄いか」
そんなシドに、僕は、べぇっと舌を出す。彼の手がポケットに伸びてきたので、僕はそれに捕まる前に、ヒラリとポケットから飛び出した。
「あぐっ!?」
しかし、僕が彼の手の届かないところへ到達する前に、僕は呆気なく捕まってしまった。
「ちょっと! 腕がもげちゃうっ!」
シドの指に右腕を摘まれて、僕はジタバタと暴れた。しかし彼は問答無用で、僕を手の中に握り込む。真っ暗で息苦しい上に、彼の手は先刻古書を触ったばかりだから、ちょっとカビ臭い。
「シドー! 苦しいよっ!」
訴えても、見事に無視された。しかし次の瞬間、シドの手は小さな呟きと共に、思わず、といった様子で緩められた。僕はゴソゴソと身動ぎして、顔を出す。
「これは……!?」
森を抜けた先にあったのは、様々な草花が揺れる爽やかな緑の草原。三日前にも見た景色だが、そこには重大な変化が起こっていた。
「村が無い……」
そう。シドが立っているこの場所から北に真っ直ぐ目視の距離には、三日前まで村があったのだ。
「道でも間違えた?」
シドの手に握られたまま、僕は尋ねた。シドはまた僕を無視した。
「もしかして、これって本を盗んだ罰じゃない?」
今、シドの荷物の中には賢者の書庫の本が入っている。古今東西あらゆる書物が揃う巨大な図書館――から、貸出してもらったのではなく、盗難した本が。
そもそも賢者の書庫にある本は、閲覧こそ許可されているが、書庫から持ち出すことは禁じられている。もっと言えば、それぞれの本が保存してある部屋から持ち出すことさえ許されていないのだ。部屋の出入り口や廊下には屈強な警備員達が待機していて、全ての荷物を預けた後、指定の服に着替えた後に彼らのボディチェックを受けなければならないという徹底ぶり。
そんな場所から、シドがどうやって本を盗み出したのかと言えば、簡単なこと。文字通りの魔法を使ったのだ。
シドの手の中で本は小さなボタンに変わり、彼はそれを口に含んで悠々と書庫から脱出。万全の警備体制の中から、見事に本を盗み出したのである。
ところがそんな彼を待っていたのは、あったはずの村が消えているというビックリ現象だった。……経過を振り返ってみても、やはり理解不能な展開だ。
「シド、いい加減に離してよぉ」
シドの手の中でモゾモゾしていると、彼は舌打ち混じりに僕を解放し、荷物から一冊の本を取り出した。賢者の書庫から盗んできた物だ。
「こいつのせいなのか……?」
薄っすらとしたカビでくすんだ、赤い布張りの本。タイトルは「悪魔の僕」。「僕」をボクと読むかシモベと読むかによって意味は変わってくるが、そんなことはどうでもいい。大切なのはその下――本の下寄り中央に嵌め込まれている、黄色い透明な宝石だ。シドのお目当ては、これ。
十二個揃うと願いが叶うという幻石の一つ、トパーズ。これ一つでも強大な魔力を持ち、シドはその魔力を頼りにしながら、世界中を旅して回っている。
しばらく辺りをフラフラとさまよった後、シドは地図を眺めながら溜め息をついた。
「駄目だな……地形が完全に変わってる」
シドはそう言って、地図を荷物の中へ突っ込んだ。
そしてそのまま後ろを振り向いて、面倒臭そうな溜め息をもう一つ。
「何なんだ、あの不思議生物は……」
シドの視線の先で蠢いている、黒いヘドロの塊のようなもの。不思議生物だなんて、自分も他のことを言えた義理では無いだろうに、シドはそいつに対してそんな感想を漏らした。シドの腰ほどの高さもあるその塊は、何らかの感覚器を表面に持つわけでもなく、這うような動きで、ズルズルとこちらへ近付いてくる。




