アメジストの雨恋 3-4
僕は扉の影に身を潜め、シドが帰って来るなり、彼の顔面めがけて回し蹴りを――しかけて、やめた。
「シド、どうしたの!? ……ひどい顔」
「別に」
「や、やっぱり変だ。何で殴らないの」
「殴られたいのか?」
「い、いえ。そんなことは決してありません」
僕は両手を上げ、ブンブン首を振る。
「あ、いや、ひどい顔って、別にシドのルックスどうこうじゃなくて。ちょっと、顔色悪いから」
ベッドに身を投げ出したシドの左腕は、まだ生乾きの血でひどく汚れていた。一体何をしてきたのだろう。
「妖精との接触、上手くいったようだな」
「え? あ、うん。思った通り向こうから声をかけてきたよ。ただ、姿が見えたのは僕だけだったんだ。追放されていないなら、シルフィにも見えるはずなんだけど――」
「おまえに魔法をかけた時、俺の魔力を余分に加えてやった。だから罪人の呪いの力を突破できたんだんだ」
「そうなの? ……じゃ、やっぱりあいつは僕と同じく追放された妖精なんだね。でも、僕が人間じゃないって分かったのは何でだろう?」
「おまえと違って相手の魔力を感じ取れるんじゃないか?」
シドは呆れたようにそう言うと、両手を枕に寝転がって、天井を仰いだ。
「報告の詳細は必要無い。全部見せてもらった。……レイと一緒にな」
「うぇぇっ!?」
シドの言葉に、思わず間抜け極まりない反応をしてしまう。
「レ、レイと一緒にって! それマズいんじゃない!?」
「おまえが迂闊なんだ。馬鹿」
ストレートに暴言を吐かれるが、まさにその通りとしか言い様が無いので、僕はしゅんとして身を竦める。
「まぁいい。おかげで剣の神のアミュレットが手に入ったし、レイとの話もついた。今からする話をよく聞け。失敗したら握り潰すからな」
シドはゆっくりとベッドから身を起こし、僕はゴクリと唾を呑む。
しかしながら、シドの言葉は僕の予想の範疇を遥かに超えていた。
「無理っ、絶対無理だから!」
「やれと言ったら、やれ。俺一人では成し得ない」
「僕にシドの命令聞く義務は無いよ!」
「命令じゃない。これは脅迫だ。やれ、さもないと握り潰す」
「ひどいよ! シドの鬼っ! 悪魔っ!」
偉そうな態度でベッドに腰かけているシドの前でギャンギャン喚き立てながら、僕は全身全霊でシドに「不可」を訴える。しかし、彼はまるで聞く耳を持ってくれなかった。
〝レイに化けたシドの心臓を抉り出せ〟――それが、シドが僕に要求している行為である。できるはずがない。
「っていうか! その辺の木でも何でもいいから、レイの死体に変えて転がしておけばいいじゃない!」
「生物を無生物に変えることは造作無いが、無生物を生きているように動かすことはできない」
「死体っぽく転がしておけば絶対バレないって! 大体、ワインを水に変えるほどの魔法の腕を持ってて、死体を再現できないわけないじゃん! ……とにかく、僕がシドの心臓抉り出すなんて絶対できません! 無理!」
「何度も言わせるな。さもないと、俺の代わりにおまえをレイに変えて殺すぞ」
鬼のようなことを言いながら、シドは鞘に収まったナイフを僕に見せた。
「これを使うといい。切れ味は保障する」
「そんな保障されても、できないってばぁ……大体、何でそんなことするの?」
「剣の神のアミュレットと交換条件だ」
「幻石の片方、手に入れたの!? ん、いや、でも、え、待って。シドが干渉しないと妖精の雨の魔法も意味ないじゃないか。シドがここからいなくなったら、この土地はまた――」
「……俺はもう寝る」
素っ頓狂な声を上げた僕のことは、完全に無視。勝手に話を切り上げて、すっかり寝る体勢に入ってしまったシド。一体どういう流れでアミュレットを手に入れたのかは分からないが――取り残された僕は、不安だらけの溜め息をついた。




