仕組まれた邂逅 3
長身の青年が、裸足の右足を縁にしっかりと乗せる。甲板までびっしり積み荷を乗せた一隻の商船を、彼はジッと見つめていた。
二十歳を超えたばかりと思われる彼は、精悍な顔立ちに知性をただよわせている。癖のあるヘーゼル色の髪と、白いリンネルのクラヴァットを、海風に遊ばせているようだ。
彼の乗る船は、船体は金属で覆った蒸気帆船だ。甲板には木の板が張られている。舳先には、優しげな女性の彫刻が施されており、彼女が船の名前であり、守護女神だ。
今、船は帆を畳み、蒸気のみで動かしている。
(……あの船、ずいぶんおかしな動きをしているな)
商船に多い中型の木造船は、隣国ユルハイネンの旗を掲げ、帰国するように東へ向かっている。しかしなぜ、わざわざリヴァルークの領海を避けて遠回りをしているのか。
何度か同じ動きをする船に出会っていた青年には、その正体に思い当たるものがあった。
「船長、どうします?」
「逃げているからほぼ間違いないだろう。帆を張り、全力で追え!」
帆に風を受けて速度を上げる。接近したとわかると、相手が帆の角度を変え、加速して逃走を図ろうとした。そこで確信を得て、いつでも乗り込めるようにと部下たちに準備を促す。
後方から左前方に回りこむように、全速で容赦なく突っ込ませて、力ずくであちらの動きを遮る。屈強な男たちが慣れた手つきで、金属補強を施した渡し板を何枚も、瞬く間にかけていく。そうして、互いの自由な動きをあっさり阻害した。
必要な設備投資には、いくらでも資金を出してくれる。そんな国王が主な出資者となっている船だから、相手がどんな船であろうと、簡単に振り切られない自信があった。
この船が実は、軍事国家ヴィストレームの軍船より、性能も装備もいいことを知っている者は少ない。これまで一度も発射したことはないが、射程距離の長い大砲まで積んであるのだ。
「思う存分暴れて来い!」
攻撃命令ひとつで、部下たちはあっという間に相手の船へ乗り込んでいく。そんな彼らを頼もしく思いながら、彼も武器を手に動き出す。
道を歩く時とたいして変わらない足取りで、幅五十センチ、厚さ十センチほどの渡し板を通って船を移る。
「リヴァルーク王の犬が!」
いきなり剣を振りかぶって襲ってきた敵の命は、瞬きより速く横に振り払われたカトラスが奪った。鮮やかな赤色が真っ白なクラヴァットにいくつか散る。
(伯父上の犬、か。上等だ!)
子供を連れ去られたり、意に反して売り飛ばされたりして、悲嘆に暮れる者を一人でも多く救いたい。そのために、敵意のある者には絶対に容赦をしないよう、部下にも徹底していた。
その教えを忠実に守り、勇敢に戦う部下がいる。ロープを持ち込んで敵の攻撃をかわしつつ、互いの船をさらにしっかりと固定しようとする部下も見えた。
そして、武器を手にした多数の敵。
味方を勇気づけ、敵を挫くためにも、ここでやるべきことはたったひとつだ。
「次は誰だ?」
飛びかかってくる者は、手心を一切加えることなく斬り捨てる。見せつけられた力の差に足がすくむなどして、抵抗の意思をすっかりなくした者も出てきた。そういった者は、武器を手放させてからきっちり縛り上げる。
青年たちが乗り込んで、たった十数分。
ユルハイネン国籍船の甲板には、死体がゴロゴロ転がっていた。生きている者は捕虜となり、帰国後に入念な取り調べが待っているだろう。それが終われば、それぞれの国へきちんと帰すことになっている。
「残念ですが、子供が何人か……」
「そうか……後はいつもどおりに頼む」
船底に詰め込まれていた者の中で、特に体力のない子供が犠牲になった。
その報告を受けた青年は、ギュッと眉根を寄せ、目を閉じて長く嘆息する。
かろうじて息のある者たちも、自力で立てないほど衰弱が激しい。あまりにも窮屈で、苦難に満ちた長旅を強いられていたことが、見るだけで手に取るようにわかった。
「船長! ちょっと来てくれ!」
船内をくまなく調べるよう頼んでいた部下に、突然大声で呼ばれた。青年は返事の代わりに、軽く手を上げる。ついでに、手の空いている者に甲板掃除を命じた。
ふと視線を下げて、クラヴァットに返り血がついていることにようやく気づく。それをほどきつつ、足を滑らさない程度に急いで船内へと駆け出す。
あらわになった青年の首には、革紐がかけられていた。その先には、強い日差しにキラキラきらめく、黒く不透明で金属光沢のある石がくくりつけられている。
男が青年を連れて来たのは、比較的まともな船室のひとつだった。ただし、少し錆びた部屋の外鍵に加えて、新品の頑丈な南京錠がかけられている。その厳重さと船の積荷から、室内に何があるのかは簡単に推測できてしまった。
恐らく、特に上等と判断された、傷物にしたくない少女でもいるのだろう。
「何があった?」
「どっかのお嬢さんが捕まってるみたいで」
予想どおりの言葉に、青年はその目で確かめようとする。ドアにはめ込まれた小さな窓から、そっと覗き込んだ。
そこには、真新しいクリーム色のドレスを着た少女が、物憂げな様子でベッドに座っていた。監禁されていながら、腰まであるブラウンの真っ直ぐな長い髪の手入れは欠かしていないようだ。
彼女の傍らには、理知的な横顔に似合う何冊もの本。
「見たところ、デュヴァリエールの貴族令嬢だな」
青年には髪の特徴で出身国が予想でき、服装や居住まいから育ちが見えた。恐らく、子爵か伯爵の令嬢だろう。
抑えたつもりの話し声が聞こえたのか。少女が不意に、青年の方へ顔を向ける。
清楚な美少女と表現するに相応しい彼女の左目尻に、キラリと光る何かが見えた。
(……涙?)
泣くほど恐ろしい目に遭っていたのか。それとも、いきなり離れ離れになってしまった家族に会いたいのか。
確かめようと、もう一度見直してみる。直後、その正体に気づいた青年は、不意に思い出された言葉と眼前の現実に、思わず頭を抱えてしまう。
『ヴァルは彼女の顔を見ただけで、リズの娘だとわかるはずだよ』
(確かに、伯父上が言ったとおりだな……)
彼女は間違いなく、十六年前から行方知れずだった叔母の娘。つまり、従妹だ。
「大急ぎでここの鍵を探して来い」
手は打ってあるとはいえ、売り飛ばされる前でよかった。一度はそう安堵するものの、今度は気さくすぎる部下たちに思い至る。彼らに対しどう説明したものかと、必死に思案をめぐらせた。
国に戻れば、いくらでも証人はいる。しかし今は、自分以外に彼女の出自を理解し、はっきりと証明できる者がいない。しかも、その証明は、王と血の繋がりが近くなければ見ることもできないものだ。見えない者に信じろと言うのが、そもそも無体だとわかっている。
年頃の近い見習いや新米が、うっかり若気の至りで彼女に何かしようものなら。たとえ、どれほど有能な者であれ、ほぼ間違いなく、助けてやれない状況になってしまう。それが、何より恐ろしかった。