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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
19/25

終章

 かろうじて無事に、自分の誕生祝いとエティたちのお披露目を終えた翌朝。ヴァルは出港の準備をするため、急いで港へ馬を飛ばしていた。

 やはり、正装は苦手だ。窮屈で息苦しくて、体が自分のものとは思えなくなる。

 だが、それがあれば、昨夜のような場に出ることができる。表向きはおっとりした貴族令嬢を装いながら、誰をも魅了して歩く。そんなエティを、少なからず守ることができるのだ。

 息苦しさをあえてごまかし、常に彼女のそばにいるよう心がけた。

 もしかすると、彼女の笑顔に一番魅せられていたのは、実は自分だったのかもしれない。

 すべてが終わり、ようやく夜着に着替えてベッドに転がってから、ふと思い至った。それに気づいた瞬間を思うと、無性に悔しさが浮かぶ。

(しばらくは、伯父上のそばで大人しくしててくれよ)

 置いていくことが心配で、思わず強く祈る。反面、願いは絶対に叶わないだろうとも思う。

 エティはどこまでも自由だ。それはあたかも、籠に閉じ込めておくことができない鳥に似ている。

 それゆえに、生き生きと動き回る姿こそ、見る者の目をあっさりと奪うのだ。

 何らかの策略をめぐらすことなく、ジッと静かにしているエティなど、エティではない。思うままに行動しない彼女は、真っ先に病気を疑わなくてはいけない。

 彼女にすっかり慣れたヴァルは、何となくそう考えている。

 港に着き、まずは部下たちと挨拶を交わす。それからすぐに船へ乗り込み、動力に異常がないかしっかりと確かめる。陸に置かれた食料や備品に不足はないか。それらをきっちり確認して歩いた。

 少しずつ、船を動かす準備が整っていく。

「荷を積み込め!」

 威勢のいい返事を聞き、作業を手伝いながら、あれこれ指示を飛ばす。

 そうして仕事に没頭している間だけは、エティのことを考えなくていいはずだった。

「ねえ、船長。今日はあの子、いないんですか?」

 エティに惑わされた人間がここにもいたか。

 深いため息をつきたいところを堪え、いない事実だけを淡々と伝える。

 ひどく残念がる彼に、真実を告げるべきか迷う。今はエティがいないのだから、あえて吹聴することもないだろうと止めておいた。

 点呼を済ませ、渡し板を外す。いざ、出港の合図を出そうとしたところで。

「ヴァル!」

 港は、ざわめきや波の音に包まれている。口元に手を当てて、精一杯声を張り上げても、かろうじて耳に届く程度だ。

 だが、彼女の声を聞き違えるはずがない。

 わずかに背中の『星』が痛んだのは、恐らく気のせいだ。

 真っ白な長袖のカートルに、ふたつに分けた髪に白いリボンを編み込んでいる。その姿は、いいとこのお嬢様と言われても十分納得できた。

 わざわざ見送りに来たのか。

 大きく手を振るエティを、ヴァルはまじまじと船から見下ろす。

 最初からあの姿だったら、いろいろな人間に誤解されなかったかもしれない。そう思うと、どうしてもため息がこぼれてしまう。

「ヴァル、降りてきてください!」

 精一杯の大声に、仕方なく渡し板をかけ直す。一人で陸へ戻ったヴァルは、小首を傾げて微笑むエティの前に立つ。

「どうした?」

「これを、ヘンリエッタ号に積み込んでもらえますか?」

 小さな車輪のついた鞄をふたつ、エティはゴロゴロと引きずり出す。それを、ヴァルの手に押しつけた。

(伯父上から、持っていくよう言われたのか?)

 そんな理由のはずがない。

 頭ではわかっているのだが、どうしても楽観的に考えたくなってしまう。

 持ち上げようとしたその鞄は、片方は普通の旅行鞄のようだ。しかし、残るひとつは、中身が気になるほどずっしりと重い。

「……まさか」

 ここに入っているのは、すべてエティの荷物なのでは。

 そう察したヴァルに、エティはこれまでにない最高の笑顔を向けてきた。

 彼女はその身ひとつで、ふらつくことなく渡し板を歩く。声をかける暇もなく、さっさと船に乗り込んでしまう。

 一人残されたヴァルは、仕方なく荷物を抱えて船に戻る以外にない。

 さすがにムッとした顔で、ヴァルはエティを見下ろす。だが、エティはにこやかに微笑んだまま、ヴァルが抱えてきた鞄を開けた。

 重い鞄を開けると、そこには本がぎっしりと詰まっていた。本の上に乗せられていた紙を取り出したエティは、それをヴァルに押しつける。

「衛生員として、ヴァルの補助として、ヘンリエッタ号に乗る許可を伯父様にいただきました」

「……それが、誕生日プレゼントだったのか」

「先手を打たれたのはお父様以来です」

 やや早口のデュヴァリエール語で、エティが説明する。その表情は、いつもの何か企んでいる笑顔ではなかった。それが成功した喜びの笑みを、しっとりと浮かべている。

 セオドアが協力的と知って、ヴァルは何も言葉にすることができなかった。

 普段のエティを思えば、簡単に予想できる範囲のことだ。だが、わざわざデュヴァリエールに連れ出されていた。しかも、その後、エティのお披露目を兼ねた自分の誕生祝いがあったのだ。

 じっくりと考える暇を与えなかったのも、エティの作戦だったのか。

 かといって、彼女の豊富な知識が助けになることは、誰にも曲げようのない事実だ。

「ジルとロジーはどうするんだ?」

 何の気なしに、デュヴァリエール語で会話を続ける。

 ようやく再会し、頼りにしているはずの姉が留守にしては、いくら何でも心細いだろう。こういう時くらいは、そばにいた方がいいはずだ。

「二人とも伯父様を気に入ったらしくて、ジルは領主に、ロジーは淑女に相応しい教育をしていただくよう、きちんとお願いしてきました」

 いつでも抜け目のない完璧なエティを、可愛げがないという者は多いだろう。しかし、その鮮やかな手腕にいつだって、気がつけば感服させられているのだ。

 同時に、そんな感情を抱く自分自身に呆れ果ててしまう。体中の空気を空にする勢いで、思い切り吐き出したくなる。

「君は、またこの船に乗るの?」

 かすかに上気した顔で、赤茶色の髪の少年が、エティに気安く触れようとした。思わずそれを制し、ヴァルはエティを部下たちに紹介せざるを得なくなる。

「こいつはアンリエット・エルヴェシウス。デュヴァリエールの伯爵令嬢だったが、リヴァルーク語も完璧だから心配はいらない」

 エティと同年代の少年たちは、「ヘティかな?」と愛称を予想しているようだ。他の者も、笑みが愛らしいエティに、すっかり相好を崩している。

「私のことはエティと呼んでください。怪我の手当てや看病には慣れていますから、いつでも声をかけてくださいね」

 エティは、流暢なリヴァルーク語で話す。

 天使の微笑みで、瞬く間に船員たちを虜にしてしまった。そんなエティに、船から降りろと言えば、文句を言うのはセオドアだけではない。間違いなく、部下からも激しく非難を浴びることになるだろう。

 どこまでも、彼女の手の上で転がされているような気がした。

「エティは伯父上のお気に入りだ」

 それは、喜んでいる部下たちを、一瞬で奈落の底に叩き落す言葉だ。わかっていながら、わざわざ口にしなくてはいけない事実だ。

 ヴァルは、ザッと顔色を変えた部下たちに、ついわびる視線を向ける。

「顔はまったく似ていないが、リズ叔母上の娘なんだ」

 エティに淡い思いを抱いていた少年は、顔からすっかり色がなくなっていた。すでに芽生えた感情を、このまま育てるべきか。はたまた、捨てるべきかで迷っているのだろう。

 正直なところ、捨てられるのなら捨てた方がいい。

 ただ報われないだけでなく、他へ進むこともままならなくなりそうだ。

「容姿に関しては不要でしょう?」

「その『星』が見えないやつには、他国の人間でしかないんだぞ」

「私は、ヴァルの『星』をこの目で確かめていませんよ?」

「お前の『星』が見えてるのが証拠だ。何で俺の『星』を見せなきゃいけないんだ」

 いくらいとこ同士とはいえ、何をしでかすかわからない。そんなエティの目の前で、あえて脱ぐのはためらわれる。

 ジッと見つめていると、エティの頬がふわりと赤く染まった。

 恐らく、ヴァルの『星』が背中にあることを思い出したのだろう。

「……そ、そうですね」

 熱くなった頬を冷ますためか、エティはあたふたと両手で頬を包む。

 そんな姿は、年相応で可愛いかもしれない。

 うっかりそんなことを考えて、ヴァルは頭を数回横に振る。その際、まだ諦めていない少年たちが、完全に見とれている姿が視界に入った。

 彼らの将来を憂い、知らず知らずため息がこぼれる。

「エティ、みんなを紹介するぞ」

 優しく呼びかけ、ヴァルは部下の名前を順に教え始める。

「こいつはアーサー、こっちはユッシだ」

 名前を聞き、顔をしげしげと見つめているのは、記憶しているからだろう。そうしている間にも、エティは常に笑顔を振りまいている。

 セオドアの姪で、リヴァルークの未来を決定する娘。

 そう紹介されたエティに、わざわざ手を出そうとする者は稀有だろう。だが逆に、それがエティの自由を縛りかねない。

 彼女が船の中を好き勝手に動き回っても、問題が起きないように。

 今のうちに、全員を把握してもらいたい。そして、できるだけ後に響かないよう、手玉に取ってもらうつもりだ。

「抜けたやつはいないか?」

「大丈夫です」

 全員紹介できただろうかと確認をする。エティが頷いたことで、ホッと安堵の息がこぼれた。

 エティの顔に何かを企んでいる笑みが浮かんでいるのは、恐らく気のせいだろう。ヴァルとしては、そうだと思いたいのだ。

「頼むから、あまり俺の部下を困らせるなよ?」

「ヴァルの部下は、私の部下と言っても過言ではありませんから、いざという時に使い物にならないような真似はしません。安心していてくださいね」

「できるか!」

 平穏な時に、真っ先に犠牲者となりそうな少年に、思わず目をやる。それから、ヴァルは長く息を吐き出す。

 何をどうエティに言ったところで、絶対に無駄だとわかっている。誰彼かまわず困らせて歩かれるよりは、一人に集中した方がまだ被害が少ない。

 そう考えたヴァルは、当面目をつぶることにした。

「伯父上が怒り狂わないように、全員エティを無傷で帰す努力を怠るな!」

「……ぉ、おーっ!」

 見た目がリヴァルークの者ではないからだろう。忘れがちなエティの立場を、再度部下たちに認識させ直す。

 彼らの怯えが混じる声を、さすがに憐れに思う。しかし、エティが気まぐれに見せる天使の微笑に騙される方が、もっと悲惨な結末になると知っている。だからあえて、徹底的に怯えさせる方を選んだ。

 結果として、それがお互いのためになるはずだ。

 もう一度渡し板を外して船に乗せ、ようやく出港の命令を出した。


 ゆっくりと、船は進み出す。青い海をかき分け、白い道を描きながら。


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