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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
6/25

仕組まれた邂逅 5

「……まいったな」

 今度は青年が驚きの声を上げた。

「俺は確かに、リヴァルーク国王セオドアの甥でヴァレンティンだ。伯父上の代わりに、この船の船長をしている」

「……ヴァレンティン、様……」

(こんなところでお会いできるなんて、夢にも思いませんでした……)

 ずっと、会ってみたいと思っていた。その人物が、今、目の前にいる。これが現実なのだと、すぐには到底信じられなかった。

 目を潤ませ、震える両手で口をしっかりと覆う。彼をジッと見つめているエティは、だんだん上気していく頬に気づかない。

 まじまじと見つめられて座りが悪いのか、彼にフッと顔を背けられる。そこでようやく、エティは我に返った。

「ヴァルでいい。親しい人間はそう呼ぶし、様づけされるのは堅苦しくて苦手なんだ」

「わかりました。これからはそうします」

 親しい人間に許された呼び方が、何よりも特別に思えた。そのとたん、一度冷めたはずが、またのぼせてしまう。

 頭では、冷静にならないと判断を誤るとわかっている。だが、心はどこまでも素直に、ひと息にヴァルへと惹きつけられていく。

「……リズ叔母上とは、似てないな」

 そのひと言が、頭から冷や水を浴びせる。

「そう、ですね……父に似ているとはよく言われましたが、母に似ていると言われたことは、ほとんどありません」

 朱の差していた頬からあっという間に色が引き、エティ本来の白い肌が顔を見せた。

 本を好んで英知に富み、民と触れ合うことを楽しむ。外見同様、父親に似た性格のエティは、領民からかなり慕われていた。褒め言葉として、「伯爵様によく似ていらっしゃいますね」というものがあったくらいだ。

 唯一、母のようだと褒められたのは、乗馬の腕前だけだった。これは、セルジュが目も当てられないひどさだったからだろう。

「それはまあ、そうだろうな」

 妙に納得したように呟くヴァルに、胸がチクリと痛んだ。

 いつだって微笑みを絶やさないエリザベスは、天真爛漫という言葉そのものの人だった。

「ただ、お前の『星』は、それだけでリズ叔母上の長子だって証明になる。とはいっても、それを証明できるのは、実際にリズ叔母上の『星』を見たことがあるやつだけだ」

「ということは、ヴァルはその一人なのですか?」

 普段は服に隠れているエリザベスの『星』。その位置を思い出し、エティは思わず眉をひそめる。

「あ、いや、見たのは三、四歳頃の話で、その一回きりだ! そもそも、リズ叔母上は、俺が五歳の時に出ていってしまったんだぞ? わざと覗き見たわけじゃない!」

 ヴァルは懸命に弁明している。

 もっとも、彼の言うことはほぼ間違いないだろう。

 エティの記憶にある限り、エリザベスが長く家を離れたことはない。彼女を訪ねて、異国の人間が来たこともなかった。今年二十一歳になるヴァルが、十六年も帰っていないエリザベスと会う機会などない。

「それから、お前の『星』に気づくやつは、たくさんいる。まず、伯父上……つまり、リヴァルークの国王だ。それから、俺の母と、弟のライナス。クリス叔母上に、キース、ステファン、セレスティア。ハリー叔母上と、ユアンにジェニファー。この辺りは、特に近しいから注意が必要だな。その他にも、『星』が見えるやつはいる」

「……お母様は、兄弟が多かったのですね」

 兄の話は聞いたことがある。しかし、姉妹の話は一度も出なかった。

 名前までは、隠すことができたはずだ。けれどヴァルは、隠そうとしなかった。そこに、エティはまた好感を覚える。

「まあ、多い方だろうな。ああ、それと、弟や従弟たちがお前を探しているんだ。伯父上が、リズ叔母上と同じ『星』を持つ娘を妻にした者に王位を譲る、なんて言い出したからな」

「……まあ……いつの間に、そんなお話になっていたのですか?」

 見も知らぬ従兄弟たちの誰かと結婚し、次のリヴァルーク王を決める。

 そんな重大な話を、誰からも聞かされた覚えがない。

「さあな。俺には、伯父上の考えはわからない。ああ、そうだ。俺は選択肢から外してくれ。王位に興味がないんでね」

 次のリヴァルーク王に限りなく近いのは「ヴァレンティン」だろう。その噂は、国境に比較的近いとはいえ、隣国のエティの耳にも入ってくるのだ。リヴァルーク国内では、次の王はヴァルだと、公然と囁かれているに違いない。

 だが、ヴァルに少しでも野望があれば、私掠船に乗らずにエティを死に物狂いで探しただろう。興味がないからこそ、いつもどおりの仕事をしていたはずだ。

 まさに運命のいたずらのように、エティを見つけたのはヴァルだった。

 今頃、他の候補者たちは何も知らず、血眼になってエティを探しているのか。

 エティは顔の目立つところに『星』がある。だから、リヴァルーク国内で誰かと顔を合わせる時は、特に気をつけなければいけない。

「それにしても、会ったこともない娘に王位を委ねようだなんて、伯父様はどういう方なのかしら?」

 疑問を覚えたエティは、頬に手を当てた方向へ首を傾げる。これは、気になることがあった時、ついやってしまう癖だ。

「いろいろあった人なんだ。きっと、お前から聞いてやったら喜んで話すさ」

 ヴァルの口から、セオドアの話をする気はないらしい。それを察して、エティはニッコリ微笑む。

「わかりました。私から直接、伯父様にお伺いしてみます」

「じゃあ、今度は、お前のことを聞かせてくれ。名前も知らないんじゃ呼びにくいだろ?」

「わかりました」

 素直に返事をしたものの、エティには本名を名乗るつもりはない。

「私はエティです」

「……!」

 ひどく驚いた様子で、ヴァルが大きく目を見開く。

 彼もまた、セオドアの婚約者を知っている。エティはすぐ、そう感づいた。

 エティの本名は、セオドアの婚約者と同じだ。とはいえ、エティの名はデュヴァリエールでのそれであり、耳で聞く分には違う名前に聞こえるだろう。

 ただし、母親の意向で、家族に呼ばれる愛称をまったく同じにしている。だから、知っている者は動揺するのだ。

「デュヴァリエール王国ステルブール伯爵の娘です。伯爵家の者という証拠でしたら持っています」

 その証拠こそ、父親から預かったものだ。あの中に、ステルブール伯爵家の当主のみが継承し使っていく、伯爵の印璽が入っている。

 あの夜、当主の証を預けられてよかったと、ようやく思えるようになった。

 それでも、なぜあの時、事前に打ち明けてくれなかったのか。もしかしたら、違う結果があったのではないか。

 そう問い詰めたい気持ちは、一向に消えてくれなかった。

「俺が見てもわからないだろうし、証拠は伯父上に見せるといい。どうせ、帰港の準備ができたら、一度戻らないといけないしな」

「……やはり、他にもいらっしゃったのですね」

 エティ一人だけ売りに行くのは、どう考えても割に合わない。そうなると、他にも売りさばく目的で人を乗せているはずだ。

 彼らがどんな扱いを受けていたか。想像に難くない。

「半死半生だったからな……リヴァルークで療養させて、家に帰りたい者は騎士団が送っていく。帰る場所のない者は、リヴァルークの民として生きていくことになるだろうな」

「そう、なんですね……」

 いつも幸せそうに笑っていた、ステルブールの領民を思い出す。それから、船の中で不安に襲われ、最悪の覚悟をした自分を振り返る。

 平和に暮らしている誰かを、無理矢理さらって奴隷にする。そんな扱いをしてもいい者など、どこにも存在しない。当然、そういった扱いをされる者も、存在しているはずがないのだ。

「明日の昼までには、リヴァルークに着く予定だ。船の中を好きに歩き回ってかまわないが、お前が伯父上の──国王の姪だってことを知らないやつらばかりだってことは、絶対に忘れないでやってくれ」

「なぜです?」

 当然の疑問をぶつけられたくせに、ヴァルは説明をためらっていた。エティはそれ以上何も言わなかったが、視線を逸らすこともない。

 結局、ヴァルが根負けしたように口を開く。

「……伯父上が、お前の夫を次の王に決めたって言ったよな? あの人は姉妹を大事にしてて、中でもリズ叔母上には特に甘かった覚えがある。そんな叔母上の娘に手を出した馬の骨をどうするか……俺には想像できない」

 ヴァルがあえて、馬の骨、という言い方をしたことに、エティは深く考え込む。

 恐らくセオドアは、ヴァル以外を認めないだろう。対外的にヴァルを認めさせ、本人と周囲を納得させるための、はっきりした結末ありきの話だ。

(……どうして、素直に会わせてくれないのでしょうね)

 ぼんやりした憧れは、出会ったことであっさり恋慕へ変わった。

 ヴァル相手に、卑怯な手を使うことはしたくない。純粋に、心から、自分という存在に惹かれて欲しいのだ。

 誰かにお膳立てされた状況では、せっかくのやる気も失せてしまう。

「わかりました。なるべく気をつけますが、対処できそうにない危険を感じた時にはヴァルを呼びます」

「じゃ、自由にしててくれ。俺は上を手伝ってくるから」

 呼ぶ方法を、あえて聞かなかったのか。

 すぐに察してくれたらしいヴァルをジッと見つめ、エティはこっそりと淡く微笑む。

 船室を出ようとした彼の服を、突然何かひらめいた顔でエティが引っ張る。

「あの、助けられた方々はどちらに?」

 どうせ、やることなどないのだ。それならば、自分にできることを、できる範囲でやっておきたい。

 ヴァルは怪訝な顔をしながらも、案内してくれるようだ。

「ここだ」

 彼が連れてきてくれたのは、先ほどの上にある部屋の集まりだった。本来は、乗組員たちの部屋だという。

「仕事がうまくいった時は、部屋を譲ると決まっているんだ」

「では、船員の方々は、どこで休まれるのですか?」

「甲板とか、船室が空いてたらそこを交代で使うんだ。雑魚寝が当たり前だな」

 エティは何度か頷きつつ、話を聞いている。だからなのか、ヴァルはついつい話してしまったらしい。途中でハッと気がついたようで、ばつの悪そうな顔になった。

「では、清潔な布と綺麗な水、あれば新しい服をたくさん用意してください」

「わかった」

 通りかかった部下に用意をするよう、ヴァルが命じた。他に必要なものがある時は声をかけろ、と言い残して甲板に上がっていく。

 ふと思いつき、後を追いかけたエティが見たのは、渋い顔でため息をつきかけているヴァルだった。

 声をかけるのはためらわれたが、時間が惜しい。

「あの、ヴァル、いいですか?」

 振り返ったヴァルは、明らかに挙動不審だ。

「男物でかまわないので、動きやすい服はありませんか?」

「……まさか、お前が着るのか? ……子供の服があったかな……」

 頷くエティに、ヴァルは思わず呟いてしまったようだ。直後に、非常に申し訳なさそうな顔を見せる。

 小柄だと、何度も言われたことがある。そういう意味では、言われ慣れている言葉だ。けれど、うっかり言ってしまって申し訳ない、という顔をされるのは、それほど悪くないように思われた。

「なければいいです」

 そう言った瞬間、いったい何を想像したのか。ヴァルの顔が一気に真っ青になる。

「ま、待て! ないとは言ってない!」

 慌てふためいたヴァルに手を引かれ、船内へ逆戻りした。

 船室がある階の、階段のすぐ近くの小さな部屋を開ける。そこには、掃除道具や布類が所狭しと詰め込まれていた。

 その中から、ヴァルはいくつかの服を取り出す。

 作業のしやすさを考慮したのか、半袖のカートルだ。しゃがんだ時の心配がないよう、下に履くズボンもつけてくれたらしい。

 渡された分だけでも、かなりの量がある。

「この部屋に布や服があるから、必要なら勝手に探してくれ。水を替えたくなったら俺か厨房の人間に声をかけろ。最初に入った船室はお前の好きに使っていいから、着替えはあの部屋でしろよ。あ、着替え中は中から鍵をかけるのを忘れるな。外鍵はないから、貴重品は持ち歩け」

「ふふっ、わかりました」

 親切といえば聞こえはいいが、少々おせっかいにも思える。そんなヴァルの言い草に、エティはおかしくなって笑ってしまう。

 エティにつられたのか、ヴァルは照れたような笑みを見せた。

(……ヴァルも、笑うのですね)

 いつだって難しそうな顔をして、何か言えば困った顔か慌てた顔しか見せてくれない。あまり笑わない人なのだと、エティは勝手に思い込んでいた。

 思いがけない時に意外なほど優しい笑顔を見せる人を、エティは他にも知っている。

「ヴァルは少しだけ、お父様に似ていますね」

 彼を挙動不審にさせることを言い残し、エティは渡されたカートルを抱えて奥へと歩いていく。

 最初に案内された客室に入り、鍵をかける。靴を脱いで服を着替え、長い髪を余っている布で簡単に縛った。裸足のまま貴重品を持って、上の船室へと向かう。

 ひとつの船室には、二段のベッドが左右にあった。それぞれに、体力をすっかり消耗して、自力で体を起こすことのできない者たちが寝かされている。彼らの手足には枷をされていた後が赤黒く残り、目にするだけでも痛々しかった。

 彼らを見ていると、気安く話しかけてくれる、明るいステルブールの民を思い出す。もし、彼らがこうして捕らわれ、手ひどく傷つけられていたら。そう考えると、居ても立ってもいられない。

 じわりと涙が浮かび、あっという間にこぼれ落ちようとする。それを両手の指でそっと拭い、エティは早速作業を始めることにした。

 ありふれたカートル姿のエティは、ベロアの小袋を縛りつけた鎖を腰に巻いている。それを除けば、その辺りの街や村にいる娘と大差ない出で立ちだ。

 実はデュヴァリエールの貴族令嬢であり、リヴァルーク国王の姪だ。そう言われても、この格好では誰も信じないだろう。

「痛かったら、言ってくださいね」

 用意してもらった水で布を濡らして、一人一人服を脱がせて、優しく丁寧に体を拭く。さっぱりしたところで、新しい服に着替えさせる。小部屋で発見した櫛で、女性の髪をとかすことも忘れない。

 領地でも、病人相手や孤児院などで似たようなことをしていた。だから、エティは慣れた手つきで次々こなしていく。

 感謝の視線を感じるたび、出ない声で必死に喜びを訴えられるたび、エティは込み上げる感情と涙に苦戦する。

「はい、終わりましたよ。少しは、気分がよくなりましたか?」

 もう、死ぬか生きるかの恐怖に怯えなくてもいい。

 常に何かしら声をかけ、優しい手の温もりと態度で、エティはそれを示す。

 水の場所を知らないエティは、最初だけヴァルに頼んだ。しかしその後は、彼を一切頼ることなく、一人で水や布を替えながら余すことなく部屋を回る。

 使った道具を片づけるついでに、ふと通りかかった厨房に顔を出す。

「あの、お願いがあるのですが……」

「嬢ちゃん、どうした?」

 服装を見て、救出された中で運よく元気な娘がいたと勘違いされたようだ。領地で慣れている程度に、気さくに声をかけられる。

(……本当に、何も知らされていないのですね)

 事実を痛感し、エティはスッと気を引き締める。些細な不注意で、彼らの未来を奪うことは絶対に許されない。

「救出された方々の食事に関してなのですが、今日は薄い味で、具材のないスープをお願いできますか?」

 助かった安堵感から、誰もが空腹を感じている。しかし、咀嚼し飲み込む体力がほとんど残されていなかった。

 そのことを伝えると、気配りの細やかさを料理人に感心されてしまう。

 病人の看護もこなしたエティにとっては、ごくごく当たり前のことだ。褒められるような話ではない。それでも、エティはニッコリ微笑んで礼を言った。

 それからようやく、水桶と余った着替えなどを片づけに向かう。

 甲板に上がって、真っ先に太陽の位置を確認する。海に桶の水を捨てて、服を置いている小部屋へ戻った。まずは桶と余った布を、順番に元の場所へ戻す。ヴァルに渡された分も含め、使わなかった着替えをそれぞれの大きさの場所へと置く。

(食事まで時間があるから、ヴァルを探してお話でもしようかしら?)

 過保護のようで、けれどエティが何を始めても止めたりはしない。自由にさせてくれる分、エティにかかる責任についてもきちんと教えてくれる。恐らく、彼自身が考えてもわからないことは聞くのだろう。しかし、今のところ、エティが起こす行動に関して何か尋ねられた覚えはない。

 エティの知る中でも、一、二を争うほど賢い人だと思っている。争っているのはもちろん、エティの父親セルジュだ。

 そして何より、初めて見た笑顔に不思議な魅力を感じた。

 だから、彼が大いに慌てふためくほど困らせてみたい。

 どんな時でもかまわずにはいられない、唯一無二の存在になってみたい。

 肖像画をただ眺めて、ほのかな憧れを気安く口にしていた頃とは違う。今まで経験したことのない、強くて不思議な衝動に駆られるのだ。


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