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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
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仕組まれた邂逅 4

 外の喧噪が収まってしばらくした頃、再び少し騒がしくなった。

 どうやら、襲撃者側が勝利を収めたようで、船内をくまなく捜索している様子だ。

(私がいることも、じきに知られますね……)

 その時、どうするのか。

 相手が誰かをきちんと確かめてからでは、もう手遅れかもしれない。

 悩みながらも、外から聞こえる声に耳を澄ます。

(……リヴァルークの、言葉のようですね)

 比較的訛りの少ない、綺麗なリヴァルーク語だ。単なる船員としては、かなり珍しい。いや、むしろ、まずあり得ない話だ。

 恐らく、リヴァルークの軍関係か、私掠船だろう。どちらにしても、最高に運がいい。

「見たところ、デュヴァリエールの貴族令嬢だな」

 若い男性の声がした。しかも、他の声とのやり取りからして、彼が船長なのだろう。ずいぶん若い船長のようだ。

 顔を確かめられるだろうか。

 ふと、そんな気がして、そちらを眺める。けれど、窓に光が反射していてよく見えなかった。

 ややあって、彼は鍵を探すよう、他の者に指示を出した。バタバタと走っていく足音が聞こえる。

「船長、ありました!」

 ガチャガチャと、何度か鍵を試している音がした。やがて、鍵が開いたようだ。

 不意をつくようにドアが開けられる。そこから、ヘーゼル色の髪と瞳の青年が、わずかに頭を下げて入ってきた。

 ジッと見つめていたエティは、彼の顔をまじまじと凝視している。よほど驚いたのか、こぼれ落ちそうなほど目を見開く。

(なぜ、この方がここに……?)

 突然のことに、さすがに感情を制御しきれない。ひたすら彼を見つめるエティは、痛みを堪えるようにギュッと眉を寄せた青年に気づけなかった。

 肖像画より、何歳か年を取っている点。それから、絵とは違う服装。それらを除けば、まるで、あの肖像画から抜け出てきたかのようだ。

 それほど、エティからすれば、まとう雰囲気までが肖像画のヴァレンティンそのものだった。

「俺たちはリヴァルークの人間だ。手荒な真似をする気はないから、どうか安心して欲しい」

 彼はエティを気遣ったのか、完璧なデュヴァリエール語で話しかける。

 やや低めの穏やかな声は、耳に非常に心地よい。確信を与えられて高まる緊張感は、エティの心臓を今にも壊しそうなほど激しく脈打っていた。

「外に出るぞ」

 差し出された青年の、大きくて節くれだった温かな手。それに、エティは恐る恐る手を重ねる。

(……男の方、ですね)

 噂どおり、私掠船の船長をしているだけあって、無骨な手だ。けれど、嫌いではない。しっかりと鍛えられた手は、それだけで価値があるのだ。

 青年に優しく手を引かれ、奴隷船に乗せられてから初めて船室の外に出た。

 エティは、歩きづらい服を気遣ってゆっくりと歩いてくれる青年を、ジッと見上げる。毎日見上げていた父親よりも、彼はいくらか背が高いと気づく。

 それもこれもすべて、肖像画を眺めて想像しているだけでは知る由もなかったことだ。

「……!」

 開けられたドアから外を見たエティの視界が揺らぎ、慌てた青年の腕に支えられる。

 三日ぶりに、直接目にした真昼の太陽と青空のまぶしさか。はたまた、まだ片づけ途中で、ところどころ血の海になっている甲板か。そのどちらに目が眩んだのか、エティにはわからなかった。

 しかし今は、フラフラする体を支えるだけで精一杯だ。

「失礼」

 短いひと言に答える間もなく、ふわりと抱き上げられた。驚いたエティは、思わず小さな悲鳴をあげる。

「絶対に落としたりしないから安心しろ」

 見た目ではわからなかった、服越しに伝わる青年の思いがけない逞しさ。その感触に、ますます緊張して頬が熱くなる。エティは黙諾したきり、されるがままだ。

 自覚できるほどに熱を持った顔を、感情の昂りできっと潤んでいるだろう目元を、彼に見られたくはない。

 自分の足を支える彼の手をただひたすら観察することで、どうにか平常心を保とうと努めるほかない。

(男の方は、誰でもこれほど力強いのかしら?)

 両親にまったく似ず、エティは平均より小柄だ。しかし、抱き上げたままバランスを崩しそうになることもなく、彼はスイスイと板を渡る。

 その姿に、素直に感心してしまう。

 移った船は装甲が厚く、随所に大砲を発砲するための穴が隠されていた。波をかぶったのか、甲板はところどころ水に濡れている。この船が戦場になることを、これっぽっちも想定していないのだろう。綺麗に片づけられていて、身を隠すわずかな場所もない。

 エティはふと旗を見上げる。船上で、王冠を戴く馬がいななき、その背後で交差する剣と槍の描かれたそれに、思わず目を丸くした。

(リヴァルーク国旗……ではないですね。ということは……)

「どうした?」

 急に驚いたエティが、よほど不可解だったのか。立ち止まった青年が問いかけてきた。エティは、瞬きほどの間だけ考え込む。

「この船は私掠船ですね」

 エティはデュヴァリエール語で話しかける。

 彼らは自分を助けてくれるようだ。しかも、相手は、ずっと会ってみたいと思っていた人かもしれない。かといって、すんなり警戒心を解くことはできなかった。

「……よくわかったな」

 彼の驚きようを見ても、そうとわからないよう精巧に作ってあるのだろう。きっと、今までに見破った者はいなかったに違いない。

「どうしてわかった?」

 問われて、エティは少し考え込む。

(……この方を、信用してもいいのでしょうか?)

 自身が持つ、膨大な知識。それが悪用されることを、エティは何よりも恐れている。

 確認をするように、エティは青年を見上げた。そこには、知的で澄んだ、ヘーゼル色の瞳があった。

(……お母様と、同じ色……)

 その時唐突に、はるか昔、たった一度だけ聞いた話を思い出す。

 リヴァルークが所有する船の中に、自分と同じ名の船がある。その船は、国王が特に定めた船長を筆頭に、有能と認められた者だけが乗ることを許されるのだ。なぜなら、その船は、リヴァルーク国王の婚約者の名を冠しているから。

(私と同じ名の女神に守護されている船に、悪意があるはずはありませんよね)

 信じてみよう。

 そう決めて、エティは決意を固める。

「お父様に教わりました。この大陸に存在する、あらゆる国、言語、紋章、家名、特産物から各国の歴史にいたるまで、ほぼすべてのことを。あの旗はとても精巧ですが、正規のリヴァルーク国旗と違うところがあります」

 わざと青年を試すように、滑らかなカルニサーニャ語で答えた。

 正規の旗とは、たった一箇所の違い。それでも、桁外れの記憶力を自負するエティにとっては、それこそが私掠船たる証なのだ。

「本当に、たいしたもんだな」

 エティに感服したようで、答える青年も、そつのないカルニサーニャ語で返す。

 彼は、濡れた甲板で足を滑らせる可能性を危惧したのか。エティを抱き上げたまま船内へ入る。それからようやく彼女を下ろし、手を引いて、船内の階段を下った先の船室へ案内した。

 余計なものは置かれていない客室で、生活感はまったくない。けれど、細部まで掃除の行き届いた、清潔感に溢れる部屋だ。調度品も、綺麗に掃除されている。

 ここへ通した彼に、エティはなおさら好印象を抱く。

 綺麗に洗濯されたシーツのかかるベッドに、青年はまずエティを座らせた。それからドアを閉め、エティの正面に小さな丸椅子を置いて腰かける。椅子はベッドの高さより低い。それでも、エティは青年をわずかに見上げなければならなかった。

 彼の視線が、泣きぼくろに注がれている。

「母親の名前は、エリザベスだな」

 やけに自信たっぷりに、彼は断言した。

 やはり彼は、リヴァルーク国王の縁者なのだろう。つまり、本物のヴァレンティンの可能性が高い。

 逸る心を抑え、エティはできるだけ落ち着いた声で短く問う。

「……なぜ?」

「この『星』が教えてくれた」

 少し腰を浮かして、青年は壊れ物に触れるように、優しくエティの左目尻の下に触れる。彼を驚いた顔で見上げたエティは、見える範囲に彼の『星』が見当たらずに首を左に傾けた。

 ブラウンの長い髪が動きに合わせてサラリと揺れ、かすかな音を立てて肩を滑り落ちる。

「俺の『星』は背中にあるらしい」

 鏡に映したところで、己の『星』の輝きを見ることはできない。実際に、エティの『星』も、姿見には泣きぼくろとしてしか映らないのだ。

 王に連なる者に異変が起きた時、さまざまな強さで痛む場所。そこに『星』があると誰かに教わり、経験で確認するしかない。

(お母様たちも普段は服に隠れてしまう場所でしたから、不思議はありませんね)

 エティのように、目立つ場所にある方が珍しい。そうエリザベスが話せば、見えないセルジュは羨ましがって、どのような輝きが見えるのかを尋ねたものだ。

 そうした経験で、持つ者にしか『星』が見えないと知っている。だからエティは、青年の言葉を疑うことなく頷く。

『父から受け継いだこの『星』は、同じ血を繋ぐ近しい者にしか見えないのよ。エティの『星』が見える人は、家族以外ではわたくしの親兄弟とその子供たちでしょうね』

 母の言葉をふと思い出す。

 彼女の出生を、エティは薄々勘づいている。年齢から考えても、目の前の青年は、自分にとって従兄に当たるのだろう。

 ヴァレンティンは、リヴァルーク国王の甥だ。この『星』が見えてもおかしくはない。むしろ、彼であるなら、見えなければいけないものだ。

 左手を頬にそっと添えて、エティはもう一度首を左に傾けた。初めて会った時からずっと確かめてみたかった推測を、思い切って口にしてみる。

「あなたは、ヴァレンティン様ですか?」

 エティの知識の中に、リヴァルークの王族で、自ら船に乗っている者は一人しかいない。しかも、母親から名を教えられ、見せられた肖像画の人物に酷似している。

 もはや、疑いようはなかった。

 ただ、はっきりとした言葉が欲しいのだ。


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