8 結婚の証明
「デキちゃったわけじゃ、ないんですか?」
ランベルトにそう言われ、耳の先まで熱くなった。
「いや、その、残念ながら……」
「残念? 残念ってあんた」
馴染の絵師は大きい眼をより丸くして、絶句している。朝の光が照らす顔に、「あきれ果てた」と書いてある。昨夜はろくに話もしてない。初夏の夜はとても短く、無駄にする間がなかったからだ。だからこそ、姫を城に戻した今になって根掘り葉掘り問いただされてる。
「姫が言って下さったんだ。おれの子を、産みたいって」
「それでそのまま、押し倒したんじゃないでしょうね?」
今度はこっちが絶句する。言われてみたら、かなり近い。誘ったのは確かに姫だが、そのあとそのまま草の上に押し倒した。冷静に思い出すなら、ほとんどあれは強姦だ。
「昨夜のことも、姫にはなんにも言ってなかった。ぼくが姫の立場だったら、完全にキレてますよ。いくら本気で惚れてたって」
「君に頼れと言ったのも、姫御自身だ。侍僧を務めたランベルトなら、式も挙げられるんじゃないのかって」
「あのね。結婚式っていうものは、女性にとってはとても大事なもんなんです。デキて焦ったわけじゃないなら、もっとじっくり準備したのに」
「準備って?」
「まずは衣装。姫の希望を聞くべきだった。それにあれは」
「最新の流行りだって言わなかったか?」
「身重のイザベラ妃の影響でね。つまり、おなかが大きくなっても着られるデザイン。肖像用の衣装にするなら、この先しばらく着れなきゃ困る。だからあの型にしたんだ。身ごもってないんなら、ああいうのは選ばない」
「これから身ごもるかもしれない。だから問題ないじゃないか」
「あんたね……」
また大きく息をつかれた。
「『結婚』を隠すだけでもタイヘンなのに、『妊娠』をどう隠す気ですか? なんにも考えてないでしょう」
「それは……」
「ぼくはそっちが心配だった。信頼できる女官はいるのか、お産の場所のあてはあるのか。そして生まれる赤ん坊は、どこで育てるつもりなのか」
確かになにも考えてない。
「だけどデキてないんなら、心配はない。そして子どもは作っちゃいけない。愛し合うのは『子どもを作るため』じゃないよね?」
「おれは、違う」
子どもができたら嬉しいが、そんな冷めたものじゃない。理性も何も吹き飛ばす、強い衝動。けれど姫は冷静だ。いやじゃないのは本当だろうが、おれのようには乱れない。伯位を継いでくれる子ども。姫が求めているのはそれだ。おれに身を任すのは、そのためだ。
「姫だって、違うと思うよ」
絵師はおれの手をとった。そしておれの指輪に触れる。小指ではなく薬指の、半ばに止まっている指輪。
「姫は『あんた』を愛してる。ゲントの城で手引きしたのは、口説けると思ったからだ。伯領を諦めて、このおれのものになれ。フランクが言いきってたら、姫はきっと落ちたはずだ」
「けれどそうはならなかった。もしそこまで言ったとしても、姫はけして陥落してない。姫は誇り高いひとだ。けして諦めたりしない。君もそう言ったはずだ」
「なら、どうして結婚したんだ? 子どもができたわけでもないなら、あんまり意味がないことだよね? しかもこれは命がけだ」
「姫を誰にも渡したくない」
もう二度と、渡したくない。ほかの男にまた嫁がせるくらいなら、死んだほうがずっとマシだ。そして姫が言ったのだ。このおれと結婚したいと。ならばしないわけにはいかない。命を賭けろと姫が言うなら、喜んで賭けてやる。
ランベルトはおれを見つめ、そして深い息をついた。
「わかった。そしてもう戻せない。ヤコバ姫とフランクは、神の御前で正式の結婚をした。そしてぼくは約束通り、フランクの奥方の肖像を描く。善良公の注文ってことにして」
「それでいい」
「ずいぶん弾んだ金額だけど、本当にいいんだよね?」
「ホラント女伯の肖像だ。安い絵師には頼まない」
「昨夜の衣装は肖像用のものとして、画材と一緒にこれから持ち込む。何枚か素描して構図を決めて、そのあと板に油彩で仕上げる。納期は別に急がない」
「それでいい。そして結婚証明書の代金は」
「それはいいよ。ぼくからのお祝いだ」
「だがあれは」
極上の仔牛皮紙に彩色装飾。金泥まで使ったあれは、かなり値が張るはずだ。
「写字もぼくが自分でやってる。だからたいした負担じゃないよ。ぼくだって、もう『安い』絵師じゃない。それなりに稼いでる。ヨハネスほどじゃないにしてもね」
ランベルトの弟ヨハネスは、今や善良公の絵師「ヤン・ファン・エイク」だ。お抱え絵師というだけじゃなく近侍にまで任命されて、貴族も羨む俸給を取る。
「ヤンには描かれたくないが、君になら描かれたい。ヤコバ姫はそう言っている。姫は君の絵を知っていた。『白い花』を描いた絵師なら描かれたい。姫ははっきりそうおっしゃった」
「ほんとに?」
絵師の眼が輝いた。
「そしておれも信じてる。ヤコバ姫を描けるのは、ランベルト・ファン・エイクだけだ。おれの妻を描く絵師は、君をおいてほかにない。君が描く肖像こそが、結婚の証明となる」




