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3 海の国に忠誠を

 それは確かな情報だった。

 「姫の夫」グロースター公ハンフリーは、艦隊を準備している。勝算ありと見たからか?

 

 ヤコバ姫の戦績は眼を見張るものがある。見事なまでの勢いは、善良公にもひけをとらない。なのになぜ、「イングラント」の手を借りる?  あるいはこれがわかっていたから、だからこその進撃か?

 

 ゲントの城で会ったときに、姫ははっきり言ったはずだ。「ハンフリーなどいなくとも、自分の力で対峙してやる」けれどそれもウソだった。利用できるものがあるなら、節操なく利用するのだ。

 再び怒りが蘇る。最初からそうだった。ティリンゲンで出会ったあの時、ヤコバはまだ完全に子どもだった。それでも最初になんと言った? 「鱈党の子」と呼んだじゃないか。かつては鱈党だったボールセレを、まんまと姫はとりこんだ。ウィレム伯のほうにつかせ、釣り針党に寝返らせたのだ。おれはずっと利用されてる。敵の中の味方というのは、味方以上に有用なもの。善良公もそれに気づき、前線からおれを外した。逃亡を許したあとは、軍務そのものからも外した。けれど処罰はしなかった。おれの迷いを見抜いた上で、おれに猶予を下さったのだ。


 ヤコバ姫は、イングラント摂政妃なのだ。


 そのことを思い出す。ヤコバの「夫」ハンフリーこそ、イングラントの支配者だ。実のところ守り役にすぎぬ「ブラバン公の摂政」などとは、まるっきりレベルが違う。イングラントという王国の、実権を握る男。いまだ幼児の王に代わって、王国を治める男。そんな男の力を借りれば、そして勝利するのなら、ネーデルラントはとられてしまう。イングラントの王国の、支配のもとに落ちてしまう。だからこそ、ハンフリーの手は借りない。そう言ったんじゃ、なかったのか?



「決断は、ついたのか?」

 窓際に立つ善良公が、静かな声で問いただした。ブルッヘの宮殿に謁見を願い出たフランクは、その私室に通されている。控えるものは誰もおらず、衛兵も扉の外だ。

「イングラントの艦隊は、ゼーラントに上陸します」

 確実に、そうなるはずだ。前回使ったカレーの港は、今回は通さない。支配するのは今もかわらずハンフリーの兄王子だが、善良公の盟友でもある。善良公の後押しで「フランスの摂政」となり、ニセ王太子シャルルを敵に激戦中のベドフォード公。今ここで「弟」を通したら、善良公が「敵」になる。絶対通すはずがない。

「私の読みももちろんそうだな。南はもう私のものだ」

 静かすぎるその声が、腹に響く。穏やかな声なのに、はっきりと気圧される。

「それで君はどうしたいのだ? 私の従妹の側につき、イングラントの艦隊をホラントまで案内するか? ゼーラントの安全と引き換えに?」  

「それも一応考慮しました」

 きっぱり言って、顔を上げる。

「それでは貴方が敵になる。ゼーラントの安全は、ありえない」

「だから私の側につくと?」

「はい」

 いつかのように、薄青い瞳が見つめる。心の奥を探るごとく、鋭い視線で射竦める。

「ヤコバ姫の側につくなら、イングラントの支配に落ちる。イングラントが我らに自治を、許すとは思えない。ゼーラントの利益など、考慮するとは思えない」

 善良公の統治下で、ブルッヘは謳歌している。町は自由に息吹いている。

「イングラントの艦隊ならば、迷うことなく戦える。ゼーラントを守るためなら、戦うのが領主の義務です」

「私のためにとは言わないのか? 私の望みも君と同じだ。私もこの地を守りたい。戦禍の続くネーデルラントを平和な土地にしたいのだ」

 窓の外を眺めながら、穏やかな声で続ける。この宮殿は町のほぼ中央にあり、喧騒がここまで届く。華やかに富み栄えている、ブルッヘの町の賑わい。

「君は私を『フランス人』だと思っているが、私自身はそう思わない。そんなふうにくくられたくない。母語は確かにフランス語だが、ディーツの地には魅了されている。だからこそ、このブルッヘに居を据えたいと望んでもいる」

 フランス語で話しているが、「ブルッヘ」とはっきり言った。フランス読みの「ブリュージュ」でなく、本来のディーツの名前で。 

「美しいものを生み出す町が、私は好きだ。豊かなものを生み出すためには、まずは平和であらねばならない。ネーデルラントをひとつにまとめ、全ての戦を終わらせてやる。フランドルとブラバンは、すでに私の手のうちにある。ゼーラントとホラントも、私はひとつにまとめてみせる。いつかすべてを統一し、平和な国を作ってみせる」

 静かな声に熱がこもる。冷たい色のはずの瞳が、熱を帯びて輝いている。

「そのために、君が欲しい」

 言い切って、にっこりとした。その笑顔に思わず誘惑されそうになる。

「申し訳ありません。このフランクの忠誠はゼーラントに捧げます。姫に最初についたのも、そして今貴方につくのも、ゼーラントの利益のためです」

「言い切ったな」

「御気に召さないのであれば、ご存分に」

 静かな気持ちで頭を垂れた。おれはもう裏切りたくない。だからこうしかおれは言えない。


「それでは君をゼーラントの総督にする」


 善良公は高らかに宣言をした。


「海の国のフランクに、私は命じる。ゼーラントをひとつにまとめ、侵略者を撃破せよ」




 


 

 


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