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女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第十一章 我が望みはひとつだけ
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10 友の正体

「まったく」

 聞き慣れた声と溜息に、眼を開いた。石の壁に囲まれた部屋にいて、寝台に寝かされている。修道院の房のような、そんなところ。

「もうちょっと、巧くやれなかったんですか?」

「無茶言うな」

 起き上がろうとして呻いた。全身が悲鳴をあげている。けれど手当がされている。手首には包帯があり、枷も鎖もついてない。

「あとちょっと遅かったら、ほんとに目玉焼かれてましたよ」

「助かった。恩に着るよ」

「あんたに死なれたくないんです」

「それより、どうやって」

 寝台の横にいるのは、間違いなくランベルトだ。おれの目玉を救ったのは、間違いなくこの旧友だ。だが、どうやって入れたんだ?

「『あなたの口を割らせてみせる』」

 ランベルトは声を落した。

「そう言って、許可を貰った」

「許可?」

「面会の許可」

「ありがたい」

 心から、そう思う。誰よりも会いたいのはランベルトのほうだった。こんなみっともない姿、姫には絶対見られたくない。

「フランク」

 ランベルトは真剣な声を出した。

「今のは本気だ。あんたの口を割らせてみせる。結婚したと正直に言え」

「言えない。結婚なぞしていない」

「フランク!」

「おれには言えない」

 声を落して言いながら、ランベルトの顔を見つめる。おれが喋れば君もあぶない。それはわかっているはずだ。

「この会話は聞かれていない。そこは心配しなくてもいい」

 おれは黙って首を振った。用心に越したことはない。

「ぼくのことも心配はしなくていい。結婚の証明書は、安全な場所にある。ぼくが姫から預かった」

 ほっと深く息をつく。

「このままでは殺される。あんたに死んで欲しいとは、姫は絶対思わない」

「イェハンは死んでいる」

「は?」

「姫にとって、おれはあいつと同列だ」

「イェハンって誰だっけ?」

「姫のことを庇って責められ、姫のために死んだ男だ」

「それは他にもいっぱいいるんじゃ……」

「おれもそのひとりにすぎない」

「意味がよくわからないけど、あんたは当然『特別』だ。あんたは『夫』なんだから」

「夫じゃない」

「フランク。ぼくに隠しても無駄なことは」

 ランベルトは大きな声をあげた。聞き耳など立ててなくても、外まで聞こえそうな大声。

「『夫』じゃない。『コンスマキウム』はしていない」

「は?」

「結婚したあと大喧嘩した。だからまだ何もしてない」

「そんな大嘘、このぼくが信じるとでも!」

「ランベルト」

 旧友の顔をじっと見つめる。旧知の男はふたつ仕事を持っている。絵師の仕事ともうひとつ。どちらも腕は悪くない。

「ひとつ思い出したことがある」

「なんだよ、急に」

 はっきりと顔が変わった。やっぱりこいつは「有能」だ。そして確かに旧友でもある。

「去年、君は金を受け取っている。善良公から」

 ランベルトの顔が引きつる。おれは財務の仕事もしている。

「絵の仕事では、ないだろう?」

「絵の仕事だ」

 ぎこちない笑顔で応える。相手がおれでなかったならば、もっと自然に応えたはずだ。

「君がもしも『ただの絵師』なら、なぜ『あそこ』に入れたんだ? なぜあそこでやめさせることができたんだ?」

「そんなの、どうだっていいだろう!」

 ランベルトが手を握った。凄い力で握りしめる。

「確かにぼくは『善良公の仕事』もしてる。汚い仕事も確かにやった。だけどこれは信じて欲しい。ぼくはあんたを死なせたくない」

「結婚の手引きをしたのも、善良公の命令か?」

「違う!」

「善良公は伯位が欲しい。けれど無理やり奪いたくない。だから」

「そこはぼくもそうだと思う。だけどそれはどうだっていい。ぼくはあんたを死なせたくない」

「結婚したと言ったところで、おれはどうせ縛り首だ」

「縛り首にはあんたはならない」

「おれを許すはずがない」

「騎士のあんたは、絞首じゃなくて斬首になる」

 すっと身が冷たくなった。ヴァンフリートも斬首だった。

「処刑の場所はルッペルモントだ。そこまでもう決まってる。だけど結婚を認めさえすれば、命は許す。公はそうおっしゃった」

「それは、常套手段ってやつだ」

 ヴァンフリートだって言われた。素直に喋れば命は助ける。あの男は喋らなかったが、喋ったところで殺されている。白状したあと条件を追加する。そして結局処刑する。そういうものだ。

「あんたは命が惜しくないのか? 結婚はとっくにバレてる」

「密告したのは君なのか?」

「証明書は公に渡した」

「な……」

「そうでもしなきゃ、面会できるわけがない。あんたと姫との結婚は、純粋なる愛の結果だ。善良公に抗うための、同盟じゃない」

 絵師ははっきり断言をした。

「『証人』であるぼくはそれを知ってる。だから口を割らせてみせる。そう言いきって面会を許された。あんたの指輪の文字彫りで公はほとんど確信してたし、証明書はホンモノだ。だからもう意味はない。あんたがどんなに意地を張っても、あれだけでもう十分なんだ。だから」

「だからおれは殺される。喋っても、喋らなくても」

「善良公は許すと言われた!」

「善良公は許しても、ヤコバ姫が許さない」

「フランク!」

「ひと月ほど前大ゲンカした。それはほんとだ」

「なんで……」

「姫がおれに求めていたのは、純愛とは別のものだ」

「フランク?」   

「結婚証明書は、盗んだのか?」

「違う!」

「おれが捕えられたと聞いて、姫が渡した。そうだろう?」

 ランベルトが黙って見つめる。

「姫は焼き捨てずに君に渡し、保管を頼んだ」

「その通りだよ。姫があれをぼくに渡した」

「善良公に届けろとは言ってない」

「言うわけがないだろう! あんたは善良公の寵臣だ。そのあんたが相手とバレたら、あんたは必ず殺される。ぼくだってそう思った」

「おれの命をほんとうに心配するなら、証明書は焼くはずだ。姫はおれなど愛していない。おれはただの」

 胤馬だ。ヤコバ姫の最期の望みは、嫡子をあげることだけだ。善良公妃より前に、継承者をつくること。それだけが、唯一の望み。だからおれは胤馬だ。出来ているかもしれない子ども。その子に伯位を継がせるためには、「結婚」してなくてはならない。「証明書」を焼かずにいるのはそのためで、おれへの愛ゆえじゃない。姫はおれなど愛していない。愛しているはずがない。

「フランク」 

「だけどおれは愛してる。冷酷な女であっても、本当に魔女であっても、おれの気持ちは変わらない。どうしても、忘れられない」

 なのに一度も言えてない。結婚の誓をした時でさえ、からだを交わしたときでさえ。 

「秘密にするとおれは誓った。だからおれは喋らない」

 旧友をじっと見つめる。こいつはわかってくれている。こいつだけは、わかってくれる。その友が、さらに怖い顔になる。

「逮捕の理由は『結婚』じゃなく、『横領』だ」

「横領?」

「ぼくにくれたあの金は、善良公の財布からか?」

「あの肖像は正式に、善良公の注文だ。『そういうことにした』のではなく、本当にそうだった」

「フランク!」

「『おれの妻』の肖像は、ほかの絵師には頼みたくない。だからこそ、君に頼んだ。けれどおれには払えない。『ホラント女伯の肖像』ならば、おれの財布じゃ払えない」

「嘘を吐くな。フランク・ファン・ボールセレなら、善良公に金をも貸せる! ボールセレの資金力は」

「善良公には既に巨額の貸しがある。ブラバン公領が宙に浮いたままなのも、そのせいだ」

「は?」

「おれの父がブラバン公に貸していた。そして『財務官』の地位を得た。善良公は、ブラバン公にも約束させた。すべての援助の見返りとして、継承権を自分に譲ると」

「意味がよくわからない」

「ブラバン公領を継ぎたければ借金も返済せねばならない。債権者はおれだけじゃない」

「ブラバン公って、金持ちじゃなかったのか?」

「みんなから寄ってたかって、食い物にされていた。そのあげく、殺されたんだとおれは思う」

「フランク」

「ヨハン伯は誰が殺した?」

「知らない」

「『矢毒』は誰が手配したんだ?」

「知らないし、知りたくもない」

「『姫』なんだろう? 君はあの時『違う』と言ったが、あれは君の本心じゃない。友としての言葉ではない」

 ランベルトの眼が揺れる。「友情」は嘘ではないから、だからこそ揺れている。

「君はほんとは全て知ってる。実行犯が誰なのか。黒幕が誰なのか。マルグリット・ド・ブルゴーニュをも操っている、本当の黒幕だ」

「知らないし、知りたくもない!」

「君は知ってる」

「さっき言ってた『イェハン』は、本に毒を塗ったやつか?」

「そう」

「あいつは利用されただけだ。『フランクを』ハメるために」

「利用したのは『姫』なんだろう?」

「あんたはほんとにそう思うのか?」

「『姫』はおれを利用している」

「ほんとにそう思うなら、結婚を認めてしまえ」

「ランベルト?」

「毒を使うようなやつなら、名前だけの伯位だってふさわしくない。違うか?」

「それでもおれは姫に誓った。秘密にするとおれは誓った」

「死にたいのか、フランク!」

「喋ったところで殺される」  

「認めればあんたは助かる。姫は伯位を失うが、あんたの命は必ず助かる。善良公にとってもあんたは、フランク・ファン・ボールセレは」

「金の話を忘れたのか? 反逆者として処刑すれば、おれの金は公のものだ。借金だって帳消しになる」

「フランク!」

「証明書を渡したんなら、君の命は許してくれる」

 ランベルトの手がぶるぶる震える。

「『あんたの』命を許すと言われた。結婚さえ認めるのなら、命は許すとおっしゃった。けれど認めないのなら、あくまでウソをつきとおすなら、あんたの首も落とされる。反逆者の首として、晒されることになる」

「むしろそれこそ望むところだ」

「フランク!」

「秘密にするとおれは誓った。おれは誓いは破らない。おれは裏切りものじゃない。首を棄てても証明してやる」

「姫がそれで喜ぶか?」

「泣いてはくれるかもしれない。姫が泣いてくれるなら、それだけで本望だな」

「あんた、ほんっとうに大馬鹿だな」

「わかってる」

「好きなひとを泣かせて嬉しいなんて、バカというより人非人だ」

「わかってる」

「ぼくのことは心配するな。あんたよりは巧くやる」

「わかってる」

 旧友を、じっと見つめる。こいつは巧くやるはずだ。結婚の証人であり、証明書を渡しているのだ。おれが口を割らなくたって、殺されたりはしないだろう。むしろ口を割らないほうがランベルトは安全だ。こいつが属する組織(オルド)だって、こいつを死なせるはずがない。今までだって、いつも巧くやってきた。いつもおれを助けてくれた。

「君に会えて幸せだった。悔いはない」

 ランベルトの眼がはっきり潤んだ。

「馬鹿野郎」

 絵師は小さく呟いて、逃げるように出て行った。





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