アメジストの雨恋 2-1
息苦しさを含んだような、淀んだ熱気。
男達と何人かの女達が、ジョッキを煽りながら脈絡の無い会話を交わす。彼らの様子を見る限り、そこからは何の生産性も感じられない。全員、ただの飲んだくれだった。
「あの~」
僕は取り敢えず、近くにいた中年の男に声をかけてみた。机に突っ伏していた彼は気怠そうに顔を上げ、恐らく見知らぬ僕に少し驚いたのだろう。僅かに片眉を上げた。
「何だ、あんた」
すっかり酔いの回った赤い顔をして、男は言った。
「旅の者です。いゃぁ、びっくりしました。村に人の姿が無かったから。皆さんこちらにいらしたんですね」
アルコール臭にえづきそうになるのを我慢して、僕はできるだけ明るい口調を装った。
「旅人がこんなところに何の用だ」
「いや、道すがら村があったから、寄ってみたんです」
言いながら、僕は勝手に彼の近くの椅子に腰掛けた。それについて指摘を受ける前に、すかさず煙草を差し出す。
「吸います? 西の方で手に入れたんです。なかなかですよ」
本当はこの煙草が果たして西の物なのかどうかなど知らないのだが、男は興味を持ったようで、僕の差し出した煙草に手を伸ばした。
笑顔でそれを渡して、彼が火元を探し出す前に、今度はマッチ箱を差し出す。もちろん火を点けてやるまでの義理は無い。
「おぉ、悪いな」
男は煙草を銜えると、マッチでそこに火を点けた。煙を大きく吸い込んで、僅かに目を見開く。
「こりゃぁ美味い」
「でしょ? あぁ、僕、ソラっていいます」
「バルドだ」
これで掴みはオッケーだ。勧めておいて自分が吸わないのも変なので、僕は自分の分の煙草を一本出して、火を点けた。苦い煙を吸い込んで、さも美味そうに吐き出す。しかし、乾いた喉に煙は強烈な刺激を齎し、思わず顔を歪めそうになった。それを、台詞で誤魔化す。
「仕事の後なんて、特に最高。……そういえば、みなさんお仕事は?」
「仕事? ソラさんよ、水も無いのに仕事なんてできると思うのか?」
「じゃぁ、村の近くにあった畑は――」
「あぁ、随分前に枯れた。泉も、井戸も、水の一滴すら出やしない」
「それは……お気の毒に」
言うと、バルドは肩を竦めた。
「そういえば広場で見かけたんですけど、シルフィって子の踊りは見事ですね。思わず見惚れてしまいました」
「そりゃぁそうさ。シルフィは舞族一の踊り手だからな。だが……あいつ、まだ舞ってやがるのか」
「と言うと?」
「あの舞は、雨の奏っていうんだ。昔から、雨雲を呼ぶと云われてる。まぁ、雨が降る気配なんて微塵も無いけどな」
「雨の奏……」
僕は口の中でバルドの言葉を反芻してから、尋ねた。
「あの、舞族って何ですか?」
「以前この村には、戦族と舞族、二つの種族がいたんだ。昔、戦いに長けた剣の神がこの地に住まう女神の舞う姿に心を奪われて、剣の神と彼の率いる者達が、この地の者達と共に過ごすようになったのが始まりだそうだ。女神はやがて盾の神と呼ばれるようになり、剣の神の力を受け継いだ者を戦族、盾の神の力を受け継いだ者を舞族とした」
「剣の神と盾の神ですか……」
「そうだ。戦いに秀でた戦族は狩りをし、村を守るのが仕事。舞族は農耕を営み、災害が起これば天に舞いを捧げて鎮めるのが仕事だったんだ」
「でも、種族同士が交わることもあったんでしょう?」
「あぁ。種族の壁を超える時は、どちらかが生まれながらの血を捨てるんだ。舞族が狩りを覚えるのも、戦族が舞を覚えるのも、並大抵のことではないけどな。――まぁ、滅多に無かったよ。そもそも性が合わないんだ。この地に留まった剣の神の恋も、永遠に叶うことは無かったと伝えられている。盾の神は、剣の神がこの地に住まうことこそ許したが、剣の神が戦いを捨てないことと、彼が心震わす舞を紡げないことを理由に、その最期まで、剣の神と交わろうとはしなかったそうだ」
酔っている割に、バルドの話す調子は、意外としっかりしていた。もしかしたら幾度と無く、こうやって旅人に語ってきたのかもしれない。
「それで、どうなったんですか?」
僕は続きを促した。すると、バルドは手にした酒を一気に煽った。
「どうもこうもないさ。以前は互いの収穫を分け合って、俺達は上手くやってたんだ。だが、水場が干上がって獲物がとれなくなったってんで、しばらくは無条件で俺達の食糧を提供してたんだが……まぁ、そう長くは保たなかった」
戦族はすることが無い毎日を過ごすうちに、舞族の仕事にあれこれ口を挟んで来るようになったそうだ。そうしている間も雨が降ることは無く、徐々に舞族の蓄えの量も減って行った。そして結局、戦族が村を出て行く形になったらしい。
「……そうだったんですか」
「まぁ、俺は奴らのこと、嫌いじゃなかったんだけどな」
バルドが呟いた時、彼の後ろから、彼の肩に太い腕が回された。




