忘れえぬ過去 1
夕食が終わってから、エティはセオドアを尋ねた。
「伯父様、誕生日の贈り物に、どうしてもいただきたいものがあるのです」
さすがに緊張しているのか、エティの表情は少し硬い。そんなエティにやわらかな笑顔を向け、セオドアは一枚の紙切れをスッと差し出す。
「これだね?」
「……なぜ、わかったのですか?」
サッと内容に目を通したエティは、不意打ちの喜びに湧き上がる涙を必死に留める。セオドアを見上げた潤む瞳には、強い戸惑いの色が浮かんでいた。
「君がヴァルに興味を持っていることは、先日届いたリズの手紙に書いてあったからね。これが欲しいんじゃないかなと思って、念のために用意しておいたよ」
エティはこぼれ落ちそうだった涙を、さりげなく指で拭う。わずかな不安をにじませる視線を、真っ直ぐセオドアに向ける。
「お母様の、手紙……?」
「実を言うとね、セルジュとリズは、今回の襲撃を誰が計画して誰が実行するのかも、その企みが成功した場合に、君たちが別々に売られてしまうことも知っていた」
「…………」
張り詰めていた糸がプツリと切れ、エティはその場に力なく座り込む。
それまで我慢させられていた分を、取り戻そうとするかのように。とめどもなく流れ落ちる涙を、エティは一切拭おうとしない。
ともすれば、口を飛び出しそうな両親への恨み節を、どうにか堪えるだけで精一杯だ。
「こちらに来ないとセルジュが言い張るから、リズも帰らずに最後まで抵抗する覚悟を決めたことと、抗いきれないかもしれないから、もしもの場合は子供たちを救い出して欲しいと書かれていたよ」
「…………」
涙を流しながらも、必死に嗚咽を堪えるエティがよほど痛ましいのか。セオドアは背中側で屈んで、彼女の背中をそっと優しくなでる。
「計画はマルセル王。実行したのが誰かは、君も知っているね?」
耳にしたとたんに、嗚咽も涙も止まってしまう。
そんなエティに、セオドアは驚き入ったようだ。彼の表情には、ほんの少し、懐かしむような色が浮かんでいる。
「……叔父は、マルセル王と組んでいたのですか」
次のデュヴァリエールの王と目されている第一王子ベルトランの、十八歳の誕生日祝いの席だった。そこでエティは、マルセル王と初めて顔を合わせている。
父の従兄だと、その時初めて知った王の顔を、それ以降見た覚えはない。
だが、もし仮に、マルセル王が本当に計画を立てたとしたら。その理由はたったひとつしかないことを、エティは昔から心得ている。
「そういうことだったのですね。だから、お父様は私に『星』を託し、計画を知っても黙っていたのでしょう」
「理由を、聞かないんだね」
「社交辞令はともかく、すでに知っていることを聞く人間はいません。私は、マルセル王と叔父が、父に対してどんな感情を抱いていたかを知っていますから」
知略に富み、家族に恵まれ、領民から愛されているセルジュ。一方、マルセルは考えに考え抜いて実行したはずの政策がすべて裏目に出ていた。国庫は苦しくなる一方だというのに、なぜかセルジュの領地だけは豊かだ。
やがて、家臣たちまでが、陰で退位を願うようになった。その気配は、ずっと感じていたのだろう。それらがすべてセルジュのせいだと、マルセルは強引に思い込むことで自分を慰めていたようだ。
また、エリザベスとセルジュが出会った時、実はアルマンもそばにいた。
ステルブール伯爵領はリヴァルークと接している。そのため、交流のあるリヴァルークの伯爵を通じて、夜会に招待されたのだ。
どれほどアルマンが言い寄ろうとも、エリザベスはセルジュしか見ていなかった。その上、兄嫁となった彼女をいつまでも想い続ける。セルジュの代わりに、とんでもない女と政略結婚をすることになってしまったと、ひたすら恨みを募らせていく。
妻を悪妻と罵り、自分の不出来な部分には目もくれない。そこが相手にされなかった理由だと、アルマンは今も思い至らないままなのだろう。
「もともと、叔父にはお返しをしなくてはいけないと思っていましたが、ついでにマルセル王にもお会いしてきます。そのために、ヴァルとヘンリエッタ号をお借りしますね」
エティ自身の『星』だけでは、それこそ命の危険に陥らない限り、大きな声にはならない。しかし、ヴァルも一緒であれば、感情を強く揺らすだけで、エティの望む声の大きさになるはずだ。
また、ヘンリエッタ号には、小振りな砲台だけでなく、遠距離へ正確に届ける主砲がある。過去に使われたことがないため、存在そのものを知っている者が少ないだろう。
軽い脅しに使うには、まさに最適な代物だ。
「僕も、リズの兄として協力させてもらおうかな。久しぶりにヘンリエッタ号を操作してみたいからね」
二人は楽しそうに頭を突き合わせ、できるだけ隙がなくなるよう、じっくりと計画を立て始めた。
セオドアが紙にペンを走らせ、エティが考え込みながら指摘する。デュヴァリエール城の見取り図は、エティが紙にサラサラと書く。そこにまた、二人で何やら細かく書き込んでいる。
「……では、このとおりに。後はその場の判断で動きます」
「そうだね。ステルブール伯爵領とその近辺に、今すぐ噂を流すよう指示をしてくるよ」
いったん部屋を出て部下に指示を出したセオドアは、わずかな間で再び戻ってきた。ソファに腰掛けて大人しく待っていたエティの正面に座った。
「君に、ぜひとも知っておいて欲しいことがある」
そう前置いて話を切り出そうとしたセオドアは、何かを思い出したのかハッとなる。
「ああ、君もエティだったね……紛らわしいから、君のことはアンと呼んでもかまわないかな?」
「私のことだとわかる範囲でしたら、伯父様のお好きなようにお呼びください」
それだけで、話の内容を察したのだろう。エティはやわらかく微笑んで承諾する。ひとつ頷き、今度こそセオドアは話し始めた。