表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第二章 森の城、花の都
5/55

1 伯妃の城

Le Quesnoy, HAINAUT


 エノー伯領。

 この地に足を踏み入れるのはフランクにも初めてだったが、確かにエノーは「外国」だ。海のかわりに山があり、緑豊かな森がある。

ホラント伯ウィレム閣下のもとにあるのはエノーだって同じなのだが、まず土地が低くない。低き土地、ネーデルラントとは違う。地形も違えば、言葉も違う。途中通ったブラバン、フランドルまではネーデルラントの言葉を話す。つまり、ホラント、ゼーラントと同じディーツ語だ。フランス語も聞こえてくるが、ディーツのほうが断然強い。

 だがエノーは「フランス」だ。エノーにはいると、フランス語しか通じない。外国人も多い旅籠屋でさえそうで、これにはちょっと驚いた。

 

 ル・ケスノワも同じだった。森の中の美しい城、ル・ケスノワは見かけからして優美でもある。この城に比べたら、フランクの父の城などただの要塞。ティリンゲンの城ですら、無骨なものに思えてしまう。そして迎えた城のものは、慇懃無礼。言葉だけは馬鹿丁寧だが、まるで下女でも迎える態度。フランス語に慣れないノーラはもう泣きだしそうになっている。

 そのまま広間に通されて伯妃さまに目通りをする。歓迎はされてないのがはっきりわかる。護衛であるフランクは、近づくことさえ制止された。扉の横に立たされたまま、平伏する母と妹の背を見ているしかない。伯妃マルグリットさまは天蓋つきの席に座し、ほかのものと応対している。その男が用を済ませて退出すると、違うものが通される。オーデとノーラは平伏したまま、ずっと無視されている。


「母上」


 「ジャック」の声がはっきり響き、静寂を破ってくれた。だが、入ってきたのは「男の子」でなく「姫君」だ。絹のドレスに身を包み、円錐状の帽子を被る。宝石の輝く頂きからは、霞の如きベールが垂れる。フランクには見向きもしない。透けるベールをなびかせながら、すぐ横を通り抜けていく。


「そのふたりはわたしのもとへと、お願いしていたはずですが」

 この口調は変わらない。言葉がフランス語に変わっても、強い調子は変わらない。相手が実の母だというのに、どこか圧倒する口調。

「ジャクリーヌ」

 伯妃が初めて言葉を発した。「ジャック」ではなく女性形の「ジャクリーヌ」。「姫」なのだから、むしろ当然。だが、こちらも母の優しさはない。欠片もない。

「あちらでは『ヤコバ』です」

 ジャックははっきり言い切った。

「ホラント、ゼーラントの未来の君主はこのわたし、ヤコバ・ファン・ベイエレンです。エノーのジャクリーヌではなく」

「エノーのほうが重要です。貴女はエノーの君主となる身」

「ですから、こちらではジャクリーヌです」

「ならば」

 このふたりは追い返せ。伯妃さまは無言でそう言っている。

「母上は『ジャクリーヌ』を育て、父上は『ヤコバ』を育てる。フランス語を話す『ジャクリーヌ』は順調に育っていますが、『ヤコバ』のほうは問題です」

 ジャックの口調が柔らかくなる。

「だから伯にお願いしました。ホラント、ゼーラントの言葉ディーツを話す、教養ある女官が欲しい、と」

「それで、これ?」

 伯妃さまはあきらかに、見下す口調。だが「ジャック」がきっぱり続ける。

「このオーデはゼーラントの有力貴族、ボールセレの奥方です。御自身も、由緒ある家の出身。見識ある方としてわたし自身がお願いし、ここまで来て頂きました。娘のエレオノーラ・ファン・ボールセレはわたしとは歳も近い。利発で明るい子のようなので、わたしも一目で気に入りました」

 ジャックの言葉にほっとする。ノーラとは、ほんとはこれが初対面。「フランクの妹だから」というのが本当の理由だろう。ジャックがほんとに気に入ってるのは、「本好きのフランク」だ。そこのところは確信してる。

「まだ文句がおありですか?」

 ジャックの言葉に伯妃さまは何も応えず、ぷいと席を立ってしまう。控えていた侍女たちが慌てて続き、広間から出て行った。あきらかに、母親の負け。


「母の無礼、すまなかった」

 ディーツ語に切り替えて、ジャックは言った。

「あのひとは、いつもあんな態度なんだ。わたしともあんまり合わない」

 そしてノーラの手を取った。

「わたしが欲しいのは話し相手だ。ディーツ語で話してくれる、歳の近い友だちだ。伯もそれは了解してる。母に文句は言わせない。だから、ここにいてくれるか?」

「喜んで」

 ノーラがやっと笑みを浮かべ、フランクもほっとする。

「姫さまにお仕えできて、とても嬉しく思います」

「良かった」

 そしてようやく振り返った。 

「そしてフランク」

 良かった。気が付いてないわけじゃ、なかったんだ。

「ふたりのことは、責任持ってわたしが守る。だからおまえはもう帰れ」

「え?」

 これは軽い衝撃だった。この次は「城」でゆっくり話そう。こないだはそう言ったのに。だからこそ、ここまで来たのに。

「ジャンがヤキモチ妬いてるんだ。おかしいだろ?」   

 幼すぎる人妻は無邪気に笑い、フランクを追い出した。


 「本の話」は全くなかった。あわよくば頼んでみようと考えていたことも、何一つ言いだせなかった。






評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ