アメジストの雨恋 4-2
広場を抜け、民家の立ち並ぶ通りを過ぎる。相変わらず人気が無いのは、恐らくこの辺りが戦族の住居だったからなのだろう。
シドはひたすら道なりに歩き、枯れた葡萄畑を越えて、村を出た。途中、僕はシドに右手を翳されて妖精の姿に戻り、濡れたポケットに放り込まれた。
それから更にしばらく歩いたところで、ふとシドの足が止まった。
……笛の音が聞こえる。
特定の音だけで綴られる、ひどく単純な旋律。けれどそれは雨の雫を裂くように、哀しく響いている。
「これは……」
僕がポケットから顔を出すと、シドの正面には松葉杖と小さな荷物が転がっており、その先の地面が途切れて、谷になっていた。この地を訪れた時に上空から見ても気付かなかったくらいだから、それほど大きくもない。だが、深さは十分だった。底には川があったのかもしれないが、今は乾いた土の上を雨が叩くばかりである。谷の壁面は切り立っていたが、地層が段になっていた。難しそうではあるがうまく辿っていけば、下に降りることができそうだ。
「この音、どこから聞こえてるの?」
するとシドは谷を見下ろし、言った。
「下だな」
言うと、彼は変化魔法を発動させ、鋭い眼をした白い鳥に姿を変えた。翼には蒼い模様があり、それを見る限りでは鷹にも似た姿だが、白い鷹なんて見たことが無い。
「行くの?」
尋ねると、彼は返事の代わりに崖下へと身を躍らせた。翼を広げ、降りしきる雨の中を雄大に飛翔する。普段は二足歩行しているくせに、僕より飛ぶのが上手かった。彼の後を追って、僕も羽を震わせる。
シドが降り立ったのは、崖のちょうど中ほど。少し広くなっている足場の上に降り立ち、彼は人の姿に戻った。そこにはまるで洞窟のような横穴が空いていて、僕達のいる足場から横穴の中へと、血を引き摺ったような跡が続いていた。雨に流されていないところを見ると、それはまだ新しいもののようだ。笛
の音は、横穴の奥から響いていた。
血の跡を辿り、シドは横穴の内部へと足を踏み入れる。大して深くも無い横穴の奥には、シルフィを膝の上に抱き、片手だけで笛を奏でているレイの姿があった。彼はシドが入って来たのに気付き、笛を口元から離した。
ただ、レイの右肩から肘にかけては血塗れで、地面に投げ出された右手の指は、正しい方向を向いていなかった。彼の頭からはダラダラと血が流れて、顔の右半分を真っ赤に染め上げている。顔色はすこぶる悪く、死相すら浮かんでいるように思えた。
「レイ!」
シドは彼に駆け寄って手を伸ばしたが、レイは自分に触れようとしたシドの手を、やんわりと払い除けた。一方、レイの膝の上で目を閉じているシルフィは、全身に傷を負い、ぐったりとしたままピクリとも動かなかった。両手の腕輪の鈴は外れたり砕けたりして、左腕はおかしな方向に曲がっている。右の側頭部からこめかみにかけて、大きな傷が入っていた。
「……シルフィ!?」
僕は堪らず、ポケットから飛び出した。シルフィの頬に手を伸ばしたが、その頬に温もりは無かった。
「レイ、彼女は……?」
尋ねたシドに、レイは低い声で答えた。
「死んだよ」
「……え?」
「どうして彼女が死ぬんだ……神が求めていたのは俺の命だろう? それとも、これは神を欺いた罰なのか?」
今にも消えてしまいそうな声だった。シドは流れ続けるレイの血をチラリと見遣って、僅かに唇を噛んだ。
「一体、何があった?」
「落ちたんだ。突然降り出した雨のせいで、足を滑らせたんだろう」
「落ちた? ……この崖を?」
「あぁ。見つけてすぐに降りてきたが、片足じゃ無理があったな。俺もこのザマだし、彼女は手遅れだった」
レイは言って、静かに肩を震わせる。
「彼女は、なぜここへ?」
しかし、レイはシドの問いには答えなかった。
「……。雨が降らなくなったのは、俺が足を失って、しばらくしてからだ」
代わりに返ってきた言葉に、シドは訝しげに眉間の皺を深めた。
「言っただろ。思い当たらないことが無いわけじゃない、と」
レイの唇が、微かな弧を描く。そこに浮かぶのは、悲しげな自嘲だ。




