アメジストの雨恋 3-3
レイは俺の手を取り、そこにアミュレットを乗せた。
「おまえの役に立つ物かは分からないけど、これはもうおまえのものだ。おまえとあの少年がいなければ、俺の命で雨が降ることなど、知る由も無かった」
「……雨が降る保障は無い」
「構わない。少しでも可能性があるのなら」
俺が眉間に皺を寄せていると、レイは「頭の固い男だな」と小さく笑い、松葉杖を突いて、俺に背を向けた。片足で歩き出した彼の背からは、何やら決意のようなものが漂っていた。
が、それがどうにも胸糞悪い。
「おい」
俺は彼の背に呼びかけた。
「先刻までの言葉に偽りは無いな? ならば死を選ぶ必要は無い。おまえは、誰にも気付かれないように村を出る。それだけでいい」
「いや、俺は――……えっ!?」
振り返ったレイの顔といったら、鳩が豆鉄砲を食らったかのようだった。
それもそのはず。俺は変化魔法を自分にかけて、レイと全く変わらぬ姿になっていたのだから。
「どうしても血を捧げたいなら、俺がその血をぶちまけてやろう。心配しなくても、おまえが神だと思っているアメフラシの目を欺くことくらい、俺には容易いことだ」
「でも……」
「――おまえは肝が据わっているようだから、喧しく叫ぶ心配もあるまい」
俺は左の服の袖を捲り、レイに警戒されないよう、ゆっくりとナイフを取り出した。月光に晒された左腕の上に、右手でナイフを振り翳す。
「おいっ、何をする気だ!?」
すぐに驚愕から立ち直ったらしいレイが、慌てたような声を上げる。目の前の人間が、突然自分と同じ姿になったというだけでも悲鳴を上げて逃げ出すに相応しい出来事であろうに、面白い男だ。
「よせっ!」
レイの制止の声と共に、俺は左腕に銀の刃を突き立てた。
「ぐっぅ……」
刃物に刺された血肉が、確かな痛みを脳天へと伝えてくる。俺は更にナイフの柄を回転させて、腕から肉塊を抉り出した。
「何してるんだ!? やめろ!」
松葉杖を突いて駆け寄ってくる彼に、俺は自分の腕の肉が刺さったナイフを、ずいっと突き付けてやった。息を呑み、動きを止めた彼の前に、ボタボタと血が流れ落ちる左腕を掲げる。
「黙って見ていろ」
「……っ!?」
目を見開いているレイの前で、流れ落ちる血は止まり、傷は静かに塞がっていった。ただでさえ見開かれているレイの目がますます大きくなる。
「どういうことだ!? おまえは……一体何者なんだ」
「何者。それは俺も知りたいところだ」
俺は口の端を上げ、ナイフの先端に刺さっている肉を払い落とした。
「再生にかかる時間は、傷の深さや部位にも関わってくる。心臓でも抉り出せば、おまえが死んだことになってから雨が降るまで、十分な時間は稼げるだろう。おまえはこの地から去り、新しい生き方を探すといい」
「……。おまえが何者であれ、気持ちは嬉しい。だが、俺は戦族として――」
「この地に住まう全ての者は、アメフラシの為に命を捨てる運命に生まれていないはずだ。他者に必要とされるのは、その身に流れる血では無い。そこに宿っている魂――おまえ自身のはずだ。ここでおまえが死ぬことに、ほんの僅かの価値も無い」
自分と同じ顔に説教されるのは、どんな気分なのだろう。固まっているレイの顔に、俺は思わず笑いそうになった。
やがて、彼は呟くように言った。
「……――。貴方は神なのか?」
「そう見えるか?」
「…………」
沈黙したレイに、俺は背を向けた。
「とはいえ、必ず雨が降る保障は無い。だが、この茶番を持って尚も雨が降らないのなら、おまえには、また新たな選択肢が生まれるだろう。俺にできるのはそこまでだ。これの代償は、それで勘弁してくれ」
彼に渡されたアミュレットを軽く振り、俺は変化魔法を解いて元の姿に戻った。
「夜明けまでに荷物を纏めて、村から出て行くといい。夜が明けた時、広場にあるのは『レイ』の死体だ。……じゃぁな」
そう言って、俺はその場を立ち去った。
さっさとソラを迎えに行こう。
今頃、一人でむくれているに違いない。報告に戻ってきたら、また俺がいないものだから。
「…………」
それにしても、心臓か。再生までの時間を考えると適切な部位ではあるが……。
「痛いだろうな」
思わず、溜め息が漏れた。
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