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星の涙を流す娘  作者: 日咲ナオ
プライベーティアの女神
15/25

企てられた報復 3

 まだ夜が明ける気配もない、夜の暗さの中。クレイグは、エティとヴァルに一頭ずつの馬を用意し、その手綱を渡した。

 セオドアに向けて、エティは出発の合図を上げた。エティは手綱をギュッと握り、馬の首を優しく数回なでる。

「アンリエット様、お気をつけて」

「ヴァルもいるし、セオドア様も私についてくださったから平気よ」

「訂正します。アンリエット様、やりすぎにご注意ください」

 自信満々のエティに、クレイグは、気遣っているのは相手側だと即座に言い直す。すっかり言われ慣れているため、エティはあえて何も答えない。カートルのまま、ひらりと馬に飛び乗った。

 おしとやかに見えそうだから。

 そんな理由で、セオドアに用意してもらったカートルは丈が長めだ。膝をかがめると、どうしても裾を擦ってしまう。そのため、生地の質はかなり落としてもらった。

 馬に乗ることを考慮し、ブラッカエも用意してもらってある。

 そもそも、これがなければ乗馬は認めないと、セオドアにきつく言われてしまったのだ。従わないわけにはいかない。

「せめて、ヴァレンティン様の手を借りてください。それが淑女のたしなみです」

「あら、私は今までと同じことをしているだけよ」

 やわらかな微笑を口元だけに浮かべ、エティはクレイグに帰還を誓う。

 辺りは夜と変わりないほど暗い。慣れない道は危険だからと、エティが先導して馬を走らせる。まず向かったのは、叔父であるアルマンの屋敷だった。

 そこでエティは、アルマンの部屋に明かりがついているかを確かめたかったのだ。本人が不在と知ると、今度はその理由を探りにかかる。

「アルマンはどこです?」

 突然のエティの登場に、真っ青な顔でガタガタ震える侍女は尻餅をつく。

 どうやら、領内で流れている噂をアルマンに教えたらしい。そのとたん、アルマンは大慌てで出ていったようだ。あまりに急いでいたようで、行き先も告げなかったらしい。

「行き先はおおよそわかってはいますから、心配はいりません」

 迷うことなく、エティは再び馬に飛び乗る。馬を王城へと走らせるエティを、ヴァルが追う形だ。

 そうして、朝日が顔を出して薄明るくなった頃。エティたちは、デュヴァリエールの王城前に並んで立っていた。

 あまりに鮮やかな手並みに、ヴァルが感嘆のため息をこぼす暇さえ与えない。

「一国の王が、爵位もない愚か者の口車に乗せられて国を滅ぼそうとするなんて、国民にとっては悪夢以外のなにものでもありません。だからこそ、早く引退して第一王子に王位を譲れと、民が平然と口にするのです」

 どこまでも辛辣なエティだが、そう噂されていることはまぎれもない事実だ。

 愚鈍な王と、有能で有望な跡継ぎ。

 公然と噂話をされてしまうほど、民の望みと現状は、大きくかけ離れているのだ。

 エティからすれば、跡継ぎもそれほど有能なわけではない。ただ、現王に比べれば間違いなく有能ではある、と言える程度に過ぎなかった。

「私はステルブール伯爵の娘、アンリエット・エルヴェシウスです。通しなさい」

 門番の前に堂々と立ったエティは、ただ名乗っただけだ。けれど門番は、サッと顔色を変えて彼女を急いで通す。

「いい子ですね」

 エティのあでやかな、けれどどこか残忍さをただよわせる微笑。それを向けられても、しっかりと平静を保てる者などいない。

 門番たちはただひたすらに許しを請い、静かに涙を流すのみだ。ガタガタとみっともなく震え、もはや門番としての役目を果たせていなかった。

 この城にいる誰もが、すでに知っているのだ。

 セルジュが、家族や家人を巻き込んで、家に火を放ってから自殺をするような愚かな男ではないことを。アルマンがどんな卑劣なことを企み、誰をわざと貶めたのかを。

 もしかすると、エティが流させた話──リヴァルーク王の姪を奴隷商人に売り払い、かの王の激しい怒りを買った。そういう、噂という名の事実を、どこかで偶然耳にしたのかもしれない。

「行きましょうか」

 早速歩き出すエティに、ヴァルが続く。

 夜が明けたばかりというのに、すでに起きている使用人たちで王城はザワザワと騒がしい。そのざわめきは、エティを目にしたとたん、すすり泣きへと変わる。

 ステルブール伯爵に似たエティの顔を見る者すべてが、がっくりと膝を折り、懸命に許しを請う。

 まるで、彼女が女王であるかのような、異様なはずの光景だ。しかし、まったく不自然と思わせないだけの気迫が、今のエティからはあふれている。

 誰かに行く手を阻まれるどころか、むしろ道を開けられて案内された。

 エティはノックもせずに、謁見室のドアを力一杯開け放つ。

「あら、おそろいですね」

 口元には、嫣然とした微笑。だが、ブラウンの瞳は氷を宿している。

「我がステルブール伯爵家を貶めようとした罪、どう償ってもらいましょうか」

 エティは冷ややかな笑みをベッタリ貼りつけ、居合わせた面々を順々に眺めた。

 彼女の視線が最初に止まったのは、ヴァルよりいくらか年上と思われる青年だ。丸まった背中からは、威厳や度胸、責任感といったものが感じられない。そのせいか、デュヴァリエールの正装にすっかり着られている。

「ダニエル。あなたの最大の罪はその性向ね。せめてもの慈悲と、胸の内にしまうことにしたお父様と私の決定が、それほど不服だったのかしら?」

 きっぱりと言い切るエティの言葉を聞き、ヴァルがホッと息を吐き出す。

 恐らく彼は、エティとロジーのどちらが対象なのかで迷っていたのだろう。

(……私を御せる男など、そうそういるものではありませんよ)

 それでも、ヴァルが迷ってくれたことが、我を忘れそうになるほど嬉しい。

 怯えきってガタガタと震え、まったく声を出さないダニエルに早くも飽きたのか。氷よりも冷たい一瞥をくれてやると、エティは視線をスッと移した。

 そこには、玉座に背中をピタリとつけ、わずかに腰を浮かせた中年の男性がいる。

「マルセル王……あなたには、ほとほと失望させられました。ステルブールが他の領地と違い豊かであったのは、ひとえにお父様と民の間に強い信頼関係があり、お父様が私財を投げ打ち、あなたの愚策の尻拭いをしていたからです。そうでなければ、ベルトラン王子を王に推す声が、これほど公然と上がるはずがないでしょう?」

 エティは容赦なく、そこまでひと息で言い切った。マルセルは現実を突きつけられて、がっくりとうなだれている。すでに抵抗する気力はなさそうだ。

 エティの視線は、さっさと本命のアルマンへと移る。

 ブラウンの瞳は、静かで苛烈な怒りに満ちている。その瞳にジッと見つめられ、アルマンの体はカタカタと小刻みに震え始めた。

 彼自身の意志では止められないらしく、明らかな怯えが浮かんでいる。

「……なぜ、嘘を重ねたのですか? お父様は、何の相談もなく自らの命を絶つ人間ではないと、領民ならば誰もが知っていることです。しかもあなたは、本物の印璽を受け取ってもいないというのに」

 そこでふと言葉を切ったのは、とどめを刺すにふさわしい文言を考えていたからなのか。はたまた、より緊張を高め、手ひどく叩き落とすためなのか。

「お父様の手の上で遊ばれていたことも知らず、哀れな人ですね」

「な、何……? い、いったいどういうことだ!?」

「愚王に仕えるのは愚者と決まっているのですね」

 動揺をまったく隠さない上に、それが決定打とわからず問いかけてくる。そんなアルマンに向けて、エティは軽く肩をすくめて呟く。

「お父様はすべてを知っておいででした。アルマンが襲ってくることも、それにマルセルとダニエルが絡んでいることも」

 あえて、敬称を省いた。だが、誰もそのことに気づかないようだ。

 ずっと大切に持っていたベロアの小袋から、コロンと印璽を取り出す。燭台の明かりにきらめくそれを、親指と人差し指でそっと優しく挟む。

 アルマンに『星』が見える角度で、わざわざ見せびらかしてやる。

「これが、本物のステルブールの『星』です」

 再び印璽をしまった小袋を、しっかりと手に握る。あまりにも愚かな者たちに、エティはついため息をつく。

「あの夜、お父様は私にこの印璽を預けてくださいました。アルマンが襲撃することも、私たちを奴隷商人に売りつける算段をしていることも、知っていたからこその行動です」

「……兄は、いつから知っていたんだ?」

 ようやく読めてきたのか。アルマンはすっかり勢いをなくし、力ない相づちを打つ。

「一週間前には知っていたでしょうね。お母様に、実家へ帰って私たちの顔を見せてあげるようにと、毎日説得しておいででしたから」

『わたくしは国を捨てました。あなたの願いであっても、国へ帰ることはありません』

 ともに戦うと、エリザベスは里帰りを拒否する姿勢を貫いた。結局のところ、セルジュが渋々折れたのだ。

 仕方なく、考えうる最善の方法として、エティに印璽を預けることにしたのだろう。

 息子であったなら。そう幾度となく考えたエティならば、何があったのかも、どうするべきなのかも理解してくれるはずだ。

 そのために必要な、ふさわしい行動をしてくれるものと信じて。

「ジルベールとロザリーは、どうなった?」

 アルマンからは、当たり前に想定している問いかけしかこない。ひどく退屈で、すでに飽きを感じ始めていた。

 ヴァルとは、いつでも駆け引きを楽しめる。そんな環境に、いつの間にかすっかり慣れてしまったのだろう。

「リヴァルークに保護されました」

 二人を無事に助けるためとはいえ、一度は買われている。だが、途中経過はあえて言わず、単なる結果だけを伝えた。

 計画が見透かされていた上に、すべて残らず失敗していた。それがわかって、すとんと力が抜けたのか。アルマンは床にがっくりと膝をついて座り込む。

 しかし、マルセルはまだ諦めていなかったようだ。

「誰か! 侵入者を捕まえろ!!」

 どこまでもみっともない悪あがきに、エティはうんざりしながら侮蔑の目を向ける。

 何も知らされていないのか。はたまた、大金で雇ったのか。十数人の男たちが、続きの部屋から一斉に飛び出してきた。

 彼らの手には、それぞれが得意とするのだろう獲物が、しっかりと握られている。複数が手にしている長めの曲刀や長剣は、室内で扱うには明らかに不向きだ。普段どおりに動ける者は、短刀を握っている半数程度か。

 条件反射らしく、ヴァルは愛用のカトラスに手をかけた。エティに斬りかかる者がいれば、容赦なくその命を奪う心構えだろう。

 エティはエティで、冷静に状況を判断する。もし彼らと戦うことになっても、勝利は見えていた。何しろ、この部屋は元々広くはない。しかもヴァルは、普段は揺れる船上で、集団と戦うことに慣れている。

 敵の動きを見るに、ヴァルの敵ではない。

「お引きなさい」

 冷静な声と、猛禽類を思わせる冷ややかな眼差し。エティに圧倒され、男たちはぴくとも動くことができないでいた。

 彼らの体は、己の意志に反してカタカタと震えている。それがまた恐ろしさを増すのか、彼らはますます動けない。

「リヴァルークと戦いたい者だけ、かかってきなさい」

「どういうことだ?」

 今度は、大国の名前に怯えて動けないようだ。そんな男たちに代わり、アルマンが問いかける。

 半分は同じ血が流れているからか。アルマンは、他の者より身動きが取れるらしい。

「この城を、どの国よりも性能のいい装備を積んだ私掠船ヘンリエッタ号の、最高精度を誇る主砲が狙っています。こちらからの合図ひとつで、いつでも砲撃可能です」

 ヘンリエッタ号の使っていない装備まで、エティが熟知していると思っていなかったのか。

 緊迫した状況の中で、ヴァルの口から呆れたようなため息がこぼれ落ちた。

 いつもはヴァルが乗っている船を、今はセオドアが操っている。合図には当然のように『星』を使う。これなら、数十キロの距離をものともせず、瞬時に伝えることができるからだ。

 苦痛と引き換えだが、便利なものがある。そのことを、デュヴァリエールの持たざる者たちは知らない。

 だからこそ、砲撃を受ける前にエティを捕らえヴァルを始末することができる。そんなふうに、楽観視している部分があったはずだ。

「かかれ!」

 命令を受けて、男たちは反射的に足を踏み出す。狙いは当然、見るからに弱者で武器を持たないエティだ。

 だが、それを許すヴァルではなかった。

「こいつには指一本触れさせない!」

 エティの前に出たヴァルが、スッとカトラスを構えた。お構いなしに突っ込んできた男たちの利き腕を傷つけ、あっさり使い物にならなくする。

 船の上ならば、決して容赦はしないだろう。しかし、いくら剛胆とはいえ、エティの目の前で命を奪うことは、さすがに気が引けたようだ。

(本当に、素敵ですね……)

 洗練されたヴァルの動きに、ほんの一瞬、うっとりと見とれてしまった。けれどすぐに、エティは気を取り直す。

「まだ、理解していないようですね?」

 武器を取り落とし、切りつけられた腕を強く押さえて呻いている。そんな男たちをジッと見下したエティは、ヴァルに『星』を見せるように少しだけ振り向く。

 ほぼ同時に、そろって怒りを『星』に伝える。

 感情を素直に表すことなど、生まれて初めてかもしれない。だから、少しばかりぎこちない伝え方になってしまった。

 ヴァルの『星』があげる声に、エティは固く目を閉じてギュッと眉を寄せた。二度目となる激痛を、どうにか堪えきる。

「誰でもいい、そいつらを殺せ!」

 マルセルは散々わめき散らしたが、男たちは利き腕を奪われ何もできない。

 そこに、何かが落ちてきたらしい、ドンッという音がした。激しい衝撃が、謁見室を大きくグラグラと揺らす。

「……っ」

 想像以上の揺れに、立っていられなかった。よろめいて倒れそうになるエティを、ヴァルがすかさず左手でグッと力強く支える。

 彼の右手はまだ、カトラスをしっかりと構えたままだ。

「……初弾で城内の何もない場所を狙う指示を出したのは、国民に罪はないことと、あなた方への猶予です」

 次は、まったく別の場所を狙うと匂わせる。

 男たちは、砲撃の揺れが収まると同時に、クモの子を散らすように逃げ出した。各々の武器は、床に投げ捨てられたままだ。

 恐怖に耐えられなくなったアルマンが、真っ先に降伏の意を示した。兄一家を亡き者にする計画を立て、実行した罪を認め、謝罪の言葉を連ねる。

「私ではなく、ジルにすべてを告白して許しを請うべきでしょうね。もっとも、あの子もエルヴェシウスの者ですから、騙すことなどできませんよ?」

 真偽が不明の事柄があれば、ジルは迷うことなくエティに尋ねるだろう。そこに嘘があるとわかれば、絶対に許すことなどない。

 それほど慎重に慎重を重ねて、これまで息づいてきたのがエルヴェシウス家なのだ。

 仮にジルの許しをもらったところで、罪は罪だ。アルマンはもう、今までどおりの生活を送ることは不可能になる。

 それ以上の罰をアルマンに与える権利は、エティにはない。

「さて、お二方はどうします? アルマン同様、その罪を認めますか? それとも、国民に信を問いますか?」

 たとえエティがマルセルを放っておこうとも、すべてをなかったことにはできない。

 愚策だらけで国勢を悪化させた上に、リヴァルークに睨まれている。そんな国王を、そのままにしておく愚かな国民はいない。今日を境に、わずかな味方にもすっかり見放されるだろう。どちらを選んでも、マルセルは退位する以外の道はないのだ。

 ダニエルに関しては、すでに彼の祖父であるクレイグの許可を得ている。だから、何をしでかしたのかを、ステルブールの領民に余さず伝える予定だ。ステルブール領はもちろん、下手をすれば国内でも居場所がなくなるだろう。

 だが、そのすべては彼らの自業自得だ。

 打ち震えるマルセルとダニエルを尻目に、エティはチラリとヴァルを振り返る。目的は果たされたと言わんばかりに、満足げに小さく微笑んだ。


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