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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
16/25

企てられた報復 4

 十五の小娘一人に、あっという間にやり込められた。その現実を噛み締めるように、三人の男性は打ちひしがれている。

「終わりました。ヴァル、帰りましょう」

 言うが早いか、エティはさっさと部屋を出ていく。動けない者どもを視界の隅にチラリと捉えてから、ヴァルは彼女を追う。

「結局、俺の出番はほとんどなかったな」

 かすかに苦笑するヴァルに、エティが穏やかな微笑を見せる。

 あれだけ戦い方を選びながら、かすり傷ひとつ負わなかった。そんな戦いをして、出番がなかったなどとは言わせない。

 何より、エティ自身より確かな、この身を守る術だ。

 いてくれなければ、これほどあっさりと終わりはしなかった。

「違いますよ。ヴァルがいてくれるから、私は安心して本領発揮できるんです」

 心からそう思う。だから、言葉は素直にあふれてくる。

 どうしても素直に伝えられないのは、重い枷になる言葉だけ。

「あれがお前の本領か?」

「いえ、残念ですが、あの程度は小手調べです」

 皮肉めいた笑みでからかうように問うヴァルに、エティはきっぱりと真顔で答える。

 所詮は小物たちの集まりだ。戦闘に巻き込まれる恐れはあっても、この命を散らす恐怖は一切感じなかった。

「しかし、マルセル王が退位したとして、王子は庶子も含めて何人かいただろ?」

「庶子を含めれば六人ですが、年齢と国民の意向を無視するのでなければ、第一王子ベルトランが妥当でしょうね」

 感情を表に出さず、淡々と事実を述べる。そんな様子ばかりだったエティに、微妙な色が浮かんでいた。

 それを見逃さず、ヴァルが訝しげな視線を投げた。チラッとヴァルを見上げたエティは、ニッコリ微笑んで解説を始める。

「彼が王になれば、確かにこの国は発展するでしょう。けれど、ますます迷惑な男に成り下がる気がして、私個人は歓迎していません」

 エティが迷惑と言い切るベルトランは、いったいどんな人物なのか。

 聞いてみたそうなヴァルだったが、エティはあえて素知らぬふりを貫いた。

 ベルトランのことを語るより、もっと有意義な話題はたくさんある。好き嫌いで言えば嫌いな人間のことを、どうしてヴァルに話さなければいけないのか。そんな感情も、否定できない。

「会えばわかりますよ。もっとも、朝に弱い人なので、まだベッドの中でしょうけど」

 早朝を狙ってエティが乗り込んだ理由のひとつが、そこにある。

 寝起きも悪いため、誰かが起こしたところで、早々起きてはこられないはずだ。

「とはいえ、急ぎましょうか」

 話題にしたことで、万一の遭遇があるかもしれない。それを恐れたエティは、ヴァルを急かして足早に城外へ出ようとした。

 だが、唐突に、一人の男に行く手を阻まれてしまう。

「やあ、アンリエット。こんなに朝早くから僕に会いに来てくれるなんて、本当に感激だよ」

「ベルトラン、王子……」

 明らかに気分を害した顔で、エティは声をかけてきた男を見る。けれどすぐに、目線をわずかにずらして、できるだけ視界に入れないようにした。

「あなたにしては、ずいぶんと早起きですね」

「新しい侍女が優秀でね。君が来たと聞いて、必死に僕を起こしてくれたんだよ」

「何ということを……」

 そこまで忠義に厚い侍女が、この城にまだ存在していたこと。その程度で、あの最悪な寝起きと評判のベルトランが起き出したこと。

 どちらも、完全な番狂わせだ。

「ああそれと、さっき揺れただろう? あれで、さすがの僕もしっかり目が覚めたよ」

「それこそ予定にありません」

 ほとんど夢の世界の住人でいたはずのベルトランは、砲撃の揺れでうっすらと目を開けた。そこに、侍女が畳みかけるように、エティのことを伝えたのだろう。

 そうでなければ、こんな時間に、彼が活動を始められるわけがない。

 よく見れば、大急ぎで駆けつけたらしいベルトランの髪には、あちこちにくっきりと寝癖がついている。

「あなたと遭遇しないためにこの時間を選んだというのに、すべてが台無しです」

 ため息をつくエティへにこやかに微笑みかけ、ベルトランは彼女の髪にそっと触れようとした。

 その手を、ヴァルがあからさまに遮る。

 当然、ベルトランは不機嫌を露にした。遮ったヴァルも、自分の行動が理解できなかったようで、苦虫を噛みつぶしたような顔をしている。

「……君はアンリエットの何?」

「母方の従兄だ」

 詳細な身分を明かすのは、さすがに危険を感じたのか。ヴァルは、ごく最低限の事実だけを告げる。

「アンリエットは僕と結婚するんだ。父上は文句を言わないだろうし、アンリエットの後見人はアルマンだから、やっぱり苦言は出てこない。触るくらいいいだろう?」

「残念ですが、現在、私の後見人はリヴァルーク国王セオドア様です」

 嫣然と微笑んで、エティが言い放つ。とたんに、ベルトランの勝ち誇った笑みが、ピシリと凍りつく。

 アルマンが爵位を継ぐのであれば、生き残ったエティの後見人は彼になる。それは、これまでの前例から、簡単に判断できる範囲だ。

 ベルトランは怪訝そうに、ジッとエティを見下ろす。

「どうして、リヴァルーク王が? 君の叔父で、ステルブール伯を継ぐアルマンが後見人になるのが、一番自然だろう?」

「いいえ。セオドア様は、私の母方の伯父です。後見人になっていただくには、現在、最もふさわしい方です」

「いや、違うね。君はデュヴァリエールの者だし、何より、父方が優先されるべきだ」

 今起きてきたばかりのベルトランは、何も知らない。その事実に、エティはようやく気づく。

 通りすがりに見た誰もが、畏怖の感情を抱いているようだった。だからこそ、彼もまた知っているものだと、勝手に思い込んでいたのだ。

「罪人では、後見人になれないでしょう?」

「……まさか」

 口調は半信半疑だが、ベルトランは表情ひとつ動かさない。そこに、エティは異様な不自然さを感じた。それはヴァルも同じだったようで、エティに問うような視線を向けている。

 仮に、エティの言葉を信じたとしても。逆に、大いに疑念を抱いたとしても。顔色がまったく変わらないのは、どうにも解せない。

「近いうちにマルセル王は退位し、あなたが民に望まれて王となるでしょう。ステルブール伯は、アルマンではなくジルベール・ド・エルヴェシウスが襲爵します」

「へぇ、ジルベールも生きてるんだ」

 ベルトランの目は、剣呑な光を宿す。それを、ヴァルが注視する。

 分かりきっている両親の事実を、口にすることはためらわれる。そのため、エティはうつむいたまま、小さく首を縦に動かした。

 今声に出したら、ヴァルの前だと戒める理性を振り切ってしまうだろう。なりふり構わず、声をあげて泣いてしまいそうだ。

「アンリエットが十七になるのはまだ二年先だし、ジルベールが襲爵するまで同じくらいはかかるだろから、それまで待って彼に許可をもらえばいいね」

 わずかな間に起こった、さまざまな出来事。それらの感傷にそっと浸っていたエティの頭は、激しい怒りでスッと現実に引き戻された。

「ジルはそんな許可を出しません!」

「デュヴァリエールの国王が命じたら、従うしかないでしょ?」

 声を荒げたエティを諭すように、ベルトランはやけに落ち着き払った口調と笑顔で問う。恐らく、思い描く未来が現実になると、大きな自信があるのだろう。

 ところが、それを聞いたエティは小さく笑って、ゆっくりとベルトランを見上げた。

「私は、ステルブール伯爵の姉ではなく、リヴァルーク国王の姪という立場で、これからを過ごすと決めています」

 そのためにわざわざ、誕生日の贈り物として欲したものがあるのだ。

「なっ……お前、こっちに居座る気か!」

「ええ。伯父様は大げさなほど喜んで、確かに許可をくださいました」

 これで縁が切れるだろう。ヴァルはそう思っていたようで、がっくりと肩を落とす。

 エティはそこまで予想していたのか。いたずらが成功した子供のような笑みを浮かべて、ジッとヴァルを見つめている。

「……まあ、でも、一国の王と、他国の王の姪でも、特に問題はないよね」

 そうしてまで、手に入れたい。そう願われていることは、薄々察していた。だが、エティにとって、ベルトランはずっと一緒にいることが苦痛なのだ。

 たったひと言では、何も理解してくれない。何もかもつまびらかにしなければ、言いたいことをきちんとわかってくれない人だった。

 そんな人とともにあることは、ただひたすら退屈で、苦痛しかない。

「そう思われるのでしたら、伯父様──セオドア王に申し込んでみてください」

 絶対に許可されないと、すでにわかりきっていることだ。

 愛想笑いすらしないエティに、ベルトランは片方の口角を持ち上げる。諦めない、という意思表示なのだろう。

「じゃあ、そうさせてもらうよ」

 ヒラヒラと手を振り、ベルトランはエティたちに背を向けた。

 彼の思惑が、いったいとこにあるのか。エティには、これまでの情報や、知っている姿をかき集めて推測するしかない。

 たとえば、今回の襲撃に、彼が関与しているのかどうか。関わったとしても、計画の段階で入れ知恵をした程度だろう。

 マルセルとアルマンでは、ここまでまともな計画を思いつくことはできそうにない。水を入れたらあちこちからこぼれるような、もっと杜撰な計画になる。

 それでも、はっきりした結論を導くには、明らかに情報が足りなかった。

「行きましょうか」

「……そうだな」

 エティが厄介者と考えていたベルトランとは、すでに遭遇してしまった。二人は急ぐことなく、のんびりと城を出る。

「夜が明けたな」

 朝日がしっかりと顔を出し、辺りはすっかり明るくなり始めていた。小さな花に残る夜露が、光を受けてキラキラと輝く。

 それらが不意に、エティを別の行動に移させる。

「リヴァルークへ帰る前に寄りたいところがあるのですが、いいですよね?」

「どこへ行くんだ?」

「内緒です」

 行き先を問われて、ニッコリ微笑んだエティはそう返す。

 隠す必要はない場所だ。今告げてもいいのだが、あえて言わずに楽しみたかった。

 周りがよく見えるようになったことで、エティとヴァルは並んで馬を走らせる。

 着いた先は、クレイグの家と変わりない民家だった。違う点があるとすれば、庭いっぱいに咲き誇る、様々な花から立ち込める匂いくらいだろう。

 エティは二回、ドアを叩いた。

「ジゼル、起きていますか?」

「アンリエットね。勝手にどうぞ」

 返事があったことで遠慮なくドアを開け、エティは中に入っていく。ヴァルは迷った挙句、外で待っていることを選んだようだ。

 ドアを閉めても、開けて入ってくる気配はない。

 中に入ったエティは、まず大きなため息をつく。それから、出迎えてくれた同年代の少女に、ギュッと抱きついた。

 背中の中ほどで綺麗に切りそろえられた、ジゼルの茶色の髪がふわりと揺れる。

「無事なようで安心しました」

「それはこっちの台詞よ。あなたも死んだって、アルマン卿が言いふらしてその辺を歩くものだから、もう心配で心配で」

 もうすでに泣き出しそうなエティに、ジゼルの瞳は穏やかな色を宿して笑う。

「相変わらず泣き虫なんだから。そんなんじゃ、憧れのヴァレンティン様にお会いした時に、困るんじゃないの?」

「……もう困っています」

 突然の告白に、ジゼルはしばらく目を瞬いていた。やがて、エティに同行していた青年を思い出したのだろう。そうして、彼の正体をすぐさま察する。

「ひょっとして、彼がそうなの?」

 こくりと頷くエティを見て、ジゼルは少し開けた窓から外を眺める。庭の花と、家の出入り口を交互に見ている青年を確認していた。

 表情が時折険しくなるから、エティを案じているのだろう。そんな彼に、ジゼルは好感を抱いたようだ。

「あの見た目で頭もよくて、しかも人々に慕われてるだなんて、天は二物も三物も与えてしまうのね。まるで、アンリエットみたいだわ」

 ボソリと呟いて振り返ったジゼルに、エティは激しく首を横に振る。

 不安げにキュッと眉を寄せて、ジゼルを見つめようと、顔をわずかに上へ向けた。

「私は、膨大な知識を持つだけの、ただの小娘です」

 ヴァルの船を私掠船と見抜いた時のように、はっきりした記憶力を試される場合。もしくは、誰かと言葉で渡り合うだけならば、それほど大きな問題はない。

 けれども、武器を持った敵からは、相手がたった一人でも、自分の身を守れない。勝手に触れようとするベルトランの手でさえ、逃れることもままならないのだ。

「……私は、一人では、何もできません」

「いいんじゃない? アンリエットが本当に何でもできちゃったら、ジルベール様の立場がないでしょ?」

「それは、そうですが……」

 せめて、剣術を習っていたら。エリザベスほどの腕とまではいかなくとも、ヴァルの足手まといにはならない自信があった。

 一粒の涙をこぼすエティを、ジゼルはそっと抱き締める。

「あなたが剣を使えたら、ここにはいなかったでしょうね。報復に来る可能性のある危険な人間を、野放しにする敵はいないわ」

「……わかって、います」

 だからこそ、セルジュはエティに剣術を習わせなかったのだ。こういう事態が起きた時、真っ先に命を奪われないように、と。

 現実にならなければ、セルジュの懸念は無用のものだった。それが、結果としてエティを生かし、爵位を正当な後継者へと繋げることができたのだ。

 それでも、エティは過去を考えずにいられない。

 反対を押し切って、エリザベスに剣を教わっていれば。両親とともに戦って、あの夜に勝利を勝ち取れたのではないか。弟妹と離れ離れになることも、大好きな家族を失うことも、なかったのではないか。

 知らず知らず、涙がつうっと頬を伝い落ちる。

「アンリエットが、一人で強くならなくていいのよ」

 エティの頬をしっとりと濡らす涙を、ジゼルは慣れた手つきで拭う。

「アンリエットは、頭を使って助けてあげる。代わりに、他の人は力でアンリエットを守る。それでいいんじゃないの? それが、適材適所っていうやつよ」

 しっかりとエティの瞳を覗き込む、ジゼルの穏やかな声が続ける。

「あたしは、アンリエットがくれる笑顔が嬉しいから、花を育てて香り水を作ってるのよ。気に入らない人間に大金を積まれても、絶対に作りたくないわ」

 胸を張って言われて、ここを訪れた理由を思い出した。エティは急いで、その香り水が欲しいと申し出る。

 わかっていたのか、ジゼルは数回頷いて、棚から小瓶をいくつか取り出した。

「アンリエットのはこれ。ロザリー様の分はこっちね」

 いつもは一本しかくれないそれを、それぞれ三本ずつ。

「よくわかりましたね」

「あれだけ焼けちゃったら、残ってても使えないでしょ? アンリエットは、必ず取りに来るって、信じてたのよ」

「ジゼル、ありがとう……」

 エティはもう一度、静かに涙を流す。

「……では、そろそろ行きますね」

 グッと涙を拭き、目が赤くなっていないか、エティは鏡で入念に確認した。その間に、ジゼルは小瓶を一本一本布で丁寧に包んで、優しく袋に入れる。

 今から馬に乗り、その後は馬車での移動が待っている。割る気で思い切りぶつけない限りは、無傷でリヴァルークに持って帰れるようにしてくれているようだ。

「それだけあれば、アンリエットの使い方だったら、多分半年くらい持つと思うわ」

 外にいるヴァルにもはっきり聞こえるくらいに、ジゼルが大きな声を出す。それを聞きながら、エティはドアを開けた。

「なくなる前に取りに来る? それとも、届けた方がいい?」

「できれば、リヴァルークの王城へ届けてください」

「わかったわ」

 袋を持って出てきたエティの後ろから、ジゼルが意味ありげな視線をヴァルに向ける。

「アンリエットをよろしくね」

 言い残すと、ジゼルはさっさと家の中に戻ってしまった。

「ジゼルったら……」

 うっすら赤くなった顔で、エティはドアをキッと睨む。

「今のは誰だ? お前のことを、様づけしてなかったが……」

「気になりますか?」

「……まあ、お前を頼まれたしな」

 口に出してから、妙に言い訳がましいと気づいたのだろう。面映くなったようで、ヴァルはふいっと横を向く。

「彼女はジゼル。私の親友であり、姉のような人です」

 デュヴァリエールには、本来、家族ですら愛称で呼び合う習慣がない。誰もが様づけする中で、彼女だけは呼び捨ててくれる。

 エティには、かけがえのない存在なのだ。

「香り水職人なんだろ?」

 袋の中身を、ヴァルはそう推測したらしい。

 エティが、印璽以上に、壊れ物を扱う様子だ。しかも、これだけの花々を咲かせる必要のある職業となると、答えは自ずと限られる。

「まさか、屋敷を燃やされるとは思っていませんでしたからね」

「あれだけしっかり焼けてたら、さすがに無理だろうな……」

 もし奇跡的に焼け残っていたとしても、熱に弱い香り水は使い物にならない。

「ジゼルは私が生きていると、必ず受け取りに来ると信じて、作っておいてくれました。すべてジゼルの手作りなのですが、私の知る中で最高の出来を誇っています」

 質の悪いものは拒みそうなエティが、徹底的に褒め称える。それほどの香り水は、いったいどんなものだろう。

 ヴァルは純粋に興味を持ったようで、袋にジッと視線を注いでいる。

「帰ったら見せてあげます」

 いたずらが楽しくて仕方のない子供のように、エティはクスクスと小さく声を立てて笑った。


         ‡


 使わせてもらった馬をクレイグに返し、馬車でリヴァルークへと戻る。

 これからしばらくは、ジルもリヴァルークで暮らすことになるだろう。たとえ隣国で生きているとしても、領主の不在は治安の乱れへとつながっていく。

 一度荒れ果ててしまえば、元通りにするのは骨が折れる。若い当主となる弟には、いらない苦労をさせたくなかった。

 そう考えるエティは、そのための労力を惜しむ気はない。

 リヴァルークへ無事に戻ったエティは、ようやく弟妹と再会した。ついでのように、ロジーに香り水を渡すことを忘れない。

「姉様、ありがとう! 大好きよ!」

 無邪気に飛びついてくるロジーを、左手でしっかりと抱き締める。空いている右手で、ジルの頭をゆっくりと優しくなでた。

「ジル、見事です。よく私の言いつけを守りましたね」

 手放しで誉められて、ジルはニコニコと喜んでいる。そんな弟に目を細め、エティは毎日二人に何度も言い聞かせたことを思い出す。

『いいですか? 両親、私、あなたたちの名前、その他のすべてを話してはいけません。名乗る必要があるのならば、愛称だけを答えなさい。信じていいのは『星』だけです』

 何かあった時に、バラバラに引き離されることも想定していた。だからこそ、助けに来たとか、家族の誰かを見つけたなどといった嘘も、すべて織り込み済みだ。

 甘い言葉を囁く者が現れた時には、必ず『星』の場所を聞け、と言い含めていた。答えられない人間を、決して信じるな。と。

 だからこそ、こうして再び会うことができたのだと、エティたちは深く信じている。

「ねぇ、姉様。僕たち、どのくらいここで暮らすの?」

 誰に教えられなくとも、二人にも両親がすでにいないことは、はっきりと理解できている。

 悲しくないと言えば嘘になる。けれど、過去を懐かしんでいつまでも嘆いてはいられない。そんな優雅でのんきな暮らしを、いつまでも送り続けられるわけではないのだ。

 何をどうすれば、これからをしっかりと生きていけるのか。

「それを考える前に、私たちにはしなくてはいけないことがあるでしょう?」

 家のあった方向をジッと見つめ、三人は黙祷する。

 エティの頬を、幾筋もの涙がスッと流れ落ちる。伝ったそれは、床に小さな染みをいくつも作った。

 決して短くはない祈りの後、エティは弟妹に向き合う。

「私は、リヴァルークで生きていきます。ジルは、デュヴァリエール国内が落ち着いた後、爵位を継ぐことになるでしょう。ロジーは、どうしますか?」

 姉と兄の未来は、絶対に動かない。そう察したロジーは、ギュッと目を閉じる。やがて、彼女はパッと目を開けた。

「わたくしは、兄様と行くわ。姉様は一人じゃないけど、兄様は一人になってしまうから。わたくしが、兄様を助けるの」

「そうですか……寂しく、なりますね」

 目を伏せ、ゆるゆると睫毛を震わせたエティを、ロジーは下から覗き込んだ。

「違うわ。姉様とわたくしたちは、この『星』でつながっているの。だから、誰よりも、何よりも早く、互いの危険を知らせることができるわ」

「そうだよ。きっと、思いもつながって伝わるはず。そうだよね、姉様」

 いつの間に、こんなに大人になっていたのだろう。

 しばらく会わなかったら、弟妹が急に成長してしまった。おかげで、ますます寂しさが募ってしまう。

 反面、彼らの成長がとても嬉しくて、一度止まったはずの涙がまたポトリとこぼれ落ちた。


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