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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
天使を乗せる船
22/25

乗り込んだ船 2

 アン・カルロッテ号の甲板には、着々と茶会の準備が整っていく。

 エティがそれを真剣に眺めている間に、ヴァルはヘンリエッタ号に戻った。乗組員にざっくりと事情を説明して、今はエティのそばにいる。

 慣れた手つきでテーブルと椅子を運び出し、並べていく中隊長たち。師団長が手を出そうとすると、彼らが慌てて止めるといった光景が見られた。

 ちなみにエティも、早々に手伝おうとして却下された一人だ。

「ヴァルが同じことをしても、止められるでしょうね」

「止められるのは、俺じゃなくてお前だろうが」

 心外だと言いたげに、エティはジーッとヴァルを見上げる。

 そもそも、エティは止められたところで止まりはしない。そのまま突っ切ることが基本だ。制止に従うのは、そうする理由がある時に限られていた。

 ヘンリエッタ号の乗組員たちは、最近、そのことに気づき始めている。

 いまだにエティを本気で止めようとするのは、もはやヴァルくらいだろう。

「私は、簡単に止まりませんよ?」

「知ってる」

 簡潔に返された言葉で、胸がじんと熱くなる。秘めた想いが、ひと息に加速しそうだ。

 嬉しくて、ジッと見つめたままでいると、不意に視線がこちらを向いた。

 そういう勘の鋭いところも、好きだと思う。

「……どうした?」

「たいしたことではありません」

 ごまかすために、ニッコリ微笑んで告げる。明らかに訝しんでいるヴァルの視線には、まったく気づかない振りを貫く。

 彼にとって不要なものだから、一時的に封じると決めたのだ。そんな気配はおくびにも出さず、じわじわと絡めとるために。

 とはいえ、そこまで器用な真似ができるか。そう問われたら、エティは恐らく否定するだろう。

 アーサーたちを含め、エティの気持ちを知っている者には、しっかりと口止めをしてある。それでも、誰かの口からうっかり、真実がこぼれないとは限らない。

 船を捨ててでも、欲しいと言わせる。それまでこれは、決して知られてはいけないものだ。

「さて、アンリエット嬢にヴァレンティン殿下。準備が整ったので、こちらへ」

 慣れない敬称のつけられた、久しぶりに聞く本当の名前。それに戸惑ったのは、何もエティだけではない。

「俺のことはヴァルでいい」

「私は最初に、エティと名乗りました。そうお呼びください」

「そうか、わかった。ではエティにヴァル、こちらへ」

 大きな楕円の机を取り囲む形で、ぐるりと椅子が並べられている。その中のひとつにエティが座った。彼女の右隣にヴァルが腰を下ろす。

 師団長は、エティのほぼ正面に座る。

 ヴァルの右も、エティの左も、必然的に中隊長たちが座ることになった。

「まずは、こちらの自己紹介をするべきだな。私は師団一番の師団長で、トビアスという」

 セオドアより少し年上だろうか。師団長はそう名乗る。彼に続き、中隊長たちも順に名乗っていく。

(師団長がトビアス様で、彼の右がサムエル様、左がマウリッツ様。ヴァルの隣がホーカン様で、私の隣がスティーグ様。ホーカン様とスティーグ様の間が、アンスガル様ですね)

 顔と名前を一致させると、エティは彼らに向かってにこやかに微笑む。

「では、このような茶番に巻き込んだ理由を、お聞かせ願えますか?」

「はぁ?」

 素っ頓狂な声を出したのはヴァルだけだ。ヴィストレームの面々は、なぜかやけに楽しそうな顔をしている。

「その前に、マウリッツの淹れた茶を飲んでやってくれ」

「そうですよ。師団長の秘蔵の茶葉を、僕がブレンドしたんです。ぜひ、感想をお聞きしたいものですね」

 さすがに、セオドアの協力者というだけはある。どうやら、一筋縄ではいかないようだ。

 仕方なく、エティは目の前に置かれたカップを手に取った。口元へと近づけると、その香りにピシッと硬直してしまう。

 動きが止まれば、明らかに不自然になる。それでも、一度固まってしまった体は、簡単には動いてくれない。

「……エティ?」

 ヴァルがこっそりと囁きかけてきた。その声には、心配が特に多く含まれている。

 それでようやく、エティは我に返ることができた。

「……このお茶には、ステルブール伯爵領で採れた茶葉が入っていますね?」

 問う形を取ったものの、確信がある。

 独特の鋭さと甘みを含む香りは、他の茶にはあまりない。もちろん、味にも自信はある。慣れ親しんでいるものの匂いだから、エティにはすぐにわかったのだ。

 ただし、手に入れるのは容易ではない。

 栽培しているのは、領民のためだ。毎日飲むものだから、他から茶葉を買えば、どうしても大きな負担になる。領内で作ったものはステルブール伯爵家がすべて購入し、領民に無料で配っていた。その金銭が、茶畑で働く者たちへの給金となっている。

 それでも余ったものを、時々、欲しがるよその人に売ったことはある。量が出回らないものだから、当然のように割高だ。

「おお、香りだけでわかるとは、さすがですね」

「毎日口にしていたものですから」

 自宅でくつろぐ時には、必ずこの茶が出されていた。たとえ、さまざまな香りと混ざろうと、それがわからないはずがない。

 わざと試すようなことをしたのか。それとも、単に歓迎の意を込めたのか。そこがはっきりしないため、エティは内心でグッと眉を寄せながら、ゆっくりと茶を口に含む。

 まろやかな甘みは、ステルブールの茶葉だろう。そこに、ほのかな苦みが出てくる。ゆっくりと広がる甘みと苦みは溶け合い、スルリと喉を通り抜けていく。

 まったく引っかからない、爽やかな喉ごしだ。

「師団長は茶葉を趣味で集めていますからね。この茶は、ユルハイネンのアスピ地方の茶葉と、ファルドラッティのクリッパ地方の茶葉、それから我が国で採れた茶葉をブレンドしたものです」

「……お前、容赦なく高い茶葉ばかり使ったな?」

「今ここで使わずに、いつお使いになられるんです? 趣味で集めるだけ集めて、棚の中にただ飾っているのは、宝の持ち腐れと言うんです」

「師団長がマウリッツの好きにさせたんですから、仕方がないですよ」

 ホーカンから突っ込みが入り、トビアスは苦笑いを浮かべるしかなかったようだ。妙に渋い顔のまま、黙ってカップに口をつける。

「……ステルブールの茶葉は、残り少ないから貴重なんだぞ。しかも、うまいくせになかなか手に入らないんだ」

「わかっていますよ? だから、あえて出したんです」

 どうやらマウリッツは、茶にはかなりこだわりがあるようだ。同時に、茶を淹れる腕前も相当らしい。文句を言いながらも、トビアスはおいしそうに茶を飲んでいる。

「さて、本題だが」

 世間話をするかのような軽さで、トビアスが不意に切り出した。思わず、エティは背筋をピンと伸ばす。

「ああ、そうかしこまる必要はない。単に俺たちが、セオドア王の後継者たちと話をしてみたかっただけなんだ。何しろ、話や噂では聞くんだが、実物にはなかなかお目にかかれなくてね」

「……そんな理由で、ここまで来たのですか?」

 もっと明確な理由が、悪意を持って隠されているのでは。

 どうしても、裏の裏まで考えてしまう。

 たとえ彼らが、セオドアの協力者であっても、だ。

「我が王は、何も知らないからね。天使を手に入れれば、ヴィストレームの名が畏怖を持って囁かれると信じている、子供のように純真な方なんだ」

(本音はこちらで読み取れ、ということでしょうか……)

 トビアスはにこやかな顔で、耳に障らない言葉を選んだ。けれど、本心は違うのだろう。

 それが本音であれば、ちっとも笑っていない目に説明がつかない。

「私はその命令を利用して、セオドア王の後継者に会いに来たという寸法さ」

 彼はまだ、何かを隠している。それはわかるのに、隠しごとまで一向にたどり着けないのだ。

 あまりにもどかしくて、エティは少しでも落ち着くために、茶で喉をしっかりと潤す。

「……私は、ヴィストレームの船をこの目で見るために、こちらへ乗り込みました。船内も見たいと思っていたのですが、本日はお暇した方がよさそうですね」

「おや、帰るのか? では、またそのうちに会いに来るとしよう」

 トビアスも中隊長たちも、まったく残念がっていない。むしろ、ここで腰を上げたエティに対し、評価を高めたようだ。彼らの瞳が、表情が、ありありと伝えてくる。

(胸のうちの探り合いは、あまりしたくはありませんが……)

 また会いに来る。そう言ったのだから、どんな手を使ってでも実行するのだろう。

 その時までに、彼らの情報をできるだけ手に入れておきたかった。その上で、戦う準備をしっかりと整えなければならない。

「ふむ……いい目だな。女にしておくのが惜しい目だ」

「男であったなら、とは何度か言われたことがありますから」

「なるほど……ますます興味が引かれるというものだな」

 返事はせず、エティはすっくと立ち上がる。すぐにヴァルも立ち上がり、エティの手をギュッと握った。

 大丈夫。そう伝えるために、大きな手をキュッと握り返す。

「それでは、失礼させていただきます」

「ああ、そうだな。また今度、ゆっくり話そうか」

 はっきりと返事をすることは避け、エティはニッコリ微笑む。トビアスも、グッと笑みを深める。

 ヴァルに手を引かれて、エティはヘンリエッタ号への不安定な道を渡った。

 渡し板を外したとたんに、アン・カルロッテ号がガクンと揺れる。動力を動かし始めたのだろう。

(ヴィストレームの、トビアス師団長……)

 彼らは本当に味方なのか。はたまた、実は敵なのか。何もわからないまま、ただ翻弄されてしまった。

 その事実が、ひたすら悔しい。

「ヴァル……戻りましたら、伯父様に詳しいお話をお聞きしましょう?」

 どこか冷えたエティの声に、ヴァルは一瞬身を引く。けれどすぐに、「そうだな」と同意した。

 セオドアが黙っていた理由は、いくつか考えられる。そのどれであっても、もしくはすべてであっても、彼を責める気はない。

(私は、ヘンリエッタ号だけでなく、リヴァルークの守護女神になると決めたのです。今回の件は、私を見極めるためのものでしょう)

 不測の事態が起きた時、どう判断して、何をするか。初手で遅れをとった分を、いったいどこで挽回するのか。

 それどころか、そもそも、セオドアの後継者にふさわしいのか。

 すべて含めて、恐らくは試されているのだ。

 それも、セオドアではなく、彼の協力者の独断によって。そして、セオドアは、彼らの動きを知っていて止めなかったのだろう。

(彼らの情報を一から探るとしても、先が思いやられますね)

 ヴィストレームの協力者でも、エティのことを知っている。当然、その他の国にいる協力者も知っているだろう。

 彼らの情報を得る、自分だけの手段が欲しい。

 そのために必要なことは──。

 目まぐるしく思考を働かせたエティは、ふとヴァルを見上げた。

「ヴァル。陸に戻ったら、伯父様に夜会を開いていただくか、茶会の主催の許可をいただきます」

 これはもう、決定事項だ。

「それから、私はしばらく陸で過ごします。申し訳ありませんが、ヘンリエッタ号のことはヴァルにお願いしますね」

「……何をする気だ?」

 船を離れることを、ヴァルは何も言わなかった。

 エティが何を考えているか、彼には正確につかめていないだろう。それでも、危険がない限り、止めることはしないのだ。

 ヴァルににこやかな笑みを向けた後、エティはアン・カルロッテ号が去っていった方向をジッと見つめる。

「事前に知ることのできた話を、見落としていた私の失態です。二度と、このようなことは起こしません。そのために必要なことを、私にできる範囲でやりたいのです」

 下手をすれば、ヘンリエッタ号の乗組員まで危険にさらしていた。到底許される話ではない。

 他の誰が許しても、エティ自身が許せないのだ。

 何気なく見上げたヴァルは、何か言いたげな顔をしていた。けれど結局、言葉にはしないまま、短いため息をひとつこぼす。

(……これから、忙しくなりそうですね)

 戻ったらすぐにやらなければならないことを、頭の中に優先順位をつけて並べていく。

「あ……では、洗濯物を干してきますね」

 途中かけで放り投げてしまったことを、今さら思い出したのだ。

 誰かがやってしまっていたら、探してお礼を言わなければいけない。やりかけだったら、半分くらい乾いてしまって、妙なシワができている可能性もある。

 どちらにしても、仕事が増えるだろう。

 それもこれも、残らず自身の失態からきたことだ。甘んじて受け入れる覚悟など、とっくにできている。

 軽く息を吐き出して、エティは干し場へと向かった。


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