1 暗雲
sint-Maartensdijk, ZEELAND
「王妃さまから贈られた甲冑に、殿下はいたくお喜びです」
ノーラの手紙を読み返し、フランクは息をついた。ひと月も前に受け取った手紙なのだが、どうにも気になってしょうがない。
ヤコバ姫は今「フランス」だ。
フランス王妃イザボーさまにご挨拶に向かったのだが、いまだ会えてないらしい。ウィレム伯は姫とは別に、去年のうちに王太子と出立された。けれどこちらもまだ会えてない。その理由は書いてない。進展も、書いてない。立太の祝いにと甲冑が贈られてきた。そのことだけがつらつらと書いてある。今どこにいるのか、同行は誰なのか。そのへんの情報もない。だが、この「殿下」は当然王太子ジャンのことだろう。
姫の義母にあたる王妃は、評判がすこぶる悪い。淫乱王妃と噂され、末の王子シャルルは王の胤でないと言われる。その頃愛人関係にあった王弟ルイ、無畏公に暗殺されたオルレアン公ルイの子だとささやかれている。姫の夫である王太子、トゥーレーヌ公は正しく王の胤のはずだが、これも可愛くないのか会おうとしない。
ノーラは今、姫と伯妃に同行している。ウィレム伯と行動を共にしている王太子とは一緒ではないはずだ。だが、珍しく彼について書いている。姫の夫トゥーレーヌ公ジャン殿下は「フランス王太子」だけでなく、「ベリー公」にもなっている。初めて会ったときに姫が言っていた通り、この王子は「あのベリー公」の気に入りで、相続者に指名された。「ジャック」が着ていた子ども用の金の鎧も、「あのベリー公」からの贈りものだったそうだ。あの頃にはもう小さくなっていて、「妻」のジャックに貸してたらしい。そんなことまで書いてきている。
美しいものを蒐集するのが大好きだった老ベリー公は華麗公の綽名を残し、絢爛たる彩飾写本の数々を残しているはずなのだが、そこについては書いてない。
フランクだって、きらきらした甲冑は嫌いではない。初めて誂えて貰ったときには興奮したし、眺めるのもやっぱり愉しい。騎士物語の空想に耽るには恰好だ。だが、実戦に役立つとは思えない。トーナメント用の鎧は完全に「試合用」だ。あの競技に使うために作られていて、ほかの動きには向かない。馬に乗ってパレードするには見栄えはするが、下馬してしまうと動きが鈍る。相当な重さがあるから、慣れていてもかなりの負担。実戦用の鎧にしても、基本的には同じことだ。騎馬突撃のためのもので、馬から降りればその動きを阻害する。矢を防ぐことができても、俊敏に動けなければ捕虜となる。オルレアン公シャルルもそうだ。戦死こそしてないが、捕虜にとられてロンドンに送られている。価値なしとされた捕虜は、その場で虐殺されている。立派な鎧のフランス騎士がイングラントの軽装兵に惨敗をした。アザンクールの敗戦のあと、みながそう言っている。それでもなお祝いの品は甲冑で、「殿下はことのほかお喜び」だ。
そうだった。王太子殿下だって、アザンクールは参戦してない。ウィレム伯がついていたから、参戦させるはずがない。だからこそ生き延びた。伯にはわかっていたはずだ。あの戦にフランス側で参戦するのは、死ににいくのも同然であると。「騎士」はすでに時代遅れだ。新式火砲が本格的に導入されれば、甲冑など無用の長物。眺めて楽しむだけならば、美しい絵のほうがいい。
だがやはり、王子さまは王子さまだ。美々しい鎧に身を固め、支配する地を練り歩く。華麗なその行列こそに、ひとびとは頭を下げる。そしてその「王の血」だ。フランス式にいうなれば、「神の恩寵」ゆえの王。だからこそ、王侯は散財をする。豪奢な品を身にまとわねば、ひとは目を見張らない。みすぼらしいなりをしてれば、頭なんぞ誰も下げない。
だがおれは王侯ではない。フランクはそう自覚している。そしてそれを自負してもいる。お飾りではなく実際に、領地を治めるものでありたい。領地とその領民を、守るものでおれはありたい。戦に錦を飾るより、領地を守る堤でありたい。領土を戦で分捕るのでなく、海を制して土地を広げる。堤を築いて干拓をして、島を大きく豊かにするのだ。ゼーラントの技術をすれば、それは可能だ。
フランクは手紙を仕舞い、港へ向かった。今日はアントウェルペンでなく、シント・マールテンスダイクの「うちの港」。そこで会う約束がある。
「心配してもはじまらんでしょ」
港の船をスケッチしながら、ランベルトが軽く言った。
「あんたはなんでも心配しすぎ。伯には伯の護衛騎士もおられることだし。それより、あれは?」
夕闇の迫る港に、コグが一隻入ってきている。四角帆一枚だけを張った、ありふれた商船だ。舷側の紋章盾は確かにボールセレの白黒縞紋。父のではなくフランク個人の持ち船だ。だが、予定よりずいぶん早い。
「フランクさま!」
船長が甲板から声をあげる。
「どうだった?」
フランクも高く応える。この船はまだ新しい。処女航海ではないものの、遠出はこれが初めてだ。
「商売は上首尾なんですがね」
良くない知らせか? ランベルトと顔を見合す。この絵師はこのところ、いろんな港でずっと船を描いている。「船の絵の注文があるから」ということになっているが、注文主はフランクだ。この絵師には絵のほかにも才能がある。いろいろと、耳聡い。
下船してきた船長は足早に近づいてきて、フランクに耳打ちをする。
「まだ伏せてるようですが、王太子が亡くなったみたいですぜ」
「なんだって?」
「急死したって噂でしてね、なんか雲行き怪しいってんで慌てて引っ返してきたんですわ」
「『王太子』はつまり」
「もちろん、フランス王太子トゥーレーヌ公さまです。姫さまの婿さんの」
「それで、ウィレム伯は?」
「姫さまとご一緒とか」
「パリで?」
「そこまではちょっと」
ウィレム伯が王太子と出立したのはもう四か月も前の話だ。パリにはすでに着いたはずだが、その先がよくわからない。王太子はウィレム伯と一緒のはずで、亡くなったなら情報は届くはず。「あえて伏せて」いるとすれば、あきらかにただ事じゃない。ノーラの手紙にあった「甲冑」。アザンクールで戦死した、大量の甲冑の騎士……
「パリまで最速で行こうとするなら」
「今の風向きなら、船でアントウェルペンまで行ってそこから馬を変えながら、かな」
ランベルトが口を挟み、船長が眉を顰める。
「今から船出せってですかい?」
「この船とは言ってないよ」
ランベルトがフランクを見る。
「今夜出る予定の船が一隻あります。行きますか?」
フランクは頷いた。
「フランク、これはチャンスですよ。姫はフリーになったんだから」
ランベルトは笑って片目を瞑って見せた。
「バカ言うな」
フランクは苦虫を噛み潰した。




