アクアマリンの孤独 1-1
――僕達は今、包囲されている。
「何なの、これ」
「俺に聞くな」
そっとシドに耳打ちすると、不機嫌そうな声が返ってきた。
僕達の周りを取り囲んでいる人々は、互いに顔を見合わせてはヒソヒソと何かを言い交わし、そのヒソヒソ話が終わると、今度は希望の光でも見つけたかのような眼でシドを見つめる。彼らの頬はなぜか紅潮していて、シドは居心地悪そうに、若干後ろに身を引いていた。
今回彼がやってきたのは、吸い込まれそうな青空と深い海に囲まれた、神秘的な水の国。石造りの家々は空と海の青を背景に白く輝き、その町並みも、石壁に施されている彫刻も、何もかもが荘厳で美しい。特に目を引くのが高い崖の上に建てられた神殿で、そこからは国中の全てを見渡すことができそうだった。
シドがここに足を踏み入れた時、最初に声を上げたのは、十五、六歳くらいの、茶髪の少年だった。
「きゅ、救世主様だ!」
「はぁ?」
そんな少年の発言にシドが首を傾げた三十秒後には、今の状況である。老若男女を問わず、実に様々な人々が、興奮した様子で僕達を取り囲んでいる。聞こえてくるのは、最初に少年が口にした「救世主様」という夢見がちな単語ばかりだ。
「参ったな……」
シドが困惑顔で眉を寄せていると、ざわめきながらゆっくりと割れた人垣の向こうから、白い僧服を纏った男が現れた。金髪碧眼で穏やかな顔立ちをしており、悪党面のシドの前で、品の良さそうな雰囲気が一層際立っていた。
「私達の国へようこそ、旅のお方。私はこの国の神官を務めております、エレニと申します。せっかくいらして頂いたというのに、このような御無礼をどうかお許しください。我ら一同、貴方様の御来訪を心より歓迎致します」
仰々しい物言いでエレニと名乗った男は、そう言ってシドに深々と頭を下げた。
「おい……その、救世主とは何なんだ?」
対して、シドは見た目通りの無礼者である。だがそんな彼の態度にも嫌な顔一つせず、エレニは「実は」と切り出した。
「この国には、古くからの言い伝えがあるのです。『祈り子の魂が水底に沈む時、哀しみの咎を知る白銀の龍が姿を現し、白き救世主となる』と。――今、この国には伝承通りの事態が起こっています。伝承に従うのなら、貴方は我らの救世主と成り得るお方なのです」
エレニの言葉と周囲の期待の目に、シドは小さく、溜め息を吐く。
「まさか髪が白いから俺が龍だなんて、くだらないことを言うんじゃないだろうな?」
「龍は万能にして気高き空の神。旅人様のそれは、まさにその姿に相応しく思います」
「あのな、仮に龍がいたとしてもだ。わざわざ人間に化けて人里を訪れるなんて、そんなことあると思うのか?」
「いいえ、旅人様。どうかお聞きください。空と海に囲まれているこの国は、空の神と海の神、それぞれの恩恵を受けて成り立っています。そして神の与えたもう恩恵に対し、代々の巫女が祈りを捧げているのです。しかし巫女の身にかけられた呪いの為に、この国は力の均衡を崩しています。このままでは、この国は滅びてしまうでしょう」
……呪い。
その単語が出た瞬間、シドは僅かに目を細めた。しかしすぐに素っ気無い様子で、首を横に振った。
「呪いだか何だか知らないが、俺にどうしろと言うんだ。この髪だって、昔は黒かった」
冷たいシドの物言いに人々はざわめき、その顔にはっきりと落胆の色を浮かべた。シドは鬱陶しそうに肩を竦めた。
しかし意外にもエレニは「そうでしたか」とあっさり引き下がり、穏やかに微笑んだ。
「驚かせて申し訳ありませんでした、旅人様。どうか私達の国で、心行くまでお寛ぎください」
そんなエレニに対して、シドはぶっきらぼうに応じた。
「そりゃぁ、どうも。……宿屋はあるのか?」
その問いに、エレニは辺りにいた人々の中から、最初にシドのことを「救世主様」と呼んだ茶髪の少年を指名した。
「テオドール、旅人様をご案内しなさい」
「はい、エレニ様」
テオドールと呼ばれた茶髪の少年は、ニッコリと笑って頷くと、シドの前に進み出た。
「私はテオドールと申します。旅人様、こちらへどうぞ」
せっかく愛らしい笑みを向けてもらっているというのに、シドは無言でニコリもしない。少年の後について、人々の集まるその場を後にした。




