10 友の正体
「まったく」
聞き慣れた声と溜息に、眼を開いた。石の壁に囲まれた部屋にいて、寝台に寝かされている。修道院の房のような、そんなところ。
「もうちょっと、巧くやれなかったんですか?」
「無茶言うな」
起き上がろうとして呻いた。全身が悲鳴をあげている。けれど手当がされている。手首には包帯があり、枷も鎖もついてない。
「あとちょっと遅かったら、ほんとに目玉焼かれてましたよ」
「助かった。恩に着るよ」
「あんたに死なれたくないんです」
「それより、どうやって」
寝台の横にいるのは、間違いなくランベルトだ。おれの目玉を救ったのは、間違いなくこの旧友だ。だが、どうやって入れたんだ?
「『あなたの口を割らせてみせる』」
ランベルトは声を落した。
「そう言って、許可を貰った」
「許可?」
「面会の許可」
「ありがたい」
心から、そう思う。誰よりも会いたいのはランベルトのほうだった。こんなみっともない姿、姫には絶対見られたくない。
「フランク」
ランベルトは真剣な声を出した。
「今のは本気だ。あんたの口を割らせてみせる。結婚したと正直に言え」
「言えない。結婚なぞしていない」
「フランク!」
「おれには言えない」
声を落して言いながら、ランベルトの顔を見つめる。おれが喋れば君もあぶない。それはわかっているはずだ。
「この会話は聞かれていない。そこは心配しなくてもいい」
おれは黙って首を振った。用心に越したことはない。
「ぼくのことも心配はしなくていい。結婚の証明書は、安全な場所にある。ぼくが姫から預かった」
ほっと深く息をつく。
「このままでは殺される。あんたに死んで欲しいとは、姫は絶対思わない」
「イェハンは死んでいる」
「は?」
「姫にとって、おれはあいつと同列だ」
「イェハンって誰だっけ?」
「姫のことを庇って責められ、姫のために死んだ男だ」
「それは他にもいっぱいいるんじゃ……」
「おれもそのひとりにすぎない」
「意味がよくわからないけど、あんたは当然『特別』だ。あんたは『夫』なんだから」
「夫じゃない」
「フランク。ぼくに隠しても無駄なことは」
ランベルトは大きな声をあげた。聞き耳など立ててなくても、外まで聞こえそうな大声。
「『夫』じゃない。『コンスマキウム』はしていない」
「は?」
「結婚したあと大喧嘩した。だからまだ何もしてない」
「そんな大嘘、このぼくが信じるとでも!」
「ランベルト」
旧友の顔をじっと見つめる。旧知の男はふたつ仕事を持っている。絵師の仕事ともうひとつ。どちらも腕は悪くない。
「ひとつ思い出したことがある」
「なんだよ、急に」
はっきりと顔が変わった。やっぱりこいつは「有能」だ。そして確かに旧友でもある。
「去年、君は金を受け取っている。善良公から」
ランベルトの顔が引きつる。おれは財務の仕事もしている。
「絵の仕事では、ないだろう?」
「絵の仕事だ」
ぎこちない笑顔で応える。相手がおれでなかったならば、もっと自然に応えたはずだ。
「君がもしも『ただの絵師』なら、なぜ『あそこ』に入れたんだ? なぜあそこでやめさせることができたんだ?」
「そんなの、どうだっていいだろう!」
ランベルトが手を握った。凄い力で握りしめる。
「確かにぼくは『善良公の仕事』もしてる。汚い仕事も確かにやった。だけどこれは信じて欲しい。ぼくはあんたを死なせたくない」
「結婚の手引きをしたのも、善良公の命令か?」
「違う!」
「善良公は伯位が欲しい。けれど無理やり奪いたくない。だから」
「そこはぼくもそうだと思う。だけどそれはどうだっていい。ぼくはあんたを死なせたくない」
「結婚したと言ったところで、おれはどうせ縛り首だ」
「縛り首にはあんたはならない」
「おれを許すはずがない」
「騎士のあんたは、絞首じゃなくて斬首になる」
すっと身が冷たくなった。ヴァンフリートも斬首だった。
「処刑の場所はルッペルモントだ。そこまでもう決まってる。だけど結婚を認めさえすれば、命は許す。公はそうおっしゃった」
「それは、常套手段ってやつだ」
ヴァンフリートだって言われた。素直に喋れば命は助ける。あの男は喋らなかったが、喋ったところで殺されている。白状したあと条件を追加する。そして結局処刑する。そういうものだ。
「あんたは命が惜しくないのか? 結婚はとっくにバレてる」
「密告したのは君なのか?」
「証明書は公に渡した」
「な……」
「そうでもしなきゃ、面会できるわけがない。あんたと姫との結婚は、純粋なる愛の結果だ。善良公に抗うための、同盟じゃない」
絵師ははっきり断言をした。
「『証人』であるぼくはそれを知ってる。だから口を割らせてみせる。そう言いきって面会を許された。あんたの指輪の文字彫りで公はほとんど確信してたし、証明書はホンモノだ。だからもう意味はない。あんたがどんなに意地を張っても、あれだけでもう十分なんだ。だから」
「だからおれは殺される。喋っても、喋らなくても」
「善良公は許すと言われた!」
「善良公は許しても、ヤコバ姫が許さない」
「フランク!」
「ひと月ほど前大ゲンカした。それはほんとだ」
「なんで……」
「姫がおれに求めていたのは、純愛とは別のものだ」
「フランク?」
「結婚証明書は、盗んだのか?」
「違う!」
「おれが捕えられたと聞いて、姫が渡した。そうだろう?」
ランベルトが黙って見つめる。
「姫は焼き捨てずに君に渡し、保管を頼んだ」
「その通りだよ。姫があれをぼくに渡した」
「善良公に届けろとは言ってない」
「言うわけがないだろう! あんたは善良公の寵臣だ。そのあんたが相手とバレたら、あんたは必ず殺される。ぼくだってそう思った」
「おれの命をほんとうに心配するなら、証明書は焼くはずだ。姫はおれなど愛していない。おれはただの」
胤馬だ。ヤコバ姫の最期の望みは、嫡子をあげることだけだ。善良公妃より前に、継承者をつくること。それだけが、唯一の望み。だからおれは胤馬だ。出来ているかもしれない子ども。その子に伯位を継がせるためには、「結婚」してなくてはならない。「証明書」を焼かずにいるのはそのためで、おれへの愛ゆえじゃない。姫はおれなど愛していない。愛しているはずがない。
「フランク」
「だけどおれは愛してる。冷酷な女であっても、本当に魔女であっても、おれの気持ちは変わらない。どうしても、忘れられない」
なのに一度も言えてない。結婚の誓をした時でさえ、からだを交わしたときでさえ。
「秘密にするとおれは誓った。だからおれは喋らない」
旧友をじっと見つめる。こいつはわかってくれている。こいつだけは、わかってくれる。その友が、さらに怖い顔になる。
「逮捕の理由は『結婚』じゃなく、『横領』だ」
「横領?」
「ぼくにくれたあの金は、善良公の財布からか?」
「あの肖像は正式に、善良公の注文だ。『そういうことにした』のではなく、本当にそうだった」
「フランク!」
「『おれの妻』の肖像は、ほかの絵師には頼みたくない。だからこそ、君に頼んだ。けれどおれには払えない。『ホラント女伯の肖像』ならば、おれの財布じゃ払えない」
「嘘を吐くな。フランク・ファン・ボールセレなら、善良公に金をも貸せる! ボールセレの資金力は」
「善良公には既に巨額の貸しがある。ブラバン公領が宙に浮いたままなのも、そのせいだ」
「は?」
「おれの父がブラバン公に貸していた。そして『財務官』の地位を得た。善良公は、ブラバン公にも約束させた。すべての援助の見返りとして、継承権を自分に譲ると」
「意味がよくわからない」
「ブラバン公領を継ぎたければ借金も返済せねばならない。債権者はおれだけじゃない」
「ブラバン公って、金持ちじゃなかったのか?」
「みんなから寄ってたかって、食い物にされていた。そのあげく、殺されたんだとおれは思う」
「フランク」
「ヨハン伯は誰が殺した?」
「知らない」
「『矢毒』は誰が手配したんだ?」
「知らないし、知りたくもない」
「『姫』なんだろう? 君はあの時『違う』と言ったが、あれは君の本心じゃない。友としての言葉ではない」
ランベルトの眼が揺れる。「友情」は嘘ではないから、だからこそ揺れている。
「君はほんとは全て知ってる。実行犯が誰なのか。黒幕が誰なのか。マルグリット・ド・ブルゴーニュをも操っている、本当の黒幕だ」
「知らないし、知りたくもない!」
「君は知ってる」
「さっき言ってた『イェハン』は、本に毒を塗ったやつか?」
「そう」
「あいつは利用されただけだ。『フランクを』ハメるために」
「利用したのは『姫』なんだろう?」
「あんたはほんとにそう思うのか?」
「『姫』はおれを利用している」
「ほんとにそう思うなら、結婚を認めてしまえ」
「ランベルト?」
「毒を使うようなやつなら、名前だけの伯位だってふさわしくない。違うか?」
「それでもおれは姫に誓った。秘密にするとおれは誓った」
「死にたいのか、フランク!」
「喋ったところで殺される」
「認めればあんたは助かる。姫は伯位を失うが、あんたの命は必ず助かる。善良公にとってもあんたは、フランク・ファン・ボールセレは」
「金の話を忘れたのか? 反逆者として処刑すれば、おれの金は公のものだ。借金だって帳消しになる」
「フランク!」
「証明書を渡したんなら、君の命は許してくれる」
ランベルトの手がぶるぶる震える。
「『あんたの』命を許すと言われた。結婚さえ認めるのなら、命は許すとおっしゃった。けれど認めないのなら、あくまでウソをつきとおすなら、あんたの首も落とされる。反逆者の首として、晒されることになる」
「むしろそれこそ望むところだ」
「フランク!」
「秘密にするとおれは誓った。おれは誓いは破らない。おれは裏切りものじゃない。首を棄てても証明してやる」
「姫がそれで喜ぶか?」
「泣いてはくれるかもしれない。姫が泣いてくれるなら、それだけで本望だな」
「あんた、ほんっとうに大馬鹿だな」
「わかってる」
「好きなひとを泣かせて嬉しいなんて、バカというより人非人だ」
「わかってる」
「ぼくのことは心配するな。あんたよりは巧くやる」
「わかってる」
旧友を、じっと見つめる。こいつは巧くやるはずだ。結婚の証人であり、証明書を渡しているのだ。おれが口を割らなくたって、殺されたりはしないだろう。むしろ口を割らないほうがランベルトは安全だ。こいつが属する組織だって、こいつを死なせるはずがない。今までだって、いつも巧くやってきた。いつもおれを助けてくれた。
「君に会えて幸せだった。悔いはない」
ランベルトの眼がはっきり潤んだ。
「馬鹿野郎」
絵師は小さく呟いて、逃げるように出て行った。




