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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
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仕組まれた邂逅 6

 部屋から出ようと振り向いたエティは、首を傾げる。入り口を完全にふさぐ形で、幼さが残る数人の乗組員が立っていたからだ。

 とにかく荷物を詰め込むことが優先されて、すれ違えない狭さの部屋だ。恐らく、奥に置かれた掃除用のモップにでも用のある者たちだろう。そう判断したエティは、謝罪の意を込めて軽くお頭を下げ、急いで部屋を出ようとする。

 だが、一向に道を開けようとしない彼らに、嫌な予感めいたものがじわりと広がっていく。

「ホントにかわいいなぁ……」

 聞こえてきた予想外の言葉に、エティは下を向いたまま軽く眉を寄せる。少しして顔を上げた時には、表情がすっかり消えていた。

(仕事を放棄しているのでしょうか? それとも、休憩時間なのでしょうか?)

 判断がつかず、エティは顔を赤くしている少年を黙って見上げる。

 彼らは全員、年齢は同じくらいだろうか。髪の色は赤茶色だったり、薄茶だったりと、さまざまだ。恐らく、生まれ育った国が違うのだろう。もしかすると、彼らもかつて、奴隷商船から救出された者たちなのかもしれない。

 先ほど危惧したことは、どうやら単なる杞憂で終わったようだ。しかし、まだすべての難は去っていない。

「さっき甲板で可愛い子を見たなんてコリーが言うからさ、ホントかどうか確かめようって探してたんだ」

「だから見たって言っただろ!」

 コリーと思われる少年の声が、後方から聞こえた。見れば、グッと胸を張って、自慢げに鼻を指でこすっている。

(水を捨てるために甲板に出たところを、見られてしまったのですね)

 誰もが忙しく動き回っていたから、わざわざ見ている者などいないだろう。そう思い込んで、何の注意も払わなかった手痛い落ち度だ。

「だって、今まで一度も女が乗ってたことなんてないだろ? オバケでも見たんじゃないかって、疑って当然じゃないか」

「それがすっごい可愛い子なんて、夢でも見たとしか思えないだろ?」

「でもさ、よく船長が仕事させてるよな」

 誰かの言葉で、少年たちは一様に頷く。

 それを見て初めて、自分がこの船中を歩き回っていることは、よほど珍しいことなのだと実感した。同時に、ヴァルから警告された意味を、ほぼ正確に半分ほど理解する。

「好きに動き回っていい、と言われました」

 ヴァルはヴァルだ。エティにとって、船長ではない。けれど、愛称で呼べば、いらぬ憶測や誤解を招くだろう。だから、名前は呼べない。

 仕方なく、名を呼ばずに事実だけを伝える。

 彼らと長い時間をともにする可能性は、それほど高くない。かといって、彼らは乗組員だ。険悪な関係を築いてもいいわけではない。

(……ヴァルと、少しでも話がしたいのですけれど)

 刻一刻と時間が減っていくことを気にしながら、エティは渋々相手をすることにした。

「君って、リヴァルーク人じゃないよな? どこの生まれ?」

「デュヴァリエールです」

「今いくつ?」

「もうすぐ十五になります」

 受け答えはリヴァルーク語で、返事も簡潔なひと言だけ。しかし、少年たちはそれだけで十分満足な様子だ。

「えっ、オレも十五! 同じ!」

 同い年と知って感情が高ぶったのか。最初にエティを見て赤くなっていた少年が、思わずといった体でエティの手を両手で包み込むようにギュッと握る。加減はしてくれたようで、痛いことはなかった。

 だが、すぐに彼は耳まで真っ赤にしてパッと手を放す。

 そんな少年の反応が新鮮だったのか。エティは何度か目を瞬かせると、彼の顔をジッと見つめてじっくり観察してみることにした。

「え、えっと……オレの顔に、なんかついてる?」

 ふわっと赤面して慌てふためく姿が、どうやらいたく気に入ったらしい。小首を傾げたエティは、あえて小さく微笑んだ。

「いいえ」

(私が楽しんでいるだけです)

 何か問いに答える時は、必ず短い言葉で、なるべく大きな声で告げる。次に問われそうなことは、当たり前のように予測しておく。心の声は、絶対に漏らさないよう用心する。

(でも、伯父様のことが知られたら……)

 きっと、こんなふうに気安く話しかけてはこないだろう。つまり、ここまで遊びがいのある楽しい反応も、たいしてしてくれないに決まっている。

 そう考えると、無性に寂しい気持ちに襲われるのだ。

 ステルブールの領民は、エリザベスの言動にすっかり慣らされていた。エティが何をやっても、まったく気にしていない反応しかしない。

 こんなささやかな楽しみを、素性が知られたら失ってしまう。それは、とてもつまらないことだと、エティには思われた。

「あ、そうだ。船を降りたらさ、どっか行かない?」

 彼の言う意味がさっぱりわからず、エティはこてんと首を傾げて深く考え込む。

 いくら心安い領主やその娘であっても、個人的なつき合いとなると話はまったく別だ。その一線をわざわざ越えようなどと考える、底抜けの勇気と度胸のある同年代の異性には、いまだに出会った覚えがない。

 そもそも、すべての物語は作り物だと割り切って読んでいた。そんなエティだから、彼の申し出は理解の範疇を超えているのだ。

「どこかへ行く、とは、いったいどういうことですか?」

「え……?」

 問い返された内容が、よほど思いもよらないものだったのか。少年たちはそろって、驚きのあまりビシッと固まっている。

 エティはやんわり首を傾げつつ、少年たちからの答えを大人しく待つ。

「そ、その……デ、デートの、誘いのつもり、だったんだ、けど……」

 少年の声はだんだん小さくなっていく。声の大きさに吊られるように、顔色も少しずつ悪くなっている。

『何もかもを見透かす君の瞳をじっくり見つめながら、デートがしたい。それが僕のささやかな望みなんだけど、ダメかな?』

 デート、というひと言で、ひどく耳障りな口説き文句を思い出してしまった。そんなものを持参して会いに来ていた男も、迷惑以外の何者でもない。

 強烈な嫌悪感で、エティは一瞬だけ渋い顔を見せる。けれどすぐににこやかな笑顔を作り、謝罪を口にした。

「ごめんなさい。しばらく、自由な時間が取れそうにありませんから」

 船を降りた後にやりたいことが、パッと思いつくだけでも山積みだ。それらをひとつひとつ思い浮かべると、とてもではないが、遊んでいる暇などないだろう。

 きっぱりと断ってしまってもいいのだろう。もちろん、素性を明かせばそれは簡単に叶う。だからといって、ヴァルの許可なく言って歩くわけにはいかない。

 黙っているべきことを言葉にしないまま、エティは穏やかな断り文句を声に乗せる。

「私には、やるべきことがまだまだ残っているのです」

 まずは、同じように売り飛ばされただろう弟妹を助け出して、託された『星』を弟に渡したい。それから、彼が父の後を継ぐのを見届ける。そこまでしなければ、エティ自身の自由を考える余裕など生まれそうになかった。

 見るからにがっくりしている少年に、エティはやわらかな微笑を向ける。

 そもそも、少年に対して好意を感じないと言えば嘘になる。けれど、それが恋愛感情かと問われると、即座に否定する程度のささやかなものだ。

 ヴァルのそばにいる時のように、頬が熱くなって鼓動が速まることはない。彼を想うだけで心臓が鷲掴みにされて、ズキリと痛むこともないのだ。

「何より、私には気になる方がいますから」

 少しその姿を思い描くだけで、勝手に早鐘を打つ心臓の正直さに呆れてしまう。ぼんやりと熱を帯びた頬も、ずいぶんと自分勝手で素直だ。

 エティはその熱を冷まそうと、大きくゆっくり深呼吸をする。

「それって船長だったりする?」

「ええ」

 すんなりと肯定する。

(案外、勘が鋭い……というわけではなさそうですね)

 同情の色がある少年の表情から、よくある話なのだろうと導き出す。そうなると、エティの頭は一気に冷静さを取り戻した。

 憧れと現実は別物だと、確かに理解していた。けれど、死に物狂いで手を伸ばせば、もしかしたら届くかもしれない。

 その事実に気づいてしまった今、エティの心はもう、後戻りができなくなっていた。

 望まないものを、押しつけたくはない。でも、その望まないものを引き受けてでも、絶対に手に入れたい存在になる。

 いつか必ず、ヴァルにそう思わせたいのだ。

「船長はダメだ!」

 突然大声で怒鳴られ、エティは叔父の手に落ちた時のことを不意に思い出す。突然湧き上がった恐怖で、思わず半歩下がった。その拍子に段を踏み外して後ろへ倒れ、固い床で尻を思い切り打ちつけてしまう。

 にじむ涙と痛みをどうにか堪える。その間も、一連の感情の動きがヴァルの『星』に伝えてしまったのではないかと、気が気でない。

(もし、あの痛みがヴァルに伝わるのだとしたら……)

 熟睡していても、はっきり目が覚める痛みだ。申し訳なさで、心の中がいっぱいになった。心の中で何度も謝るが、心はちっとも軽くならない。

「なぜ、ですか?」

 我慢できない痛みではない。そもそも、ヴァルの『星』に痛みを伝えてしまった可能性が、最も懸念すべきことだ。それ以外は、些末なことでしかなかった。

 立ち上がる時間を惜しんで、エティはその場に改めて座り直す。そのまま、少年たちとの会話に意識を戻した。

「だって、オレたちは、船長が王様になってくれなきゃイヤなんだ」

「そのために、エリザベス様の娘と結婚して欲しいからさ」

 この話は、いったいどこまで広がっているのかと、エティは思わず目を見開く。

 立派な舞台だけが綺麗に整い、主役が完全に置き去りにされているように感じられた。

「私も聞きましたが、だからといって、簡単に諦められることではないでしょう?」

 聞かされたのはつい先ほど、当の本人の口からだ。そして、ヴァルに受け入れるつもりがないことも、エティはもちろん知っている。

 それでも、諦めるという選択肢はまだ必要ない。

「船長の奥さんになる人は一人だけって、みんな言ってる。セオドア様の今までを無駄にしないのは、絶対に船長だけだって」

(外堀を埋められて仕方なく、というのは、私の望むところではないのですが……)

 どうあっても手放せない存在になり、ヴァルの口から「欲しい」と言わせたいのだ。

 そのための努力なら、一切惜しむつもりはない。

「話に聞いているだけですが、お……セオドア王が結婚を決意されない限りは、彼が次の王に相応しいと私も思っています」

「じゃあ、何で……」

「エティ!」

 さらに問い詰めようとした少年たちを遮ったのは、怒りに満ちたヴァルの声だった。

「無事か?」

 小部屋の入り口をふさぐ、数人の少年たち。正座を崩した形で、カートルの裾から足をしっかりと覗かせて床に座り込むエティ。後から来たヴァルには、どう見ても、少年たちがよからぬことをしでかそうとしたようにしか見えなかっただろう。

 手遅れになることを懸念しているヴァルが、あれほど憤るのも無理はない。

(やはり、伝えてしまったのですね……)

 エティは不注意を反省し、悲しげに目を伏せる。しかし、それを違う意味にとらえたのだろう。ヴァルはますます冷静さを欠いたようだ。

「お前たち、仕事もしないで何をしている!」

 ここに来ると思ってもいなかった人が、激昂して怒鳴りつけてきたのだ。少年たちは完全に萎縮している。

 彼らが悪いわけではない。

 そもそもの原因は、ついうっかり、『星』に伝わるほど感情を乱してしまったせいだ。

「私が話し相手になってもらっていた最中に、そこに段があることを忘れて転んだだけです。そんなに彼らを怒らないでください」

 危なげなく立ち上がって、服をパタパタ叩きながら微笑むエティに安堵したのか。ヴァルは手で顔を覆って、大きく深いため息をつく。その隙にと、少年たちは大慌てでヴァルの横を抜けて、甲板に向かって走っていった。

「急に『星』が痛むから何かと思った……あまり驚かせるな」

 けろりとした様子で見上げるエティに、強い脱力感を覚えたのだろう。ヴァルはがっくりと肩を落とし、もう一度ため息をつく。

 そんなヴァルの心労など、エティはどこ吹く風だ。

「まさか、段を踏み外すなんて思いませんでしたから」

 落ち着いてよく見れば、段は数センチの高さしかない。いくらあの夜のことを思い出して竦んでいたとはいえ、踏み外したこと自体が恥ずかしくなる。

「……痛かったでしょう?」

 ほんの三日前に自分が体験した痛みを思い出し、エティは小声でヴァルに問う。

 恐らく、帰港の準備をしていたに違いない。そんな時に、突然『星』が痛んだら、どう思うだろうか。きっと、いろいろとよくない想像をして、慌てて駆けつけてくれたに決まっている。

 痛かった。迷惑だ。

 そう責められることも、覚悟はできている。

「伯父上が呼ぶ時ほどじゃないが、思ってたよりは痛かったな」

 あっけらかんと言うヴァルは、かすかに微笑んでいた。

「……ごめんなさい」

 あの痛みを、思いがけず与えてしまったこと。

 窮地を救い出されたからもう平気だと、すっかり油断をしていたこと。

 生まれてからあの夜まで、母であるエリザベスは一度も取り乱すことはなかった。その娘でありながら、この程度で心を乱す自分自身が、何よりも許せなくなる。

 涙がこぼれそうになり、エティは急いで下を向く。目をこする振りをして、にじんでくるものを懸命に拭う。

「……甲板に、出てみるか?」

 泣いてしまったことに、気づかれたのだろうか。

 顔を上げないまま、そっと気配をうかがってみる。ジッと見下ろしている、ヴァルの心配そうな視線が感じられた。

 気を配ってくれるなら、そのまま甘えてしまってもいいのかもしれない。

 そんなふうに、エティは自身の心へ言い含める。

「……ヴァルのそばに、いてもいいですか?」

「ああ、好きにしろ。その代わり、目の届く距離にいてくれよ?」

 エティはヴァルについて、甲板へと向かう。その姿は、大好きな飼い主にまとわりつく、無邪気な子犬のようだった。


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