アメジストの雨恋 4-4
「ソラ、行くぞ」
「……二人は?」
「置いて行く」
「そんな――」
「ここで眠りたいと言っていたんだ。無理矢理連れて行く必要も無いだろう」
ピィィィイイイイイッ!
シドは早くしろと言わんばかりに、鋭い声で甲高く啼いた。僕は慌てて彼の羽毛を握り、首元にしがみ付いた。
雨の中、シドは空を切り裂くように翼を広げ、天と地の狭間を飛んだ。谷を抜けてしばらく進むと、土を積んだ小さな山がいくつも並んでいるのが見えてきた。シドはゆっくりとそこに降り立ち、人の姿に戻った。
「ねぇ、これって……?」
立ち並ぶ小さな山。前列中央の山には枯れた木材で十字架が作ってあり、僕はそれが墓だということに気付いた。よく見れば、十字架には銀のアミュレットがかけられている。アミュレットの中には、紫色の宝玉が嵌め込まれていた。これが幻石だとすれば、シドはこの気配を追って来たのだろう。
「村を出て行った戦族達の墓だろうな」
シドは言って、十字架にかけられていた銀のアミュレットに手を伸ばす。十字架から取り外されたそれは、レイの持っていた金のアミュレットと似たような形状をしていて、複雑な装飾
が施されていた。
「盾の神の証……これで幻石が揃ったな」
シドの手の中で、銀のアミュレットはじっと雨に打たれている。
「何で盾の神のアミュレットがここに? っていうか、何で最初に見つけた時に取らなかったの?」
「……さぁな」
シドはアミュレットを組み合わせてガチャガチャと弄りながら肩を竦めた。しばらくするとカチッと音がしてフレームが外れ、半分に割れた紫色の宝玉が、それぞれシドの掌の上に転がった。不思議なことに、宝玉は外に出たのに、アミュレットは一つに噛み合ったまま外れなかった。
その時、僕は空っぽのアミュレットの中に、折り畳まれた白い紙が張り付いていることに気付いた。
「シド、そのアミュレット、まだ中に何か入ってるよ」
「ん?」
シドはアミュレットの中を覗き、そこに指を突っ込んだ。折り畳まれた状態で取り出されたそれには、紙面一杯に整然と文字が綴られていた。広げてみると、紙の端がギザギザになって
いた。何かから破り取ったような跡だった。
「もしかしてこれって伝承の続きなんじゃ……――って」
ポツッ。
しかし僕が紙面に綴られた文字に目を通す前に、雨に濡れたそれは読めなくなってしまった、
「ふん」
シドは鼻を鳴らすと、濡れてすっかり読めなくなってしまった紙面を、丸めて捨てた。
舞族達は戦族の出て行った理由を知らず、本当に彼らに憤慨していたのかもしれないし、もしかしたら出て行った理由を知っていて、なぜそんな選択をしたのかと、嘆いていたのかもしれない。もちろん……その、どちらでもないのかもしれない。
けれど――少なくとも舞族の長は、きっと戦族の末路を知っていたのだ。だから、ここに墓とアミュレットがある。戦族に自分達のアミュレットを捧げることで、死を選んだ彼らに何かを伝えようとしたのだろうか。
「それじゃ何も変わらないのに……」
小さく呟いた僕を一瞥し、シドは一つになった空っぽのアミュレットを十字架にかけ直した。雨に濡れるのも構わず、荷物を開けて中身の残ったワインボトルを取り出す。無造作に十字
架の脇に置いて、彼は踵を返した。
そしてなぜか、おもむろに僕に手を翳す。
バシィッ!
「ほえっ!?」
体に衝撃が走り、僕の身体を少し生温い雨が濡らし始める。冷たく軽やかに全身を叩いてくる雨の感触は、何となく心地良かった。雨に濡れたのなんて、いつ以来だろうか。
「えっ、えぇっ? 何で、どうしたの!? どういう風の吹き回し!?」
「また落ちられても困るからな」
「へ?」
僕が首を傾げると、シドは僕に荷物を押し付けた。それから自分自身に変化魔法をかけ、すらりとした体躯の、白い毛並みの馬に化けた。轡は無いが、鞍や鐙はちゃんと着いている。
そういえば、いつぞや妖精の姿のままで馬になったシドにしがみついていたら、見事に振り落とされたっけ。
「…………」
それにしても、黒馬とか茶馬とか、もう少し控えめな変化ができないものだろうか。
「乗れ、さっさと次に行くぞ」
「うん」
僕は雨で滑らないように気を付けながら、シドの背中によじ登った。
「でも、珍しいねぇ。いつも徒歩なのに」
「……雨は嫌いなんだよ」
「嘘ばっかり。『反吐が出る』んでしょ?」
言うと、シドが何の予告も無しに走り出した。危うく振り落とされそうになり、僕は慌ててしがみつく。
「シド! 危ないじゃないか!」
「知るか」
雨の荒野は、まだまだ終わりそうに無い。すると、ふと、雨の音に混じって、村の方から複数の音が聞こえてきた。
鈴と、笛と、弦と、鼓。いくつもの音色が重なり合っていたが、奏でられている曲は、僕達が最初に聞いた、雨の奏ではない。
「そういえばシド、さっきの幻石の名前、何て言うの?」
「アメジスト」
「へぇ、この村じゃぁ、まるで駄洒落みたいだね」
「……。基本的に馬鹿なんだな、おまえは」
「馬鹿ってなんだよ! シドなんて、たった今! 文字通りに馬じゃないか!」
降りしきる雨の中を走りながら、シドはそれきり、僕の言葉を全て無視した。
来た道を振り返ると、小さな山が並ぶ前に、一つの人影があった。それは、酒場で僕に村の伝承を教えてくれた、バルドだった。彼は雨に濡れる薄桃色の花を握って僕達の方をじっと見つめていたが、やがて粗末な十字架の前に膝を付いた。
舞族の長はバルドだったのだろうか。しかし、なるほど。シドが最初にアミュレットを取らなかったのは、剣の神のアミュレットを手に入れた後の去り際でないと、僕達が墓からアミュレットを盗んだと疑われかねないからか。今なら、知れたところで問題は無い。
谷の小さな横穴で、ジュヴィアスはもう動かない二人を見つけただろうか。
「何だか今回、溜め息ばかりついていた気がするよ」
僕はそう呟いて溜め息をついたが、シドは無言だった。
この地に雨が降るのは、やはりこれきりだろうか。
……もちろん僕には、それを知る由も無い。




