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女伯ジャックと海の騎士 - Keukenhof's Kroniek -  作者: 辰波ゆう
第三章 騎士の祝祭   Anno 1415
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3 トーナメント

「フランク、その恰好ってことはお前、まだ残ってんだな?」

 月曜の朝、ヴァンフリートが聞いてきた。ヴァンフリートのほうはいかにも「貴族の洒落男」の恰好だが、フランクは武装している。新調の鋼の装甲。白黒縞の家紋の外衣。兜はまだ被ってない。

 木曜日から始まった槍試合は勝ち抜き式で、すでに八割がた消えている。新米騎士であるヴァンフリートは初戦で敗退したらしい。だからすでに観戦者側。

「『従騎士の部』はいいよな。デキるやつはとうに騎士になってんだしさ」

「何言ってんだ。三十以下の騎士なんて数えるほどしかいないだろうが、『従騎士の部』は現役バリバリの二十代が大半なんだぜ」

 同じくまだ残っている甲冑姿が言いかえす。ここはフランクも同感だ。実力即戦力のある青年ほど、騎士叙任はまだ受けてない。「騎士になりたい」というのは彼らの原動力でもあるから、先延ばしにしたくなるのも確かにわからないでもない。庶出とはいえ伯の娘と結婚して騎士になったヴァンフリートは、若干妬みを買っている。

「で、褒賞の姫だって、おもいっきり『若い』ことだし」

「『褒賞の姫』?」

 フランクはちょっと硬くなった。

「ヤコバ姫だよ、もちろん。嫁にするにはじゃじゃ馬すぎるがキスの味は試してみたいな」

「それは、おれに勝ってから言え」

 フランクはにやりとした。ご本人から、「絶対勝て」と言われているのだ。おめおめほかの男にやれるか。必ずおれが優勝してやる。

 

 左手で手綱を握り、右手でぐいと槍を構える。対戦相手ははるかかなた。ティルトと呼ばれる長い柵がフランクのすぐ右横にあり、はるか敵のもとまで伸びる。対戦相手はティルトの向こう。あちらもティルトを右側に立ち、同じくこちらを睨んでいるはず。

 その紋に見覚えはない。名乗りは聞いた気がするが、どうだっていい。強かろうが弱かろうが、勝たなくては先に行けない。

 この競技は単純だ。柵の両端からふたりの騎士が馬を飛ばし、出会ったところで槍で突き合う。相手の盾を突いた槍が、見事に折れれば得点だ。落馬したら負けでもある。

 試合用の槍だから、盾を貫くことはない。たとえ生身に当たっても、殺生力はあまりない。落馬しなかった騎士はそのままティルトの端まで駆け抜け、向きを変える。「トーナメント」は、もともとはターンする、向きを変える、という意味だ。

 だが向きなど変えさせん。一撃で、落して見せる。フランクは高揚している。「絶対に優勝しろよ」、あのひとことで昂ぶっている。あの言葉が呪文のように、彼を確かに強くしている。あれから毎晩夢に見ている。必ず勝ち抜け。わたしを勝ち取れ。甘くて強いあのささやきが、ずっと耳から離れない。そして妙な自信になってる。だから勝てる。

 夢でしかないことは百も承知だ。けれどこれは「ジャックの夢」であるはずだ。男の名前を持った少女の。すでに「夫」を持った少女の。

 騎士物語の中の夢を、一瞬だけ現実に。これは確かに「ふたりの想い」だ。あの白い手にキスができたら、それで十分褒賞だ。そのあとふたりで話ができたら。今度こそ、必ず。

 

「開始!」

 審判の小旗が落ちて、二騎が同時に拍車をかける。二頭の馬が疾駆して、歓声も嬌声ももう耳には入らない。見えるのは「盾」だけだ。槍で突くべき敵の盾。相手がこちらを突くより先に、あの盾を突く。

 敵の穂先が近づいてくる。鋭く尖った切先ではなく、王冠(コロネル)のついた穂先。小さな突起が王冠状に三つある、試合用の槍の穂先だ。それが迫る直前に身を柵の向こうに乗り出す。自身の槍の先端が、敵の盾に突進していく。

 ぐぅと腹に鈍い衝撃、そして砂煙。木の破片も飛び散っている。

 かまわずそのまま馬を飛ばす。右手には折れた槍。轟くような喝采の声。ティルトの先まで駆け抜けて、馬首を戻した。落馬した敵はそのまま、砂地の上で昏倒している。

 

「勝者、フランク・ファン・ボールセレ!」

 

 審判が大きく叫び、フランクはひとつ先に進んだ。あと三戦。今日のうちにあと二騎落し、明日の決勝まで進む。負ける気は、しない。

 天幕に引き上げて兜と籠手をいったん外し、汗を拭う。水を飲んで一息ついたところで、妹が駆けこんできた。今日はもう尼姿じゃない。

「兄さま、凄いわ! このまま優勝しちゃうんじゃない?」

 ノーラも頬を紅潮させて、興奮している。

「お前、姫さまほっぽっといていのか?」

「いいの。母さまがついてるし、あたしはあそこに入れないし」

 絢爛たるタペストリーで飾られた檀上の貴賓席。天蓋つきの玉座には、褒賞の姫ヤコバが座しているはずだ。両脇には侍女たる貴婦人たちが居並び、談笑もしているだろう。周囲の窓にも回廊のアーチにも観客は鈴なりで、ひいきの騎士に声援を送っている。だが、あえて見ないようにしていた。見たら気が散ってしまう。おれは「ジャック」のためにだけ、闘っている。だから勝てる。それは不思議な確信だった。


 次の組の騎士たちが入場してきているらしく、歓声が沸き起こる。昨日までは二組ずつ同時進行してきたのだが、今日からは一本のティルトだけが中央に設置され、一組ずつの試合となった。騎士の部と従騎士の部交互の進行。

 今度は名乗りが耳に入った。ゼーベンベルゲン卿。確かこのひとは強豪だ。天幕を出て人垣をかきわけ、なんとか見える場所に立つ。さほど大柄でもないのだが、実際以上に大きく見える。堂々とした貫禄のある、年配の騎士。名のある武人だ。対する相手はホラント伯の紋の盾。庶子を意味するしるしがあるから、ヤコバ姫の異母兄か?

「ウィルキンさまよ」

 くっついてきたノーラがささやく。

「姫さまの腹違いのお兄さま。でも、とっても気さくな方なの。勝って欲しいな」

 勝つのはちょっと無理じゃないかな。フランクはそう思ったが、口には出さない。からだつきはがっしりしてるが、重心が揺れている。強豪相手に竦んでいるのが、傍目にわかる。その手の槍に、何か違和感。

 思った瞬間審判の声があがり、砂埃が巻き上がる。煙幕が開けたところに強豪の槍がきらめき、騎士のからだが飛んできた。

「ウィルキンさま!」

 ノーラが小さく悲鳴をあげるが、騎士はすぐ顔をあげた。脇に槍が転がっている。この穂先、まさか。

「勝者、ゼーベンベルゲン卿!」

 審判の声があがり、ひとが動いた。穂先に細工があったような気がしたが、気にしてもしょうがない。相手に触れたわけじゃなし、庶子ウィルキンはここで負けだ。フランク自身の従者が慌てた声で呼んでいる。のんびりしてる場合じゃない。じきにまた自分の番だ。

 次の槍を確かめてから、籠手をつける。敵の槍に細工して陥れるやつもいるから、油断はできない。

「フランクさまの次のお相手、アルケルのヴィムさまだそうですよ」

 主人の装着を手伝いながら、従者がささやく。

「アルケルの?」

「鱈党の首領アルケル卿は伯には当然仇敵ですが、息子のヴィムさまは伯への忠誠を誓い、許されたということです」

 ちらりとイヤな気分になる。アルケル卿は、ボールセレも味方につくものと読んでいた。もしもそうなっていたら、戦況は違っていたかもしれない。実際、フランクの父は両者を天秤にかけた上で、勝ちそうな伯の方についた。この息子も敗北した父ではなくて、勝者についた。それだけのこと。

 兜を被り、槍を預けて馬を引かせる。アルケルの息子なら確かもう三十近い。たっぷり実戦経験もある。勝者の側にもしいたならば、確実にもう「騎士」だろう。確かに立派な鎧をまとい、その兜には紅白の羽根飾り。どこから見ても「騎士」に見える。フランクはまた頭を振った。そんなことはどうだっていい。今おれがやるべきことは、あいつを落とすことだけだ。

 

 騎乗して相対し、従者から槍を受け取る。長く続くティルトの先に、いるのは「敵」だ。おれが落すべき相手。敵がちょっと片手をあげて、挨拶をする。フランクも慇懃にそれに応え、槍を構える。審判の合図と同時に飛び出して、槍を突き出す。

 ガシッと腹に衝撃を受け、火花が散った。意識が遠くなりながら、同時に馬体を脚が感じる。馬はそのまま駆け抜けて、そしてくるりと体を回した。声援が耳に届く。

 見上げた席で、ヤコバ姫がこちらを見ている。その手をぎゅっと握りしめ、フランクをじっと見ている。必ず勝て。ジャックはおれに言ってるんだ。だから必ず勝ってみせる。

 頭をあげて敵を見る。敵は盾を代えている。凹んでしまった盾の代わりに、違うやつを受け取っている。フランクのはまだいける。ぼこぼこになってはいるが、代えなきゃならないほどじゃない。槍のほうは折れていて半分から先がない。

「フランクさま」

 従者が代えの槍を差し出す。

「大丈夫ですか?」

「当たり前だ!」

 叫んで姿勢を整える。妙に闘志がわいてくる。殺意にも、近い衝動。

 互いにぎっと睨み合い、そして二騎が走り出す。思い切り槍を繰り出し、そして腕に強い衝撃。槍が砕けて弾け飛び、敵のからだがよろめいている。けれどなんとか立て直している。そして自分も傾いている。

 敵の槍は当たっていない。けれどからだが傾いている。ここで落馬したら負け。必死で手綱を握りしめ、なんとか落ちずに駆け抜けた。歓声が耳に響く。

「フランク・ファン・ボールセレ!」

 呼ばれる名を聞きながら、フランクは馬を返した。敵は馬上に残っていたが、腹を抑えて降参の合図をしていた。

 その次の一戦は、ほとんど機械的に過ぎた。つかの間の休憩をし、そして息を整える。敵を見つめ、馬を飛ばし、そして落す。相手が誰かも意識せぬまま、決勝まで彼は進んだ。





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