アメジストの雨恋 2-3
悪戯っぽい響きを持った、知らない声。ご丁寧なことに、僕の台詞を半ばから奪っている。驚いて振り返るが、そこには誰もいなかった。
「誰!?」
声を張り上げてみるも、反応は無い。シルフィが不思議そうな顔で僕の服を引っ張り、「どうしたの?」と言わんばかりに首を傾げた。
空耳だったのだろうか。
「あ……いや、何でも無いよ。気にしないで」
僕は言って、シルフィに笑顔を見せる。
「あ、そうだ。こーんな目をした白髪の男、この辺で見なかった? 悪人系仏頂面がトレードマークなんだけど」
僕は両手で自分の目尻を吊り上げてキュッと唇を引き結び、シドの顔真似をしてみた。
「!」
すると、なぜかシルフィに笑われた。声こそ出ないが、息を小刻みに吐き出して、お腹を押さえて笑っている。
「えっ、ちょっ、本当にこんな顔してるんだってば! そんなに爆笑することないじゃない!」
僕は憤慨しながら、両眼から手を放す。シルフィは、「ごめんなさい、あんまり面白い顔だったから」と、すらすらと地面に綴った。その下に、文字が続く。
「一緒に旅をしてる人?」
「うん、そう。でも僕がうっかり寝坊して、置いて行かれちゃったんだ。ひどいよね」
この手の言い訳は慣れたものだ。そして大抵、僕には人畜無害、シドには鬼畜のレッテルが付く。
「少し前に会った。まだ村にいると思う」
「本当? まぁ、さすがに村を発ったってことは無いだろうし、もう少し探してみるよ」
するとシルフィはニッコリ微笑んで頷いた。
「じゃぁ、またね、シルフィ」
僕はシルフィに手を振り、閑散とした村を再び歩き始めた。
「もー、シドってば、本当にどこ行ったんだよ――って」
見れば、前方の木にハンモックをかけて、気持ち良さそうに昼寝をしているシドがいた。あぁ、あのハンモックの両端を、鋏でちょん切ってやりたい。
「シド! 人に仕事させておいて、一人で寝てるなんてずるいじゃないか!」
ハンモックの両端をちょん切ると殺されそうなので、眠っているシドにボディプレスを仕掛けた。
「ぐはっ!?」
しかし、シドが器用にハンモックの上を転がって地面に降り立った為に、僕は見事にハンモックに引っ掛かってしまった。
「ふん」
シドが涼しい顔をして、鼻で笑ってくる。伸びてきた手が、僕からワインボトルを奪った。
彼は手近の小石を拾うと、あろうことかそれに変化魔法をかけて、コルク抜きに変えてしまった。ワインを開ける為に魔法を使うなんて、何て贅沢なんだろう。
「何するの?」
尋ねると、シドは荷物の中からカップを取り出した。
「魔法で成分を分離させて、水を作る」
「そんなことできるの?」
「ここに含まれている水にだけ、魔法をかけなければいい。簡単なことだ」
「でも……何かよくわかんないけど、色々結合してたりするんでしょ?」
「そうだな。まぁ、ワインをそのまま水にしてもいいが、魔法が解けた途端に酔っ払ったら話しにならない。蒸留するのも面倒だからな」
サラっと言うが、並大抵のことではない。物質を丸ごと別の物質に変えるのとは、全くわけが違うのだ。
シドはカップの上方に手を翳すと、ゆっくりとワインを注ぎ始めた。
「嘘っ!?」
すると、どうだろう。カップには透明な液体が並々と注がれて、丸い粒状のものがいくつかカップの底に沈んだ。シドはカップをもう一つ取り出して、溜まった水をそちらに移し、沈んでいた丸い粒を地面に捨てた。
「これ、水なの?」
「あぁ」
シドはまだ中身の残っているワインボトルに栓をすると、カップの中身をいくらか飲んで、唇にペロリと舌を這わせた。
「飲んで確かめろ」
彼は僕にカップを押し付けると、空のカップとワインボトルを荷物の中にしまって、ハンモックを片付け始めた。カップの水とシドの顔を見比べて、思わず小さく笑う。
恐らく、これは僕に気を遣ってくれたのだろう。僕はアルコールに弱いのだ。
「シドの愛情はわかりにくいよ」
「酔ったおまえは超絶級に見苦しい。それだけだ」
ニヤニヤしていた僕にピシャリとそれだけ言って、シドは畳んだハンモックを鞄に突っ込んだ。
「えぇ? 僕、シドの前でお酒飲んだことなんてあった?」
「……いや、いい」
首を傾げると、珍しくシドが顔を引き攣らせて首を横に振った。前に何かあっただろうか。……全く覚えていない。
「それより、情報は?」
「あぁ、うん。え~っとね」
僕は酒場で聞いてきたことをシドに伝え、「それから」と付け加えた。
「僕の気のせいかもしれないんだけど、変な声がしたんだ」
「声?」
「『ねぇ、君、僕の声が聞こえる?』って」
「それで?」
「わかんない。それきりだよ」
「そうか」
シドは顎に手を当て、何かを思案するように目を細めた。ただ、僕には悪巧みしているようにしか見えなかった。




