築かれる人脈 2
まずは、事後承諾になった夜会の件を謝罪した。それから、別行動の間に行うことを大まかに説明したところ、ヴァルは陸にいる間はすべて同行すると言い出したのだ。
正直なところ、夜会だけでも負担が大きいはずだ。これ以上煩わせて、さまざまなことに消極的になられても、かえって困ってしまう。
「茶会でしたら、私一人でも平気ですが」
「こっちにいる間の話だ。せめて送り迎えくらいはやらせてくれ」
また厄介ごとに首を突っ込むのではないか。
どうせヴァルのことだ、そんな心配をしているに違いない。わざわざ送迎を買って出るのも、心配性ゆえなのだろう。
「……わかりました。ですが、ヴァルの負担にならない程度にお願いしますね」
条件はついているが、エティは素直に承諾する。それを受けて、ヴァルはホッと安堵の息を吐いた。
どうやら、別行動している間のことを、相当心配しているらしい。
(私は、決して無茶はしないと決めているのですが……)
少しの無理はしてしまうが、無茶だと思うことは潔く諦める。それは、取り返しのつかない失敗をしないための、エティなりの決めごとだった。
無茶だと思ったからこそ、叔父に屋敷を襲撃された時、逃走などの抵抗をしなかったのだ。
「あ、それから、茶会は男子禁制らしいですね」
「……は?」
「男性がいては話しづらい内容で、楽しく過ごしたいのでしょうね。私は、頭では理解できますが、感情は理解に苦しみます」
いくら庶民と混ざって行動しようとも、貴族令嬢としての最低限の立ち居振る舞いは身についている。だからといって、令嬢らしい話題に興味があるかと言われると、きっぱり否定するしかない。
たとえば、色恋沙汰に関する話などは、その筆頭だろう。
エティ自身は、ヴァルしか見えていない。けれど、そのヴァルはというと、エティとはできるだけ縁遠くありたいと思っているはずだ。
そのことに不満がないとは、さすがに言えない。けれど、その不満を誰かに打ち明けるなどという、まったく意味のないこともしたくはなかった。
「つながりを得るためですから、多少のことは耐えますが……」
もちろん、途中で耐えきれなくなる可能性もある。
「あ、それから、ヴァルのお母様からの茶会のお誘いはお断りしました。今後も、受けるつもりはありません」
「別にかまわないだろ。あの人は自分が中心になって、ちやほやされていたいだけだからな。招かれればエティは喜んでやってくると思い込んでいそうだし、いい薬だ」
実の息子にここまで言われる母親というのも、かなりのものだろう。
そんなことを考えながら、ダーナが淹れてくれた茶を口に含む。少し温くなってきていることから、ずいぶんと話し込んでいたようだ。
そろそろ、席を外しているダーナが、茶を取り替える準備をしている頃か。
「そういえば、伯父様は何もおっしゃらなかったのだけれど、私の侍女は一人だけでも大丈夫なのでしょうか?」
「……一人? それで足りるなら、いいんじゃないか? 母上は、いつも十人くらい引き連れて歩いているが」
「私が茶会を主催するならば、もう少し必要でしょうから、そこで悩んでいるのです。伯父様が用意してくださった候補の中では、ダーナ以外は即座に選ぶ価値はありませんでしたし」
常に顔色をうかがう侍女など、行動の邪魔にしかならない。侍女の分をわきまえ、時には自分で考えて動く侍女が欲しいのだ。
たとえば、ダーナのような。
「本当は、行儀見習いをするような、下位の貴族令嬢も必要なのでしょうが……」
いわゆる横のつながりのためだ。
けれど、それはそれで、海に出ている間のことを思うと億劫になる。
「……無理に決めなくてもいいだろ。あの侍女みたいなのがいいなら、そう伯父上に言ってみたらどうなんだ? その手の候補を集めてくれるだろ」
ヴァルが来ることを伝えてから、テキパキと茶の用意を整えて、ヴァルと入れ違いに出ていった。そんなダーナのことを、ヴァルも正しく評価したのだろう。
主に媚びへつらうことしかしない侍女もいる中で、ダーナは唯一の当たりだったと、エティは思っている。
もしかすると、セオドアはわざとそういった侍女ばかりにしたのかもしれない。
「……伯父様には、人を見る目を試されたのかもしれませんね」
「まあ……そういうことも、あるだろうな」
「ヴァルも試されたことはありますか?」
とたんにヴァルは、苦虫を噛みつぶした顔をする。
恐らく、経験があるのだろう。セオドアのことだ、その上でヴァルを後継者と定めたはずだ。
エティはまだ、はっきりと試された覚えがない。今回は、すべてセオドアに試されていると考えて、特に冷静に判断していくべきだろう。
「伯父様に、後を任せられると認めてもらえるよう、精一杯の努力はしたいと思います」
「……これ以上頑張ってどうするんだ」
頭痛を堪えるように、ヴァルは左の指先を額にギュッと押し当てる。船の上でもよく見るその仕草は、もうすっかり見慣れてきた。
そのくらい、エティはヴァルにいつも頭を抱えさせているのだ。
「あら、私は『リヴァルークの守護女神』になりたいのですから、そのための努力は当然でしょう?」
リヴァルークという大きな船を、しっかりと支える守護女神。
その名で呼ばれても見劣りしないように、できることは残らずやっておきたい。
「失礼します」
控え目にドアを叩いて入ってきたダーナは、手早く冷めた茶を回収する。同時に、ふんわりと湯気の立つ温かなカップを置いていく。
「ねえ、ダーナ。聞きたいことがあるのだけれど、いいかしら?」
呼び止められると思っていなかったらしく、ダーナはきょとんとした顔でエティを見つめる。けれどすぐに我に返り、大きく頷きながら承諾の返事をした。
「何でしょうか」
「あなたの知っている侍女の中に、あなたと同じように働ける方がいませんか?」
どういう意味で言ったのか、一瞬はかりかねたのだろう。ダーナは数回忙しく瞬いた後、思慮し始める。
「……心当たりがないとは言いませんが、みなさん、お仕えしている方を敬愛していますから、難しいと思います」
「……そう。そうですよね。ダーナがいてくれたこと自体、奇跡的なことですから、無理もありません。ごめんなさい、おかしなことを聞いてしまって」
「いえ。私の方でも、気にかけておきます」
ペコリと頭を下げて、ダーナはスルリと部屋を出ていく。
あれだけ有能な侍女は、探してもそうそういるはずがない。当然、すでに誰かに仕えていることが前提だ。
引き抜きは容易ではない。それはわかっているつもりだった。
「……難しいですね」
「まあ、気長にやるしかないだろ」
いまだに、ダーナはどこから来たのかが聞けていない。少しでも踏み入ろうとすると、態度であからさまに拒絶されるのだ。
信頼を築くことは時間がかかる。そのこともわかっているつもりだったのに、どうしても焦ってしまう。
「……ヘンリエッタ号の乗組員の方々は、すんなり懐いてくださったのですけれど……」
彼らのような人間は、希有な存在だ。その事実を、陸にいると嫌でも痛感させられる。
「あいつらと他のやつを一緒にするなよ? 俺で慣れているからこそだ」
「そういえば、ヴァルも伯父様の甥でしたね」
ヴァルは、王位に一番近い男、と言われている。しかし、普段の言動を見ていると、その事実をついつい忘れがちだ。
そもそもエティは、王位など関係なく、ヴァルに興味と恋情を抱いている。そこに王位が付随してきたものだから、対応に苦慮しているだけの話に過ぎない。
「そういった話題も、茶会では出るのでしょうね……」
誰かの話題に相づちを打つだけなら、たいしたことではない。そんな甘い考えでいたことを、不意に思い知らされた恰好だ。
迂闊に参加表明をしたことを、今さらながら後悔してしまう。
「面倒なことに自分から首を突っ込んだんだ。覚悟を決めて行くんだな」
「わかっています」
少しむくれながら、エティは新しくなった茶をゆっくりと口元へ運んだ。
‡
最初に招かれているのは、クレリヒュー伯爵が主催する夜会だ。そこへは、ヴァルとともに出向く。
昼には、ヴァルの母親が主催する茶会があった。そちらは断ったのだが、すでに悪評として流されていたら、どう挽回するべきか。その辺りも、事前にきちんと考えておかなければいけない。
クレリヒュー伯爵領は、ファルドラッティとの国境に大きく接している。残りはデュヴァリエールとの国境になるため、ヴィストレーム寄りの領地よりは危険が少ない。かといって、完全に安全かと言われると、首肯することが難しい関係だ。
数年前は最も安全と言われていた、ファルドラッティとの国境。それはそろそろ、覆ってしまうかもしれない。
ただ、これまでのクレリヒュー伯爵領は、かなり安全な土地だった。そのため、夜会や茶会を頻繁に行っている。当然、人脈はゆるやかに広く繋がっているだろう。
今回は、その人脈が目当てだ。
髪型やドレスは、すべてダーナの選択に任せた。船に乗っていた間に流行したものなどは、エティは知らない。流行遅れという、絶好の隙を与えるわけにはいかなかった。
馬車で王城を出たのが、まだ明るい時間だった。無事に到着した時には、もう日が暮れかかっていたのだ。
せっかく参加する夜会だが、セオドアとの約束があり、夜明けまでには城に戻っておかなければならない。これが守れなければ、茶会への参加も禁止されてしまう。
エティはまだ、親に庇護されているべき年齢だ。保護者であるセオドアとの約束は、何よりも優先すべきことだった。
馬車を降りて歩き出すと、屋敷の入り口に立つ男性に呼び止められた。服装と年齢をかんがみるに、この屋敷の執事だろう。
「あなたは、どこのどなた様でしょうか」
態度は丁寧だが、彼は明らかに怪しんでいる。
無理もないと、エティはぼんやり思う。
ここは確かに、デュヴァリエールともほど近い。しかし、他国の民と直接触れ合う機会など、そうそうないだろう。
見るからに異国の娘がいれば、警戒して当然だ。
「アンリエット・エルヴェシウスです」
今、ステルブール伯爵は空位になっている。存在しない者の娘と、堂々と名乗るわけにはいかない。かといって、国王の姪と言うのも、それはそれで違う。それはあくまで立場であって、エティを証明する地位ではないのだ。
「どちらのご令嬢ですかな?」
「前ステルブール伯爵の娘です」
これで明確に伝わるのなら、決して苦労はしない。
その証拠に、男性の顔はみるみる険しくなっていく。
(何も聞かされていないようですね)
もちろん、招待状も持参している。けれど、言われてもいないのに提示するのは、エティの主義に反してしまう。
たとえいくらか損をしても、自分を曲げることはしたくなかった。
参加はしたかったが、頑なに拒否されるのであれば仕方がない。今日のところは帰って、お詫びの手紙を認めるだけだ。
「エティ、どうする?」
「歓迎されないようですから、帰りましょうか」
潔いエティの判断に、ヴァルはなぜか小さく笑った。
「じゃあ、そうするか。俺も、堅苦しいところに行かなくて済むのはありがたいしな」
昼の茶会を断ったことで、ここに余波がきているのかもしれない。もしくは、急に参加を表明したため、参加者の名簿から落ちているのだろう。
早速馬車へ向かうヴァルに、エティは思わず苦笑いをこぼす。
やはり、こういった場は、ヴァルも苦手なようだ。
「申し訳ありませんが、クレリヒュー伯爵によろしくお伝えください」
優美に一礼して、エティはヴァルの後を追う。ヴァルの手を借りながら、さっさと馬車に乗り込む。
こういうこともあろうかと、すぐ近くで待機させておいたのだ。
座ると、ヴァルはすぐに馬車を出させる。
質のいい馬車で、整備された道ならば、振動もほとんど伝わらない。時々小石をはねたのか、それまでと違う揺れが起きる程度だ。
「難しいものですね……」
これまで、貴族令嬢という地位にはいたが、中身は庶民に近かった。今でも、仕草などに意識して気を配らなければ、田舎者と謗られかねない。
常に気を張るのも、なかなか疲れるものだ。
「やはり、ヘンリエッタ号にいる時が、一番楽ですね」
「……お前らしいな」
堪えきれず吹き出すように、ヴァルが笑う。彼をジーっと見ていたエティにも、ゆるやかに笑みが浮かぶ。
(クレリヒュー伯爵は、どう出てくるのでしょうね)
恐らく執事であろうあの男性が、来なかったことにするのか。もしくは、主に問われて真っ青になり、慌てて弁解に来るのか。
どちらにしても、エティが一度訪れたことは、手紙が届けばわかる。
聞かれたことにはきちんと答えている。ただ、屋敷へ入るために、全力を尽くさなかっただけだ。
「お前は怒らないんだな」
ボソリと呟かれたヴァルの言葉を、聞き落としかけた。うまく拾ったものの、エティは意味がつかめずに首を傾げる。
「あの程度のことは、怒る理由にはなりません」
たかが門前払いを食らっただけのことだ。今はまだまだ知名度の低い小娘なのだし、いちいち憤ることではない。
だいたい、これしきのことで怒っていたら、周囲の『星』持ちにはいい迷惑だろう。
そこで、はたと気づく。
「そういえば、あの人は、ヴァルの顔を知らなかったのでしょうか?」
重要な公式行事以外は、基本的に船の上だ。ヴァルの顔を知らない人がいること自体は、それほど不思議ではない。
「……言われてみれば、そうだな。まあ、姿絵を見ない人間もいるし、そういうもんだろ」
しかし、エティは腑に落ちなかったようだ。首をひねりながら、深く考え込んでいる。
「……伯爵家の執事が、最も有名な王族の顔を知らないものですか?」
エティの家にいた執事のクレイグは、王族だけでなく、著名な貴族は顔を把握していた。それが普通だと思っていたが、ただ単に職務に熱心だっただけなのか。
「最も有名なのは、伯父上だろう? 俺は、それほどじゃないさ」
「何を言っているのですか? 私でも、ヴァルの噂を聞いて、姿絵を手に入れたのですよ? 精巧でしたから、実際に会った時にも、すぐにヴァルとわかりました」
「待て……デュヴァリエールでも、俺は知られているのか?」
「今さら何を言っているのですか? あなたの名前を知らない者は、数える程度ですよ。前回救助した方の中には、姿絵を見たことがあって、ヴァルだと気づいた方もいましたし」
こっそりと確認された時は、他国の庶民にまで知られているのだと、無性に嬉しくなったものだ。
案外、知らないのはヴァル本人だけかもしれない。
頭痛がしたのか、ヴァルは額に指先を強く押しつけた。
「ですから、執事であれば、知らなかったと言うこと自体が恥ですよね?」
反論する気がすっかり失せたのだろう。ヴァルは背中を後ろに預け、ぐったりとしている。
「……じゃあ、お前を知らなかったことも、相当の恥だな」
「え……?」
エティは、いきなり現れた国王の姪だ。姿絵など、たったひと月程度では、まだ全体に行き渡っていないだろう。名前ですら、正確に知られているかわかったものではない。
「王の姪で、デュヴァリエール出身のアンリエットは、次の王を決める娘だ。貴族や、王都の民は、お前の顔まで知っているぞ」
「……嘘……」
いや、ヴァルがきっぱり言い切るのだから、決して嘘ではないのだろう。
驚きのあまり、口元を両手で覆い隠しながら、エティは一度街へ出なければと思った。
「お前の『星』は目立つからな」
特徴さえ知っていれば、よほど見間違えることはない。そのことは、エティも十二分に理解している。
「そもそも、主であるクレリヒュー伯爵は、お前のことを知った上で誘っているはずだ。家人に周知していないのか、必要がないと思うほどお前が知られているのか……どちらだろうな」
物知らずの執事か。はたまた、門前払いが目的だったのか。
どちらにしろ、エティの理解の範疇を越えている。
「出方を見るしかありませんね」
帰ったら手紙を書き、早馬を出してもらおう。うまくいけば、就寝前に届くかもしれない。
デュヴァリエールにいた頃に、貴族と貴族らしいつき合いをしてこなかったことを、エティは初めて悔いた。