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女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第四章 嵐   Anno 1417
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4 初陣 

 五か月後の十一月、ホルクムにエグモントが挙兵した。


 ヨハン司教が捕縛したはずの男が「アルケルの町」ホルクムに現れこの町を乗っ取った。四千人の軍を率いてヤコバ姫に宣戦布告、潜伏していた鱈党が次々に集まってくる。

 ハーグ議会は即時抗戦を決議、三百隻の艦を揃えた。ヤコバ姫もその母のマルグリットも、侍女たちまでもが乗艦している。だがフランクは軍艦には乗ってない。父フロリスも乗ってない。船の手配、食糧手配を引き受けて、後方に回されている。そして私兵も出してない。今はまだ時ではない。父はそう一蹴したが、フランクは気が気ではない。妹からも、緊迫した手紙が届く。


「恐れ気もなく陣頭に立ち、姫さまは言われました。わたしこそが正しい女伯だ。反逆者は絶対に許さない。あのお言葉に逆らうなど不可能です。姫さまには力があります。ヤコバさまこそ、正当なる支配者ですから」


 姫こそが正当なる支配者だ。

 だが姫はやっと十六。その姫が、陣頭に立っている。自ら軍を鼓舞しておられる。妹ノーラも傍らにいる。軍艦に乗っている。

 聖職者にはとても見えない司教ヨハンはドルドレヒトに向かったはずだが、そのあとの動きが読めない。ドルドレヒトの町はもとから鱈が強い上、唯一姫を承認してない。海路で行くならドルドレヒトはホルクムのすぐ手前。その鼻先をかすめなくては、ホルクムまでたどりつけない。ブラバン公も軍を出してはいるらしいが、たどりつく気配はない。

 そしてヨハンは信用できない。そもそも、エグモントはあのヨハンが逃がしているのだ。逃げられたことになっているが、わざとやったのかもしれない。姫の乗った艦を拿捕し、手中に収めているかもしれない。助力と言いつつ摂政などの名目で実権を奪うかもしれない。考えれば考えるほど、あのヨハンは信用できない。だめだ。とてもじっとはしていられない。

 馬に飛び乗り、陸路でホルクムへと馬をとばす。これは知らない道じゃない。先にヨハンを訪ねたときに、駆けた道だ。

 市外の砦が見える頃には、もう昼は過ぎていた。ホルクムを手に入れたとき、ウィレム伯が建てた砦「青の塔」。その上に翻るのは横長の流れ旗。姫の旗だ! ほっと胸を撫でおろす。姫はご無事だ。少なくとも、艦はここまで無事に来ている。

 その市門は開いている。門衛の姿などなく、死体が脇に転がっている。姫の軍は市壁内に突入し、市街戦に持ち込んでいる。どの家の窓も扉もぴっちりと閉ざされて、生きた姿はまるで見えない。聞こえてくるのは騒乱の声。高く響く金属音、刃と刃を交わす音。立て続けにつんざく悲鳴。街路を曲がるとまさに戦場。入り乱れた白兵戦で、もう完全に無茶苦茶だ。とにかく皆が斬り合っていて、敵も味方もわかりはしない。


「フランク・ファン・ボールセレ!」

 唐突に呼ばわったのは、血濡れの槍を手にした歩兵。

「きさまは今どっちの陣だ!」

「おれは当然姫の側だ!」

 叫んだとたん、乗馬が敵に囲まれる。敵は馬に乗ってない。蹄にかければ歩兵は斃せる。頭ではわかってるのに、動けない。ひとを殺したことはない。殺す覚悟はできてない。実戦には出たことがない。

「あんたは鱈じゃなかったのか?」

 その声に、さらにひるんだ。

「ランベルトの友だちじゃ、なかったのか?」

 その言葉で思い出す。知ってる男だ。その昔、貸本屋で馴染みだった。

「ためらうな! そいつらは反逆者だ!」

 よく通る声が降ってくる。どこか上から叫んでる。

「わたしはすでに猶予を与え、そいつらは拒絶した。もう容赦の余地はない!」


 姫だ! 


 思った瞬間手綱を引いた。馬を操り、徒歩の敵を蹄にかける。こいつは「敵」だ。「反逆者」だ。名前など、思い出すな!

「フランク、後ろ!」

 姫の声が操っている。後ろを倒し、前を受け、飛んでくる矢を跳ね返している。いつの間に抜刀したのか、自分でも覚えてない。敵がいったい何人いるのか、自分でもわかってない。姫が見ている。そうと知るとからだが動く。だから勝てる。必ず勝てる。すべて姫の命ずるがまま、おれの姫のお望みのまま。無我夢中で剣を振るい、馬を操る。いつの間にか囲みが開け、敵が退いてる。周囲の死骸に息を呑む。血塗れの自分の手。ぬらぬらと、流れる血。刃こぼれした自分の剣が、ずるりと手から滑って落ちる。


「フランク!」

 姫の叫びに我に返る。敵が一騎突進してくる。蹄の音を高く響かせ、唸りながら突進してくる! さっき斃した歩兵の槍が、突き立って揺れている。腕を伸ばしてそれを取る。握って構える。

「雑兵、どけッ!」

 敵が怒声をあげた瞬間、強い衝撃。手にした槍が折れる感触。

 乗馬がガボリと血反吐を吐いて、ゆっくりと膝を折った。落馬する眼の前を、赤と白の戦衣がよぎる。アルケルの紋の色だ。こいつは首領アルケルの一族だ。砂塵が高く舞い上がり、敵も馬から落ちている。外れた兜が、地面をころころ転がっていく。この兜には見覚えがある。紅白の羽根飾りにも、見覚えがある。地に膝をつき、上げた顔は間違いない。鱈党の首領の息子。

「ヴィム・ファン・アルケル。あなたは姫に忠誠を誓ったはずだ」

 アルケルの首領の息子もこちらを見つめる。フランクの顔を認める。

「あなたは姫に忠誠を誓い、許された。だからこそあのトーナメントで、このおれと槍を交えた。今あなたはどちらの陣だ?」

「フランク・ファン・ボールセレ。きさまこそ、どっちの陣だ? ボールセレの衣もまとわず、雑兵のごときなりをして、心の底ではどっちの陣だ? 戦いが終わる頃に現れ、勝利したほうにつくか?」

「それはあなたのほうだろう! 父上をすて、一度は姫のほうについた」

「日和見のボールセレも一度は俺の父についた。今もなお、本心は決めかねている。だからこそ前線には配置されない」

 フランクも震えだす。それは真実かもしれない。フランクの父フロリスは、自分の兵を出そうとしない。妻と娘は軍艦に送っても、息子を出そうとはしない。

「おれはもちろん姫の側だ。言葉を違えたあなたこそ!」

「俺の心は姫だけがご存じだ。そしてきさまは俺が斃す」

 ヴィムは不敵な笑みを浮かべ、短剣を引き抜いた。

「きさまもまだ短剣は持っている。きさまが抜くまで待ってやる」

「お気遣い、痛み入る」

 ヴィムの顔を睨みながら、短剣を抜く。護身用のこの武器ならば、むしろ場数は踏んでいる。こいつに後悔させてやる。姫の御前でこいつの息の根止めてやる! 


 ふたり同時に飛びかかり、互いに相手の手首をつかんだ。金属の籠手に右手をつかまれ、その重みに思わず呻く。フランクの手に防具はもうない。つけていた革籠手は、いつの間にか失せている。服の袖がぱっくり切れて、血の沁みもついている。斬られた記憶はまるでないが、鮮血が今滴っている。

 ヴィムの右手は視界の外だが、そっちはちゃんと捕まえている。フランクの左手ががっちり捉え、放さない。だが右手に感覚がない。短剣を落してしまえば、おれの命はここで終わりだ。そして敵は全身装甲、こちらは確かに雑兵なみの軽装だ。

「死ぬのが怖いか?」

 ヴィムの顔が不気味に歪んだ。

「姫のために、きさまは死ねない。その覚悟はできてない」

「おれはまだ死ぬ気はない!」

 怒声をあげて、力をかける。握った右手を唐突に突き放す。バランスを崩した敵を、力任せに蹴り倒す。金属鎧がけたたましい音を立て、地面に倒れた。その上に飛びかかり、右手を上げる。ヴィムの兜は無くなっていて首から上ががら空きだ。短剣を、突き立てる。


「ヴィムッ!」


 甲高い声が響いた。「フランク」ではなく、「ヴィム」と叫んだ。その事実にフランクは我を失う。断末魔のヴィムのほうは顔が勝ち誇った笑顔を浮かべ、そしてがくんと首を垂れる。苦痛の色などかけらも残らぬ、至福の死顔。


「姫さま、ダメッ!」

 ノーラの声に我に返った。商家の二階の窓が開き、姫がその身をのりだしている。フランクではなく、アルケルのヴィムに向かって。


「ヤコバはあそこだ!」


 敵があげた叫び声に、フランクは駆け出した。敵は姫の居場所を知った。だから必死でその後を追う。敵が先に扉に着くが、もちろん扉は開かない。中で守る姫の兵士はそんなに数はないはずだ。そして攻め込む敵のほうは? フランクの後ろには、さらに多くの兵が続く。あいつらは、どっちの味方だ?

 扉の前にいる敵がゆっくりと振り返った。そしてはっきり恐怖でひきつる。フランクはひとりではない。後ろに続いてくるものは、フランクには斬りかからない。そして聞こえてくる勝ち鬨は、味方のものだ。姫さま万歳! 新女伯ヤコバさま、万歳!


「ホルクムは陥落しました!」

 

 誇らかな味方の叫びに、最後の敵が剣を落した。ゆっくりと両手を上げて、降伏を申し出る。名乗りをあげて、自分の命に値をつける。

「ならぬ」

 鋭い姫の声が響いた。扉が開き、装甲の姫がそこにいる。その手に抜き身の剣があり、両の眼には怒りの炎。

「反逆者は許さない。絶対に許さない」

 敵は地に這いつくばった。怯えた声で、命乞いをさらに重ねる。

「この反逆者の首を刎ねよ」

 厳然と姫が命じ、白刃が煌めいた。フランクの眼の前で、またひとつ死骸が転がる。そして味方が声をあげる。勝利を祝す、勝ち鬨の声。


「ホルクムは取り戻した。我らの勝利だ。皆のもの、よくやった」


 ヤコバ姫は冷静に宣言をして、踵を返す。フランクには見向きもしない。だが肩が揺れている。肩がはっきり揺れている。

「姫」

 フランクのかけた声に、ヤコバはその足をとめた。

「フランク。おまえがなぜここにいる? おまえには、後方手配を命じたはずだ」

 振り返りもせず言い切って、そのまま中に消えてしまう。 

「姫!」

 追おうとしたフランクを、釣り針党の誰かが止めた。 

「よせ。姫は今、無粋な君にお怒りだ」

「ですが、おれは」

「姫さまは、ヴィム殿とは親しかった。アルケルのヴィム殿も姫さまに恋をしていた。知らなかったか?」

 本気で姫を狙ってる。ランベルトが言っていた。姫もあいつが好きだったのか? 俺の心は姫だけが知っている。さっきのセリフを思い出す。姫の叫びを思い出す。 

「あの男は囚われの父を見棄て、姫さまにつく気だった。だがそうはいかなかった。この町が、アルケルの町ホルクムが、アルケルの子に許さなかった。だから」

 姫のためにはきさまは死ねない。その覚悟はできてない。ヴィムの言葉が蘇る。あの声が、頭のなかで響き出す。

「ではあの男は斬られるために? 姫の前で死ぬために?」

「そういうことだ」

 男の手がフランクの肩を叩いた。

「そして君も、似たような状態ではないのかな? フランク・ファン・ボールセレ」


 フランクは返答できなかった。父フロリスは、援軍を送らなかった。姫も強くは求めなかった。ボールセレは本来鱈だ。友だちがたくさんいるのは、釣り針じゃなく鱈の側だ。自分が斬った敵の名は、知りたくもない。              

 考えてもしょうがない。選ばなければ進めない。アルケルのヴィムは鱈を選び、ここで死んだ。そしておれは姫についた。だからこれは勝利なのだ。


 ホルクムは姫に屈した。

 反乱を決議したホルクム市民は容赦なく絞首に処され、その死骸は晒されている。十六歳の小娘と、侮られるわけにはいかない。新たな女伯となったからには、それこそがなすべきつとめ。そして、侮れる相手ではない。ヤコバ姫は女伯の器だ。たとえ親しい相手であっても、裏切るなら容赦はしない。ヴィムを斃したおれのことも、咎めていない。そして涙も見せてない。ただ一声叫んだだけだ。なんとか気持ちを切り替える。もやもやとするものを、抑え込む。

 どこの町もヤコバ姫を承認している。新たな伯として認め、忠誠を誓っている。頑として受け入れないのはもうドルドレヒトの町だけだ。ホラントとゼーラント、そしてエノーの新たな女伯ヤコバ姫は、従わないドルドレヒトに「法保護外(フォーヘルフライ)」の宣告をした。ドルドレヒトの町のものは全て無法者とみなされ、法の保護から外された。


 そしてこの年、長年の教会分裂(シスマ)にようやく終止符が打たれ、新法王が即位した。対立していた「法王」たちは廃位され、ただひとりの正しい法王マルチネス五世が選出された。この正しい新法王が、ホラント女伯ヤコバとブラバン公ジャンの近親婚に特赦を出した。この結婚が「戦を避けるものとなる」ゆえ。






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