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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
18/25

新たな出立 2

 西の空が、鮮やかに赤く染まり始めた頃。

 今夜は、玉座に最も近いと言われる、ヴァルの誕生祝いだ。

 こういう機会でもなければ、ヴァルは人前に姿を現さない。そのため、二十を過ぎてもまだ、セオドアによって開催されていた。

 同時に、長らく行方不明だったエリザベスの子供たちをお披露目する。

 そのことが知らされているからだろう。リヴァルークの王城にある広大な広間は、一斉に集まった貴族たちの異様な興奮と熱気に包まれていた。

(……ドレスは、どうも苦手です)

 スカートが足にねっとりと絡みつくドレスに、慣れないエティはかなり苦戦していた。

 なるべく足が自由に動かせるようにしたい。そのため、そう見えないよう、通常より多くスカートをつまみ上げている。それでようやく、どうにかまともに歩けている状態だ。

 隣を歩く正装姿のヴァルは、エティを気遣ってゆっくり足を進めている。そのたびに、目についた人物をエティに教えていた。

「あの人がアシュボールド子爵。彼と話しているのが、バーグソン卿。二人とも、エティより少し年上の息子がいたはずだ」

 どちらも、セオドアと同年代のようだ。しかし、見たところ、セオドアほど若々しい印象はない。年相応の男性、といった印象だ。

 そちらに目を向けた時、ふと気になる人物を見つけた。

「では、彼らの右手前を歩いていらっしゃる方はどなたです?」

「右手前? ……ああ、ワースリッジ子爵だ」

「彼が……」

 全体的に白くなった髪。やや腰が曲がった彼は、長い杖に助けられている。ゆっくりと、セオドアのいる方へ歩いていく。

 過去の企みがなければ、セオドアとヘンリエッタは結婚していた。彼は次の王にとって、祖父になっていたはずだ。

 セオドアの婚約者の父だから、公的な催し物のこの場に、挨拶に来たのだろう。

「俺たちも伯父上のところに……」

「兄さん」

 ヴァルは言葉をいきなり遮られ、嫌な人間に遭遇してしまった顔を見せる。

(兄弟仲はあまりよくないそうですから、無理もありませんけれど)

 実際には、弟どころか、従弟とも親しくはないらしい。ヘンリエッタ号の乗組員の方が、よほど気安く話しかけている。その辺りが、ヴァルらしいと言えばそうなのだろう。

 ため息をこぼして振り向いたヴァルは、微妙に引きつりが残っていた。それでも、そつのない真顔に戻っている。

(彼がユアン様ですね)

 チラリと目線だけ向けて、まずは声の主を確かめた。ヴァルから知性をいくらか欠いたようだと、エティは冷静に酷評する。

 顔形はヴァルとよく似ていた。ただ、醸し出す雰囲気は正反対だ。自分のものではない地位を振りかざす、ろくでもない人間の持つものだった。

 間違いなく持ち合わせていたベルトランよりも、さらに会話が苦痛になりそうだ。

 理想とするものがはっきりしているため、何か足りなければ容赦ない判断を下される。それが当然だろう。

 ユアンの近くには他に、一人の青年と二人の少年がいる。青年は、二十歳に手が届くかどうか、といった年齢だ。少年の一人はエティと変わらない年頃で、残る一人はいくらか幼い。全員、ヘーゼル色の髪と瞳だ。

 彼と行動をともにしていることと、推測される彼らのおおよその年齢。そこから、エティはそれぞれの名をすんなり導き出した。

「ヴァル、君の隣にいる子がもしかして……」

 青年が怖ず怖ずと問い、エティへと一斉に視線が集まった。しかし、エティはまったく動じることなく、優美な一礼をしてみせる。自身の評判のため、よそ行きの微笑もしっかりと添えておく。

 だが、誰からも聞かれていないので、あえて名乗らなかった。

「リズ叔母上の娘だ」

 名を告げないエティの意思を尊重したのだろう。ヴァルもわざと、彼らにエティの名を教えようとしない。

 それが無性に嬉しくなる。ついつい、ユアンたちに見えないよう、こっそりとヴァルの服をつかむ。

 気づいて振り向いたヴァルをジッと見上げて、渾身の微笑みを投げかける。

「…………」

 可憐さを際立たせた笑みに、ユアンたちは一瞬で魅了されたようだ。ヴァルを含めた誰もが、エティから目を離せないでいる。

 しかし、自分の言動を解してくれるヴァルへの恋情だけがますます募っていく。そんなエティの視界に、他の人間が入る余地など、どこにもあるはずがなかった。

「ああ、ヴァルとアンはここにいたのか」

「伯父様!」

 あっさりとヴァルの服から手を放す。無邪気にニコニコ笑って、エティはセオドアの腕にギュッと抱きつく。

 この場で誰より頼りになるのは、やはりセオドアだ。それを知っているからであって、平素は絶対にヴァルから離れたりはしない。

「どうされたのですか?」

「なかなか来てくれないから、アンの顔を見に押しかけただけだよ」

「まあ、今お会いに行こうと、ヴァルと話していたところでしたのに」

 エティは口元を右手でそっと覆って、可愛らしくコロコロと笑う。

 その本性を見抜けずに、ユアンたちはぽかんと口を開けて見惚れている。ヴァルは細く嘆息し、セオドアは笑いを堪えているようだ。

 騙される方が悪い、と責められない。エティの本質を見破れたのなら、後継者選びの条件も大きな虚言だとわかるはずだ。

 セオドアとエティを出し抜くことは、限りなく不可能に近い。

「……き、君は、アンっていうの? 可愛い名前だね」

 ハッと我に返って話しかけてくるユアンを、エティはさりげなく無視した。その挙げ句、セオドアににこやかな笑顔を振りまき、底抜けに明るい声で笑う。

「伯父様。私がご挨拶を申し上げなくてはいけない方は、何人いらっしゃいますか?」

「そうだね……僕が懇意にしているワースリッジ子爵と、後は……」

 名乗っていない者に名を呼ばれることを、エティはよしとしない。だから、あえて聞こえない振りをしている。

 そのことに、果たしてユアンたちが気づけるかどうか。

「『星』持ちはどうするんだ?」

 ヴァルが会話に混ざり、ますますユアンたちは置いてけぼりだ。

「それこそ後でいいよ。今日を逃したら、しばらく顔を見る機会のない者を優先しよう」

「おい! 何度も呼んでいるんだから返事くらいしろ!」

 いくら呼びかけてもまったく相手にしないエティに、いい加減痺れを切らしたのか。青年が彼女の肩を強引につかもうとしたが、ヴァルの手があっさり阻害する。

「会ったばかりの女性に、断りなくいきなり触れるのは失礼だろ?」

 初対面の時、半ば問答無用だったとはいえ、ヴァルはひと言断りを入れている。

 その辺りの違いが、エティにとっては大きいのだ。

「僕は従兄だぞ!」

「親しき仲にも礼儀あり、と言うでしょう? 最低限の作法も守れない人間を、従兄と認めるのは難しいお話です」

 何らかの反論を見つけ出せなかったのか、青年はウッと詰まって黙り込む。

「初めて顔を合わせた人間に、名乗ることも名を尋ねることもできない方が、私の従兄だなんて滑稽ですね。ねえ、キース様」

 小首を傾げて微笑むエティに名を呼ばれ、青年はパッと頬を染めた。己の名が知られていることを、疑問に感じる余裕は一切ないらしい。

「ユアン様、ステファン様、ライナス様も同じです。私の名前を、一度だって気にされていらっしゃらなかったでしょう?」

「……だって、君は、アンなんでしょ?」

 従弟のライナスが小さな声を出すが、エティは不敵な笑みで軽く一蹴する。

「私をアンと呼んでいいのは、この世で伯父様だけです」

 同じ愛称を持つ、親しい女性が他にいるから。それが理由だが、わざわざ聞かせる必要はない。

 エティは悠然と構え、いとこたちの出方を待つ。

 知らず知らず、彼らに向けた視線が冷えてしまう。

「……じゃ、じゃあ、君の名前は、何ていうの?」

 なぜか体がカタカタと震えてしまい、どうしても声を出せずにいる。そんな従兄たちを尻目に、最も幼いライナスが、声を震わせながらも問いかけてきた。

「私は、アンリエット・エルヴェシウスです」

(ヴァルがいなければ、ライナス様ですね)

 エルヴェシウス家が持つ恐怖に、かろうじてでも打ち勝てるのであれば。人の上に立って国を治めていくことは、恐らく十分にできるだろう。

 年齢に大きな開きがあるため、今は年長のヴァルが目立っているだけだ。あと数年もしたら、ライナスもきっちり頭角を現してくる。そう、エティは漠然と予想する。

「アンリエットに愛称はないの?」

「親しくない人間に、愛称で呼ばれたくはありません」

 多少の不足はあれど、素質を認められるライナスはともかくとして、だ。無能そうな従兄たちにまで、馴れ馴れしく呼ばれてはたまらない。

「……そうだね」

 言葉の裏にある意図まで、しっかりと読み取ったのか。意外なことに、ライナスは素直に引き下がる。

 彼の程度が知れ、認めてもいい。そう思えた暁には、愛称で呼ぶことを許すつもりだ。

「今度一緒に、お茶でも飲もうね」

 笑顔の裏に、策略がある。そんな気配を感じさせるライナスの笑みに、エティは同類の匂いを敏感に嗅ぎ取った。

「そうですね……時間の許す時にでも、お誘いくださいませ」

 ただし、その時が訪れるのはずっと先だ。かといって、いつまでも逃げることができないのもまた、きちんと理解している。

 ライナスに対し、警戒心が先に立つ。そのせいか、ヴァルのように、素直に心が惹かれる気がしない。ただ、そういった感情を抜きにつき合うのなら、悪くない関係を築ける予感はした。

「君たちもアンと話したいだろうけど、アンの時間がある時においで」

 いつ暇があるのかを、決して告げることはしない。そんなセオドアに連れられて、エティは多くの人と顔を合わせて歩いた。


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