3 トーナメント
「フランク、その恰好ってことはお前、まだ残ってんだな?」
月曜の朝、ヴァンフリートが聞いてきた。ヴァンフリートのほうはいかにも「貴族の洒落男」の恰好だが、フランクは武装している。新調の鋼の装甲。白黒縞の家紋の外衣。兜はまだ被ってない。
木曜日から始まった槍試合は勝ち抜き式で、すでに八割がた消えている。新米騎士であるヴァンフリートは初戦で敗退したらしい。だからすでに観戦者側。
「『従騎士の部』はいいよな。デキるやつはとうに騎士になってんだしさ」
「何言ってんだ。三十以下の騎士なんて数えるほどしかいないだろうが、『従騎士の部』は現役バリバリの二十代が大半なんだぜ」
同じくまだ残っている甲冑姿が言いかえす。ここはフランクも同感だ。実力即戦力のある青年ほど、騎士叙任はまだ受けてない。「騎士になりたい」というのは彼らの原動力でもあるから、先延ばしにしたくなるのも確かにわからないでもない。庶出とはいえ伯の娘と結婚して騎士になったヴァンフリートは、若干妬みを買っている。
「で、褒賞の姫だって、おもいっきり『若い』ことだし」
「『褒賞の姫』?」
フランクはちょっと硬くなった。
「ヤコバ姫だよ、もちろん。嫁にするにはじゃじゃ馬すぎるがキスの味は試してみたいな」
「それは、おれに勝ってから言え」
フランクはにやりとした。ご本人から、「絶対勝て」と言われているのだ。おめおめほかの男にやれるか。必ずおれが優勝してやる。
左手で手綱を握り、右手でぐいと槍を構える。対戦相手ははるかかなた。ティルトと呼ばれる長い柵がフランクのすぐ右横にあり、はるか敵のもとまで伸びる。対戦相手はティルトの向こう。あちらもティルトを右側に立ち、同じくこちらを睨んでいるはず。
その紋に見覚えはない。名乗りは聞いた気がするが、どうだっていい。強かろうが弱かろうが、勝たなくては先に行けない。
この競技は単純だ。柵の両端からふたりの騎士が馬を飛ばし、出会ったところで槍で突き合う。相手の盾を突いた槍が、見事に折れれば得点だ。落馬したら負けでもある。
試合用の槍だから、盾を貫くことはない。たとえ生身に当たっても、殺生力はあまりない。落馬しなかった騎士はそのままティルトの端まで駆け抜け、向きを変える。「トーナメント」は、もともとはターンする、向きを変える、という意味だ。
だが向きなど変えさせん。一撃で、落して見せる。フランクは高揚している。「絶対に優勝しろよ」、あのひとことで昂ぶっている。あの言葉が呪文のように、彼を確かに強くしている。あれから毎晩夢に見ている。必ず勝ち抜け。わたしを勝ち取れ。甘くて強いあのささやきが、ずっと耳から離れない。そして妙な自信になってる。だから勝てる。
夢でしかないことは百も承知だ。けれどこれは「ジャックの夢」であるはずだ。男の名前を持った少女の。すでに「夫」を持った少女の。
騎士物語の中の夢を、一瞬だけ現実に。これは確かに「ふたりの想い」だ。あの白い手にキスができたら、それで十分褒賞だ。そのあとふたりで話ができたら。今度こそ、必ず。
「開始!」
審判の小旗が落ちて、二騎が同時に拍車をかける。二頭の馬が疾駆して、歓声も嬌声ももう耳には入らない。見えるのは「盾」だけだ。槍で突くべき敵の盾。相手がこちらを突くより先に、あの盾を突く。
敵の穂先が近づいてくる。鋭く尖った切先ではなく、王冠のついた穂先。小さな突起が王冠状に三つある、試合用の槍の穂先だ。それが迫る直前に身を柵の向こうに乗り出す。自身の槍の先端が、敵の盾に突進していく。
ぐぅと腹に鈍い衝撃、そして砂煙。木の破片も飛び散っている。
かまわずそのまま馬を飛ばす。右手には折れた槍。轟くような喝采の声。ティルトの先まで駆け抜けて、馬首を戻した。落馬した敵はそのまま、砂地の上で昏倒している。
「勝者、フランク・ファン・ボールセレ!」
審判が大きく叫び、フランクはひとつ先に進んだ。あと三戦。今日のうちにあと二騎落し、明日の決勝まで進む。負ける気は、しない。
天幕に引き上げて兜と籠手をいったん外し、汗を拭う。水を飲んで一息ついたところで、妹が駆けこんできた。今日はもう尼姿じゃない。
「兄さま、凄いわ! このまま優勝しちゃうんじゃない?」
ノーラも頬を紅潮させて、興奮している。
「お前、姫さまほっぽっといていのか?」
「いいの。母さまがついてるし、あたしはあそこに入れないし」
絢爛たるタペストリーで飾られた檀上の貴賓席。天蓋つきの玉座には、褒賞の姫ヤコバが座しているはずだ。両脇には侍女たる貴婦人たちが居並び、談笑もしているだろう。周囲の窓にも回廊のアーチにも観客は鈴なりで、ひいきの騎士に声援を送っている。だが、あえて見ないようにしていた。見たら気が散ってしまう。おれは「ジャック」のためにだけ、闘っている。だから勝てる。それは不思議な確信だった。
次の組の騎士たちが入場してきているらしく、歓声が沸き起こる。昨日までは二組ずつ同時進行してきたのだが、今日からは一本のティルトだけが中央に設置され、一組ずつの試合となった。騎士の部と従騎士の部交互の進行。
今度は名乗りが耳に入った。ゼーベンベルゲン卿。確かこのひとは強豪だ。天幕を出て人垣をかきわけ、なんとか見える場所に立つ。さほど大柄でもないのだが、実際以上に大きく見える。堂々とした貫禄のある、年配の騎士。名のある武人だ。対する相手はホラント伯の紋の盾。庶子を意味するしるしがあるから、ヤコバ姫の異母兄か?
「ウィルキンさまよ」
くっついてきたノーラがささやく。
「姫さまの腹違いのお兄さま。でも、とっても気さくな方なの。勝って欲しいな」
勝つのはちょっと無理じゃないかな。フランクはそう思ったが、口には出さない。からだつきはがっしりしてるが、重心が揺れている。強豪相手に竦んでいるのが、傍目にわかる。その手の槍に、何か違和感。
思った瞬間審判の声があがり、砂埃が巻き上がる。煙幕が開けたところに強豪の槍がきらめき、騎士のからだが飛んできた。
「ウィルキンさま!」
ノーラが小さく悲鳴をあげるが、騎士はすぐ顔をあげた。脇に槍が転がっている。この穂先、まさか。
「勝者、ゼーベンベルゲン卿!」
審判の声があがり、ひとが動いた。穂先に細工があったような気がしたが、気にしてもしょうがない。相手に触れたわけじゃなし、庶子ウィルキンはここで負けだ。フランク自身の従者が慌てた声で呼んでいる。のんびりしてる場合じゃない。じきにまた自分の番だ。
次の槍を確かめてから、籠手をつける。敵の槍に細工して陥れるやつもいるから、油断はできない。
「フランクさまの次のお相手、アルケルのヴィムさまだそうですよ」
主人の装着を手伝いながら、従者がささやく。
「アルケルの?」
「鱈党の首領アルケル卿は伯には当然仇敵ですが、息子のヴィムさまは伯への忠誠を誓い、許されたということです」
ちらりとイヤな気分になる。アルケル卿は、ボールセレも味方につくものと読んでいた。もしもそうなっていたら、戦況は違っていたかもしれない。実際、フランクの父は両者を天秤にかけた上で、勝ちそうな伯の方についた。この息子も敗北した父ではなくて、勝者についた。それだけのこと。
兜を被り、槍を預けて馬を引かせる。アルケルの息子なら確かもう三十近い。たっぷり実戦経験もある。勝者の側にもしいたならば、確実にもう「騎士」だろう。確かに立派な鎧をまとい、その兜には紅白の羽根飾り。どこから見ても「騎士」に見える。フランクはまた頭を振った。そんなことはどうだっていい。今おれがやるべきことは、あいつを落とすことだけだ。
騎乗して相対し、従者から槍を受け取る。長く続くティルトの先に、いるのは「敵」だ。おれが落すべき相手。敵がちょっと片手をあげて、挨拶をする。フランクも慇懃にそれに応え、槍を構える。審判の合図と同時に飛び出して、槍を突き出す。
ガシッと腹に衝撃を受け、火花が散った。意識が遠くなりながら、同時に馬体を脚が感じる。馬はそのまま駆け抜けて、そしてくるりと体を回した。声援が耳に届く。
見上げた席で、ヤコバ姫がこちらを見ている。その手をぎゅっと握りしめ、フランクをじっと見ている。必ず勝て。ジャックはおれに言ってるんだ。だから必ず勝ってみせる。
頭をあげて敵を見る。敵は盾を代えている。凹んでしまった盾の代わりに、違うやつを受け取っている。フランクのはまだいける。ぼこぼこになってはいるが、代えなきゃならないほどじゃない。槍のほうは折れていて半分から先がない。
「フランクさま」
従者が代えの槍を差し出す。
「大丈夫ですか?」
「当たり前だ!」
叫んで姿勢を整える。妙に闘志がわいてくる。殺意にも、近い衝動。
互いにぎっと睨み合い、そして二騎が走り出す。思い切り槍を繰り出し、そして腕に強い衝撃。槍が砕けて弾け飛び、敵のからだがよろめいている。けれどなんとか立て直している。そして自分も傾いている。
敵の槍は当たっていない。けれどからだが傾いている。ここで落馬したら負け。必死で手綱を握りしめ、なんとか落ちずに駆け抜けた。歓声が耳に響く。
「フランク・ファン・ボールセレ!」
呼ばれる名を聞きながら、フランクは馬を返した。敵は馬上に残っていたが、腹を抑えて降参の合図をしていた。
その次の一戦は、ほとんど機械的に過ぎた。つかの間の休憩をし、そして息を整える。敵を見つめ、馬を飛ばし、そして落す。相手が誰かも意識せぬまま、決勝まで彼は進んだ。




