Rupelmonde, Anno 1432
空が見える。
冷たく冴えた青い空。
眩しいほどに白い雲が、風に吹かれて消えていく。十一月の晴れた空。鉛色の曇天ではなく、澄みきった青い空が見える。
細長く切られた窓には鉄の格子が嵌められている。空を眺める男の手首に生々しい傷痕がある。枷はもうついてない。鎖にも繋がれてない。そしてここには窓がある。空の見える窓がある。剥きだしの石の壁は無愛想だが、ここからは外が見える。
男は椅子から立ち上がり、窓のほうへと足を進めた。靴はちゃんと履いているから、石の床も冷たくはない。厚手の毛織をまとっているから、身を切る冷気も苦にはならない。窓の格子に手をかけて、外を眺める。その眺望に息を呑む。
高い塔の上にいるから、隣の壁などは見えない。見えるのは、気持ちの良い大空だ。見下ろすと川が見える。スヘルデ川がきらめいている。凍てついているわけじゃなく愉しげな波をたて、さざめく水面が見下ろせる。行きかう船のたてるしぶき、流れゆく水の動き。水上の、ひとの営み。
忙しく行き交う船は軍船じゃない。兵や武器を運ぶのではなく、富を運ぶ商船だ。この地は平和を取り戻し、繁栄を謳歌する。そのさまが、ここから見える。髪を乱す冷たい風も心地よい。船の帆をはらませて、前進させてくれる風だ。
この川が、土地を分けた。
川の左岸がフランドル。そして右がブラバンだ。フランドルはフランス王の封を受けた伯領で、ブラバンはドイツ皇帝の封。けれどどちらも支配はしてない。フランス王も皇帝も、支配などできてない。豊かなこの地を争って、ずっと永く戦が続いた。だからすべてをまとめてみせる。いつか全てを統一し、平和な国を作ってみせる。言い切ったひとを思い出し、男はくっと眼を瞑った。
スヘルデ川は良く知っている。
この川は北フランスに端を発し、かの地での名は「エスコー」だ。エスコー川のせせらぎはフランスを北に抜けると、緑豊かなエノーへと流れこむ。起伏に富んだ森を潤し、たどりつくのは麗しの古都トゥールネイ。ここを過ぎたあたりから、川の名は「スヘルデ」になる。フランドルの平原は、本来ディーツを話す地だ。だからもう「エスコー」じゃない。フランス王の封を受けても、フランドルはフランスじゃない。ここから先は低き土地、ネーデルラント。ディーツの地。
スヘルデ川は大都市ゲントでレイエ川と合流し、川幅が広くなる。行きかう船の数も規模も、ここからぐっと多くなる。その次の、出会いがここだ。ルッペル川と合流するからルッペルの口、ルッペルモントと名がついている。軍事上の要地でもあり、古代ローマの昔からここには砦が築かれている。
ここから流れはさらに大きくゆるやかになり、海へとひらけた港へ続く。土地の言葉でアントウェルペン。イングラントの商人たちが、アントワープと呼ぶ港。その対岸が、海の国ゼーラント。おれの故郷だ。
いくつもの島々からなるゼーラントを西に抜けると北海が広がっている。その海を渡った向こうがイングラントの王国だ。西ではなく北上するならホラントへとたどりつく。そのホラントの伯位こそ、命に代えても守り抜く。我が唯一の主たる、貴女の御意だ。
赤い髪を風に乱して、囚人は笑みを浮かべた。明日斬首になろうとも、決断に悔いはない。
一応史実ベースですが、恋愛部分は多分に妄想を含むファンタジー。
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