築かれる人脈 1
奴隷商船と出会わないまま、エティは三度目の船出を終えた。報告のために城へ戻った後、しばらく陸にいることをセオドアに伝えた。
「ヴィストレームのトビアス様が、わざわざ会いに来てくださいました。そこで気がついたのですが、私はリヴァルーク国内にすら、情報を手に入れる手段がないのです。伯父様にお聞きするだけでは、今回のように、突然協力者を名乗る方々にお会いした時、後手に回ってしまいます」
ヴァルを、リヴァルークを守るためには、自ら情報を得る手段を構築しなければならない。
今後、セオドアが王位を退いたら、気軽に聞くことはできなくなる。その前に、自分の力でできるようにしておかなければ。
「ですから、夜会か茶会に参加する機会をくださるか、もしくは茶会の主催をさせていただけませんか?」
現在わかることを、セオドアに聞くわけではない。
その辺りが、彼に評価されたのだろうか。セオドアは満足げに頷いて、ニッコリと微笑んだ。
「ああ、かまわないよ。ヴァルがいる間なら夜会に、いない時には茶会に参加してくるといい。君宛ての招待状が、いくつか来ているからね」
「そうなのですか?」
こてんと首を傾けたエティだが、すぐにその理由には思い至る。
何しろ、次のリヴァルーク国王の決定権を持っているのだ。取り入っておきたい貴族は、決して少なくないだろう。むしろ、積極的に近づいて、未来の利権を求めてくる可能性が高い。
だが、欲しいのはそういう貴族ではない。国益のため、純粋に協力してくれる者が欲しいのが本音だ。
「日時が重なっているものもありそうだからね……誰を選ぶかはアンに任せるよ。誰がいいか迷った時は聞いてくれても構わないけれど」
「はい、わかりました」
封蝋のされた封筒が十通ほど、セオドアの手からドサッと渡される。差出人の書かれたものはない。表にも、宛名は書かれていなかった。恐らく、セオドアに直接、エティに渡すよう頼んだものばかりなのだろう。
つまり、この招待状たちは、王に比較的近しい者が出したことになる。
そのため、この招待状が誰からのもので、何に誘われているのか。開けるまではさっぱりわからないようだ。
(できれば、ヴァルの負担が少ないものがいいのですけれど……)
評判の悪い貴族だけを邪険にすることは、いくら何でもできない。王位に近い者としては、できるだけ平等を心がけるつもりだ。
この目できちんと見極めた上で、判断をしたかった。
「それでは、ヴァルと相談してきますね」
「ああ、そうだ。ドレスもいくつか作らせておいたからね」
「ありがとうございます」
ドレスも、ということは、他にも何か用意させたのだろう。それも、これから必要となるものばかりに決まっている。
完全に、先手を打たれた恰好だ。
「それから、君につける侍女だけれど、候補からアンが選ぶかい? それとも、僕の方で決めちゃってよかったかな?」
自分に侍女がつけられると聞いて、エティは心底驚いて目を見開く。
ステルブール伯爵の屋敷では、使用人は必要最低限の人数しかいなかった。当然、エティだけでなく、家族個人につく侍女など存在していなかったのだ。
特別な時以外は、できることは自分でやるように言われていた。今さら、誰かにあれこれ世話を焼かれるのは好ましくない。
「私が直接話して決めてもいいですか?」
無意味に世話を焼きたがる侍女は不要だ。でしゃばらず、きっちり必要な仕事だけをしてくれる侍女であれば、確かに欲しいと思う。
「ああ、かまわないよ。どうせ、アンが城にいる間だけのことだしね」
船に乗っている間は、侍女も暇を出されるのか。それとも、何か他の仕事が与えられるのか。そこは、エティが関与することではない。
セオドアの庇護下にいるエティに、王族として当たり前の権利を行使されただけの話だ。
「では、早速会わせていただけますか?」
「そういうと思って、別室に待機させているよ。おいで」
スッと手を差し出してきたセオドアを、エティは一瞬ジッと眺める。それから、ようやく自身の手をセオドアの手にそっと乗せた。
こういった経験はほとんどない。そのため、どうしても慣れないのだ。
「アンは、淑女と扱われることにも慣れないといけないね」
「……そのようですね」
かしずかれることが当然、となりたくはない。けれど、そうされてもいちいち戸惑わないよう、最低限は身につけなければいけないだろう。
特に、船から降りた後は、自分の立ち位置をうっかり忘れてしまうのだ。そのくらい、ヘンリエッタ号の中は居心地がいい。
セオドアに手を引かれ、エティは執務室から出る。
一人でも城内を歩くことはあったが、それは誰かと歩いて道を覚えたところだけだ。しかも、目的地まではすぐ、という近い距離の場合のみにしている。知らない場所を一人で歩くことと、長い移動は、まだ一度もしていない。
連れて行かれる先は、これまで知らなかった場所だ。今まで曲がったことのない方へ曲がり、階段を上ってさらに奥へ進んでいく。
ようやく行き着いた部屋を、エティはぼんやりと眺めた。
元は何のための部屋だったのか。家具ひとつない室内からでは、まったく推測できない。
「待たせたね。この子がアンリエットだよ」
「……初めまして」
ズラリと並んだ侍女候補たちは、全部で十人いた。
この中から、いったい何人選んだらいいのだろうか。侍女をつけていた経験がなく、エティは漠然と不安に襲われる。
「話をしてみて、アンが決めたらいいよ」
「……はい、そうします」
ここまで案内した後、最初から執務室に戻る予定だったらしい。セオドアはさっさと部屋を出て行ってしまう。
「みなさんのお名前を、教えていただけますか?」
戸惑いの色が全員からうかがえるのは、セオドアとこれっぽっちも似ていないからだろう。恐らく、ヴァルやセオドアですら、『星』がなければわからなかったに違いない。
とりあえず、エティからの疑問は投げかけた。後は、彼女たちがどう動くか、だ。
エティとしては、同僚同士でヒソヒソと相談して決める侍女は必要ない。みずから考え、行動できる侍女が欲しいと考えている。
真っ先に我に返ったのは、エティから見て右端の少女だった。
エティと変わらない年頃だろうか。まだあどけなさの残る彼女は、赤茶の長い髪を丸めてまとめている。濃い茶色の瞳を、真っ直ぐエティに向けてきた。
その視線を真っ向から受け止めて、エティはニッコリと微笑んだ。
「あなたのお名前を、うかがってもよろしいでしょうか」
利益を狙う者とつながる侍女なら、決してエティを諫めることはしないはずだ。機嫌を損ねないように、とにかく持ち上げるだろう。
たとえば、今のエティの物言いもそうだ。
言うべき苦言は口にできる。そんな侍女だけが、そばに欲しい。
「……私は、ダーナです」
名乗ってから、ダーナは少し迷う素振りを見せた。それも、瞬き数回するうちに、決意を秘めた顔へと変わる。
その間も、他の侍女候補たちは口を開こうとしない。明らかに、エティの顔色だけをうかがっていた。
「それから、私は使用人です。貴族の出でもありませんから、陛下に対するような言葉遣いは不要です。アンリエット様が蔑まれますから、どうかおやめください」
かすかに混ざる訛りから、生粋の貴族でないことはわかっていた。それをあえて口にする度胸も、苦言を呈する勇気も、まったくもって不足はない。
「ダーナは、何ができますか?」
エティの口調とまとう空気がわずかに変わったことに、すぐさま気づいたのだろう。ダーナは驚いた様子でエティをジッと見つめ、それから怖ず怖ずと口を開いた。
「掃除洗濯料理など、ひととおりのことはできます」
「そうですか。私も、基本的なことは一人でできますから、夜会や茶会などへ出かける際の準備と、部屋の掃除や洗濯程度の仕事になります。船に乗っている間は暇になってしまいますが、私の侍女になってください」
言葉がしみ入るまで、いくらか時間が必要だったのだろう。
しばらくして、ダーナは目と口を大きく開いた。そして、頬を上気させ、目をキラキラさせて、心から嬉しそうに微笑む。
「はい、もちろんです!」
「申し訳ありませんが、他の方は必要ありません」
エティがきっぱりと言い切ったとたん、九人の侍女候補だった者たちが顔色をサッと変えた。憤りで赤みを帯びる者もいれば、失敗を悟って青くなる者もいる。
そしてエティは、青ざめた二人の顔をしっかりと記憶した。
自分が失敗したのだとすぐに察せられるところは、高く評価してもいい。人手が欲しくなった時、彼女たち二人は補充要員の候補だ。
他は本当に、必要としない者たちでしかない。
(名前は後で、ダーナに聞いてもいいでしょうから)
今ここで二人の名を聞けば、ますます場の空気はおかしくなる。不要となった七人の侍女たちが、激しい嫉妬から何をしでかすかわからなかった。
ダーナ一人なら、エティの目もきちんと届くだろう。けれど、一度に三人、しかも侍女としてそばにいない者まで、目を配ることは難しい。
この手で守れる範囲をはっきり見極められなければ、リヴァルークの守護女神にはほど遠いのだ。
‡
ダーナを伴って自室へ戻ったエティは、抱えていた招待状をひとつひとつ開け始めた。その間、ダーナは大人しく部屋の隅に立ち、ジッと控えていた。
(……これは、夜会。こちらは茶会ね)
内容に目を通し、夜会と茶会のどちらなのかで招待状を分けていく。
(それにしても、いつ渡されたのでしょうね)
ほとんどの招待状は、開催日に余裕がある。昼は茶会、夜は夜会、という強行軍が可能な時間指定をした招待状もあった。かと思えば、明後日の昼に行う茶会という招待状もある。
明後日など、すぐに承諾の返事を書いたところで、互いに混乱するだけだろう。かといって、きっぱり断っても角が立ちそうな話だ。
何しろ、エティが出ると決めたひとつの茶会の主催者と、明後日の茶会の主催者はすこぶる仲が悪い。余裕がないからと断った茶会の二日後に、犬猿の仲の茶会へ行く。しかも、また別の貴族が主催する夜会に、明後日の夜に出向くと決めてある。
そもそも、明後日の茶会と夜会は、真逆の位置で開催されるのだ。こうなると、着替えの時間をかんがみても、どちらかは切り捨てなければいけなかった。
これらがどんな悪評となって流れるか、わかったものではない。
(そもそも、この一通だけがおかしいのですよね……)
他は、来てくれたら嬉しいが無理ならまた次回に、ということが書かれていた。事前に日を決めてしまってから、エティを呼んでみようとなったのだろう。あるいは、ヘンリエッタ号に同乗していることを、すでに知っているのかもしれない。
ところが、明後日の茶会の招待状は、エティの出席が前提になっている。来て当たり前、どんな事情があろうと断るなんて考えていない。そんな失礼な招待状なのだ。
「……ベレスフォード伯爵夫人」
思わず声に出して、差出人の名を読み上げた。
その爵位は知っている。
領地は、ユルハイネンとの国境に広がっている。森と湖のある、のどかな土地だ。当主の名は、ジョナス・クィンシー・クルサード。ヴァルの父親だ。
(いくらヴァルのお母様が主催していても、私の参加は当たり前ではないのですよ?)
むしろ、あんなに感情の起伏が激しい『星』持ちとは、できるだけ縁遠くありたいと願ってしまう。
何かあって怒り狂ったとたん、こちらには耐え難い激痛が襲ってくるのだ。避けたくなるのも無理はない。
ペンを持ち、かなり下手に出た丁寧な断りの文句を紙に綴っていく。続けて、他の招待状にもそれぞれ返事をしたためる。すべて宛名を書いた封筒に折りたたんで入れ、封蝋できっちり封をした。
「ダーナ。手紙を届けてもらうよう、頼んできてください」
「はい」
サッと近寄ってきて、ダーナは封筒の束を受け取る。ペコリと軽く頭を下げて、小走りで部屋を出ていった。
急ぎの返事があると、察したのだろう。
椅子に体を沈めて、侍女候補たちの姿を思い出す。誰も彼もヘーゼル色の髪で、恐らくリヴァルークの民だ。中には、子爵や男爵の令嬢もいたのかもしれない。
貴族令嬢の名は知っていても、顔まではさすがに把握していなかった。直接会うか、姿絵を見る以外、知る手段がないからだ。
そんな中で、ダーナは確かに異質だった。
赤茶色の髪はファルドラッティ国に多い。彼女はそちらの出身だろう。奴隷として売られかけ、無事に救出された娘という可能性もある。
(……事情がありそうですから、無理に聞き出さない方がよさそうですね)
今はまだ、エティが他国の貴族令嬢で、王の姪で、次の王を決める娘といった程度の認識だろう。それがクルリとひっくり返ってしまうことは、現段階では避けたかった。
(問題は、ベレスフォード伯爵夫人が、どう出てくるかなのですが……)
開催日時と知名度を考慮した上で、夜会はすべて出席することにした。どのみち、ほんの三回だ。ヴァルには少々我慢してもらうことになる。
茶会は、二件だけ断った。夜会を優先した結果の話だ。とはいえ、その事情は、ヴァルの母親には語っていない。もう片方は、きちんと説明をしておいた。
(私に仲良くする気がないことを、これで理解してくれるとは思いませんけれど)
知らず知らずため息をこぼし、ふと茶が飲みたくなった。目でダーナを探してから、先ほど用事を頼んだばかりだと思い出す。
せっかくだから、自分で淹れてもいいだろう。
そんなことを考え、エティは隣接する厨房へ入っていく。やかんで湯を沸かし、茶を淹れる準備を始めた。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい。一緒にお茶を飲みませんか?」
ちょうど湯が沸き、茶を淹れたところだ。カップをふたつ、テーブルに置いて、片方のソファをダーナに勧める。
とたんに、ダーナが眉をグッとつり上げた。
「アンリエット様……使用人にそういうことをしてはダメですよ」
「私がダーナと一緒にお茶を飲みたいのです。デュヴァリエールにいた頃は、使用人と食事を一緒に取っていましたから、一人は寂しくて嫌だと思う私を助けてください。ね?」
「…………」
いったいどんな育ち方をしてきたのか。
ダーナの表情も視線も、そう問いかけてきていた。けれどエティは、サラリと気づかない振りをして流す。
「だいたい、この部屋を訪ねてくるのは伯父様かヴァルか、私の弟妹だけです。安心してください」
「それは、そうかもしれませんけれど……でも……」
ここまで言われてもまだ悩むのは、使用人ならば当たり前だろう。だが、エティのやり方に慣れてもらわなければ、侍女としては使い物にならない。
「私の部屋でどうするかは、私が決めることです。他人を招いている時は、もちろん使用人として扱いますから、誰もいない時には私のわがままを許してください」
穏やかにやわらかく頼んでいるようで、実際には決定事項の通達だ。
ややあって、ダーナは小さなため息をこぼす。
「……アンリエット様しかいない時だけですよ?」
渋々といった体で、ダーナはエティの向かいに腰かける。
「ふふっ、ありがとうございます」
今はまだ、この距離感が精一杯だろう。けれどいつかは、もう少し近づきたい。そうして、彼女にエティで呼ばせたいのだ。
まだ湯気の立っている茶を口に含み、エティは嬉しそうに笑った。