アクアマリンの孤独 3-2
――――
気付くと、後方からの喚き声は消えていた。しがみ付くのに必死で喋ることに疲れたのだろうと思っていたが、どうやらそれは間違いのようだった。
「……ソラ?」
迷路を抜けた先にあったのは、細やかな彫刻の施された蒼い石の扉だった。俺は足を止めてソラに呼びかけてみたが、返事は無かった。
何だか嫌な予感がして、俺はすぐに魔法を解き、人の姿に戻った。辺りを見回してみたが、いつも俺の視界をチョロチョロしている小さな少年の姿は見当たらない。どうやら馬に変化した俺に掴まっていることができず、どこかに落ちてしまったようだ。
……まぁ、いい。ソラも馬鹿ではないから、落ちたその場を動かずに待っているだろう。
それよりソラの遅延魔法が解けて津波が襲ってくる前に、幻石を手に入れてここを脱出しなければならない。
石の扉の奥に耳を澄ませてみたが、何も聞こえなかった。ただ、強力な魔力を持つ何かがこの先にあることだけはわかる。
俺は扉に手をかけ、薄っすらと隙間を開けて中を覗いた。
「これは……」
そこは、まさに水の神殿だった。ドーム状の高い天井と、部屋の奥に滔々と水を湛えている青い泉。水面には白い花がいくつか浮かんでおり、部屋の上部から、さらさらと水が注いでいる。テオドールの流した花は、恐らくここに辿り着いていたのだろう。
泉の中央には非常に簡素な石碑が建てられており、そこへ続く細い石の通路が、水面に儚げに伸びている。その通路を渡った石碑の前に、彼女はいた。
病弱なまでに白い肌と、腰に届く長い金髪。哀しげな色を含んだ碧眼に、折れそうな細い体。
彼女は白い指を翼のように折り畳み、祈っていた。その手の中から、魔力は溢れ出している。恐らくそこに、幻石があるのだろう。
「キュテリア、答えてください」
俺の場所からは見えない位置から、エレニの声がした。どうやら石碑の前で祈っている少女は、キュテリアという名前らしい。
「あの突然の津波は……――貴女は一体、何を祈っているのですか?」
震える声で尋ねたエレニに返されたのは、少女の小さな笑い声だった。彼女は祈るのを止めて、優しく微笑んだ。
「滅ぼすのよ、エレニ」
「え……?」
「呪われた巫女と呼ばれて地下に隔離され、見たこともない国の平穏を祈り続ける。海を鎮めろ、空を鎮めろ! 本の中の空も、絵画の中の海も、もうたくさんよ」
キュテリアは強い口調で捲し立てたが、その激しさとは反対に、儚げな表情をしていた。
「だから祈ったの。いつものように守護石を握り締めて、津波を呼んだのよ。この神殿は、私と一緒に海に沈むの! 生まれ変わって、今度こそ私、太陽の下を駆けるわ。セイレーンも空の神も神殿も無い世界で!」
「キュテリア……貴女が辛い思いをしているのは、私も心苦しいのです。ですが、奇跡を呼ぶ守護石が不当な輩に渡らぬように守護石を守り、神に祈ることが私達の務め。運命なのです」
守護石。それがこの国での幻石の呼び名なのだろう。信じ難い話ではあるが、あの津波は幻石が引き起こしたらしい。
「見たこともない世界の、見たこともない人々の平穏を、なぜ私が守らなければならないの? 彼らは私を呪われた巫女と呼ぶのに! 私がどれだけ辛かったか、エレニにわかる!?」
キュテリアは悲鳴のように叫んだ。だがその横顔には、涙の一粒すら零れない。
彼女の言葉に対してエレニは口を閉ざし、しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。
「そうですか……」
やがて沈黙を破ったのは、エレニだった。
「けれどこんなことをしたら、来世の貴女も、きっと幸せにはなれませんよ」
「それでも。こんな生活にはもう堪えられない。ずっとこの場所に閉じ込められて、太陽の光を浴びることすら許されないな
んて」
キュテリアがそう言った直後、風切り音と共に、何か細い物が彼女の胸を貫いた。
「っ!?」
思わず目を見開いた俺の前で、少女は胸に銀色の矢を打ち立て、天を仰ぐように倒れた。
「キュテリア……次に行き着く場所が、せめてセイレーンの目の届く場所でないことを祈ります。それは神官として、願ってはならないことなのかもしれませんが」
エレニの呟く声が聞こえて、白い弓を手にした彼の姿が、細い通路の上に現れた。彼は静かにキュテリアに近付くと、倒れている彼女の傍らに片膝を付いた。そして次に彼が立ち上がった時、その手には直径三センチメートル程の大きさの青い宝石が収まっていた。




